自衛隊ニュース
日本防衛の核心としての自衛官
‐人的基盤はいかにあるべきか‐
<第7回>
笹川平和財団日米・安全保障研究ユニット総括・交流グループ研究員
柴山真里枝
海外調査報告(2)
充実した処遇を
確保すること
写真=英国では国防省・シンクタンク等と意見交換を実施したほか、帝国戦争博物館・国立陸軍博物館等を視察
本海外調査報告では、防衛における人的基盤強化の施策について、日本の参考となる各国の取り組みを紹介している。今回は「充実した処遇の確保」について取り上げる。本調査を通じて、各国は軍人の処遇(給与・年金・福利厚生等)の拡充に継続的かつ積極的に取り組んでいることが分かった。一例を紹介する。
①給与:英国では、国防省出資の下、政府から独立して軍人の報酬勧告を行う公的機関があり、毎年、賃金等データに加え、軍人・家族へのインタビュー、軍施設・宿舎等の視察を含む詳細な調査を実施している。2024年には過去22年間で最大となる6%の昇給(上級将校は5%、新兵の初任給は35%)が行われた。豪州でも独立した法定機関が設置されており、軍務の特殊性を踏まえ、給与体系改定や手当・勤務条件の見直しなど多岐に亘る検討を行っている。なお、豪州やシンガポールでは、民間と比較しても高い給与水準が設けられていた。
②年金:各国で軍人を対象とした年金制度等が設けられており、英国・ドイツでは軍が保険料を全額負担する。シンガポールでは、軍の定年が早くセカンドキャリアへの移行を前提としているものの、2025年7月からは将校、26年1月からは下士官向けに退職積立金が増額される等、ライフステージごとにより安心感を与える拡充がなされている。
③福利厚生:各国で医療の無償・優遇措置が設けられているほか、英国・豪州では住宅補助(家賃補助、住宅購入支援等)や育児支援(保育費補助、基地内保育施設等)、ドイツでは制服着用時に電車運賃が無料となる制度等が確認された。中でも軍人・家族への補償の観点から注目されるのが、英国の「Armed Forces Covenant」である。これは「軍隊コミュニティを公平に扱うという国家の誓約」であり、軍人・家族が公共・商業サービス利用において軍務に起因する不利益を被らないよう是正する施策である。公的機関・民間企業等が多数署名しており、住宅・教育・医療・福祉など社会生活上の多岐に亘る支援に加え、民間企業による割引・特典も幅広く提供されている。
各国の取り組みから窺える点は、第1に、本提言2および3でも指摘したように、軍人に課される厳しい義務や困難な職務など、軍務の特殊性に応じた対価、および、軍人とその家族が被る社会生活上の多様な制約等に対する補償として、十分な処遇を確保することが不可欠とみなされていること。その上で、第2に、現役軍人および潜在的な採用ターゲットである若者・民間職業人の双方からキャリアとして選択されるために、処遇の魅力化が必要な施策と捉えられて推進されていることである。福利厚生面では、年金・医療をはじめ、民間では提供が難しい軍ならではの多様な施策が存在し得る。軍務に対する補償と軍でのキャリアの魅力化という双方の観点から、人材獲得・維持に必要かつ有効と考えられよう。給与面では、予算上の制約を持つ軍が、民間の営利企業に常に勝ることは困難かもしれない。特に、サイバーをはじめ需要が高い専門人材の確保では、軍は民間企業との熾烈な獲得競争を余儀なくされることは各国共通の課題だ。それでも軍は、軍務に伴う負担への補償はもちろん、雇用主として必要な人材に一定以上の処遇を提供する努力が求められているといえるのではないか。
なお、軍でのキャリアを魅力化する施策は処遇
に限られない。軍で得られ
るスキルや柔軟な働き方など、金銭以外の要素も魅力となり得る。次回は再び政策提言の紹介を行い、続きは後日掲載する。
読史随感<第185回>
神田淳
難しい地球温暖化問題(2)
