自衛隊ニュース
事務官等に保険制度説明の機会
生活設計セミナー開催<空自補給本部>
写真=セミナーの概要を説明する厚生課長
航空自衛隊補給本部(本部長・小島隆空将=十条)は7月13日から15日までの3日間、事務官及び技官を主対象とした防衛省職員団体保険に特化した生活設計セミナーを実施し、延べ127名が参加した。
本セミナーは、自衛官が入隊時などに団体保険の説明を受ける機会がある一方、事務官や技官には十分な機会がない現状を踏まえ、隊員が後顧の憂いなく任務に専念できる環境づくりと、生活設計におけるリスク管理意識の向上を目的に、福利厚生教育の一環として実施したものである。セミナーでは、保険会社4社の講師が、団体生命保険や団体医療保険など各種制度の概要や意義について説明を行った。
冒頭、厚生課長の佐藤事務官は、「自身にはどのようなリスクがあるのか」「家族を守るためにどのような備えが必要か」「将来後悔しないために何を考えるべきか」の3つの視点を示し、参加者に自らの生活設計に照らして考えながら受講し、理解を深めるよう呼び掛けた。
参加者からは、「保険制度について知る機会がなかったので参考になった」「部下指導の参考にしたい」といった意見が寄せられ、保険制度や保障に対する理解を深める有意義な機会となった。
補給本部では今後も、隊員のニーズを踏まえ、資産運用や介護、相続など生活設計に資する情報を提供し、隊員の福利厚生の充実に努めていく。
理解と親近感の醸成へ
グリーンフェスタで広報<百里基地>
写真=演舞を披露する百里基地太鼓部
5月30日、百里基地(司令・鈴木繁直空将補)は、自衛隊栃木地方協力本部が主催する「自衛隊グリーンフェスタ2026inオリオンスクエア」において、装備品展示等の一般広報活動を行った。
会場となった宇都宮市内オリオンスクエア及びオリオン通りでは、オープニングにヘリコプター編隊(航空学校宇都宮校TH480B)の航過飛行から始まり、自衛隊車両等の展示や自衛隊の各ブースが設置されたほか、百里基地太鼓部による演舞、陸上自衛隊第12音楽隊による演奏及び陸上自衛隊によるらっぱ吹奏等のステージイベントが行われた。
特に、百里基地太鼓部は、多くの観客を前に日頃の練習の成果を十二分に発揮し、会場を沸かせる演舞を披露した。第7航空団からは、基地防空用地対空誘導弾発射装置の展示と説明、広報ブースにおいて、F2戦闘機のVR体験、クリアファイル等の配布、救難員の装具展示・試着を行うとともに、基地公認キャラクター「ひゃくりん」も広報活動に参加した。
イベントには約1万2000人の来場者が訪れ、終始会場は盛り上がり、来場の方々も様々な体験や記念撮影等を楽しんだ。
このイベントで国民の自衛隊に対する理解の促進と親近感の醸成を図ることができた。
読史随感<第202回>
神田 淳
歴史研究のすすめ(2)
歴史に無関心だと国益を失うことがある。中国、韓国と日本の間には歴史論争が存在するが、日本人の淡泊な歴史認識は時として国益を損なっているかもしれない。
近年中国は日本の軍国主義が復活した、新型軍国主義だ、と世界に宣伝し、日本を強く批判している。こういう誤った主張にはきちっと反論し、世界における事実認識を正しくしておくことが必要だが、中国がなぜこうした行動をとるのか理解しておかねばならない。中国共産党は、日中戦争で日本の軍国主義と戦って中華人民共和国を建国したという歴史認識を公式見解としている。軍国主義非難は、中国共産党の統治の正当性を国民に確認させるプロパガンダなのである。
