自衛隊ニュース

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民間技術で支える航空機整備 8000機達成

写真=誓いの握手を交わす富士航空整備(株)の塙社長(左)と小月教育航空群の井上司令(右)


 海上自衛隊小月教育航空群(群司令・井上貴嗣1海佐)は、海上自衛隊の航空機委託整備を行っている富士航空整備株式会社の整備件数が4月17日に整備累計8000機を達成したことを記念して式典を行った。

 富士航空整備株式会社は、昭和63年10月に自衛隊航空機整備の民活会社第1号として発足以来、海上自衛隊の航空機2975機(KM2型航空機、T5型航空機)、航空自衛隊の航空機5025機(T3型航空機、T7型航空機)の委託整備を行ってきた。

 また、同社は、航空機整備に加え、操縦訓練装置やフライトシミュレーター等の委託整備及び委託教育を実施し、小月教育航空群、第11飛行教育団及び第12飛行教育団に所属する飛行学生の教育支援を通じて、精強な搭乗員の育成に寄与してきた。

 今後も同社と連携し、信頼性の高い整備及び教育を継続することで、自衛隊の任務遂行能力の維持・向上を図ることを確認した。

シェアサイクルで
利便性が向上

写真=正門前にシェアサイクルを導入


 航空自衛隊奈良基地(司令・加藤康博空将補)は、4月27日、基地正門前にシェアサイクルの貸出ポートを設置した。

 真っ赤な車体の電動アシスト付き自転車10台が配置された貸出ポートは、株式会社ドコモバイクシェアの運営するシェアサイクル事業を誘致したもので、奈良基地に所在する航空自衛隊幹部候補生学校で学ぶ学生や、営内隊員たちが外出する際の交通手段としての利用を見込んでいる。設置場所が基地外であるため隊員以外の近隣住民も利用できる。

 シェアサイクルの利用は専用アプリをダウンロードして予約する。株式会社ドコモバイクシェアのサービス提供区域なら、全国のどこでも利用できる。

 幹部候補生学校業務部長の田中1佐は「以前からシェアサイクルは隊員に利用されており、週末には基地に近い貸出ポートが返却された自転車で一杯になっていた」と述べ、「正門前に貸出ポートを設置することで、より利用しやすくなるだろう。大いに活用してほしい」と笑顔で期待を示した。実際に大和西大寺駅への往復に使用したという隊員は「これまでは、海龍王寺の貸出ポートまで歩かねばならなかったが、近くで借りられるので利用しやすくなった。今後も外出の際は使用したい」と話していた。

読史随感<第200回>
神田 淳

明治維新の意義

 アメリカが7月4日、各地で建国250年の記念行事を行っている。イギリス植民地だったアメリカは、1776年7月4日、合衆国として独立を宣言した。建国250年のアメリカ合衆国は若い国だと思う。

 日本の建国は神話上では紀元前7世紀、歴史文献上では日本の国号が成立した天武天皇期(7世紀後半)とされる。神話上は建国2700年、歴史文献上は建国1350年となる。しかし実際、4世紀には強大な大和政権が成立していたと考えられるので、この時期を建国期とすると、建国1700年となる。

 アメリカの独立/建国は、アメリカ独立革命とよばれる。自由、平等、幸福追求の権利を求めての革命だった。独立後アメリカは発展する。「アメリカンドリーム」という言葉が生まれ、誰もが自由に能力を発揮し成功する夢が実現できると信じられた。

 日本の歴史は長いが、近代国家として出発したのは、今から158年前の明治維新(1868年)である。明治維新も革命的な社会変革だった。歴史学上様々な評価があるが、人々の自由の拡大、平等意識の高まり、封建的・閉鎖的身分意識からの解放に明治維新の本質的な意義があったと私は考える。明治新政府は身分制を廃し、四民平等とした。武士階級の特権を廃し、職業選択を自由とした。封建的な身分秩序からの解放は、人々の向上意欲を大きく高めた。

 1868年、新政府は国家運営の基本方針として、五箇条の誓文を公布した。一、広く会議を興し、万機公論に決すべし。一、上下心を一にして盛んに経綸を行うべし。一、官武一途庶民に至るまで各(おのおの)その志を遂げ、人心をして倦ざらしめん事を要す。一、旧来の陋習を破り、天地の公道に基づくべし。一、知識を世界に求め、大いに皇基を振起すべし。すばらしい基本方針であるが、3番目の「一、官武一途庶民に至るまで各(おのおの)その志を遂げ、人心をして倦ざらしめん事を要す。」が誓文の白眉である。これが人々の上昇志向意欲を高め、明治の社会に大きな活力をもたらした。

 人は平等であるから、学問をして身を立て、一身独立すべきを説く福澤諭吉の『学問のすすめ』がベストセラーになったのも、また、札幌農学校クラーク博士の「Boys, be ambitious!(少年よ、大志を抱け)」があれほど有名になったのも、明治が人々の向上意欲の高い社会になっていたことを示す。

 日本史を俯瞰して、活力に富む時代とそうでない時代があると私は思うが、明治は活力に富む時代だった。明治以外では、飛鳥時代、鎌倉時代、戦国時代、安土桃山時代、江戸時代の初め、及び戦後の昭和が活力の高い時代だったと思う。時代の活力を高めたものは何か、その要因を探る歴史研究は、有用な深い歴史知識をもたらすだろう。

 トランプ大統領は建国250年を祝う演説で、アメリカの黄金時代の幕開けと、アメリカンドリームの復活を宣言するが、国民の認識は異なるようである。世論調査によると、59%が黄金時代は過ぎ去ったと答えている。アメリカンドリームは過去のものと答えた人も半数を超え、今も成り立っていると答えた人は34%に過ぎない。記念行事に参加した一市民が「トランプ氏は国民の閉塞感や不満を理解してくれる大統領だ」と言う。アメリカは閉塞感の漂う社会になっているのかもしれない。