CO2など、温室効果ガスの排出を主原因とする地球温暖化が進んでいる。昨年すでに世界平均気温が1850~1900年を基準とした平均気温より1・6℃上昇した。世界各国はCO2排出を実質ゼロにするカーボンニュートラル政策に合意しているが、今世紀半ばまでに世界がカーボンニュートラルになる見通しはない。IPCCは、各国が現在のCO2排出削減政策を取った場合でも、今世紀末までに2・1~3・5℃世界気温が上昇すると予測している。また、海洋深部の温暖化と氷床の融解がゆっくり進むため、海面水位は数百年から数千年にわたり上昇し続ける。IPCCは、気候温暖化が2℃未満に抑えられた場合でも、長期的には世界の平均海面水位が2~6メートル上昇すると予測している。
長期にわたる地球の気候変動の歴史を振り返ってみよう。260万年前から現在に至る地球の第四紀は、氷期と間氷期のサイクルが繰り返された時代だった。過去80万年を見ると、10万年ほど続く氷期と、その後1~2万年続く間氷期が8回ほど繰り返されている。氷期は現在より5~10℃平均気温が低く、氷床が拡大し、海面水位は現代より120メートルほど低下していた。間氷期の気温は現代とほぼ同じかやや高い程度だった。現在地球は、10万年続いた最終氷期が1万1700年前に終わり、間氷期(完新世間氷期という)の時期にある。氷期・間氷期が繰り返される気候変動は、地球軌道の変動(ミランコビッチ・サイクル)による日射量の変化が主因である。
最終氷期の前の間氷期(イーミアン間氷期)は、12万9000年前から11万6000年前まで1万3000年続いた。イーミアン間氷期は現代よりもやや温暖で、平均気温は1~2℃高く、北極圏では現在より数℃高かったことがわかっている。また、海面は現在より6~9メートル高かったと推定されている。
現生人類は30万年前アフリカで発生し、5~6万年前、最終氷期にアフリカを出、世界に広がった。人類は1万1700年前に始まる現間氷期(完新世)に大発展して現在に至っている。
現間氷期(完新世)においても、比較的温暖な時期と寒冷化した時期があった。8200年前~4200年前はノースグリピアン期と呼ばれる温暖期で、日本は縄文時代だが、海面は現在より2~6メートル高く、縄文海進が進んだ。平均気温は現在より1~2℃高かったと推定されているが、北極圏では4℃の上昇があった。現間氷期(完新世)の気温変化を示す古気候資料によると、現在の温暖化に匹敵する急速な温暖化が過去にも見られる。しかし、現在の温暖化と同様の温暖化が現間氷期(完新世)にあったという学説は、世界的には認められていない。現在の人為起源の急速な温暖化は今までの自然の温暖化とは異質である、と見るのが主流の見解である。
現間氷期(完新世)は、始まって現在まで既に1万1700年経つ。前の間氷期(イーミアン間氷期)は1万3000年続き、最終氷期が訪れた。現在は、いつ次の氷期が来てもおかしくない時期だとの見方もあるが、これについては、人為的なCO2濃度の増加により、次の氷期は少なくとも5万年以上先送りされるという学説が提出されており、概ね認められている。
人類は今世紀半ばまでにカーボンニュートラルを達成することは、まずない。今世紀末までに達成できたとしても、既に2℃を上回る温暖化が進んでいるだろう。海面上昇はその後数百数千年の時間的スケールで進む。人類は温暖化した世界で生きることになる。
(令和7年12月1日)
操縦席からの回顧録
~大いなる空へ夢を乗せて~
手記:井上 正利(監修:芦川 淳)
<第5回>度重なるFEC受験失敗に心が折れかける
写真=少工卒業後は第101飛行隊(沖縄)に着任、勤務、V‐107型機の整備士として勤務した
航空学生受験に失敗した私は、初級陸曹として航空機整備に携わる傍ら、ヘリパイを目指してFEC(陸曹航空操縦課程)受験に向けての準備を始めた。自衛隊でパイロットになるにはこれが最後のチャンスになるはずだ。課業後の時間を利用して猛勉強を続けたが、そればかりでは心が詰まる。そこで週末は自習室には一切立ち入らず、気分を切り替えることに集中した。
