自衛隊ニュース
日本防衛の核心としての自衛官
‐人的基盤はいかにあるべきか‐
<第6回>
笹川平和財団日米・安全保障研究ユニット総括・交流グループ研究員 柴山真里枝
海外調査報告(1)
海外から学べる
人的基盤強化に向けた取り組み
写真=シンガポール国防省にてブリーフィング・意見交換を実施
本連載では、日本の防衛力強化に必要な人的基盤の強化について、政策提言『防衛力における人的基盤の強化にむけて』における8つの提言を紹介している。今回は、提言作成に際して本研究会が実施した海外調査に基づき、各国における人材確保・活用に向けた取り組みを紹介する。
本研究会は2024年9~11月にかけて、英国・ドイツ・豪州・シンガポールの4ヵ国を訪問し、各国の国防省・シンクタンク・有識者等にヒアリングを行った。明らかとなったのは、第1に、軍における人材確保が各国の共通課題であり、相当規模の努力を重ねていること。第2に、人的基盤強化策は各国の歴史・社会・文化を踏まえて検討する必要があり、「万能薬」は存在しないこと。しかしながら第3に、昨今の募集難は、現代社会における働き方やキャリア形成を巡るニーズ等による構造的な要因も大きいことから、一定の「処方箋」は各国に共通すること、である。
第1の点について、軍の人材獲得は困難に直面しており、「極めて大きな課題」との声が各国で聞かれた。背景には、現在の安全保障環境の厳しさによる軍人増の所要、人口減少・少子高齢化の進行、民間での多様なキャリア機会の魅力による人材獲得競争の激化、軍務自体の厳しさ等が挙げられる。その上で各国は、工夫を凝らしながら多様な取り組みを推進していることが分かった。
第2の点について、各国の歴史・社会・文化的背景は多様であり、軍に対する国民感情や戦争等を巡る歴史的経緯も異なる。そのため、防衛に必要な人材確保の制度や施策は、それぞれの「土壌」に根差したあり方を考える必要があり、万能な解決策は存在しない。たとえばシンガポールでは徴兵制が敷かれ、男性は原則18歳から2年間の兵役、その後も10年間、毎年予備役訓練がある。志願制で人材確保に悩む国からすれば「羨ましい」との見方もあるかもしれない。しかし同国も、兵役による進学・就職の遅れへの懸念や不満が高まる中、それへの対応や、そもそも国を守ることの重要性を幼少期から学校教育で繰り返し伝えるなど、国民の理解・協力を得るために多大な努力を払っている。また、徴兵制の導入も、建国当初、3つの民族で構成される国民を統合する手段としても求められたという、歴史的・社会的事情も存在した。こうした各国の背景に根差した制度設計の重要性は、当たり前のことかもしれないが、現地を訪れたことで改めて強く実感された。
第3の点について、その上で、現代社会における働き手のニーズとして、仕事・プライベートを両立できる柔軟な働き方、スキルアップ・転職を前提としたキャリア形成などは共通して存在する。各国はこうしたニーズを取り入れ、軍の人材を確保すべく様々な施策を講じている。これらの「処方箋」は日本にも参考となろう。具体的には、①「充実した処遇を確保すること」、②「柔軟な働き方を可能とすること」、③「軍での勤務がキャリア上のメリットとなること」、④「国民が国防や軍に身近に接する機会を作ること」である。次回以降、各国の事例とともに紹介していきたい。
読史随感<第184回>
神田淳
難しい地球温暖化問題
今年の夏も猛暑で、10月に入っても夏のような日が続いていたが、20日前後から急激に寒くなり、いきなり冬が来たようである。しかし、11月に入って平年よりは暖かい日が続いている。明らかに日本の気候は変わってきた。温暖化が進んでいる。
