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全国自衛隊地方協力本部長等会議

写真=優秀地本=陸上自衛隊提供


 6月25日、防衛省で全国の地方協力本部長らが一堂に会し、「令和8年度全国自衛隊地方協力本部長等会議」が開かれた。会議では、募集、就職援護、予備自衛官等業務について施策説明や意見交換などが行われ、今年度の目標達成に向け認識を共有した。

 少子化や人材獲得競争が続く中、令和7年度の自衛官等採用者数が1万1177人と前年度から1453人増加した一方、採用計画数は未達成となっており、引き続き厳しい募集環境への対応が求められている。

 会議に合わせて優秀地本等の表彰も行われた。小泉進次郎防衛大臣は、処遇改善や生活・勤務環境の改善などの施策に加え、地本長や広報官らの努力が採用者数の増加につながったと評価。「防衛力の基盤は『人』」とし、地本を「人材確保の第一線」と位置付けた。

 一方、陸上幕僚長は、地本長が自ら先頭に立ち、方面総監部や部隊と積極的に連携するとともに、地域の特性を踏まえた施策を実行し、目標達成への強い執念と人材確保への使命感・責任感を持って取り組むよう求めた。さらに、全ての部隊・隊員が人的基盤の強化に関わるとの認識を示し、組織を挙げた取り組みを促した。

 表彰された地本、広報官等は以下のとおり。今年度は第1級賞状に加え、優秀広報官(第2級賞詞)も防衛大臣が表彰した。


優秀地本、広報官等を称える


■優秀地本

※カッコ内の地本長は受賞当時

・第1級賞状

岩手(太田光1陸佐)

石川(梶川裕1空佐)

滋賀(𠮷川正浩1陸佐)

青森(岡村正彦1空佐)

高知(小原淳志1陸佐)

・第2級賞状

愛知(丸尾寿明1陸佐)

山形(松田隆則事務官)

茨城(大谷雅之1陸佐)

千葉(吉江峰樹1海佐)

山梨(桑原和洋1陸佐)

鳥取(細田信行1空佐)

徳島(馬場智也1海佐)

愛媛(坂本晴俊1陸佐)

■優秀広報官

※階級、所属は受賞当時

・第2級賞詞(大臣)

塚澤幸織陸曹長(岩手)

山本久稔2陸曹(石川)

香川俊一2陸曹(滋賀)

近江雄介2陸曹(青森)

市川繁幸2空曹(高知)

・第2級賞詞(陸幕長)

渡辺健次2陸曹(山形)

室町健一海曹長(茨城)

佐伯伊仁陸曹長(千葉)

高尾義樹2陸曹(山梨)

八木一夫2陸曹(愛知)

土屋勝文2陸曹(鳥取)

吉原銀狼2海曹(徳島)

瀧岡晃治2陸曹(愛媛)


・陸上幕僚長褒賞

松木哲也陸曹長(札幌)

大江宏明2空曹(函館)

留田勝2陸曹(旭川)

高橋智洋陸曹長(帯広)

吉田恵理2空曹(宮城)

齊藤暢久1陸曹(秋田)

手塚公徳陸曹長(福島)

平井貴善1空曹(栃木)

白石知佳3陸曹(群馬)

大森庸晴2陸曹(埼玉)

内藤廣行2陸曹(東京)

浅野奨太1海曹(神奈川)

矢嶋亮一准海尉(長野)

伊藤龍也1陸曹(新潟)

河内稔2空曹(静岡)

舟本政宗1空曹(富山)

石川治樹陸曹長(福井)

川添裕城2陸曹(岐阜)

服部哲尚陸曹長(三重)

田中俊光1陸曹(京都)

浜中魁人2海曹(大阪)

長尾尚嘉1陸曹(兵庫)

橋本政典3陸曹(奈良)

南方健次陸曹長(和歌山)

日野裕介2空曹(島根)

大山翔2陸曹(岡山)

湯浅真裕子陸曹長(広島)

佐伯弘明陸曹長(山口)

高橋祐輔2陸曹(香川)

下野雄也1陸曹(福岡)

佐藤光浩2陸曹(佐賀)

山田達也2海曹(長崎)

梶原徳昭1海曹(大分)

北田将樹2陸曹(熊本)

久徳康弘事務官(非常勤)(宮崎)

大山大輔1海曹(鹿児島)

末吉幹2陸曹(沖縄)


■隊員自主募集優秀部隊等

・第2級賞状

第12高射特科隊

化学学校

北部方面衛生隊

北部方面音楽隊

読史随感<第204回>
神田 淳

日本史にみられる平和思想(2)