休日は仲間とキャンプやドライブインシアターへ行ったり、先輩のヨットでセイリングを満喫したり、夜は仲間と飲みに出たりと生活にメリハリをつけるように心掛けた。とにかく航空機に乗りたくて、当時あった那覇空港の飛行クラブの会員になってクラブ員のプライベートフライトや空撮業務のフライトに同乗させてもらうこともあった。この経験は離着陸の流れを学ぶこともでき、趣味と研鑽を兼ねながら空を飛ぶ想いを倍増させていた良い思い出である。
さて、肝心のFEC試験だが、昭和54年の初回は一次の学科試験を突破できず敗退。次年度以降の2回目、3回目は3次試験までは通過するも合格できず、不合格が判明した日の夜に若いお姉ちゃんがカウンターに立つタイプのショットバーに行ってヤケ酒を煽ったことがあった。もう知るか!とニッカウィスキーを浴びるように飲んで、カウンターの上に戻して盛大なゲロの海をつくり、しかも店を追い出された後にもやらかした。
香水のキツイ匂いやエレベーターの下降Gにやられたのだろうか、宴会帰りの若い女性で満員のエレベーター内で我慢の限界を突破、口を塞ぐ手指の隙間から大量のゲロを最大圧で噴出してしまったのだ。当然、エレベーター内は阿鼻叫喚の地獄と化したのだが、頭がボーっとして身体が動かない。『あー、片付けをしなくちゃ・・・』と自分が引き起こした惨劇に責任を感じつつも誠に遺憾ながらフラフラと現場を離れさせて頂いたが、私が汚した後を掃除してくれた方には本当に申し訳なかったと反省している。あれから深酒もニッカウィスキーも嫌いになり、楽しく紳士的に嗜むようにスタイルも改めた。もっともFECの試験に落ちた気分はたった1日の深酒で癒えるものではなく、惨劇の記憶をスッポリ抜いたまま翌日もそのショットバーに行ったところ、「アンタいい度胸してるネ!」と店員に言われたことを覚えている。
3度に渡るFEC不合格に納得がいかない私は、試験に落ちた理由について部隊の人事担当に尋ねてみたが「判らん」の一点張り。頭にきたので、上級司令部である西部方面総監部の人事担当に直接電話をかけて不合格の理由について詰問口調で尋ねた。すると人事課のお偉方は「一介の受験生が電話で不合格の理由を問い質すとは何事か!」と凄い剣幕で怒り散らす・・・そうは言っても自分の人生に関わる大事なことであるから引き下がるわけにはいけない。必死に食い下がって直接連絡した理由を説明すると、「こんな飛行機バカも居るのか」と呆れかえって人情が湧いたのだろうか、そのお偉方は一次試験での学科試験の点数、特に理数系が少し足りなかったことを特別に教えてくれた。「もうこんなことで二度と電話をしてくるなよ」と叱責されたが、それでも自分の弱点が分かったことは大きな収穫であった。これを機に、ラストチャンスとなる次年度の試験に向けて試験勉強のやり方を根本から変更して取り組むことにした。
なお、試験に4度も落ちると職場の同僚たちから「諦めたら」とか「もう無理だよ!」といった有難いお言葉を山ほど頂くことになる。しかし、そんな言葉も自分の心を迷わすには至らず、決心して諦めずにとことん夢を追った。やはりもう一度、大空の操縦席から澄みきった美しい下界を見たいという願望があり、そのためには絶対にパイロットになるという固い信念があったからだ。私は少年工科学校卒なので、幸運にも5回の受験チャンスがあった。
一般入隊した隊員は3等陸曹への昇任が早くても22~23歳、FECの合格リミットは試験合格時で26歳未満だから受験チャンスは2~3回となる。それに比べて少年工科学校卒業者は19歳で3等陸曹に昇任できるため、FEC試験の受験チャンスが増えるのだ。少年工科学校卒業にはそうしたメリットがあり、チャンスは自分でつかむものと考えれば、少年工科学校(現・高等工科学校)に進むことはパイロットを志す者にとって有利であることを覚えておいて欲しい。(つづく)
井上正利(いのうえまさとし)少工校20期生。
陸自では希少な固定翼機操縦士として緊急患者空輸等で活躍(総飛行時間4967時間)、現在は航空会社の那覇営業所長と安全推進室長を兼任