自衛隊ニュース
防衛省・自衛隊
地方協力本部
写真=ほふく前進も体験(大阪地本)
子供たちへ防災意識を
<大阪>
大阪地方協力本部中央地区隊阿倍野出張所(所長・土肥徹2陸尉)は9月21日、大阪市立巽南小学校で実施された「地域防災事業第11回オールたつみ あそ防祭・まな防祭」の地域イベントに参加した。
本イベントは、大阪市生野区巽連合町会が主催する家族みんなで楽しみながら防災の大切さを体感・学ぶことを目的とした地域住民による防災事業。3年前に地元の募集相談員(古賀咲枝氏)からの熱烈なオファーで参加が実現し、今回で3回目の参加となった。
開会に先立ち、生野区長が試着用の制服を着用し、「災害派遣現場に真っ先に向かうのは自衛隊。メディアが現場に入り国民に正確な情報を提供できるのも自衛隊が寸断された道路を修復してくれているからこそであり、自衛隊には心から感謝しています」との心温まるあいさつをされ、地域から寄せられる信頼と期待を改めて実感した。
会場では広報ブースを展開し、制服試着体験、防災写真パネル展示及び南極の氷を展示するとともに、第36普通科連隊第2中隊の支援を受け、高機動車の展示やカレーの炊き出し(約300食)を実施。大いににぎわった。
約900名が来場。「自衛隊の車、かっこいい」、「乗ってもいいですか」といった声が多数寄せられ、試乗や記念撮影を楽しむ姿が見られた。「自衛隊のカレー、本当においしい。ずっと食べたかったです」の声も聞かれ、自衛隊カレーの人気も改めて実感した。
大阪地本は今後も本部・地区隊・募集案内所が一体となり、イベントの特性や主催側のニーズに沿った広報活動を展開していく。
秋祭りにて
<山形>
山形地方協力本部鶴岡出張所(所長・谷1空尉)は9月6日、鶴岡市内で開催されたイベント「くしびき秋の大感謝祭」に参加した。
広報ブースを開設したほか、第20普通科連隊の高機動車と第6後方支援連隊補給隊の3トン半水タンク車を展示した。
本イベントに自衛隊が参加するのは今回が初めて。自衛隊車両を初めて見る来場者も多く、展示車両の体験乗車や写真撮影など貴重な体験を満喫していた。
特に3トン半水タンク車は子供たちに大人気で、蛇口から水を出して楽しむ様子が見られた。
鶴岡所は「引き続き多くの方々に自衛隊を身近に感じてもらえるよう、部隊の支援を得ながら採用・広報活動に取り組んでいく」としている。
ポス表彰式
<群馬>
群馬地方協力本部(本部長・上野和人防衛事務官)は10月1日、東日本デザイン&コンピュータ専門学校(群馬県前橋市)において令和7年度自衛官募集ポスターデザインコンテストの表彰式を実施した。
コンテストは群馬地本が企画。若い世代の募集対象者に共感を得るような斬新で新鮮なデザインの自衛官募集ポスターを作成するため群馬県内の学生から作品を募り、応募総数114作品の中から優秀作品として12作品を選出した。
表彰式では、2年連続で最優秀作品=写真左=に選出された久保原稀桜さんはじめ、優秀作品4作品に選出された学生=同下=に対し表彰状を贈呈した。
今回選出されたポスターは今後、群馬県内各高校、電車車内広告、コンビニエンスストア、スーパーマーケットなどさまざまな場所で掲示され、自衛官募集をPRする。
群馬地本は今後もコンテストを企画。若い世代の目を引く斬新で新鮮な感性により作成されたポスターを通じてさらに自衛隊を知っていただき、自衛隊の魅力を発信していく。
東北方面総監が講義
<宮城>
宮城地方協力本部(本部長・澤村1陸佐)は10月6日、東北学院大学五橋キャンパスにおいて、東北方面総監・牛嶋陸将を特別講師に招き、地域総合学部地域コミュニティ学科2・3年生(113名)に対する講義を実施した。
学生たちは、東日本大震災の記憶が曖昧な世代であり、総監による東日本大震災をはじめとした自衛隊の各種災害派遣活動の講義を真剣な表情で受講した。
特に次の5つについて伝えられた。①災害派遣の3要件および自主派遣について、②災害派遣の活動内容(捜索・人命救助活動~生活支援活動)および異常気象による新たな課題、③大船渡の林野火災における関係機関との調整や能力に応じた役割分担等、④みちのくALERT2024における3つの「繋がる」、⑤物事の見方を変える。
学生からは「どのような事態にも対応できるよう、日頃から訓練や関係機関との連携を重ねていることが印象的だった」、「生活支援や熱中症対策など被災者に寄り添った活動に感銘を受けた」、「自衛隊の活動が水害、林野火災、感染症など多岐にわたっていることを知り、視野が広がった」など多くの感想が寄せられた。
担当教授からも「自衛隊の貢献について無知の状態から知識となり、次の知恵に活かそうとする学生が見られたこと」と、感謝の念を頂いた。
引き続き、宮城地本は今後も多くの学校に、広報活動の一環として自衛隊の活動を広く周知する企画を積極的に提案していく。
トウチとさくら
写真=説明する女性隊員
千代田Fで
<港>
東京地方協力本部港出張所(所長・神1陸尉)は9月28日、日比谷公園で実施された「千代田区防災フェスタ」に参加し、募集広報活動を実施した。
