自衛隊ニュース

自由で開かれた印太平洋へ
日ソロモン訓練
写真=記念写真に納まる海自隊員とソロモン諸島海上警察職員たち
令和7年度インド太平洋方面派遣(IPD25)部隊は6月9日から同13日まで、「自由で開かれたインド太平洋」の実現に向けた連携を強化すべく、ソロモン諸島海上警察と同諸島で共同訓練を実施した。
①海上自衛隊の戦術技量の向上、②海上自衛隊とソロモン諸島海上警察との連携の強化、を目的とし、立入検査訓練および舟艇整備訓練を行った。
鹿屋に無人コンビニ開店
写真=第1号購入者〟の大西司令
共済組合で初
防衛省共済組合鹿屋航空基地支部に4月4日、防衛省共済組合では初となる完全無人型のコンビニがオープンした。
鹿屋航空基地においては令和5年3月に前業者が撤退以降、空テナントとなっており、基地内で勤務する隊員にとって待望のオープンとなった。
オープンセレモニーでは1空群司令(大西哲海将補)が店舗の説明を受けた後、記念すべき第1号の客として鹿屋海軍航空カレー等の商品を購入した。
店内商品も弁当のほか鹿児島土産品から日用品までと幅広いラインナップで充実しており、支払方法もキャッシュレス決済で電子マネーや交通系IC及び各社コード決済と支払いの選択肢も多様である。
また、LINE登録をすることで、取り扱ってほしい商品の要望が可能となっている。
鹿屋航空基地には、1空群隊員のほか教育航空隊の学生も在籍している。営業時間は午前6時30分~午後8時30分と長く、また土日も営業していることから営内者をはじめ多くの利用客が見込まれ、隊員の利便性の向上、厚生センターの活性化が期待される。
佐教学生 高める
写真=SH‐60K哨戒ヘリを見学する21分隊学生
大村基地で航空実習
佐世保教育隊(司令・井上貴嗣1海佐)は大村航空基地において5月12日から同15日までの間、第23期一般海曹候補生課程、第33期自衛官候補生及び第21期自衛官候補生(女性)に対する航空実習を実施した。
基地では隊員による航空部隊の任務及び部隊編成等の概要説明を受けた後、各グループに分かれ整備場、運航隊及び格納庫へと移動して実習を行った。
整備場では、整備員の案内で搭載機器の整備作業や模擬魚雷、救難用具等のヘリコプターに搭載する装備品の説明を聞き、その機能や搭乗員の装備の多さに驚いていた。
運航隊では、普段立ち入ることができない管制塔や気象班を実際に見学し、航空管制員及び気象海洋員の業務内容を教わった。
地上救難班を見学した際は、防護服の装着や救難消防車の説明を受けるとともに、消防車の放水に目を輝かせていた。
最後に、格納庫では、実機の整備作業を見学した。SH‐60Kの操縦士から任務、運用及び装備について詳しく説明を受け、実際に飛行するヘリコプターを間近で見学し気持ちを高ぶらせていた。
今回の航空実習を通じて航空部隊の役割や任務等の概要を理解するとともに、現場の隊員の職務に対する意識の高さを認識することができた。
鳥帽子岳登山も
佐世保教育隊(司令・井上貴嗣1海佐)は雲ひとつない青空の5月8日、第23期一般曹候補生、第33期自衛官候補生及び第21期自衛官候補生(女性)課程の烏帽子岳登山を実施した。
学生たちは、約50年前に烏帽子岳登山競技中に殉職した第35期初任海曹課程学生、故糸田幸夫2等海曹の「雄渾の碑」に黙とうを捧げた後、烏帽子岳山頂を目指して出発した。
烏帽子岳は標高568メートル、山頂周辺部は西海国立公園に指定された佐世保を代表する山。頂上までの道のりは約12キロで、沿道の木々の葉は若々しい若緑色に色づき、入隊したばかりの彼らを歓迎するかのようだった。
多くの学生にとって山登りは初めての体験だったようで、中腹からは青息吐息の学生もちらほら見受けられたが、各分隊とも同期の間で最後まで声を掛け合い予定を上回るペースで登り切り、無事に総員が山頂に到達した。
山頂到着後は、写真を撮影し、分隊ごとに分かれ昼食を取った。昼食は恒例の「缶飯(かんめし)」で、慣れない缶切りの使い方に悪戦苦闘する学生もいたが、想像以上においしかったようであっという間に完食した。
下山後、教育隊にたどり着いた学生たちは、心地良い汗を流した達成感で満ちあふれていた。
今回の烏帽子岳登山は、旺盛な気力と強健な体力を練成するとともに同期との団結の強化を図る良い機会となった。
「しもきた」公開
写真=手を振る来場者たち
