自衛隊ニュース

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7空団、飛行安全褒賞累計50回に

写真=累計50回、連続3回目の受賞


 6月23日、航空自衛隊第7航空団(司令・鈴木繁直空将補)は、令和4年10月26日から令和7年5月14日の間において、無事故飛行時間1万時間を達成し、内倉浩昭航空幕僚長(当時)から第7航空団、支援部隊である中部航空警戒管制団、百里管制隊及び百里気象隊に対し飛行安全褒賞の授与が伝達された。

 今回の受賞は、累計50回、

連続3回目の受賞となった。

 また、24日の朝には、新品に交換した飛行安全名誉旗を、団司令立会いの下、掲揚した。

空士隊員部隊研修

写真=団司令が訓話

   第7基地防空隊を見学


 6月3日から4日の2日間、各准曹士先任が協力し、基地所在の空士隊員約18名(第7航空団16名、百里管制隊2名)を対象とした部隊研修が実施された。

 本研修は、任務に対する自己の役割を再認識するとともに、全職種が協力しあうことで任務が達成できることをより深く理解するために計画された。

 研修内容は、第7航空団、百里救難隊及び百里管制隊の業務について研修を行い、2日目後半には、参加空士間での意見交換後、7空団司令が訓話を行った。参加隊員からは、「この研修で、通常の業務では関わることのない、初めて見る部隊の任務とその特性に関心を持てました」「各部隊の任務と自己の業務とのつながり、自身の仕事の成果を知るいい機会になりました」等の感想があった。

 参加した空士隊員にとって、戦闘航空団の一員としての「誇り」を保持し、任務達成に向かって協力しあう意識を高揚させる一助となり、職責を果たすための「構え」の重要性及び隊員自身が組織の貴重な戦力であることを自覚できる機会になった。


ふれあいコンサートinあしや
<芦屋基地>

写真=聴衆を魅了


 航空自衛隊芦屋基地は、7月11日、あしや夢リアホール(福岡県芦屋町)で、西部航空音楽隊による「ふれあいコンサートinあしや」を開催した。

 第一部「吹奏楽新時代」では隊長の五味渕3空佐が、第二部「映画音楽の旅」は、演奏班長の来栖2空尉がそれぞれ指揮を務めた。

 コンサートの始まりは『序曲「クレセント・ムーン」』による荘厳なファンファーレで演奏会の幕が上がり観客を新時代へいざない、「ウィークエンド・イン・ニューヨーク」では、曲の終盤に向かってニューヨークの夜の街がどんどん熱気を帯びていきブラスセクションが光り輝く瞬間の様子に、観客は魅了されたまま第一部は幕を閉じた。

 第二部では、各楽器が織りなす音色が、どこか懐かしい映画を思い出させてくれた。特に「レイダース・マーチ」では、高らかに響くトランペットや力強く進むリズムに観客の皆が酔いしれた。

 アンコールでは、「男はつらいよ」が演奏され、最後まで観客から鳴りやまぬ大きな拍手が送られた。


第23航空隊が開隊25周年迎える

久しぶりにフル規模で開催

写真=記念行事の様子


 5月31日、海上自衛隊第23航空隊(司令・中井孝泰1海佐(当時)=舞鶴)は開隊25周年を迎え、舞鶴航空基地で盛大な記念行事を開催した。

 式典には舞鶴市長をはじめ、初代第23航空隊司令、市議会議員、舞鶴地方総監、歴代第21航空群司令及び多数の部内外の来賓を招き、第23航空隊のこれまでの歩みと今後の活動への理解について感謝の思いを伝えた。

 行事は式典、飛行展示及び祝賀会を執り行い、展示飛行ではSH60K2機による編隊飛行に引き続き救難訓練の展示を行い、日ごろの訓練の成果を披露することができた。

 記念行事は最近ではコロナにより規模縮小、昨年度は大雪による中止となっていたが、ようやくコロナ前の規模で挙行することができた。

 第23航空隊は、これまで多くの困難を乗り越え、国家の安全を守るために邁進してきた。25周年を迎えた今後も、益々厳しさを増す国際情勢に対応すべく、より一層の精進を重ねて参る所存である。

夏の鏡ヶ浦クリーン作戦
<館山航空基地>

地域のボランティア活動に参加

写真=21空群司令以下約130名がゴミ拾いに汗を流した


 海上自衛隊館山航空基地海曹会(会長=第21航空群先任伍長・多田羅裕介海曹長)は、7月9日、鏡ヶ浦をきれいにする会(館山市役所等)の主催する「鏡ヶ浦クリーン作戦」にボランティア参加をした。

