自衛隊ニュース
カンボジアで衛生教育
陸自隊員が国連TPPで
写真=德永陸幕副長と懇談する藤澤2佐
防衛省自衛隊は、陸上自衛隊衛生学校の医官・藤澤重元2陸佐を国連三角パートナーシッププログラム(UNTPP)の教官としてカンボジアに派遣した。期間は12月4日から同19日まで。藤澤2佐が参加するのは国連野外衛生救護補助員コース(United Nations Field Medical AssistantsCourse‥UNFMAC)で、韓国からの教官2名と共に衛生を専門としない要員25名を対象として戦傷者に対する応急救護法の教育を行う。藤澤2佐は、今年6月にウガンダで同プログラムに参加し、国連よりヘッドトレーナーの資格を取得した。
11月28日、出国報告を受けた德永勝彦陸上幕僚副長は、「国連三角パートナーシッププログラムは、防衛省にとって大変重要な事業だ。国連からの自衛官に対する評価も高い。日の丸を背負っての活動になるが、健康に留意してがんばってほしい」と激励した。藤澤2佐は「訓練を受けるのは、今後PKOに派遣される隊員たちなので、実際のミッションでどう動くのかということをしっかりと考えてもらえるような教育を心掛けていきたい」と抱負を述べた。
北部方面隊が戦車射撃競技会
写真=部隊の応援を受けて
北部方面隊(総監・井土川一友陸将)は11月21日から12月1日、北海道大演習場島松地区の第1戦車射場において、令和7年度方面隊戦車射撃競技会を行った。これは、射撃指揮及び射撃技術を向上させるとともに、部隊の団結の強化及び隊員の士気高揚を測ることを目的として60年以上行われている。
参加部隊は、第2師団(第2戦車連隊)、第7師団(第71戦車連隊、第72戦車連隊、第73戦車連隊、第7偵察隊)、第5旅団(第5戦車大隊)、第11旅団(第11戦車隊)、西部方面戦車隊で、車両152両、人員約450名が参加した。
競技は10式戦車と90式戦車4両1部隊が、約2キロ離れた2メートル程の的を狙い、命中率等を競うというもの。結果は下記の通り。
〇部隊対抗の部「優勝」
第2戦車連隊
〇中隊対抗の部「優勝」
第73戦車連隊第3中隊
〇小隊対抗の部「優勝」
第72戦車連隊第3中隊 第1小隊
北部方面隊は、引き続き国民・道民の皆様の平和な暮らしを護るため万全を期するとともに、望ましい国際安全保障環境の構築に寄与していくとしている。
オニオンスノーファイターズ
編成完結!
<丘珠駐屯地>
写真=昨年度の除雪の様子
丘珠駐屯地(隊長・安達弘典1陸佐)は、11月19日に令和7年度札幌飛行場除雪隊「オニオンスノーファイターズ」の編成完結式を実施し、隊員24名が参加した。
札幌飛行場は、青森空港に次ぎ全国で2番目の積雪量がある飛行場で、陸上自衛隊唯一の官民共用飛行場である。札幌飛行場の年間の航空機離発着回数は官民合わせて約3万700回であり、除雪の成否が航空機の運航に大きく影響する。
今年は降雪が早く、19日の時点で5日間計11回出動している。除雪隊は、日々19名が交代で24時間待機しており、除雪隊長古市1尉は、「冬季の厳しい環境下においても、航空機が安全、かつ、円滑に運航できる状態を維持させる使命を自覚し、空港関係者の皆様と緊密に連携して安全運航を最優先に冬を乗り越えます!」と決意を述べた。
また、今年度から新しく、雪や氷を早く溶かして滑走路面の安全性を確保するために散布する「融雪剤散布車」が導入され、新たな戦力として活躍している。3月末までの、除雪隊の長い闘いが始まった。
ノーサイド
北原巖男
国旗を巡る体験
表題をご覧になられた皆さんは、どのような体験を想像されましたでしょうか。
日本の国旗に係る動きについてでしょうか。マスコミは、与党が来年の通常国会に向けて、日本を侮辱する目的で日本の国旗を損壊・除去・汚損した者に対する処罰を科す法案を提出し、成立を期する旨報じています。他国の国旗については処罰規定があるのに対し、日本の国旗についてはそのような規定がない現状を是正するとの考えによります。本件は、憲法に定める何人にも認められる表現の自由とも関わってくる過去にも経緯のある重要な内容です。幅広い国民的議論の展開・審議が求められます。
今回の筆者の国旗を巡る体験は、そのようなこととは全く関係がありません。ただ、筆者にとっては初めての体験でした。
11月15日から26日まで、「国際ろう者スポーツ委員会(ICSD‥ International Committee of Sports of Deaf)」主催の「東京2025デフリンピック」が開催されました。日本での開催は、初めてです。1924年に第1回がフランスのパリで開催されて以降、4年毎に開催され、今回の「東京2025デフリンピック」は、100周年の記念大会となりました。
世界79の国・地域から約3000名の選手が21の競技に熱戦を展開。自衛隊員の皆さん・ご家族そして本紙読者の皆さんも、直接競技会場に出向かれて、手話や「サインエール」で応援された方が沢山おられるのではないでしょうか。東京大会の観客数は、入場料が無料だったこともあるとは思いますが、人々の関心は高く、目標の10万人を大きく上回る28万人を記録したとのことです。
