自衛隊ニュース
ギャリソンゲームズで日米の絆深まる
<滝ヶ原駐屯地>
写真=混成チームでジェスチャーゲーム
滝ヶ原駐屯地(司令・高橋誠1陸佐)は、5月12日に滝ヶ原駐屯地及び米海兵隊キャンプ富士において「ギャリソンゲームズ2026」を開催した。
本行事は、令和7年2月に、キャンプ富士司令官ウェルボーン大佐より、「富士地区駐屯地とキャンプ富士に所属する隊員間の絆を深めてもらいたい」との思いから、軍事スキル等を含めたスポーツイベントを企画し、令和7年7月10日に第1回大会が開催され、第2回の今大会は滝ヶ原駐屯地及びキャンプ富士の共同での開催となった。
本イベントは、富士地区の5個駐屯地(滝ヶ原、富士、北富士、駒門、板妻)とキャンプ富士から各40名の選手が、交戦装置(バトラー)を使用した《分隊バトルロワイヤル》、ボート運搬や担架搬送などでタイムを競う《耐久力チャレンジ》、キャンプ富士内の施設を活用した《情報収集》や《接近、潜入》など、全8つの競技で各駐屯地の威信をかけて競い合った。
中でも《障害走》は最高潮の盛り上がりを見せ、約2mの囲壁や、鉄棒、丸太障害などが待ち受ける非常に強度の高い障害走路を、出走隊員は懸命に走破し、会場は熱狂に包まれた。
最終結果は、駒門駐屯地が総合優勝に輝きトロフィーを手にした。
閉会セレモニーにおいて滝ヶ原駐屯地司令からは「熱い戦いをありがとう。日米の協力を発展させていけるよう、ここにいる隊員諸官が今後も力を併せて頑張っていこう」と語り、キャンプ富士司令官ウェルボーン大佐からは、「日米同盟が息づく様子を目の前で見られて非常に素晴らしい気持ち。我々海兵隊員は、この日本という国で同盟国として勤務できることを非常に誇りに思っている。次回以降も本イベントを通じて日米間の団結を強化していけることを楽しみにしている」と語った。
人の評価と挨拶との関係
在ブラジル防衛駐在官 淺田 健
ブラジルに来て2カ月目に入りました。ブラジルの運輸局による車の名義書換承認待ちのため、前任者から購入した車は家の車庫に眠ったままで乗ることができません。このため日々の通勤や買い物は、UBERと呼ばれる配車サービスを利用しています。これは、日本(勤務地だった小倉、富士、大津、伊丹)では全く馴染みのなかった、タクシーとは似て非なる、配車アプリによるライドシェアの交通手段です。アプリで目的地を入力すると、自家用車で送迎する乗車位置近くのドライバーが自動でマッチングされ、キャッシュレス決済で乗車できる便利なものです。しかも悔しいことですが、乗車の都度、下手なポルトガル語で冷や汗をかきながら行き先を伝えるストレスがなく乗車できます。
このUBER、利用後に運転手を評価することがアプリ上で求められます。ブラジルに赴任後ほぼ毎日これまで数十回利用し、アプリに標示される運転手の評価(日本のグルメサイトのような、星の数による5段階評価)を何気なく見ていますと、挨拶の丁寧な運転手は星が多いとの相関関係に気付きました。アプリ自体の評価の基準や過程はわかりませんが、やはり挨拶は万国共通、人間関係の基本なんだなぁと改めて思う次第です。
さて現在、3・4月の定期異動があり日本各地で新しい人間関係が始まっていることでしょう。また新隊員や1学年として入隊入校しそれまで見知らぬ人だった同期生との集団生活、また班長・班付、指導官・教官・助教、区隊長・付教官あるいは対番との師弟関係が始まり、習ったばかりの敬礼をぎこちなく行っている姿が想起されます。しかしどうか新入隊員・新入生の皆さん、また彼らを受け入れ導く先達には、立場の上下はさておき相手への敬意・感謝をこめて挨拶して、教育修了後も続く爽やかな人間関係を築いて頂きたいと願います。それではTchau Tchau(じゃあね)Ate logo(ではまた)。
読史随感<第197回>
