自衛隊ニュース

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隊員自主募集優秀部隊を表彰
<航空自衛隊>

写真=北部航空音楽隊


 令和6年度の隊員自主募集成果が著しく優秀であった航空自衛隊の部隊等が、7月1日に航空幕僚長から表彰された。3年連続の第2級賞状を受賞した北部航空音楽隊(三沢)は、「音楽隊の任務の一つである広報演奏において、航空自衛隊の職種説明等を必ず行うことで募集周知に貢献した。今後も、SNSでの魅力発信で現場のやりがいを届け、募集対象者の将来の選択肢の一つとなるよう募集広報を継続していきます」と抱負を語った。

 また、昨年に引き続き第2級賞状受賞となる航空中央音楽隊(府中)は、「地方協力本部と連携し各地で説明会を積極的に行い、音楽特技の人材プールとして確保するとともに、音楽特技希望者に限らず年間を通して部隊見学を実施することで入隊希望者を確保することができた。今後も、音楽隊が保有するソーシャルメディア器材を積極的に活用し、特に募集対象年齢をターゲットとする情報発信にさらに力を入れていきます」と抱負を語った。

 隊員自主募集とは、少子及び高学歴化により自衛隊を取り巻く募集環境が極めて厳しい状況下で、部隊等で勤務する隊員各自が主体的に募集対象者の情報を収集し、地方協力本部へ情報提供する活動である。令和6年度は、航空自衛隊全体で2566件の情報が寄せられ、487名の入隊へと繋げた。

 航空幕僚長表彰を受賞した部隊等は次のとおり。

【第2級賞状】

 北部航空音楽隊(三沢)

 航空中央音楽隊(府中)

【第4級賞状】

 飛行教育航空隊(新田原)

 航空開発実験集団司令部(府中)

 受賞部隊等には、航空幕僚長から表彰状のほか副賞として賞詞授与枠がそれぞれ贈られた。

第1師団も

写真=賞状を受け取る鳥海1師団長(当時)


 令和7年度全国自衛隊地方協力本長等会議が、6月10日および11日の両日、九段会館テラスにおいて実施された。

 本会議の冒頭に行われた、令和6年度隊員自主募集における顕著な成果を挙げた部隊等に対する表彰式において、師団は陸上幕僚長から「隊員自主募集優秀部隊」として2級賞状を授与された。表彰式には師団長が出席し、森下陸上幕僚長(当時)から直接賞状が手渡された。また同じく第1普通科連隊も2級賞状の表彰を受ける栄誉に輝いた。

 師団は厳しい募集環境が続く中にあっても、部隊・隊員が一丸となって募集業務に真摯に取り組み、継続的に成果を上げている。今回の表彰は、そうした地道な努力と団結の証であり、今後もより一層の成果が上げられるよう、そして共に働く仲間を増やすため募集業務を行っていく。


父を教える日<第3地対艦ミサイル連隊>

写真=父親との射撃予習訓練


 第3地対艦ミサイル連隊(連隊長・井田輝彦1陸佐=上富良野)は7月10日から14日まで予備自衛官招集訓練を行った。現役として離れた今も予備自衛官として必要な知識と技能を維持するため、77名のOB・OGの方々は真剣に訓練に取り組んでいた。

 今回の訓練では現役である息子が、予備自衛官である父親に指導を行う姿が見られ、親子ならではの厳しさと誇らしさがそこに確かに感じられた。

 「息子の所属中隊が担当する予備自衛官招集訓練に参加し、運用訓練陸曹として、本訓練の主導的役割を果たしている息子の姿を見て、自衛官としての成長を実感しました。」と父。

 一方、息子は「予備自衛官招集訓練期間を活用して、普段は傲慢かついじっぱりな父を直接教育できたことに心から感激しております。いつもは人のいうことなど聞かない父がしっかり指示に従ってくれる姿を見て世代交代の兆しが見えました。父も予備自衛官の任期まであと5年ほどありますが、今後もこのようなチャンスが訪れることを期待しながら私自身も勤務に精励してまいります」と笑顔を見せていた。

同じ制服で並ぶ日
父と子で紡ぐ国防の要

父:第1師団司令部付隊 北條曹長
子:第1普通科連隊新隊員教育隊 北條自候生(当時)

写真=父と子で頑張っていく


 小雨の降る師団の創立記念行事で整列する新隊員の中に、見慣れた背中が一つ混じっていました。つい最近まで、進路に迷いながら過ごしていた息子が、今は私と同じ制服に身を包み、同じ空の下で立っているのです。

 高校を卒業したあと、息子は進路を決められず、一年間、自分と向き合う時間を選びました。焦る気持ちもあっただろう。周りがどんどん進んでいくなかで、何かに急かされるような思いも抱えていたのではと思います。

 それでも、私は何も言いませんでした。いや、言えなかったというのが正直なところかもしれません。人には、それぞれ自分のペースがありますし、何も見えない時こそ、大切な時間だと思ったからです。

 そんなある日、「自衛隊ってどうなんだろう」と、息子がぽつりと聞いてきました。「自衛隊には、いろんな職種がある。向いてるかどうかは、やってみなきゃわからん。社会の縮図みたいなもんだ。学ぶことは多いぞ」とだけ息子には伝えました。無理に勧めるつもりはなかったのですが、息子の目に小さな光が灯った気がしました。

 そして今、着隊してわずかだが厳しい訓練に揉まれながら、息子は新隊員として必死に踏ん張っています。慣れない環境で、規律や仲間との関係に戸惑いながらも、一歩一歩前に進んでいます。整列の時、ふと目が合ったあいつは表情を変えず、でも小さくうなずきました。私も、それに静かに応えました。多くは語らない。でも、親子だからこそ通じるものがあると思っています。

