自衛隊ニュース
雪・氷まつりを通じて市民と交流
写真=メイン氷像「嚴島神社」のライトアップ<25普連>
150周年迎えた神社の氷像<25普連>
2月6日、第25普通科連隊(連隊長・谷口慎1陸佐=遠軽)は、紋別市で開催された第63回もんべつ流氷まつりのメイン氷像「嚴島神社」の制作を終え紋別市に引き渡した。
今年のメイン氷像は、創祀150周年を迎える嚴島神社(紋別市)が主催者との協議により選ばれた。メイン氷像は、紋別市内から切り出した天然氷を使用し、高さ約10メートル・幅約15メートルの氷像は、隊員が手作業でノミやチェーンソーを使用して削り、建物の細部まで精巧に再現をした。
連隊は、メイン氷像の他に、各種イベントが実施できるステージも作成し、もんべつ流氷まつりの運営に寄与した。
もんべつ流氷まつり期間中は、メイン氷像の五色のライトアップも行われ、開催期間中に集まった紋別市民・観光客、約2万人を魅了し賑わった。
巨大滑り台を製作<名寄>
名寄駐屯地(司令・大谷進一郎1陸佐)は、1月31日~2月1日に行われた、羊の町で知られる士別市で開催された「第71回しべつ雪まつり」に協力した。
本行事は、祭りの目玉である巨大滑り台の雪像製作を駐屯地所在の第2特科連隊第2大隊(大隊長・目野友治2陸佐)及び第3即応機動連隊機動戦闘車中隊(中隊長・松本浩之3陸佐)が担任した。
1月9日から製作を開始し、例年にない降雪量の少なさや暖かさで雪が解けてしまう日や、時には氷点下12℃を下回る寒さなど寒暖差が激しい中、完成予想となる模型を元に精密な寸法の計測から約長さ29メートル、高さ7メートル、幅8・5メートルのチューブ滑りと氷の巨大滑り台を14日間の作業を経て完成させた。
まつり初日の1月31日に引渡し式が行なわれ、目野大隊長から渡辺士別市長並びに喜多雪まつり実行委員長へ完成した雪像が引き渡された。その後、多くの人々が会場を訪れ、隊員たちが安全管理のため見守る中、多くの子ども達が歓声を上げながら滑り台を楽しんでいた。
さらに装備品展示ブースでは「16式機動戦闘車」「78式雪上車」の展示を行い、普段見ることのない特殊な車両に多くの見学者が集まり、隣接する自衛隊旭川地方協力本部名寄出張所の自衛隊ブースとともに、募集活動を行い多くの来場者に自衛隊に対する理解の醸成を図った。
来場者からは「雪まつりの協力ありがとう」「滑り台が楽しかった」など多くの心温まる言葉を頂き、子供たちからも「楽しくて5回も滑ったよ」と温かい笑顔と言葉を頂いた。
駐屯地は、活力のある健全で信頼される駐屯地を目指し、地域の行事を積極的に支援しつつ、活動を広げ自衛隊に対する理解と信頼の向上に努め、地域との連携を図っていく。
試行錯誤で完成
<岩見沢>
岩見沢駐屯地(司令・福永信彦1陸佐)は2月7日~8日の間、岩見沢駅東市民広場公園で開催された「第36回IWAMIZAWAドカ雪まつり」を支援した。
この祭りは今年で36回目を迎え道内屈指の豪雪地帯である岩見沢市で、雪と触れ合い冬を楽しもうという趣旨のもとで行われており岩見沢市の冬の一大イベントとなっている。
今回は第400施設中隊(中隊長・中山1尉)が担任して大型滑り台メインステージ(全長約20メートル・高さ約6メートル)を作製。1月14日~2月7日の間、駐屯地各部隊から日々作業人員をもってメインステージ及び滑り台を作製した。豪雪地帯と言われる岩見沢市だが今年は例年より降雪が少なく雪を集めながらの作業となった。集めた雪は土が混入してしまい気温が上がると土が浮き出る事が生起し大苦戦の中、隊員たちは日中のみならず夜間の作業も行い試行錯誤しながら完成させることができた。
天候にも恵まれ絶好のお祭り日和となった7日の開会式では滑り台メインステージを無事に市に引き渡すとともに引渡状を贈呈し実行委員会より感謝状を受賞した。
お祭りは沢山の人で賑わい、滑り台では小さなお子様から大人の方まで楽しんでいただき「もう一回やる!」「とても楽しい」との声が聞こえていた。
今後も地域の活性化に寄与するとともに、地域住民に対して駐屯地への認知・理解の促進を図っていく。
氷のレリーフ<4普連>
第4普通科連隊(連隊長・小林憲正1陸佐=帯広)は、1月5日~2月1日までの間、帯広のまつり推進委員会が主催する「第63回おびひろ氷まつり」の協力担任官として、氷雪像(すべり台・氷のレリーフ)制作に協力した。
主として氷を使用しての制作作業のため、日々の気温や直接差し込む日差しを考慮し、創意工夫を凝らしながら、知識と経験を活かして氷雪像の制作にあたった。
制作期間中には、数多くの協力諸団体等の皆様から激励や慰問をいただき、この氷まつりに対する期待を胸に、隊員達は氷雪像を無事完成させた。
期間中の1月30日から2月1日のすべり台利用者は約1万5000人(まつりの来場者数延べ約14万人)と大好評で、多くの子供たちの笑顔で溢れ、まつりの盛り上げに大きく貢献することができた。
サラサラ雪に大苦戦<丘珠>
