自衛隊ニュース
「オール四国」で護る 災害対処演習
<第14旅団>
写真=作戦会議を視察する県知事等
第14旅団(旅団長・仲西勝典陸将補)は、7月21日から24日までの間、善通寺駐屯地において、令和8年度自衛隊統合防災演習に参加するとともに、令和8年度南海レスキュー指揮所演習を実施した。本演習は、南海トラフ巨大地震発生を想定し、自衛隊の指揮幕僚活動及び、発災直後の72時間に焦点を当てた迅速な初動対処と関係機関との情報共有・連携要領を検証することを目的として実施した。全隊員が「すべては実任務として行動せよ」との指針の下、真剣に演習に臨んだ。
南海トラフ巨大地震は、四国全域に甚大な被害をもたらすことが想定されており、その対処には自衛隊だけでなく、自治体・警察・消防・ライフライン事業者など、多様な組織が一体となった『オール四国』態勢での総力を結集した対応が不可欠だ。
本演習では、四国すべての県知事とテレビ会議を実施し、災害状況や部隊運用に関する情報を共有するとともに、広域的な連携要領について確認した。さらに、四国各県知事等を善通寺駐屯地に招待し、指揮所活動や災害派遣時に使用する装備品等をご視察いただき、第14旅団の災害派遣活動に対する理解を深めていただいた。
今回の演習で得た教訓や成果は、令和9年1月に予定されている南海レスキュー実動訓練へ反映し、より実効性の高い災害対処能力の向上に繋げていく。第14旅団は、今後も関係自治体や機関との連携を一層強化し、「オール四国」態勢で四国の護りを務めていく。
実戦的環境下で練度を向上
i‐TESCを実施
<第2師団>
写真=バトラの視準を校正する25普連隊1中隊の隊員
第2師団(師団長・大場剛陸将=当時)は、7月11日から22日までの間、上富良野演習場において「令和8年度普通科部隊戦闘訓練評価支援センター方式訓練(以下i‐TESCという)」を実施した。
i‐TESCは、訓練用交戦装置BATRAⅡ型(通称:バトラ)を使用して実戦的な戦闘環境を作為し、増強普通科中隊等における各級指揮官の状況判断能力の向上と部隊の基本的行動・隊員の基礎動作の練度を向上させる訓練である。同訓練には第2師団隷下部隊の他、北部方面隊管内の各普通科連隊等が参加したが、今年度は増強戦車中隊と増強普通科中隊が対戦するなど、それぞれの部隊が保有する装備品を駆使し、訓練が行われた。
昨今の北海道は気温が高く、隊員は厳しい暑さと、雨により泥濘化した地面が行動を阻害する中で、任務の完遂に邁進していた。また、中隊長以下各級指揮官は刻々と変化する戦況に対して適宜、状況判断を行い、部隊の目標達成に尽力していた。
訓練後は統裁官(師団長)が参加する中、統裁部及び参加各部隊が合同で研究会を行い、部隊の行動や各級指揮官の状況判断について討議を行い、じ後の訓練の資を得ることができた。
水難救助訓練で消防と連携
<第6即応機動連隊>
写真=人命救助用のボートを操作
第6即応機動連隊火力支援中隊(中隊長・林和志1陸尉)は、7月23日に網走湖女満別湖畔において、大空町消防署が主催する令和8年度女満別湖畔水難救助訓練に参加した。
訓練は、水難発生時の要救助者捜索及び救助を想定して行われ、人命救助用ボートの操艇要領、「スバリ」と呼ばれる特殊な用具を用いた水中での行方不明者捜索、様々な場面に活用可能なロープの結索法等を演練した。消防隊員の統制のもと、参加した隊員は救助に必要な知識と技術を習得した。
近年は全国で集中豪雨等の自然災害が相次いでおり、地域を守る消防機関との緊密な連携は不可欠である。
火力支援中隊は、あらゆる状況下においても迅速に行動できるよう、今後も合同訓練を重ね、関係機関と一丸となり地域の安全確保に貢献していく。
小型無人機等対処訓練を実施
「新しい守り方」への練度を向上
<第4師団>
写真=小型無人機に射撃
第4師団(師団長・前島政樹陸将)は、7月2日から7月17日までの間、健軍駐屯地及び飯塚駐屯地において、小型無人機等対処訓練を実施した。本訓練は、導入予定の各種装備品の検証を行うとともに、第2高射特科団との協同訓練を実施して、小型無人機に関する協同対処能力の向上を図ることを目的としたもの。
訓練は段階的に実施され、当初、健軍駐屯地において小型無人機の探知、妨害及び無力化(機能的又は物理的破壊)の各段階に区分して部隊を防護する訓練を行った。
続いて、飯塚駐屯地では、第4施設大隊が小型無人機の攻撃に対応し得る防護施設を構築し、普通科連隊が、小型無人機探知機材を活用した探知、妨害及び新型の機材等を用いた無力化に係る一連の行動を演練した。これは現代の作戦環境に適応した「新しい守り方」に対応する練度の向上を図るものであり、現代戦を戦い抜くうえで極めて重要な訓練である。
第4師団は本訓練で得た成果を更に研究し、任務遂行に係る練度の進歩・向上に努めていく。
操縦席からの回顧録
~大いなる空へ夢を乗せて~
手記:井上 正利(監修:芦川 淳)
<第22回>団一丸となって任務を完遂!(即位の礼・後編)