 この先、息子がどんな進路を選ぶのか、それはまだわかりません。けれど自ら考え、動き、迷いながらも自分の手と足で進んでいける力を、ここで身につけてくれたらそれでいいと思っています。今日、互いに同じ制服で並び国防の任に着いたこの日を、私はきっと忘れません。


ノーサイド
北原巖男

思うこと

 戦後80年の終戦記念日。千鳥ヶ淵戦没者墓苑に駆け付け、参拝して参りました。

 海外で犠牲になり、遺族に引き取り手の無い多くの無名戦没者の皆さんのご遺骨を納めた納骨室がある墓苑正面の「六角堂」に正対する度に、筆者は、このデザインや建物は、国民の慰霊の気持ちを十分体現し得ているとは思えない、何とかならないものか、そんな気持が高ぶって参ります。今回も、強く思いました。

 千鳥ヶ淵戦没者墓苑からの帰途、立ち寄った書店に横積みされていた文庫本。「部外秘 これだけ讀めば戦は勝てる 昭和十六年 大本営陸軍部」(編者 佐山二郎 復刻版日本軍教本シリーズ 2025年3月光人社NF文庫刊)

 無責任なタイトルに、そんなことあるものかと猜疑心を抱きながらも、好奇心抑え難く、手に取りました。裏表紙には、こんなことが書かれていました。

 「太平洋戦争開戦時の南方作戦に備えて、熱帯地域での戦闘・宿営・食事・衛生・兵器整備・敵戦力等の要点を一般の兵士にも理解できるよう平易な言葉で、時にユーモアさえ交えて陸軍がまとめた冊子。辻正信が制作に参加、南方に向かう将兵全員に配布すべく四十万部を印刷したという携帯文書を完全復刻。」

 編者の佐山二郎氏は、「編者まえがき」にて、本冊の執筆者は台湾軍研究部の将校たちであること、同研究部に配属された辻正信が指導的役割を果しており、主要な部分は辻の考え方に沿った文章になっていると思われる等を述べています。

 大本営陸軍部は、「本冊は作戦軍将兵全員に南方作戦の目的、特質などを徹底させる目的で作ったものであって、特に着意した点はつぎのとおりである。」として、前述の裏表紙に書かれているようなことや、南方に向かう「暑くて狭苦しい船の中で肩が凝らずに短時間に読めること」等を挙げています。

 現在、筆者が関わっている熱帯の東ティモール(当時は、ポルトガル領東ティモール)を含め、南方(東洋)に向かった日本軍の皆さん。南方に着く前に乗船している輸送船が撃沈されたり、南方での戦に倒れ、病気になり、更には餓死するなどして、二度と祖国に戻ることが出来なかった皆さんも、歓呼の声や日の丸の旗に送られて家族と別れ、全く先行き不透明な運命の中で、暑くて狭苦しい船に揺られながら、この冊子を読んでいたのかと思うと、何か胸に迫るものがあります。

 「これだけ讀めば戦は勝てる」は、冒頭、南方作戦地方の植民地解放を歌い、戦いに臨む大義を強調しています。

 このような記述もあります。

 「今度の戦争では海の上の行動が多くまた上陸後小部隊で深く敵中に挺進するような場合が少なくないから、遺骨が拾えないこともあらかじめ十分覚悟しておらねばならぬ。・・・戦陣に臨む前に遅くとも船の中で必要な遺言を書いて毛髪や爪などを入れ、何時何処で死んでもよい準備を整え、部隊毎に一括して確実な方法で後方に残すように身辺の整理を終わっておくことが軍人の嗜みである。」

 そして「これだけ讀めば戦は勝てる」の最後は、次のような記述と歌で締めくくられています。

 「将兵一心世界環視の晴れ舞台に大和男子の真価を発揮しなければならぬ。東洋平和の大御心を体して亜細亜を解放すべき昭和維新の完成は我等の双肩にかかっている。

 海行かば水づく屍 山行かば草蒸す屍 大君の辺にこそ死なめ かえりみはせじ」

 今、筆者が読み終えた時、浮かんできたのは、沖縄戦当時第三十二軍高級参謀を務めた八原博通氏が戦後に書かれた「沖縄決戦 高級参謀の手記」(1972年 読売新聞社刊)の、ある記述でした。

 八原氏は、著書の中で、伊祖城址より生還した臼砲の小隊長が意気昂然と牛島司令官に報告した旨を紹介しています。筆者が忘れられないのは、その中に含まれていた小隊長の発言です。

 「敵は戦死者や負傷者の収容にはすこぶる熱心で、徹底的である。戦友が一人でも斃れると、いかなる犠牲を払っても、収容にやって来る。わが軍としては、この機会を捉えて、さらに次々と殺傷できる。しかし、我々も、殉教的な行為には感動させられ、つい鋭鋒も鈍りがちになります。」

 いろいろ思うことがある戦後80年。自衛隊員・家族の皆さん、そして本紙読者の皆さんも、それぞれにおありのことと思います。

 8月15日の全国戦没者追悼式にて、天皇陛下は、「戦中・戦後の苦難を今後共語り継ぎ」というお言葉を新たに加えられました。

 石破首相は、「戦争の惨

禍を決して繰り返さない。

進む道を二度と間違えない。あの戦争の反省と教訓を、今改めて深く胸に刻まねばなりません。」(抜粋)と述べ、2013年の安倍晋三首相の式辞以降消えていた「反省」の語句を復活されました。

 筆者も、強い共感・共鳴を覚えている一人です。

  

北原 巖男(きたはらいわお) 元防衛施設庁長官。元東ティモール大使。現日本東ティモール協会会長。(公社)隊友会理事

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