自衛隊ニュース
操縦席からの回顧録
~大いなる空へ夢を乗せて~
手記:井上 正利(監修:芦川 淳)
<第26回>KM-2練習機とVB-0303課程
写真=念願だった固定翼機初のソロフライト!と言ってもこの時は複数学生の互乗だった
平成4年6月、私は海上自衛隊小月基地での機種転換訓練で、KM-2練習機に搭乗することになった。この機体を初めて操縦した時の第一印象は、あらゆる舵の効きが良く、レスポンス(反応)に優れるというものだった。航空機は、操縦する人の動きを忠実に反映してくれる本当に魅力のある機械でもある…。またこれを動かすことが出来るのがパイロットの醍醐味でもある。
固定翼機は速度が速い時に操縦桿やラダー(方向舵)を操作すると、高度や速度が大きく変化し、離着陸時のような低速度だと操縦桿もラダーも軽くはなるが、全ての舵の効きも弱くなる特性がある。新しい機を操縦する際は、これらの特性を体得するとともに各機体(機種は同じでも色々と個癖がある)の癖をつかむことが重要となってくる。
私は生涯を通して7種類の回転翼機と固定翼機を操縦したが、その中でもこのKM-2はとても操縦しやすい機種であったと回想する。
小月基地における実機での訓練は、ステージAからCの全てを含めて約40時間の飛行訓練が計画されており、各ステージはそれぞれエアワーク(空中操作)、離着陸、緊急操作で約20時間、アクロバットで約12時間、計器飛行、地文航法で約8時間位であったと思う。見極め的にはステージごとにチェックされるが、やはり最も重要な課目は離着陸である。この関門を通過しないとソロフライトへは進めない、つまりエリミネート(淘汰)が待っている訳である…。
ちなみにアクロバット飛行の訓練、私はあまり好きな課目ではなかった。なぜかというと、午前のフライトだと課目終了後は昼食が受けつけず、午後フライトだと食べたモノが胃から上がって来るという悪循環な日々であったからである。
アクロバット課目は身体に強いGがかかり、本当に自分自身(精神面、身体面)を鍛えていないと辛いものがある。特にループ(360度回転、俗にいう宙返り飛行)は、空中で大きく縦に1回転するので頂点の前後ではマイナスGがかかり、反対に降下時はプラスのGが一気にかかってくるので身体に大きな負担がかかる課目であった。
しかも当時は少し太り気味であったので、Gがかかるとほっぺたが後方にひっぱられて引きつったようになったり、マイナス側のGがかかったときには頬が下瞼を圧迫して視野が狭くなったり感じたものだ。また機体にも負担がかかるループは、その最中に主翼面がベコベコと変形するのだが、見ていてホントに「空中分解しないよなぁ」とか心配したものである。
しかし飛行機は、地上や空中でモノに衝突するような衝撃にはべらぼうに弱いが、その一方で、空力的な構造はかなり強靭なので実際には心配ない。こんな強いGに耐えるようなアクロバット飛行はこのとき以来経験していないが、もう二度とやる事は無いだろうと思うと寂しいものがある。
小月基地での課程に入校して約4カ月後、いよいよソロフライトが始まったが、海自では学生互乗体制を取っており、一人だけが搭乗して操縦するわけではなかった。複数の学生が搭乗し、操縦しない学生は操縦桿を握らずアシストに専念するというやり方だ。だからソロフライトと言っても、かつて北宇都宮の航空学校で経験したヘリコプターでのソロフライトのほうが圧倒的に「独り立ち」の印象が強い。
あの時、教官席におもりを乗せ、本当に一人きりで空中に出た時の喜びと恐怖感は今も忘れない鮮烈なものだった。今になって思えば、教官も学生を一人で飛ばす度胸を備えてないと務まらないと感じる。
そして平成4年の暑い夏の7月に晴れて固定翼基礎課程を修了、海上自衛隊小月基地での「帽振れ~」(海自のしきたりで、親しい仲間との別れに行う儀式だと聞いている)を最後に小月基地の門を後にした。ちなみに私が学んだのは「VB-0303」という課程名であったが、同期の仲間との付き合いは連綿と続いていて、那覇や鹿屋、徳島などへのフライトで泊りとなった時には必ず会っては、交流を深めたものだ。
教育中、ブリーフィングで教官から厳しい指導を受けて沈んでいる海自の学生達を誘って近傍の川棚温泉に通ったことが思い出される。多いときには週に2回は行っていた。なお課程の修了間近、海自の学生達は操縦士コースとTACCO(航空戦術士)のコースとに振り分けられる。この期では35名の内3名の学生がエリミネートされ、約7~8%がTACCOのコースに進むことになった。
(つづく)
井上正利(いのうえまさとし)少工校20期生。
陸自では希少な固定翼機操縦士として緊急患者空輸等で活躍(総飛行時間4967時間)、現在は航空会社の那覇営業所長と安全推進室長を兼任