 古代、聖徳太子の定めた十七条憲法には和の国を実現する実践的思想が述べられている。

 まず第一条、「一に曰く、和をもって貴しとし、忤(さから)うことなきを宗とせよ。人みな党(たむら)あり。また達(さと)れる者少なし。ここをもって、あるいは君父(くんぷ)に順(したが)わず。また隣里(りんり)に違(たが)う。しかれども、上和(かみやわら)ぎ、下睦(しもむつ)びて、事を論(あげつら)うに諧(かな)うときは、事理おのずから通ず。何事か成らざらん」。(大意)---和が最も貴いが、人はみな党派心があって、争いを起こす。しかし、人々がなごやかに議論していけばものごとの道理は必ず通じ、何事もできないことはない---。

 第一条には、和の達成は議論が必要で、議論でものごとの道理に達することができるという信念が述べられている。そもそも和とは付和雷同することではなく、同調圧力に屈することでもない。自分の考えをきちんと持って、その上で他者の尊厳を認め、主体性をもって他者と和することである。論語に「君子は和して同ぜず、小人は同じて和せず」と孔子は言う。自分の主体性なく「同じる」のは和ではない。

 それでは、意見の異なる他者と和することができるか。同憲法第十条に、自分が正しいとは限らないことを心の底から自覚し、人が違っていることを怒ってはならない、と述べている。「十に曰く、忿(こころのいかり)を絶ち、瞋(おもてのいかり)を棄てて、人の違うことを怒らざれ。心おのおの執るところあり。かれ是とすれば、われは非とす。われ是とすれば、かれは非とす。われ必ずしも聖にあらず、かれ必ずしも愚にあらず。共にこれ凡夫のみ。是非の理、?(たれ)かよく定むべけんや。相共に賢愚なること、鐶(みみがね)の端(はし)なきがごとし。ここをもって、かの人は瞋(いか)るといえども、かえってわが失(あやまち)を恐れよ。われひとり得たりといえども、衆に従いて同じく行え」。自分が絶対的に正しいと思うから違う意見の他者に怒りを感じ、争いになる。第十条はそのような自己のあり方を否定している。第十条は仏教の深い人間観の横たわる条項である。仏教では、人間の存在は関係性によるゆえ、自己の絶対化は無知の思い込み(無明)として否定される。十七条憲法は第一条と第十条に和を達成する実践的思想が、人間のあり方の根本から述べられており、つくづくすばらしいと思う。

 日本は長い歴史の中で戦乱の時代も経験したが、国内平和はおおむね達成した歴史をもつ。島国という地理的条件に恵まれて、対外戦争も、唐・新羅連合軍との白村江での戦い、二度にわたる元寇など、数えるほどしかなかった。しかし近代の明治以降、80年という短期間に日清戦争、日露戦争、日中戦争、太平洋戦争と、大きな対外戦争を経験した。

 国家間の平和は、異なる共同体との和の実現であり、共同体内部での和である国内平和の達成とは次元の違う難しさがある。人類は戦争をやめ平和を達成しようと努力してきたが、平和が達成されているとはいえない。近年ロシアがウクライナ戦争を起こし、アメリカ、イスラエルがイランを攻撃するなど、戦争が頻発している。

 過去戦争の悲惨さを経験して、人類は平和実現のあらゆる手段を講じてきた。外交交渉、国際機関の設立、仲介・調停、同盟、中立、勢力均衡、抑止力の強化、軍事力の強化、縮小、平和思想の深化など。しかし、根本的な平和実現策はなく、平和達成の部分的な成果にとどまっている。

 部分的な成果しか得られなくても、我々は今後も現実的にできる平和策を懸命に模索し続けるべきだと強く思う。平和は現実的な平和しかなく、それは作っていくものだとの考えに徹する。

(令和8年9月15日)


神田 淳(かんだすなお)

 元高知工科大学客員教授。著作に『すばらしい昔の日本人』(文芸社)、『持続可能文明の創造』(エネルギーフォーラム社)、『美しい日本の倫理』(https://utsukushii‐nihon.themedia.jp/)などがある。

操縦席からの回顧録
~大いなる空へ夢を乗せて~
手記:井上 正利(監修:芦川 淳)

<第23回>夢を追い求めた固定翼機への転換

写真=ついに念願かなって固定翼機への道がひらけた。LR‐1のパイロットである

  

 新型ヘリコプターCH-47(55人乗り)の第1ヘリコプター団への配備が始まった。そして隣の第1ヘリコプター隊から順次換装され、いよいよ第2ヘリコプター隊も機種転換が始まろうという平成4年1月、32歳頃の話である。操縦士全体が集合する朝の飛行前ブリーフィング直後に、飛行班長の口から思いがけない言葉が飛び出したのだ。

