自衛隊ニュース
「防人」応援隊
建国記念の日に
中部航空音楽隊が定期演奏会
<入間市自衛隊家族会>
写真=握手を交わす日米両隊長(提供:中部航空方面隊)
日米の奏者が夢の共演
中部航空方面隊(司令官・稲月秀正空将)が主催する「中部航空音楽隊 第48回定期演奏会」が、「建国記念の日」の2月11日に、所沢市航空公園にある「所沢市民文化センター(ミューズ)」に於いて開催された。
当日はあいにくの雨模様で肌寒い天候だったが、開演1時間以上前から会場入口には長い行列ができ、主催者判断で開場が早まるほどだった。その後も次々と観客が訪れ、開演までには2000人収容のホールがほぼ満席となった。
また、開演までの時間には会場内のスペースを活用し、「埼玉地方協力本部の広報ブース」や「中空司令部のキッズ記念撮影コーナー」が設けられ、多くの来場者で賑わっていた。
公演は、中部航空音楽隊(隊長・山本史月3空佐)の隊員が入場するところから始まったが、最初から嬉しいサプライズが用意されていた。隊員の中に、横田基地から米空軍太平洋音楽隊の指揮者・奏者ら7人が友情出演として加わっていたのだ。
演奏は2部構成で行われた。第1部は「中部航空音楽隊委嘱作品集」として5曲、第2部は「アニバーサリー・イヤー」として5曲が披露された。建国記念の日にふさわしく、日本の風土や歴史を想起させる曲目のほか、「ディズニー・メドレー」や「ドラゴンクエスト」など、子供たちにも親しみやすい演目も組み込まれていた。
さらに、航空自衛隊創設70周年と、日米の緊密な連携を象徴する演出が随所に光った。日米の奏者が全曲を共演したほか、米空軍音楽隊長のジョセフ・ハンセン空軍中佐が登壇。日本語での挨拶に続き、同中佐の指揮による演奏も行われた。各曲の終了後には、会場から割れんばかりの拍手が送られた。鳴り止まないアンコールの拍手に応え、日米両隊長の指揮により計3曲が演奏され、感動のうちに幕を閉じた。
入間市自衛隊家族会では今回10名あまりの会員が鑑賞した。席の関連で、まとまって鑑賞はできなかったが、会えた会員に感想を聞いてみると、「日米が一緒になっての演出に感動した」「演奏のほか、ナレーションも素晴らしかった。曲の背景がわかり興味深かった」「ホールの音響が良く、演奏をより引き立てていた」などの声が寄せられた。
入間市自衛隊家族会は「素晴らしい演奏を披露された、中部航空音楽隊の隊員と、米空軍太平洋音楽隊の有志隊員の皆様、定期演奏会を主催・運営された中部航空方面隊の隊員の皆様のご尽力にあらためて深く感謝いたします」としている。(入間市自衛隊家族会事務局長 小澤和仁)
日本防衛の核心としての自衛官
‐人的基盤はいかにあるべきか‐
<第13回>
笹川平和財団日米・安全保障研究ユニット総括・交流グループ研究員 柴山真里枝
海外調査報告(3) 柔軟な働き方を可能とすること
写真=豪国防省で終日ブリーフィングを受けたほか、モリアーティ国防次官と意見交換の機会を頂いた
本海外調査報告では、防衛における人的基盤強化の施策について、日本の参考となる各国の取り組みを紹介している。今回は「柔軟な働き方を可能とする」施策として、豪州の事例を紹介する。
豪州は、少子高齢化や移民増加による人口構造の変化が進む中、限られた人口で広大な国土を守るために労働力を最大限に活用しなくてはならない、という課題に直面している。こうした中、豪軍は2016年に「The ADF Total Workforce System(TWS)」という新たな勤務体系を導入した。本制度は、個人には育児・介護をはじめ軍の外側にも多様な生活があることを前提に、軍務との適切なバランスを実現できるよう設計されたものだ。従来の「フルタイムの職業軍人」もしくは「パートタイムの予備役」という二分法を超え、働き方の選択肢を大幅に拡大している。
TWSの中核となるのが、主に職業軍人および予備役を7つのカテゴリ(SERCAT)に分類する仕組みである。職業軍人は、SERCAT6:柔軟なパートタイム勤務、SERCAT7:従来型のフルタイム勤務、の2つに区分される。予備役は、SERCAT2:招集時のみ勤務、SERCAT3:1年未満の臨時勤務、SERCAT4:高い準備要件・訓練義務等を負い、短期間の通告で招集に対応、SERCAT5:1年以上の持続的勤務、の4つのカテゴリがある。特徴的な点は、個人は軍籍を維持したまま、ライフステージ等の変化に応じてこれらのカテゴリを行き来し、柔軟に勤務形態を変えられることである。たとえば、フルタイムの職業軍人がパートタイムの職業軍人や予備役に移行し、後に再びフルタイムに戻ることや、予備役がフルタイムで勤務することも可能である。
本制度は個人と軍の双方に利益をもたらすものといえる。個人にとっては、ライフステージ等に応じて育児・介護などと軍務を両立しやすくなる。軍側は、柔軟な勤務オプションを提供することで、有為な人材の獲得や離職防止・定着を図れるほか、フルタイム勤務が難しい人材からも可能な範囲で継続的な貢献を得ることが出来る。また、多様な人材プールの確保が可能となることで、必要な時に適材適所に配置しやすくなり、人材をより効果的に活用できる。