IPCC(気候変動に関する政府間パネル)は、人間活動がCO2などの温室効果ガスの排出を通じて地球温暖化を引き起こしてきたことは疑う余地がないと断定した。世界平均気温が1850~1900年を基準とした平均気温より1・1℃温暖化し、将来2030年代前半までには平均1・5℃上昇、今世紀末までには、CO2排出削減政策を取らない場合3・3~5・7℃上昇し、CO2削減政策を取った場合(2050年まで現状レベルのCO2排出量を維持、その後2100年までに現在の4分の1程度の排出量となるシナリオ)、2・1~3・5℃上昇すると予測している。また、EUの気候情報機関は、昨年の世界平均気温がすでに1850~1900年の平均を1・6℃上回ったと発表した。
地球温暖化に対して、世界は手をこまぬいているわけではなく、国連の締約国会議(COP)で各国がCO2排出削減政策を取ることに合意している。先進各国と途上国の一部が、2050年までにCO2排出を実質ゼロにするカーボンニュートラルを目標にすると宣言している。しかし、世界が2050年までにカーボンニュートラルになることはまずないだろう。IEA(国際エネルギー機関)は、世界各国が表明した公約や排出削減目標が完全に実行されたシナリオでも、2050年カーボンニュートラルに必要なCO2排出削減量の半分にも達しないと分析している。
カーボンニュートラルが難しい根本的理由は、これを実現する革新的な脱炭素技術がまだ無いからである。2050年までにカーボンニュートラルにするには、2030年以降に革新的な脱炭素技術の大規模導入が不可欠だが、その見通しは得られていない。例えば革新的脱炭素技術として石炭の代わりに水素を使う水素製鉄は、還元反応が吸熱反応であるため、高温維持が困難という根本的な難しさがある。また、発電の脱炭素としての太陽光、風力発電はお天気任せで、需要に応じた発電ができないため、主力電源化するのは難しい。
最近米英で地球温暖化問題に対する政策の変化あるいは変化の兆しが見られる。地球温暖化に懐疑的なトランプ政権下の米エネルギー省は7月、CO2排出の影響は過大評価されているとの報告書を出した。また、イギリス保守党(現在野党)のベーデノック党首は、2050年カーボンニュートラルは非現実的な幻想政策であり、安価なエネルギーの確保と経済成長が優先されるべきと主張している。現労働党政権は温暖化対応政策を堅持しているが、イギリスも政権交代があれば変わるかもしれない。
日本はどうすべきか。技術的イノベーション主体の温暖化対応政策を維持すべきだと思う。革新的脱炭素技術のイノベーションの見通しは立っていないが、いつか実現できるかもしれない。挑戦しつづけるのがよい。化石燃料からの脱却は温暖化対策だけでなく、エネルギーの安定供給などエネルギー政策としても意義がある。カーボンニュートラルの政策目標は掲げておいてよいが、2050年という目標達成年にこだわって経済を阻害するようなCO2削減政策はとるべきでなく、あくまで経済的に実現できる技術的イノベーションによるべきである。それには相当な長期間を要するだろう。
ちなみに、IPCCは近年の温暖化傾向が数千年規模で「異常で前例のない」ものであると言っているが、過去1万年の気温をみると、現代の温暖化が異常でも前例のないものでもないことを示す記録が確かに存在するようである。
(令和7年11月15日)
神田 淳(かんだすなお)
元高知工科大学客員教授。著作に『すばらしい昔の日本人』(文芸社)、『持続可能文明の創造』(エネルギーフォーラム社)、『美しい日本の倫理』(https://utsukushii‐nihon.themedia.jp/)などがある。
操縦席からの回顧録
~大いなる空へ夢を乗せて~
手記:井上 正利
監修:芦川 淳
<第4回>航空学生試験に失敗。戦闘機を諦める
写真=陸上自衛隊は、若い陸曹からヘリコプターパイロットを選抜する(撮影・芦川淳)
少年工科学校3年生時、私は航空自衛隊と海上自衛隊の航空学生試験を受験したいと考えたのだが、教育隊長からストップがかかってしまった。
少年工科学校は陸自の中堅陸曹を育成する学校であり、パイロット(特に海空)になるための学校ではないという考えなのだろうか。しかし陸上自衛隊実戦部隊のヘリコプターパイロットは石を投げれば当たるといわれるくらい少年工科学校出身者が多かったし、同様に幹部の道へと進む者も大多数であった。