本イベントは千代田区が主催。同区ならではの視点で防災を「自分ごと」と捉え、災害時に「協力しあうこと」を考える機会として実施された。区民の方、特に未来の世代となる子どもたちが防災や災害対応について知識を楽しく身に付けられる場を提供することを目的とした。
港出張所は、6千人を超える来場者に対し、自衛隊ならではの防災にまつわる知識やテクニックを提供する場として、防衛省・自衛隊ブースを設置した。
ブースでは災害時に活用できるロープワーク、体調不良時の回復体位及び小学生未満を対象とした防災クイズ等、体験することを中心とした展示を実施した。
第1普通科連隊の支援により、災害時に働く車として高機動車の展示を行い、自衛隊の活動への興味関心の醸成も図った。
主に小学生以下の子どもたちを連れている方が来場され、防災体験へ積極的な参加し迷彩服を着用して高機動車と撮影を行うなど、終始笑顔にあふれていた。
来場者からは「間近で自衛隊の車両を見ることができ実際に乗ることもできて楽しかった」、「ロープワークが非常に参考になった」などの感想が聞かれた。
港出張所は引き続きさまざまなイベント等に積極的に参加し、自衛隊の魅力を発信するとともに防衛省・自衛隊の理解促進を図り、人材の確保に取り組んでいく。
音楽隊に敬礼っ‼<第24回>
前陸上自衛隊中央音楽隊長
樋口孝博
かかあ天下とからっ風
平成の初期、エメラルドグリーンの海を望む沖縄の音楽隊から北関東の山々に囲まれた〝相馬原駐屯地〟に異動したときは正直、閉塞感がありました。しかし尾瀬や草津、軽井沢といった名勝がほど近く、豊かな自然に恵まれたスキーやゴルフなどのアクティビティにも親しむことができました。ここには「かかあ天下とからっ風」という有名な言葉があります。駐屯地の正面にそびえる赤城山を見ていると、ときおり「からっ風」と呼ばれる強風に乗って、激しい雷鳴が轟いてきます。武道館の「自衛隊音楽まつり」では百数十の和太鼓が大音響を奏でますが、ここではその太鼓群を遥かに超えた体の芯が震えるほどの深い響きがあります。「大音響」とはこういうものかと、強く感じさせられました。
その第12音楽隊では初めての経験となる〝CD作成のレコーディング〟も行われました。挿入曲はエリアの民謡や県民歌などに加え、新しく作られた《師団愛唱歌》といったもの。これはソプラノ歌手によって吹き込まれたのですが、そのシーンを見学に早朝から師団長ら三役が来られるというのです。「朝早くから歌うなんて、考えられない!」と言いつつも協力してくれた〝かかあ天下〟の妻には感謝感謝のひとことです。
さて、群馬県には有名な民謡《八木節》があります。あるとき、地元の保存会の練習に伺う機会をいただきました。酒樽や木箱、竹などを何人もの人たちが叩いて、さまざまなリズムを重ね合わせるのです。これに横笛の奏でる旋律が加わると、躍動感に満ちた独特の息吹が感じられ、高揚感が芽生えます。しかしよく聞いてみると「チャン、チャン、チャンチャカチャン」の一部が音楽隊の楽譜と違っているのに気づきました。吹奏楽では著名な作曲家、岩井直溥さんの楽譜が一般的です。早速岩井氏に電話をしてみると、「ハッハッハ! 編曲は何でもありですよ! どうぞお好きに演奏してください」とおっしゃられます。それほど日本の伝統音楽を楽譜にするのは難しいものなのです。
群馬県北部の「四万温泉まつり」では、なんと温泉街をパレードしました。情緒あふれる木造旅館の2階からは、浴衣を着た人たちが手を振ってきます。しかし道幅が狭く蛇行しているので、3列の行進はときに2列となり、まるで蟻の行列のようです。日本式旅館が続くなか、音楽隊がマーチを演奏して行進するというのは場違いのようにも思えましたが、和洋折衷は日本の文化のひとつですから「これもありかな?」と思うのでした。また軽井沢のイベントでは、ご厚意で毎年昼食が提供されました。初めて訪れたときに、隊員から「隊長、ここはカレーですよ」と声を掛けられました。翌年も「隊長、ここのカレーは美味しいですよ!」と言われます。そして次の年「隊長!」、「カレーだろ!」…。幹部は数年で転勤してしまうため、ルーティンの行事が毎年続く隊員たちに「飽きないの?」と思う瞬間でした。
プライベートでは、数名の隊員が所属する市民オーケストラで指揮をさせていただく機会もありました。そのつながりで、定期演奏会に数十名の弦楽器奏者をお呼びして《火の鳥》を演奏できたことは、音楽隊にも良い刺激となりました。しかし、その数名の隊員にとっては自分たちのオーケストラにまで顔を出す隊長に、きっとウンザリしたことでしょう。
平成8年当時、音楽隊事務室の隣には「長野オリンピック準備室」という部署があり、とても懇意にしていただきました。あるとき室長が「隊長! 音楽隊はオリンピック会場のどこで演奏するかわからないから、ひと通り見ておくかい?」と言われ、全ての競技場を視察させていただきました。この経験が、1年後に陸上音楽隊が参加する長野オリンピックでとても役に立ったのです。12音の隊長を終えて、中央音楽隊のオリンピック主務となった私は昨日までの部下たちにこう言うのです。「12音の皆さんは、こちらで~す!」