 「鏡ヶ浦クリーン作戦」は、例年春と夏に館山湾(別名:鏡ヶ浦)一帯で実施される清掃活動であり、館山航空基地も例年協力を行っている。

 当日は晴天の下、第21航空群司令の角海将補以下約130名の隊員及び隊員家族が、海水浴場の開設準備が進む砂浜等に残された空き缶・吸い殻等のゴミの回収に汗を流した。

 今後も、館山航空基地は地域の活動に協力していく。

読史随感<第180回>
神田淳

聖徳太子の実在と十七条憲法

 歴史学者大山誠一氏が聖徳太子非実在説を唱えている。聖徳太子に関する確実な歴史資料は存在しない、聖徳太子の事績を伝える代表的な史料は『日本書紀』と法隆寺の史料だが、これは聖徳太子の死後一世紀も後の奈良時代に作られたものであり確実でない、ゆえに聖徳太子は架空の人物だという。特に、『日本書紀』に記されている聖徳太子に関する記事の多くは信頼できない、『日本書紀』は奈良時代に藤原不比等ら当時の権力者が国家体制を歴史的に正当化する目的をもって編纂された歴史書であって、その目的にそって聖徳太子の人物像が書かれ、聖者・聖徳太子像が『日本書紀』で創作されたと主張される。

 聖者・聖徳太子像を否定する目的をもって「聖徳太子は架空の人物だ」、「聖徳太子は実在しなかった」などと主張するのは間違っていると私は思う。こうした主張は、生前おそらく厩戸皇子(うまやとのおうじ)とよばれ、死後聖徳太子とよばれるようになった人物そのものの存在を否定する主張ともなるからである。大山氏はもちろん厩戸皇子の存在を否定などしていない。

 生前は厩戸皇子とよばれ、死後聖徳太子とよばれるようになった人物は確かに存在した。『日本書紀』には荒唐無稽な伝説が書かれているからといって、また特定の政治目的をもった史書だからといって、これを全面否定するのは間違っている。『日本書紀』に太子は「一度に十人の訴えを聞いて誤らなかった」と記されている。また、太子は厩戸という名前の他、豊耳聡(とよみみと)、聖徳、豊聡耳(とよとみみ)との名号も併記されている。このことから、太子は並外れて聡明な人で、人の話を聴いてただちに深く理解し、生前から人々に尊敬されていた人だったと推定される。

 古代日本人は聡明なことを豊耳、耳が豊かであると表現した。古来日本人が尊敬し、指導者と仰いできたのは、人の話をよく聴いて深く理解してくれる人で、決して雄弁の人ではなかった。聴くことを重視する日本文化は現在なお健在で、政治指導者や会社の指導者への道を歩む人に対して、先輩が、「口は一つだが耳は二つある」と言って、よく聴くことが(話すことより)重要だと訓戒する。

 聖徳太子が政治指導者として残した業績で最高に意義のあったのは、十七条憲法の制定であろう。『日本書紀』に「皇太子親(みずか)ら肇(はじめ)て憲法十七条を作る」と記載され、十七条憲法の全文が載せられている。この記述を疑い、十七条憲法は後世作られたとする学説は以前からあるが、私は憲法を太子の親作とする『日本書紀』の記述をそのまま信じてよいと思う。

 十七条憲法は和を国の基本に置き、日本に仏国浄土を実現しようとする太子の国家ビジョンである。仏国浄土は仏、菩薩、衆生からなる。これに十七条憲法の君、臣、民が対応する。君(天皇)は仏であり、臣(官僚群)は菩薩であり、民は衆生である。官僚は菩薩でなければならない、とするのが十七条憲法の精神である。菩薩とは悟りを目指して修行、努力する人のことを言う。菩薩は、人を慈しみ、人に尽くし、人に奉仕し、利他行に励み、人を救済しようとする。大乗仏教は菩薩道といわれるほど、菩薩の行を重んじる。

 十七条憲法は、現代の日本においてもなお意義を失っていないと私は思う。十七条憲法には、平和国家のあり方、官僚のあり方、共同体に生きる人のあり方とが、仏教の深い人間理解に基づく達意の文章で述べられており、読む者の心をうつ。

(令和7年9月15日)


神田 淳(かんだすなお)

 元高知工科大学客員教授。

 著作に『すばらしい昔の日本人』(文芸社)、『持続可能文明の創造』(エネルギーフォーラム社)、『美しい日本の倫理』(https://utsukushii‐nihon.themedia.jp/)などがある。


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