納得がいかない私は、叱責を覚悟のうえで直談判しに学校長室に乗り込んだところ、怒られるどころか「君の人生は自分で切り拓くものなんだから頑張れ!」と逆に学校長から激励されてしまった。結果としてはオーライだったのだが、あの頃の私は本当に怖いもの知らずであったと思う。
ところがフタを開けてみれば、それほど大見得を切ったのにも関わらず試験は一次ですら不合格・・・学科試験が合格基準に達しておらず、自分の不甲斐なさがメチャクチャ悔しくて恥ずかしく思え、それをバネに更に猛勉強を重ねたところ、翌年(4年生時)には航空学生・航空自衛隊要員の一次試験を突破できた。しかし、肝心の二次試験の航空身体検査のときに若くて美しい女性看護師にあたって舞い上がり、ビューッと血圧計の柱が上がって不合格となってしまった。熟練の女性看護師に測ってもらうと血圧値に異常ナシだから、これは人体と精神の謎としか言いようがない。
かくして航空自衛隊のパイロットになるという夢はついえてしまった。当時の心境は、真面目に国防の最前線に立つ戦闘機のパイロットになりたかったのだが、試験に落ちてしまったものは仕方ない。これも運命なんだと自分を諭し、戦闘機とは別のパイロットに目標を転換することにした・・・。
2度にわたる航空学生試験に失敗しつつも、少年工科学校の生徒としての陸上自衛官生活は続いていた。そして航空科職種の要員として4年生を迎えると、航空機整備員としての基礎を学ぶために航空学校霞ヶ浦分校に入校、約9ヶ月にわたって実機を使用した整備技術の修得に励んだ。卒業後に部隊での即戦力を期待される少年工科学校の生徒は、ここで半人前以上の航空機整備員として鍛えられるのである。
この霞ヶ浦分校での実習を終えると少年工科学校を卒業、私は陸上自衛隊第1混成団の第101飛行隊(那覇)に配属されて、当時、陸上自衛隊最大のヘリコプターであったKV‐107の整備員となった。昭和52年12月、19歳の時のことである。なお、沖縄勤務を希望した理由は、第101飛行隊の任務に離島からの緊急患者空輸があることを知って人命救助の役に立ちたいと思ったことがきっかけだった。運よく希望通りに配置が決まったが、その後のパイロット人生を振り返るとこの最初の沖縄勤務も大きな歯車のひとつであったと言えるだろう。
昭和52年12月、陸士長として初任地・沖縄の地を踏んだ私は第101飛行隊の航空機整備員としての生活をスタートさせた。飛行隊での勤務は最初の頃は機体には触らせてもらえず、まずは整備工具の名称、使い方、作業準備や後片付けを徹底的に習熟させられる。その後、先輩に付いて徐々に部品の洗浄やパーツの組み立てといった具合に、少しずつ実物の整備にタッチするようになる。
翌年(昭和53年)の3月になると3等陸曹に昇任、それ以降は教わった整備を先輩から単独で任されたり、整備完了後の試験飛行のデータ取りや任務飛行に同乗したりと、整備ならではの醍醐味も味わっていた。その一方で、パイロットへの道を諦めていない私は、沖縄での生活が始まると同時に年に一度の受験機会があるFEC(陸曹航空操縦課程)の選抜試験への挑戦を密かに開始していた。
FECとは、現役の隊員の中から陸自パイロットを選抜するという陸上自衛隊独特のパイロット採用制度である。3等陸曹に昇任後1年を経過した隊員が受験資格を得ることができ、ヘリパイロットへの登竜門となっている。ウィークデイは、課業後の24時まで毎日のように営内の自習室にこもってFECの受験勉強・・・本当は同僚の誘いに乗って飲みに行ったり、皆でワイワイ遊びに行ったりしたかったが、なにがなんでもパイロットになりたいという自分の夢をつかむためである。我慢に我慢をして耐え抜いた。(つづく)
井上正利(いのうえまさとし)少工校20期生。
陸自では希少な固定翼機操縦士として緊急患者空輸等で活躍(総飛行時間4967時間)、現在は航空会社の那覇営業所長と安全推進室長を兼任