自衛隊ニュース

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各駐屯地で周年行事 多くの市民で賑わう

写真=迫力ある装備品展示


第12旅団24周年

相馬原駐屯地66周年


 第12旅団(旅団長・前島政樹陸将補)は4月12日、爛漫桜花の下、相馬原駐屯地及び相馬原飛行場において、第12旅団創立24周年及び相馬原駐屯地創設66周年記念行事を挙行した。

 記念行事には、群馬県知事、国会議員をはじめとする地元首長、4県(群馬・栃木・新潟・長野)の自衛隊協力団体などの来賓に加え隊員家族や一般来場者を合わせて約1万2000人が訪れた。執行者の旅団長は「第12旅団は全国の作戦基本部隊の中でも、空中機動力を強化された作戦基本部隊であり、事態に応じて、広域にわたり即応し、任務を遂行することが期待されている。その崇高な使命を完遂するためには、平素からの厳しい訓練を通じた『即応力の強化』と部隊・隊員の『安全の確保、健全性の保持』が必要不可欠であり、各種演習を通じ、防衛警備、災害対応に係る練度を向上するとともに、時代の変化に対応し得る精強な旅団を育成する(要旨)」と式辞を述べた。

 その後、部隊観閲行進、オスプレイ(Ⅴ22)も参加した観閲飛行、音楽隊と松本アルプス太鼓コラボ、スピード感あるオートバイドリル、空地一体となった迫力ある戦闘訓練展示が行われ、来場者から大きな歓声が沸き起こった。訓練展示終了後、会場では装備品展示が行われ、多くの来場者が普段近くで見ることのない装備品を前に、隊員らに質問をする光景が見られた。高機動車の体験試乗では、整理券を求めて長蛇の列ができるほど人気で、乗車体験を通じて性能や特性を体感し自衛隊を身近に感じていた。また桜並木に並ぶ22店舗の野外売店も、大賑わいで、大盛況であった。


中部方面混成団 18周年
大津駐屯地66周年

 中部方面混成団及び大津駐屯地(団長兼駐屯地司令・野崎英二1陸佐)は、4月26日、中部方面混成団創立18周年及び大津駐屯地創立66周年記念行事を挙行した。
 国会議員をはじめ部内外から多くの来賓が参列する中、司令は式辞において「現在の我が国周辺には、力による一方的な現状変更を試みる国が存在し、戦後最も厳しく複雑といわれる安全保障環境下にあることを実感せざるを得ません。国外は厳しい国際情勢、国内では経験したことのないような大規模災害が頻発する中、歴史のうねりの前にただ立ち尽くして現状を受け入れるのではなく、事に臨んでは危険を顧みず身をもって責務の完遂に努めもって国民の負託に応える。この宣誓に違うことなく、我が国の平和と独立を守る自衛隊の使命を果たすことができるように専心努力して参ります。中部方面混成団及び大津駐屯地は国家防衛の志を同じくして、ここ大津の地に集うご縁に感謝し、地域を愛し、信頼に応え、我々の立つ足元から国民の負託に応えて参ります」と決意を述べた。
 観閲行進では、中部方面音楽隊の演奏に合わせてこの春入隊した、新隊員約300名が若々しく溌剌とした徒歩行進を披露し、約1カ月で成長したわが子の姿に感動する家族も見られた。
 式典後は、中部方面音楽隊による音楽演奏、新隊員による自衛隊体操、訓練展示、高機動車体験試乗等が行われ、県内外から来場した約3000名の人で賑わい本行事は盛会裏に終了した。

松本駐屯地75周年

 松本駐屯地(司令・秋山伸太郎1陸佐)は4月19日、松本駐屯地創設75周年記念行事を挙行した。
 式の始めでは、3月の訓練中に事故で逝去された、小林1曹への黙祷が行われ安全管理の徹底を誓った。
 式典には、長野県知事の阿部守一氏代理で副知事の新田泰士氏、松本市長の臥雲義尚氏、衆議院議員の後藤茂之氏を始め、多数の来賓を迎え開催された。当日は晴天に恵まれ、駐屯地には県内外から約8400人が来場した。
 駐屯地司令は式辞において、「松本駐屯地は、自衛隊の前身である警察予備隊の創設と同時、昭和25年に創設された最も歴史ある駐屯地の一つです。長きにわたり、長野県唯一の駐屯地として存在して来られたのも皆様方の御支援及び御協力と、自衛隊に対するご理解があっての事であり、改めて感謝するところであります。日本の安全保障環境は戦後最も厳しく複雑なものとなっており、このような環境の下、日々厳しい教育訓練に励み、いつ・如何なる任務にも即応・完遂し得る強靭な部隊の育成こそが使命であると強く実感している」と述べた。
 記念行事は、観閲行進、東部方面音楽隊による音楽演奏、滝ヶ原雲海太鼓、航空自衛隊入間修武太鼓、松本アルプス太鼓との合同太鼓演奏、模擬戦闘訓練展示が実施された他、信州大学吹奏楽団、松商学園バトントワリング部、松本チアチームラスターズ、美須々ヶ丘高校書道パフォーマンス等、駐屯地全域で実施された各種イベントはどれも賑わいを見せた。
 松本駐屯地は、これまで以上に県内各自治体、関係機関の皆様と密接に連携し、地域住民の皆様と「共に」「笑顔」で信頼され愛される駐屯地を目指して行く。