丘珠駐屯地(司令・安達弘典1陸佐)は、2月8日、札幌市北区に所在する篠路茨戸地区の「第49回しのろばらとスノーフェスティバル」を支援した。
丘珠駐屯地に所在する北部方面航空隊本部付隊の隊員29名が、当初全力で巨大な雪山を削って滑り台を作成した後、子供たちのそり滑りの補助を行った。その後、隊員たちは雪像チームと餅つきチームに分かれ、雪像チームは、繊細なプロペラ部分に苦戦しつつも、自衛隊固定翼機LR2「ロメオくん」の雪像を制作、餅つきチームは参加者に振る舞うための餅つきを行い、イベントを盛り上げた。
本イベントには、札幌市消防局北消防署の消防車の展示も行われ、参加した丘珠駐屯地キャラクター「たまちゃん」や自衛官も消防隊員たちと交流を図った。
当日は気温が低く、滑り台と雪像は、雪がサラサラで固まりにくく制作に苦戦したが、雪に水を含める等、工夫して完成させていた。
悪天候が危惧された週末だったが、快晴に恵まれ、子供たちの笑顔が溢れるイベントのお手伝いをすることができた。
読史随感<第191回>
神田 淳
自由について
自由の精神は西洋で生まれ、明治に開国するまで日本にはなかったという認識があるが、そんなことはない。日本にも自由の歴史があり、ただ自由の精神のとらえ方が欧米とやや違っていた。
幕末・明治の開国後、西洋にfreedom/libertyを重んじる政治・社会思想があると知った福澤諭吉ら先覚者が、これを自由と訳した。西欧をモデルとする近代国家建設を進めた明治の指導者は、憲法を制定し、信教の自由、言論・出版・集会・結社の自由などを保障した。明治憲法に定める自由権は不十分との見解はあるが、明治はかなり自由な社会だったと私は思う。日露戦争の頃、与謝野晶子の「君死に給うことなかれ」の反戦歌が、政府に弾圧されるようなことはなかった。
江戸時代も、結構自由のある社会だったと私は思っている。キリスト教は禁じられていたが、それ以外の宗教は自由だった。国家(幕府)が個人の内面の自由に介入することはなかった。武士になる自由はなかったが、農工商間での職業選択は基本的に自由だった。江戸時代、オランダ人フィッセルは、日本滞在記に「---日本人は各々その職務に精励して拘束せられることなく、自由に独立す。奉公人も給金なくして召し使うことあるなし」と、日本人が市民的独立自由の身分を保障されているとの観察記録を残している。
さらに歴史をさかのぼって鎌倉時代、『徒然草』を著した兼好法師など、実に自由で闊達な生涯を送っている。出家していたようだが、完全な出家僧でもない。文化人として社会の中で、自由に生きている。こうした存在を許容する自由度の高い社会だったのだと思う。
自由はもともと、「自らに由る」という意味である。「自らに由り、人に束縛されない」という意味を含むので、「束縛されないこと」を本義とするfreedom/libertyの訳語として定着したが、日本における自由という言葉は多義的で、豊かな歴史をもつ。
仏教で自由は悟りのような心の状態を表す。悟りとは欲望、怒り、恐れから完全に解放された、ものごとにとらわれない心の状態をいう。禅はこれを本来の自由な心と考える。釈尊は入滅するとき、最期の言葉として「自灯明、法灯明」(自らを拠り所とし、法(=真理)を拠り所とせよ)と説いた。
このような自由が、日本社会では勝手気まま、放縦といった否定的意味合いをもつようになった。そうなったのは、まず、もともと漢語の自由に自分勝手という意味もあり、儒教が自由を否定的にとらえていて、これに影響されたことがあるだろう。そして何より、日本の伝統的な共同体が自己主張より協調を重んじる社会で、自由の否定的な意味合いが定着したと考えられる。
明治の先覚者は、自由に否定的意味合いがあることも十分承知してfreedom/libertyを自由と訳した。福澤は著書『西洋事情』で「自由の字は我儘放蕩で国法も恐れずとの義にあらず。英語にこれをフリードムまたはリベルチと云う。未だ適当の訳字あらず」と注釈している。
自由を、「国法寛にして人を束縛せず、人々自らその所好(このむところ)を為し、士を好むものは士となり、農を好むものは農となり、士農工商の間に少しも区別を立てず、上下貴賤各々その所を得て、毫も他人の自由を妨げず、天稟の才力を伸べしむるを趣旨とす」と理解する福澤は、文明の価値として自由を認め、日本に定着させようとした。
こうした明治の指導者の態度は、日本の自由の歴史を豊かにし、現在に至っているという歴史認識でよいのではないだろうか。良き思想も、独創的な科学研究も、自由なきところには生まれない。自由な精神が良き未来を創造すると信じる。
(令和8年3月1日)
神田 淳(かんだすなお)
元高知工科大学客員教授。著作に『すばらしい昔の日本人』(文芸社)、『持続可能文明の創造』(エネルギーフォーラム社)、『美しい日本の倫理』(https://utsukushii‐nihon.themedia.jp/)などがある。