第1輸送隊所属の輸送艦「しもきた」はこのほど、大分県佐伯市で開催された「さいき桜まつり」において艦艇公開を行った。
「さいき桜まつり」は野外ステージで各種演目が披露されるとともに、佐伯市中心部ではタイムスリップしたかのような佐伯藩大名行列が行われた。
最高気温7度という季節外れの寒さにもかかわらず公開開始から多くの見学者が来艦し、各種体験(エレベータ昇降、制服試着、結索、手旗)及びLCAC見学を楽しんだ。
特に結索体験は人気で、隊員が展示する横に親子が並び各種結索法を学んだ。また、輸送艦ならではのサイドランプやエレベータ等の装備を生かし、艦艇広報を通して輸送艦や海上自衛隊への理解促進を図った。
来艦者は2日間で延べ1563人。大分県のみならず宮崎県、福岡県から来艦された方もおり、盛況のうちに終了した。
読史随感<第175回>
神田淳
地震災害と日本史
「バカの壁」の著者で、思想家としても広く知られる養老孟司さんは、最近の著書で「巨大地震で日本がどうなるか」が心配だと言う。養老さんは歴史家磯田道史さんとの対談で、思わぬ自然変化が歴史に影響すると言い、大正時代の関東大震災が次の太平洋戦争に関係していると思うと述べている。日本がなぜあんな乱暴な戦争をしたかというと、大災害で被害に対するセンシティビティが鈍くなったからではないか。歴史に表れない無意識の影響があった。そうでなければ、竹久夢二やモボ・モガ(モダンボーイ・モダンガール)が生まれた現代の先駆けのような大正時代から、なぜ軍国主義が突然に発生するのかがわからない、と。
また、地震地質学者尾池和夫さんとの対談で、徳川幕府が倒れたのはペリーの黒船が来て(1853年)からだが、ほぼ同じ時期の1854年に起きた南海トラフの大地震と、続いて1855年に起きた安政の江戸の大地震が明治維新を誘発したのではないかと言う。南海トラフの大地震とは、駿河湾の沖合から四国の南の海底までのびる巨大海溝(南海トラフ)を震源とし、100年から150年の周期をもって発生するマグニチュード8クラスの巨大地震。1854年に起きた南海トラフの大地震(安政東海地震と安政南海地震)も大津波を伴う巨大地震で、大災害を太平洋岸にもたらした。
翌1855年に起きた安政の江戸の大地震は直下型の内陸地震で、マグニチュードこそ6・9程度だが、震度6以上の非常に強い地震だった。倒壊家屋2万、死者1万人余と推定されている。江戸中期以降の日本列島は、天保年間は地震活動が不活発で平穏だったが、弘化、嘉永を経て安政に至り、地震活動の活発な時期となった。安政期の大地震は、幕府や各藩が深刻な財政危機に陥り幕藩体制が綻びていく中、発生した地震だった。地震で崩れ緩んだ江戸城の石垣を見て江戸市民は、徳川様の天下も間もなく崩れるかと囁きあった。
尾上和夫さんは、次のマグニチュード8クラスの南海トラフ巨大地震が2038年頃に起きると予測している。過去周期的に発生した南海トラフ地震を分析して時間予測モデルをつくり、これに高知県室津港の地震時の隆起量と、地震発生の時間間隔との関係を組み合わせて予測した。尾上さんは、同じ頃強い直下型内陸地震が東京に起きるとは言っていないが、日本列島は1995年から確実に地震活動期に入っていて、内陸地震が多発する時期になっていると言う。ちなみに、政府の地震調査研究推進本部は、マグニチュード7クラスの首都直下型地震が今後30年以内に70%程度の確率で発生すると言う。
尾上さんは、歴史を振り返ると巨大地震の後は歴史の転換期と重なると言い、養老さんは、歴史に鑑みて2038年に南海トラフ地震が発生したら、日本はグレート・リセットを起こすのではないか、と述べている。
大地震は日本の宿命で、逃れることはできない。首都圏の大地震は、日本を揺るがす大震災となる。よく検討し抜いた十二分の防災対策をしておかなければならない。このエッセイを書いていて、家具転倒防止、消火器、非常用電源など、家庭の地震対策をやっておかなければならないと思うと同時に、地震災害発生後には、われわれ国民は自衛隊の救援活動に期待し、自衛隊の皆さんにお世話になるだろうと思った。
(令和7年7月1日)
神田 淳(かんだすなお)
元高知工科大学客員教授。
著作に『すばらしい昔の日本人』(文芸社)、『持続可能文明の創造』(エネルギーフォーラム社)、『美しい日本の倫理』(https://utsukushii‐nihon.themedia.jp/)などがある。