自衛隊ニュース

ゲッキーのイラスト

体験型インターン
<衛生学校>

写真=顕微鏡を用いた臨床検査実習体験


 陸上自衛隊衛生学校(学校長・白石智将陸将補=三宿)は8月22日、募集対象者等に対して「体験型インターンシップ2025」を実施した。本事業は「令和7年度陸海空自衛隊サマーフレンドシップキャンペーン」の一環として衛生学校が主催、東京及び神奈川地本と連携して「衛生」分野に興味を持つ28名の参加を得て実施した。

 実施内容は、衛生科の概要(キャリアプラン)、臨床検査の体験実習と授業見学、救急車装備品展示・体験搭乗、救急法体験、彰古館(資料館)見学、衛生学校長との懇談及び自衛隊中央病院見学を実施した。

 また、昼食時には入校中の臨床検査課程学生との懇談を実施し、参加者からの質問に対応した。特に臨床検査体験実習では、実際に顕微鏡を覗いて血液から好中球やリンパ球を参加者が操作して探し当てたり、衛生教導隊による装備品見学では実際に救急車内の医療器具の取り扱いや車を走らせた体験搭乗を行うなど衛生科職種でしか体験できない内容を盛り込み、好評を得た。

 参加者からは「学生生活を知れ、入隊後衛生の道に進んだ時のイメージがついた」、「衛生科を始め看護に興味が沸いた」等の感想に合わせ「実際に担架を搬送してみたい」、「野外での訓練をしてみたい」等要望が寄せられた。

 衛生学校は本事業を通じて今後も募集対象者等に対して入隊後の活躍イメージを醸成するとともに自衛隊の「実情」「魅力」「親しみやすさ」を発信していきたい。

「防人」応援隊

第1術科学校遠泳訓練を
会員12名が激励・応援

<広島県隊友会呉支部>

写真=激励・応援中の呉支部会員


 広島県隊友会呉支部(支部長・豊澤幸徳)は、7月30日、海上自衛隊第1術科学校(学校長・小杉正博海将補)が実施する夏恒例の遠泳訓練(約5マイル(約9キロ))の激励・応援を実施した。

 遠泳訓練は不撓不屈の精神を養い、強靱な体力並びに連帯感の育成を図るために夏季鍛錬行事の一環として実施される。約2カ月前からプール及び海面で泳力向上の訓練を重ねてきた。当日は、学生約240名(うち約60名は小月の航空学生)が校内水際の「すべり地区」で午前8時ころから各課程ごとに学校長へ入水報告を行い入水し訓練を開始した。

 江田内(江田島湾)に設置されたブイを目標に約5マイル(約9キロ)を周回するコースで力泳した。途中では乾パンや氷砂糖等が伝馬船上の教官から学生達に投げ込まれ、それらをキャッチし口にいれて気分を一新しつつ黙々と泳ぎを進めた。昼食は伝馬船に掴まりながら、焼きおにぎり、バナナ等で腹を満たし、再び隊列を組んでゴールの「すべり地区」を目指して泳ぎ始め、午後1時半ころから午後2時半ころにかけ各課程ごとに事故・怪我等もなく全員無事離水し、学校長へ訓練終了を報告した。

 離水時には呉支部会員(江田島分会、呉地区)の12名が呉隊友会の幟旗等を立て激励・応援の声かけ、拍手をして出迎えた。これに対して遠泳訓練を終了した学生からは「応援ありがとうございました」等の感謝の言葉が返ってきた。また、泳ぎきったという達成感に満ちた顔が印象に残った。

 会員は気温33度の暑さの中、呉地区からの移動、準備、激励の疲れも学生から返ってきた力強い言葉と顔に癒され疲れが吹き飛んだ。呉支部は、同校の鍛錬行事である夏の遠泳訓練(江田島湾)及び秋の登山競技(真道山)の激励・応援を実施しており、これらを継続実施できるよう会員に積極的な参加を呼び掛けている。(資料提供:海上自衛隊第1術科学校広報係)

ノーサイド
北原巖男

青天の霹靂

 それは、突然来ました。

 8月30日夜、久しぶりに長野県に住む小学6年生の孫からの電話。いろいろ話した後、「僕ね、肝心なときは、運がいいような気がする」「そうか、そいつはよかった。元気に頑張れ!車には気をつけろよ!」「ウン。おじいちゃん、バイバーイ!おやすみなさい」「はい、おやすみ」そんな孫とのやりとりをして穏やかに床に就く。

 ・・・どれくらい寝ただろうか。突然、体が金縛りに会ったように動かなくなった。後でわかったのは、31日を迎えたばかりの真夜中、午前12時過ぎとのこと。呼吸が苦しい。身体を横向きにするなどしても治らない。少し頭痛もする。額に触る。熱は無い。むしろ氷のように冷たい。汗が出ている。これが脂汗か。こんな気持ちの悪いことは初めてだ。どうしちゃったんだろう?口を開け、うめくような声を出し続けないと苦しくて息が出来ない。ゼーゼーと喉が鳴る。痰で詰まってしまうのではないか。得体のしれない恐怖心が襲う。このままではまずい。「目を覚ました方がいい!」、必死に自分に言い聞かせる。苦痛のため、実際には眠ってはいなかった気もするが、どうだったのか定かではない。起き上がろうとするも、なかなか体が思うようにいかない。