平成2年(1990年)11月12日の即位の礼当日を挟んだ約6日間のミッションは、第1ヘリ団始まって以来の大規模な支援フライトながら大成功で幕を下ろした。手前味噌であるが、航空機の予備態勢、エスコート機の態勢は完璧に近い状態であったと思う。私の記憶するなかでトラブルといえば、ある任務機が出発する際にどうしてもエンジン始動が出来ず、予備機に乗り換えたぐらいのものだ。準備の大切さを改めて感じると共に、余裕を持って事にあたる重要性を実感した。私はこの任務に副操縦士として参加することが出来て、大変光栄に思っている。
このVIP空輸ではいくつかの裏話的な思い出がある。某国の大統領夫妻とご息女を迎賓館から成田空港まで空輸した際のことだ。大統領のご息女が操縦室のドアを開けて見学に来られ、飛行状況や日本の事をお尋ねになったので英語で少々の会話を交わした。するとこのフライトを快適に感じられたのか、着陸後にコックピットのジャンプシートにひょっこりと座って記念写真を撮って降機された。
天候にも恵まれ、快適かつ定時定点のフライトが大統領ご一行にも喜んで頂けたようで嬉しく、ちょっとした外交官みたいなやり甲斐を感じたものである。ただ、そんな気分も成田空港で地上滑走を終えてパーキングブレーキをかけた途端に消え失せる。機体の周囲を30~40名ほどの警護官が取り囲み、やはり搭乗されたのがVIP中のVIPであることを再認識させられるからだ。
各国要人の奥方がつけていた香水の匂いが機内に充満し、化粧品屋さんが何軒も集まっている様な感覚になったのも思い出す。何だかDFS(免税店)のフレグランスフロアーの中に突っ込まれたようだったが、飛行任務を終えてフライトルームに戻っても誰一人として香水の匂いを話題にしていなかったので、ひょっとしたらあの異臭事件以来、私だけ匂いに敏感だったのかもしれない。個人的には、国によってずいぶんと匂いが違うものだと感じていたのだが…。
そして11月某日の18時頃、成田空港から木更津に戻る最終便が無事に着陸。すべてのフライトが終わった後に、基地内のクラブでささやかな任務完遂パーティーをやったと記憶している。その時のビールの味がとても清々しかったのを思い出す…。
このVIP空輸ミッションは延べ約1週間、約60回に及ぶフライトで一件の事故も飛行キャンセルもなく、100%任務達成となった事が何よりも嬉しかったし、一つの大きな目標に向かって第1ヘリ団が一丸となって協力し行動出来たことは一生の誇りに思えることだった。また無事に任務を完遂できた裏には、最高の航空機整備を施してくれたバートルの整備員、また我々の任務に際して様々な調整や対応をしてくれた後方支援部門の活躍があり、私はそれらに心の底から感謝したものである。
その後、昭和から平成へ時代が移り、私もまたバートルからCH‐47チヌークへの機種転換が始まるのだが、そこで人生を左右する大事件が起きる。それは後々に触れるとして、ここでは私の身に起きた別の重大事にも触れておこう。それはついに人生の伴侶を得たことである。知人から紹介された福岡の女性と付き合うことになり、木更津と福岡での遠距離交際が始まった。平成2年の春頃、31歳のときのことだ。
初デートでは、大の甘党かつチョコパフェ好きをバレるのが嫌で、無理をしてブラックコーヒーを注文した。ところが苦くて飲めず、途中から砂糖とクリームをブチ込んでもやっぱりダメ。結局、観念してチョコパフェを頼み直したことを思い出す。また結婚前に初めて作って貰った食事は、トーストと目玉焼き、キャベツの千切りサラダという朝食だった。味の良し悪しはすっかり忘れてしまったが、メニュー自体は今でも鮮明に覚えている。
この遠距離交際はことのほかうまくいき、翌年の平成3年(1991年)3月に地元の福岡で結婚式を挙げ、北海道や沖縄の友人・知人・先輩、また木更津からは同じ自衛隊の操縦士達が福岡に集結して祝ってくれた。結婚前に一度だけ、木更津駐屯地の記念行事に招待し、私の操縦するバートルの体験地上滑走に乗せたことがある。特別な経験に喜んでくれたかなと思ったが、よくよく聞くと、飛行機に乗るのが苦手だったそうで、そういえば帰省時の機内で少しでも揺れたら怖がっていた…。
その後、私が固定翼に転換してからも妻が私の操縦する航空機に乗ることは無く、家に帰ってもフライトのことは訊ねてもこなかった。官舎住まいの時は上司の奥さん達に「いつ何が起こるかわからないので定年までは安心出来ない」という類の話は聞かされていたと思うので、あえて話題にしなかったのかもしれない。しかしその一方で妻は食生活に偏りが無いよう常に気を使ってくれた。航空身体検査で不合格になると生活にも影響あることを分かっていたのだろう。その栄養管理のおかげで、現職中の25年間は一度も航空身体検査には抵触しなかった。このことには深く感謝している。
(つづく)
井上正利(いのうえまさとし)少工校20期生。
陸自では希少な固定翼機操縦士として緊急患者空輸等で活躍(総飛行時間4967時間)、現在は航空会社の那覇営業所長と安全推進室長を兼任