豪州の事例からは、「職業軍人か予備役か」、「フルタイムかパートタイムか」という二者択一ではなく、幅広い選択肢を設けることで「可能な範囲で少しでも勤務してもらう」ことが軍側にとってもメリットとなる、と捉えられていることが示唆される。日本においても、ライフステージなど個々人のその時々の状況に応じて働く仕組みを整備することで、個人・自衛隊の双方にメリットをもたらすことを窺わせる事例といえるのではないか。また、こうした官民が交差する人事管理は、担当省庁のみで実現することは難しく、本研究会で提言している「政府あげての社会基盤の強化も含む継続的な検討(提言1)」と民間企業の協力があっての「人的基盤強化のための官民協力の促進(提言5)」の双方が必要となる。
操縦席からの回顧録
~大いなる空へ夢を乗せて~
手記:井上 正利(監修:芦川 淳)
<第11回>中庭のオンボロ機体で何度もイメージトレーニング
写真=学校内に鎮座する訓練用展示機はホバリングの学習に適した高さに固定され多くの学生がイメトレに利用する ※撮影:芦川淳
TH-55による初級教育を終え、晴れてUH-1Bによる実用機課程へと進んだ私だが、他の同期学生と同様に計器飛行の教育科目ではしこたま苦労させられた。訓練では、水平飛行中に操縦席のガラスに暗幕を張り、外界が全く見えない状況を作り計器だけを頼りに飛行する。目隠しをされて飛ぶようなものだから、最初の頃はもの凄く不安であった。
ただ、将来的には固定翼へ転換したいと思っていたので、計器飛行を征服しなければ話にならないということも影響してか、当初から嫌いだという先入観は無かった。ちなみに計器飛行は準備が8割、操縦2割といわれるくらい地上での研究や準備などが重要だ。入念な下準備を好む私にとってそれは苦ではなかったし、計器飛行自体を素晴らしい飛行システムだと好ましく感じる概念を持っていたので、全体としてはむしろ好きなほうだった。
なお、計器飛行訓練の段階が上級に移行すると、最終的には離陸から着陸まで暗幕下で計器だけを頼りに飛行を実施する。これはITO(計器離陸)と呼ばれる操作で、訓練時には、教官と他の同乗学生が周囲を監視する見張り役となるのだが、私は見張り役の時によくヘリ酔いになっていて、ひょっとしたらこれが一番の苦労した点かもしれない。クルマの運転と同じで他人のハンドルさばきだと酔いやすいらしく、何度も空中で酔ってゲロを吐いていたことをいまだによく覚えている。
一度のフライトはさほど長時間ではないせいか最後には慣れていつのまにか平気になったが、船乗りはこれが数週間も続くのだからその辛さは計り知れない。海上自衛官としての勤務は絶対に無理だと思ったものだ。
また実用機となると、計器飛行だけでなく操縦時の判断そのものが激増する。しかし「地上の三分アタマ」と表現するほどに機上では頭が働かず、判断力がグンと鈍ってしまう。倍増するロードワークや酸素不足など理由は様々あると思うが、これに対抗するには頭だけでなく体に操縦技術を覚え込ませることが必須で、当時の解決法はイメージトレーニングしかなかった。
航空学校の中庭には、そのためのオンボロ機体が展示されていて、ことあるごとにそのコックピットに座ってイメージトレーニングを繰り返した。次回のフライト内容をイメージしては何回も何回も反芻して覚えるのだ。現在のように、立派なシミュレーターもある恵まれた環境が用意されているのとは雲泥の差である。ちなみに実際の訓練に使用する機体も年期の入ったものを使用していたので、着氷域(機体に氷が付着する高度や地域)などは避けて訓練飛行をしていた。
ところで、私は最年長でFEC課程に入ったこともあって学生長を拝命、同期をまとめる役を仰せつかっていた。同期の学生には、少年工科学校出身者、曹候補学生出身者、一般入隊出身者の3グループがあって、それぞれに特性の違いがあって面白かった。少年工科学校出身者は先輩・後輩関係を非常に重んじる。曹候補学生出身者は先輩・後輩関係を殆んど気にせず、割とのんきな傾向があり、一方の一般入隊出身者は頭脳明晰で誰とでも上手く接し、協調性に長けていたという印象があった。
誰もがパイロットを目指すという目標は同じなので、全体をまとめるのにはそう苦労しなかったが、元来、パイロットは一匹狼的な性格の輩が沢山いるので、個性の強い者同士をまとめる時だけはなかなか大変であった。航空学校運動会の時は、当初は出し物を決めるのに意見がバラバタで難儀したが、目的・方向性が決まると途端に一丸となって各人が魅力を発揮、奇想天外なコスチュームやパフォーマンスで盛り上がったものだ。やはり目標をひとつにして同じ釜の飯を食う仲間である。不思議と自然と一つになっていったものである。
ちなみに学生生活で一番辛いというか困ったことは、飛行審査に落第した同期にかける言葉が見つからず、慰める言葉が出てこないことだった。そういう湿った空気は課程内の中にも伝染しやすいし、そうでない者も明るく振る舞うわけにもいかない。学生長として色々気を揉んだ。結果的に、一度は落第した学生も再審査によって合格して、芽出度く全員が課程を修了できることになったが、これはこの上なき喜びであった。(つづく)
井上正利(いのうえまさとし)少工校20期生。
陸自では希少な固定翼機操縦士として緊急患者空輸等で活躍(総飛行時間4967時間)、現在は航空会社の那覇営業所長と安全推進室長を兼任