 朦朧としてはいたが、気は失っていない。何とか上半身を起こし、妻の名前を呼び続ける。全く反応が無い。普段から声の大きい筆者ではあるが、更に大きな声を出そうとするも、どんなに頑張ってもかすれた声しか絞り出せていないことに焦りは募る。何故だ。妻には聞こえていないのか。正に漆黒の暗闇の中で、一人、妻の名前を叫び続けている底なしの不安。どういうわけか、妻に対してこれまで積み重ねて来た「妻不孝」の数々について、遅きに失したかもしれないが慌てて詫びている自分もいたような気がする。(後で、妻が言うには、また寝言を言っている、うるさいなぁと無視を決め込んでいたが、しつっこく続くので、異常を感じたとのこと。)

 「どうしたの?」、小生の両肩を握りながら妻が聞いているようだ。「なんかオレ、オカシイ」「何がどうおかしいの?」「オレ、なんかヘン。オカシイ」と言うばかりで、全くらちがあかなかった由。(普段からボキャブラリー不足気味の筆者であり、こういう肝心な時に、容態を適切に表現することは、まず無理)

 筆者が激しい頭痛は訴えていなかったものの、ロレツが回らず、立たせようとしても力が入らず、左の唇と手足がしびれていることなどから、妻は、脳出血か脳梗塞など、脳に何か異常が起きたのではないかと感じたとのことだった。

 彼女は、筆者が孫と話したまま枕元に置いていた携帯電話を取り上げるや、直ぐに救急車を呼んだ。「エッ、もう呼ぶの・・・早いなぁ・・・」と思いながらそのまま臥せっていた。妻が救急隊員に説明する声が遠くに聞こえるようだった。彼女は、階下におり、玄関の明かりを全て点灯し、玄関の扉等を全開。道路に出て救急車の到来を迎えたようだ。

 救急隊員の方から、いろいろ聞かれた。内容は分かるが、身体がいうことをきかない。うまく答えることも出来ない。右目を開けるように言われても開かない、左の唇と手足がしびれている。いろいろ話しているようだが、はっきりしない。シートのようなものに乗せられて2階の寝室から階下へ。重い体重に加えて、わが家は狭く曲がりくねった階段。移送には苦労されたと思う。今、退院して、改めて階段を見るとき、救急隊員の皆さんの大変さを感じる。そしてストレッチャーに乗せられ救急車へ。生まれて初めての救急車。4つ目の病院も受け入れがダメだったようだ。「三宿病院に行きます」という声は分かった。自宅からだと三宿病院までは結構あるなぁと、ストレッチャーに寝かされたまま思ったりしていた。

 妻によれば、救急車は早く来てくれて、救急隊員の皆さんは、みんなとても親切で、温かく冷静に対応してくださった、本当に嬉しかったと語っている。有難いことだ。

 筆者には長時間に感じられたが、真夜中だったこともあり、とてもスムーズに三宿病院に着いたようだ。速やかに救急措置室に運ばれ、MRIの検査等を受けた。(予め、結婚指輪を外すように言われたが、今や指も太ってしまい、とても外せる状況にはなかった。「熱くなったらこのボタンを押してください」と言われて検査。無事に済んだ。)

 寝たままの状態で、着ていた服は全部強引に剥がされ病院服に。オムツもあてられた。手首に痛い注射もされた記憶がある。

 お医者さんから、「私の手をしっかり握ってください」とか「親指と人差し指で、このように丸を作ってください」と言われたが、力が入らない。そのころ、もう一人のお医者さんからMRIの説明を受けていた妻によれば、「容態は重症」、カテーテルを入れる治療について諾否を求められ、リスクはあるが少ない等の説明を受けていた由。

 しばらくして、再びお医者さんの手を強く握ることや指で丸を作ることを求められた。何と手に力が戻って来て、出来たのだ!先生方から「(血栓が)飛んだ!」「良かったですね!」と歓声にも似た大きな喜びの声が一斉に上がったことを、はっきり覚えている。何か急に、頭もすっきりした感じがした。「もう、カテーテルは必要ありません」妻に語る、そんなお医者さんの声も聞こえた。

 発症から極短時間で救急搬送され、適切な治療を迅速に受けることが出来、更に薬が100%効いた。本当に運が良かった。日常生活に影響する目立った後遺症も無い。皆さんから奇跡的と言われている。

 緊急搬送時、入院期間は2週間ぐらい、状況によってはそれ以上とみられていましたが、何と5日目に、元気に退院することが出来ました。6日目には、歌舞伎の観賞に行くことも出来ました。

 発症当日は、大学生の孫娘がたまたま上京していました。そのため、普段は1階の和室で就寝する妻が、1階の和室を孫娘に譲り渡し、2階の小生の部屋に寝床を移動していました。

 本当に運が良かったと、心から思っている。

 こうして拙稿を書いている自分に驚く。

 お世話になった救急隊員の皆さん、お医者さん、看護士さんをはじめ関係の皆さんに心から感謝申し上げたい。

 本当に運が良かったこと、奇跡的な回復には、実は、それを可能にしてくださった多くのかけがえの無い皆さんの存在があることを思い知りました。

 9月に入っても、なお猛烈な酷暑が続いています。元気な自衛隊員・家族の皆さん、そして本紙読者の皆さんにとっても、青天の霹靂は、決して他人事ではありません。真剣に水分補給に努める等、く

れぐれもご自愛願います。

 筆者がそうであったように、特に健康自慢の方。次は、あなた・・・かも。

 病院にも駆けつけてくれた薬剤師の弟から電話が入った。「今回は、マジに奇跡だった。塞栓リスクが消失したわけではないことを忘れるな。大事なのは、これからの生活だ」。

  

北原 巖男(きたはらいわお) 元防衛施設庁長官。元東ティモール大使。現日本東ティモール協会会長。(公社)隊友会理事

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