中国共産党は歴史に敏感である。中国は日中の歴史で日本の歴史認識に変化を感じると、歴史修正主義者として非難する。例えば、東京裁判の正当性を疑問視し、否定する見解は日本に根強く存在するが、このような見解は非難の対象になる。また、南京大虐殺などなかったという日本の歴史家の研究が存在する。市民に対する略奪、強姦が多く、殺害もあった。捕虜の大量処刑と、市民になりすました中国兵(便衣兵)の殺害はあったが、市民の大量虐殺はなかった。当時の南京の人口は20万人ほどで、現中国政府が主張する30万人大虐殺などありえないと。このような日本の歴史家の見解も非難される。
しかし、よく考えるとE.H.カーが言うように、歴史とは現在と過去の絶え間ない対話であり、無数の事実が歴史家によって選択され、解釈されて歴史的事実が確定するものであるゆえ、歴史は不断に修正されて当然なのである。そして私の見る限り、中国の方が歴史を露骨に修正し、改竄する態度が顕著である。毛沢東の時代、南京大虐殺など主張していなかった。〓小平の時代になって強く主張し始め、記念館を作り、犠牲者30万人を公式見解とした。また、近年では、コロナウィルスの発生源は中国ではなく、アメリカを含む他国での発生源調査をすべきだなどと主張している。また、民主化を要求する多くの学生、市民を弾圧し殺害した天安門事件を、徹底した報道統制、検閲、教科書に載せないことなどで歴史から抹殺しようとしているようである。
歴史は支配者が作るものという考えが、中国では徹底しているように思われる。中国共産党の統治に不都合な真実を消した歴史が公式の歴史となる。日本に正しい歴史認識を持てと迫る韓国も似たところがある。韓国はシナ文明の国だが、日本はシナ文明ではない。日本文明である。文明の違いが歴史認識に出るのかもしれない。日本人の歴史に対する態度はもっと事実を重視する。歴史家による事実の選択と解釈を伴って歴史的事実が確定することは確かだが、事実を尊重する日本の歴史認識に自信をもち、中韓による日本の歴史認識に対する批判には、反論しておく必要がある。
日本の歴史を学ぶと、日本はよい歴史をもつと思われてくる。これは中年を過ぎて歴史を学び始めた私の実感である。昭和30年代、高校で日本は遅れた国であまり誇るような歴史はないように習った記憶があるが、学校教育も当時盛んな左翼史観に影響を受けていたのだろう。
「振り返れば未来」‐ウィンストン・チャーチル、「歴史を忘れた民族に未来はない」‐ジョージ・サンタヤーナ、「歴史は人間を賢くする」‐フランシス・ベーコン、「人は歴史を作り、歴史は人を作る」‐内村鑑三、など内外の識者が歴史に関する箴言を残しているが、私は松尾芭蕉の残した言葉‐「古人の跡を求めず、古人の求めたるところを求めよ」がすばらしいと思う。
(令和8年8月15日)
神田 淳(かんだすなお)
元高知工科大学客員教授。著作に『すばらしい昔の日本人』(文芸社)、『持続可能文明の創造』(エネルギーフォーラム社)、『美しい日本の倫理』(https://utsukushii‐nihon.themedia.jp/)などがある。
操縦席からの回顧録
~大いなる空へ夢を乗せて~
手記:井上 正利(監修:芦川 淳)
<第21回>航空図や新聞紙が乱舞する大事件(即位の礼・中編)
写真=緊急事態(異臭騒ぎ)に緊急事態(紙吹雪)が重なりバートル機内は大パニックに
平成2年(1990年)の夏の終わり頃から始まった「即位の礼・支援ミッション」は、ゴールとなる11月を目指して手探りながら着々と準備を積み重ねていった。飛行ルートは極力、市街地の上空を避けて河川敷や鉄道、道路の上を沿って飛ぶように設定した。理由は、万が一視程が悪化してもロストポジションは絶対に避けねばならなかったからだ。また現在の違法ドローンと同じくラジコン飛行機による飛行妨害も警戒し、警察機関と連携しつつ万全の警備態勢が敷かれることになった。