 「ここにいるのはCH-47への機種転換準備に入っている者だから関係ないと思うが、LR(固定翼)への入校枠が1名来ている。誰も希望者はいないだろうからこちらから断っておくよ」と言われた・・・のである。実はCH-47の要員に選ばれたことで、私はもう固定翼への転換は無いだろうなと思っていた。それならそれでCH-47で骨を埋めるか・・・と少し落胆しつつ半ば諦め気味に運命に流れを任せようとしていた矢先の出来事である。

 元々は、前任地の札幌でLR要員募集枠を待つ予定であったが、年齢の関係上、急がなければ年齢枠を外れて却下される可能性があった。そこで、中央(当時ヘリ団は長官直轄部隊であった)に出た方が情報も入り易いと思い、考えに考えた末での決断でヘリ団への転属を決めた。ヘリ団でもこのままLR要員の入校枠が来なければ、そのまま最新鋭機CH-47で骨を埋める覚悟で木更津へ赴いた。

 しかし飛行機の神様は見捨ててなかった!将しく青天の霹靂であった。その瞬間はあまりに唐突すぎて言葉が出ず、ブリーフィングが終わった後に部屋を後にした飛行班長の背中を夢中で追いかけた。そしてハッキリとした声で「さっきのLRの話ですが、ぜひ行かせて下さい!」と、飛行班長に伝えたのである。

 飛行班長は「えっ、本当か?本当に固定翼転換希望するのか?適性が無いと途中でリタイアも有るらしいぞ!」と脅かし気味に返してきたが、私はそれには答えずキッパリ「行きます!」と断言した。

 本来ならば大型ヘリ要員として選抜して頂いている立場だというのに、それを翻意するのは心底大変申し訳ないと思った。しかし、ずっと胸に抱いてきた志を現実のものにするチャンスを捨てるのは、自分自身を失くすことにも等しいことだった。

 ひょっとして強く引き留められるかもと思ったが、「そうか、それなら飛行隊長を通して俺が人事に依頼しておく」と予想外に暖かい返事を貰うことができた。多分、飛行班長は人事の方からかなりグサグサと言われたに違いないと思った。

 私が抜けることでCH操縦士の養成計画を変更せねばならないし、機種転換計画の変更処置なども生じることは重々分かっていた。ところが飛行班長はそういうことは一切私に話さなかった。私の真剣な態度に強い信念を感じ取ってくれていたのだと今はそう思う。

 その日の夕方、飛行隊長室に呼ばれた。宮崎飛行隊長とは官舎が同じで、私が新婚の頃から食事に招いて頂くなど、公私に渡り大変お世話になっている方だった。私が固定翼機に転換した後も、また飛行隊長が定年後、三菱重工(LR-1は三菱重工名古屋工場でIRANを受けており縁があった)に就職された後もお付き合いが続く仲である。

 その飛行隊長から険しい表情で「井上君、私も固定翼に少し乗っていたけど横風着陸などヘリと全く違う難しさがあるし固定翼の世界は本当にシビアですよ? それに、このことは奥さんにも相談していますか?」と質問された。

 なぜここで家族の話題が出るのか判らなかったが、「取り敢えず家族で話し合ってから、明日、もう一度気持ちを教えて下さい」と言われ、その日はそれで終わった。これは後年、妻から後で聞いた話だが、奥さん同士のお茶会の際に「井上さんは御主人から固定翼に転換する時、どんな風に相談受けたの?」と訊かれたそうだ。

 官舎の奥様方はご主人達からの話の中でLR-1の事故率の高さを知っているはずなので、なぜ私がそこまでして機種転換しようとするのか不思議だったらしい。しかし私はいつまでも夢を諦めず、追いかけた・・・勿論、家族も大切だが、これだけはパイロットへの道に進んだ時から決めていた事なので絶対に迷うことは一切無かった。帰宅して一応妻に話はしたが、それは相談ではなく「俺、回転翼から固定翼へ転換するからさ!」と自分の気持ちを一方的に伝えただけだった。

 実はこの年の初夏に妻の妊娠が分かり、父になる喜びと共に、自分の夢を追うことの後ろめたさが両方襲ってきた。しかし夢を捨てることはできない。私はその両方を取ることにした。

(つづく)


 井上正利(いのうえまさとし)少工校20期生。

 陸自では希少な固定翼機操縦士として緊急患者空輸等で活躍(総飛行時間4967時間)、現在は航空会社の那覇営業所長と安全推進室長を兼任

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