霞目駐屯地68周年

 霞目駐屯地(司令・松元三展1陸佐)は、4月5日、駐屯地を一般開放し、霞目駐屯地創立68周年記念行事を実施した。事前のSNS等によるPRと大船渡市の山林火災対応により注目されていたこともあり、約4900名と昨年度より約500名も多い来場者を迎えることができた。
 行事の実施にあたっては、第1ヘリコプター団(木更津)からV22オスプレイ、海上自衛隊第25航空隊(大湊)よりSH60、第22即応機動連隊(多賀城)よりMCV・WAPC等、多数の支援を受け、ヘリコプター編隊飛行、事態対処訓練展示、装備品展示、特大型トラック体験試乗、自衛隊体験コーナーなど、子供から大人まで楽しめるイベントを開催し来場者を楽しませた。
 また、宮城地本と合同で開設した採用広報ブースにも多くの募集対象者が訪れ、自衛官という職業の魅力について理解を深めてもらった。
 引き続き地域の皆さんが楽しめるイベントや行事を通じて地域と共にある霞目駐屯地の魅力を発信していく所存である。


音楽隊に敬礼<第13回>
前陸上自衛隊中央音楽隊長 樋口 孝博

陸上音楽隊、ルーツの探訪

写真=エッフェル塔を背に


 洋楽の曙期である明治初頭、陸軍軍楽隊は教師や楽器・楽譜など数多くの教示をフランスから受けていました。また優秀な士官には国の先駆けとなってパリやリヨンに留学させ、音楽や制度を学ばせました。特に最後の陸軍軍楽隊長となった山口常光(つねみつ)氏は、フランスの名門ギャルド吹奏楽団の委託生として学び、教育・訓練や欧州各国の音楽情報を収集しました。その軍楽隊最終期の方々が創設されたばかりの中央音楽隊を育成したため、陸上音楽隊のルーツはフランスにあるともいえます。今でも陸軍軍楽隊の育成に尽力したC.ルルー作曲の《陸軍分列行進曲》は、自衛隊観閲式などで往時の音を偲ばせます。そして2019年には、軍楽の伝習から150年の節目を迎えたため、年明けの海外演奏はパリへの訪問が実現しました。

 リード・クインテット(木管五重奏)を主力として派遣された7名は、フランス空軍をベースに各地を巡り、パリ文化会館や日本人学校での演奏会を行いました。また、誉高いギャルド軍楽隊(憲兵隊隷下)及びフランス空軍軍楽隊も訪問し、大きな刺激を受けることができました。フランスでは陸・海軍の軍楽隊よりも、空軍軍楽隊やギャルド軍楽隊の方が高いレベルにあるため、幹部の多くがそちらへと転官していることには驚かされました。皆さん正直に「私は、以前陸軍だった」「私は、以前海軍だった」と言われるのです。その空軍軍楽隊における合同合奏訓練では、ベートーヴェン生誕250年ということもあって、名曲《ウェリントンの勝利》を取り上げていました。さすがにメンバー全員がパリ音楽院等を卒業した名手であり、一つひとつの音を大切にしながらハーモニーを作り上げ、そのうえで各個人の音楽的主張をしています。これは、幼少期から体得しているソルフェージュ(音感)能力と国民性が強く影響していると感じました。

 高層建築のギャルド軍楽隊では、お洒落な喫茶室に招かれ会話に〝苦しんで〟いると、日本人の奥様二人が来られて通訳をしてくださいました。お二人ともフランスに音楽留学をしたのちに軍楽隊員と結婚され、その建物の上に住んでおられるそうです。自衛隊でいえば、庁舎や屋内訓練場の上階が官舎といったところでしょうか。その後は歴史展示室に通され、貴重な資料を拝見しました。ギャルドの隊長に「中央音楽隊は、来年70周年を迎えるんですよ!」と話したところ、「私たちもですよ!」と音楽隊の年表を指差したその先には「フランス革命」と書かれており、驚きを隠せませんでした。

 式典の訓練風景を見学させていただくと、列を揃えた演奏やパレードなどにフランスの国を代表して演奏するというプライドが感じられます。そこには国を代表する中央音楽隊と同じ地位・役割を担っていることが伺え、たいへん心強く感じられました。また、世界的にも有名な芸術演奏団体「ギャルド吹奏楽団」は、同じ傘下でありながら必要に応じて招集されるプロ奏者の集団であるため、今回の訪問は叶いませんでした。しかし、このような式典音楽と芸術音楽の二面性を併せ持っている日本のセントラル・バンドには、改めて感心させられた次第です。

 明治期に、フランスから習得した軍楽隊の演奏技術は陸上音楽隊に引き継がれ、150年を経た現在の実力は彼らに引けを取りません。しかしソルフェージュ能力は遥かに及ばず、ひいてはそれが「音楽性」というものに繋がるのかもしれません。また、パリの楽器・楽譜店の街並みを比較してみると、やはり音楽隊のルーツでもあるこの国は、その底辺が日本と比べて限りなく広いことに改めて気付かされました。

 そして帰国したのが、2020年の1月末。成田空港に到着した途端、音楽隊からの電話で「マスクをつけろ!」との指示が…。コロナウィルスによって生活や演奏活動が制限される数年が待っているとは、この時点でまったく思いもしなかったのです。

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