今回の特記事項の一つは、〝東ティモール国籍〟の選手3名(バドミントンに男子選手2名、女子選手1名)が、初めてデフリンピックに参加されたことです。ちょうど1か月前の10月26日、正式加盟申請から14年7か月を要して、ようやく東南アジアで最後・11番目のASEAN加盟国となったばかりの東ティモール。加盟後、最初の大きな国際競技大会が「東京2025デフリンピック」となりました。
筆者も妻と一緒にバドミントンの試合会場「京王アリーナTOKYO」(東京都調布市)へ応援に参りました。予め用意した応援グッズは、試合会場で掲げる大きな東ティモール国旗、国旗の小旗、国旗を印刷した小さなボード、応援用大うちわ(両面にVIVA TIMOR! とFIGHT TIMOR‐LESTE!を大きく明記)、ホワイトボードとペン、紐、養生テープ、テトゥン語と英語の辞書、カメラ。当日は、東ティモール国旗が付いた野球帽を着用して、自分としては、万全の構えで出かけました。
広い会場に入ると、両翼には、全7面ある競技コートを見守るかのように参加国の国旗の写真がズラッと一列にならんで表示されていました。そこには、東ティ
モールの国旗はありません。
予め聞いていたことを思いだし、一抹の寂しさを抱きながらも、色とりどりの国旗に見入っていました。
「東ティモールは、まだ国際ろう者スポーツ委員会(ICSD)に加盟していない。今回の〝東ティモール国籍〟の3選手は、日本財団ボランティアセンターの財政支援によって初めてデフリンピックへの参加が可能になったものである。東ティモールの代表として東ティモール国旗の下に参加するのではない。ICSDの旗の下に個人参加する位置付けである。このため、試合時に着用するユニフォームも、東ティモールの国旗や東ティモールの国名が入っていてはならない」
----観客席で応援する筆者たちには、そんな制約はあるまい、秩序を乱さない限り表現の自由もある、そう自分に言い聞かせ、2階の観覧席の一番前に陣取るや、すぐに高さ1m位の透明な転落防止フェンスに東ティモールの大きな国旗を広げ、飾り付けました。ほかにも何カ国かの国旗が広げられていましたが、これは目立つ。これなら選手の皆さんからもはっきりと見える。元気が出るに違いない。頑張れ!そんな思いでした。
各コートに審判員に先導された選手の皆さんが入場。場内アナウンスは、東ティモールの選手については、国名を挙げず名前のみの紹介。電光掲示板も、対戦相手は、カラフルな国旗と国名も掲示されるのに対し、東ティモールは選手の名前のみ。ユニフォームも、馴染みの無いデザインのものを身に付けています。背中のアルファベットは、国名のTIMOR‐LESTEではなくICSD。
オリンピックなどでロシア選手が個人の資格で参加を許された等のニュースを思い出し、国際競技大会で、個人としての参加というのは、こういうことなのかと、筆者は初めて思い知りました。ロシアと東ティモールは、事情は全く異なりますが、〝東ティモール国籍〟の選手が、身に付けるユニフォームから、選手紹介に至るまで、「東ティモール」を一切表に出すことを禁じられている異様な光景。きっと国際競技大会のルールでは当然なことなのでしょう。”東ティモール国籍“の3選手も、予め了解した上で参加を決めたと思いますが、筆者にとっては大きなショックでした。
一人の大会関係者の方が近づいて来ました。そして、大きく広げて飾り付けた東ティモール国旗を直ぐに撤去するよう指示を受けました。応援であってもダメとのことでした。やむなく取り外しました。ただ、手元で振っている東ティモール国旗の小旗については、使用を許してくださいと強く申し上げました。その場でのOKは頂けませんでした。しばらくしてから、ようやく了解が出ました。
競技については、残念ながら3選手とも1回戦敗退でしたが、最後まで全力プレーを貫きました。その姿は、東ティモール国旗の下に、活き活きと躍動する爽やかで誇らしげな東ティモール代表選手そのものでした。
3選手・手話通訳者・監督の一行は、滞在期間中、多くのボランティアの皆さんから様々な親切なサポート・応援を受けながら、練習・食事・競技・ろう学校訪問・聴覚障害者の皆さんとの交流・東京観光等に臨みました。〝「最貧国」東ティモールから参加〟〝障害への理解 母国でも諦めない〟との見出しを打って東ティモール選手を取り上げた11月25日付け朝日新聞夕刊は、選手たちが日本での経験を聴覚障害者の状況改善に役立てたいと意気込む旨、また「帰ったら政府や福祉関係者に伝えたい」との手話通訳者の話しを紹介しています。
聴覚障害の皆さんについて、東ティモールを含む諸外国について、そして国旗についても、思いを巡らす貴重な機会になった東京大会でした。高かった関心そして幾多の改善への道のりが未来に繋がって行くことを願って止みません。
(ご挨拶)
1年間、拙稿「ノーサイド」をご覧いただきありがとうございました。
皆様には、良い新年をお迎えになられますようお祈り申し上げます。
北原 巖男(きたはらいわお) 元防衛施設庁長官。元東ティモール大使。現日本東ティモール協会会長。(公社)隊友会理事