そうした訓練のなかで最も難関であったのは、東京赤坂の迎賓館ヘリポートへの進入・離脱訓練だったと思う。このヘリポートは周囲がホテルなど高層ビルに囲まれ、建物が林立する中を進入していく訳だが、風が強い時には予想もしない乱気流に遭遇する。そのため、迎賓館ヘリポートに気象隊の派遣班を配置してリアルタイムで気象情報を入手、着陸進入時に風の影響を受けると予め判断している時は進入角度を深くして乱気流を少しでもかわしながら飛ぶ訓練も実施した。
地上での任務研究に約半月、初期の飛行慣熟訓練に約半月位の時間を費やし、その後の訓練は土日も関係なく実施されたと記憶している。全フライトがVFR(有視界飛行方式)の前提なので、天候不良で計器飛行状態が強いられる場合は中止せざるを得ない。そうした場合は地上輸送となるわけだが、それはそれで警備が複雑かつ大変であったと聞いた。最終リハーサルでは全ての便を時程に沿って飛ばして検証を行い、1日あたり約20フライトのすべてを分単位どころか秒単位で緻密に管理することに成功したのだった。
そんな毎日を続けるなかで事件は起きた。それは飛行訓練も佳境に入り、某機長と組んで木更津~成田空港~迎賓館~木更津を巡るコースの慣熟訓練中のことだった。成田空港を離陸し迎賓館へ向かう途中、確か江戸川上空付近だったと記憶しているが、K機長が「大きいアレ」をもよおしたのだ。「井上、操縦頼むぞ!」と言い放つと、機長はやおらショルダーハーネス、腰ベルトをササーッと外し、操縦室から機内中央に姿を消した。
機長の行動が気になった私は、チラっとキャビンのほうを振り向くと、そこになぜか新聞紙が敷かれている。「なぜ新聞紙?」と思いつつ二度見すると、機長がヤンキー座りのウンチングスタイルの姿勢のまま鬼の形相でこちらを睨みつけていたのだ! 「おい、こっちを見るんじゃないっ!前を向け!」と大声で叫ぶ機長の姿に思わず吹き出してしまったのだが、それに続いてとんでもなく強烈な異臭が機内に充満しだした。
バートルのVFRでの飛行では、通常、操縦席の横窓をわずかに開けて換気しながら飛行する。このときコックピット内には負圧が生じ、機内後方から前方へと風が流れて横窓から吸われた空気が外へ流れていく。滅茶苦茶な異臭がその気流に乗って操縦席へと襲い掛かってくるのだ。これは溜まらんと悶絶する私はふと閃いた。「そうだ!アッパードアだ!あれを開ければ気流は後ろ向きに転じるはずだ!」と即断し、迷わずスイッチに手を伸ばして機体尾部のドアを開けた。一刻も早く地獄から逃れたい一心での決心だった。
その瞬間、カタストロフが起きた。操縦室にある飛行地図やなぜか置いてあった新聞紙などが高速の渦を巻いて乱舞し始めたのだ。紙吹雪のなかで機長は「おい、コラッ!何ばしようとか~!」(博多弁)と怒髪天で叫んでいたが、こちらは事態収拾に追われてそれどころではない。その後、機内で出したブツをどのように始末したかまでは見てなかったが、そもそもあの騒ぎのなかでお尻はどうやって拭き上げたのだろうといまだに疑問は解決していない。実際のところ、私がコックピットの横窓をちゃんと閉めてからアッパードアを開ければこうはならなかったと思われるが、そのときは何を食べたらあんな匂いになるのかという思いが先走ってしまったようだ。あのとんでもない異臭は未だに鼻の奥にこびりついているような気がする。
そして平成2年11月吉日、いよいよVIP空輸が始まった。11月12日の即位の礼当日を挟んで約6日間のミッションは、天候にも恵まれ、かつ一件の事故も無く実施された。任務機1機に対し、2機のエスコート機が付くという万全の態勢で、同時に3機がエンジン始動し任務機がエンジン不調時には予備機に乗り換え、あとの1機がエスコート機として任務機と同行動で編隊を組むという第1ヘリ団始まって以来の大規模な支援フライトであった。
(つづく)
井上正利(いのうえまさとし)少工校20期生。
陸自では希少な固定翼機操縦士として緊急患者空輸等で活躍(総飛行時間4967時間)、現在は航空会社の那覇営業所長と安全推進室長を兼任