 日本も閉塞感と停滞感の漂う社会になっているかもしれない。若い世代の志と活力と創造力がこれを打破すると信じる。1世紀半前、志をもった若い下級武士が明治の世を開いた。

(令和8年7月15日)

  

神田 淳(かんだすなお)

 元高知工科大学客員教授。著作に『すばらしい昔の日本人』(文芸社)、『持続可能文明の創造』(エネルギーフォーラム社)、『美しい日本の倫理』(https://utsukushii‐nihon.themedia.jp/)などがある。

操縦席からの回顧録
~大いなる空へ夢を乗せて~
手記:井上 正利(監修:芦川 淳)

<第19回>ボーイングV107、バートルとは?

写真=陸上自衛隊のV‐107は1966年から2002年までに合計60機が配備・運用された。バートルの愛称で親しまれた大型ヘリである(写真:筆者提供)

  

 札幌の北部方面ヘリコプター隊から木更津の第1ヘリコプター団へ異動となると、早速、私は主力機である大型ヘリコプターV107、通称バートルの機種転換教育を受けることになった。平成元年4月のことである。

 第1ヘリコプター団が凄いと感じたのは、その機種転換のための教育体制がキッチリと整っており、整備のエキスパートである教官や、操縦教育を専門とする教官パイロットが在籍していたことだった。おかげで私は機種転換教育班においてみっちりと約2か月にわたるマンツーマン教育を受けることができた。

 ただ、教育修了まであとわずかというところで体調に異変が起き、朝起きても目の前が真っ暗で立てない状態になったのには参った。あまりの具合の悪さにこれが我が人生の終焉かと思うほどだったが、診断では何と胃潰瘍を患っていた。こんな異変は生まれて初めてであったし、ストレスが溜まっていた記憶もないのだが、やはり何処かで知らずして心の負担を感じていたのだろうか。どうしたものかと心配したが、約一週間の療養後に復帰して教育期間を全うできたのが幸いであった。

 ちなみに、このバートルという機体は・・・一言でいうならば鈍感。最初に驚いたのは、操縦席とエンジンがかなり離れているため、エンジン着火時の雰囲気がUH1とはまったく違ったことだった。UH1では、エンジンスタートボタンを押してエキサイター(点火栓)が作動すると、燃料に火花が着火する際に鈍くボーンという燃焼音を感じるのだが、バートルではそれが分からず、これが大型機なのだと実感したものだ。慣れてくると、エンジンが着火した際の微かな振動が操縦桿とお尻に伝わるのを感じ取れるが、当初はエンジンルームカバーを閉じていると、まったくというぐらいエンジン始動音を聞き分けられなかった。

 また、バートルのローターはタンデム式なのでテールローターは存在しない。方向変換は、全て前後ローターのピッチ角を変動させて行うため、ラダー(方向舵)をほとんど踏まなくても安定して旋回できる機体であった。旋回時でも傾斜計を見るとボールがどっしりと中央に居座り、まるで動かないようにも感じるヘリだった。右旋回しようと思って操縦桿を右に倒しても旋回が始まらず、さらに傾けるとお釣りが来て一気にドドドーッと大きな旋回に入ってしまう。

 操縦桿をちょうどいい塩梅で倒して待つと良い旋回角度がキープできる。とにかくレスポンスが遅いので、何にしても、少し待つくらいの気持ちで操縦しないと大きなお釣りが来てしまうのだ。その鈍感さに慣れるまでが大変で、小型ヘリでやるような急発進操作と

かはまったく不向きであり、

バスを運転するようにおっとりと操作すると良いと認識していた。輸送用機体なので、やはりのんびりと飛ばす感じが良いのだろう。

 緊急操作についてもバートルは特殊だった。当時、陸自のヘリコプターでは唯一の双発エンジンであっただけに安定感は抜群であったが、当然ながらエンジン数が多ければ緊急操作手順は比例して増える。着陸装置は一般的なスキッドではなくボギータイヤなので、重荷重状態でエンジンが1発停止に陥った場合は滑走着陸をやらなくてはならないルールになっていた。

 もしこのときに通常の手順通りに進入・着陸すると、重量過多のためエンジンの負荷限界を超えてしまう。そこでエンジンに極力負荷をかけないよう、進入パス角を固定翼機のように浅くし、地面効果の浮力を活用して滑走着陸するのだ。この方式での緊急操作では対気速度65ノット毎時で進入し、30ノットでメインギアを接地させて滑走する技が必要であったが、私はこの課目がまるで固定翼機の気分になれて大好きだった。

 大好きといえば、第1ヘリ団の任務の中に定期便というのがあって、陸上自衛隊の部内移動や輸送を支援するための定期フライトがあった。木更津を起点に西行き(九州方面)と北行き(北海道方面)があり、だいたい1週間くらいかけて往復する。お蔭で色々な地方(滑走路でなくヘリポートにも着陸する)へ行くことができ、美味しい食べ物やお酒が飲めて本当に幸せで楽しかった。低高度(約3000フィート以下くらい)でのフライトがメインのヘリコプターだから、どこに行くにしても運航は天候に大きく左右される。悪天が続けば数日に渡って釘付けになることもあり、この自然の成り行きに任せる感じが良かった。(つづく)


井上正利(いのうえまさとし)少工校20期生。

 陸自では希少な固定翼機操縦士として緊急患者空輸等で活躍(総飛行時間4967時間)、現在は航空会社の那覇営業所長と安全推進室長を兼任

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