神田 淳
すばらしい中村天風の教え
中村天風(1876‐1968)は明治・大正・昭和を生きた著名な自己啓発思想家、実践家である。若い頃奔馬性結核を発病して苦しみ、インドでのヨーガ修行を経て病を克服。実業界で活躍したが、43歳の頃より、ヨーガ修行の体験をもとにして、人の生きる道を説く講演活動を始めた。後に「心身統一法」として体系化される中村天風の教えーー積極的な心を持ち続け、肯定的な言葉を使い、幸福な人生を切り開くーーは多くの人々に共感をもって受け入れられた。
中村天風の教えを受けてこれを実践し、成功の人生を歩んだ人は多い。横綱双葉山は天風に学び、精神統一や心のあり方に強い影響を受けたといわれる。経営者松下幸之助と稲盛和夫は天風思想の実践者であり、また小説家宇野千代、歌手美空ひばりは、天風の教えを精神的な支えにしていたといわれる。最近では、テニスの松岡修造は積極的な生き方を天風に学んだと言い、野球の大谷翔平は天風の著作を愛読し、絶対積極の心のあり方をルーティンに取り入れているといわれる。
天風は、人間の心のあり方が結局人生を支配するゆえ、人はどのような時でも積極的な心を持ち続けなければならない、と説く。これが天風の教えの根本である。積極的な心とは、明るい心、朗らかな心、勇気ある心、正しく、清く、尊く、強い心のこと。逆に消極的な心とは、心配癖、取り越し苦労、悲観、恐怖、不平不満、悲しみ、怒り、煩悶、怨みなど。
事がうまくいかず、思いが叶わなければ悩み、先のことを心配し、病気になれば不安になる。これは当たり前のことだと人は言うだろう。しかし、天風はこれを消極的な心であると言う。どんな状況に直面しても、慌てず、恐れず、虚心平気、平然自若としていつもと同じように対処する心、いわば絶対積極の心を持ち続けることが重要であると説く。そしてその心は、明るく、強く、正しく、尊く生きようとする心である。このような積極的な心をもって生活するとき、健康は増進し、人生は好転するという。
天風は、積極的な心をいかにして持ち続けることができるか、その実践的方法を説いている。まず、日常、積極的な言葉を使い、消極的な言葉は使わないようにする。泣き言や弱音は口にせず、恐怖の表現や悲観的な言葉、怒りの言葉は使わない。いつも明朗に、楽しい言葉を使い、明るい希望を口にし、溌剌颯爽たる言語生活を心がける。怒りや心配といった消極的な言葉は消極的暗示となって、人生に良くない結果をもたらし、明るい、希望に満ちた言葉を使っていると積極的暗示となって、良い結果をもたらすという。
天風は、「怒らず、恐れず、悲しまず」の三勿と、「正直、親切、愉快」の三行を唱えて、実践することを勧めている。たとえ病のときでも、心配事や怒りや悲しみのあるときでも、今日も生きられてうれしい、ありがたい、楽しい、と発する言葉だけは積極的なものにする。そうすると不思議に心は本当に積極的となり、運命は好転していくという。
そして、天風は感謝の言葉を発することの重要性を説く。ものの見方を自己主義から超越させて広くものを見るようにすれば、自分の恵まれていることに気づき、自然に感謝の心が湧いてくるという。感謝という行為こそ、人生を最も美しく尊くする理想的生活の基盤であると天風は言う。
次回、もう少し詳しく天風哲学を論じてみよう。(令和8年6月1日)
神田 淳(かんだすなお)
元高知工科大学客員教授。著作に『すばらしい昔の日本人』(文芸社)、『持続可能文明の創造』(エネルギーフォーラム社)、『美しい日本の倫理』(https://utsukushii‐nihon.themedia.jp/)などがある。
操縦席からの回顧録
~大いなる空へ夢を乗せて~
手記:井上 正利(監修:芦川 淳)
<第16回>ヘリ操縦の原点「UH1」との出逢い
写真=UH-1HはUH-1Bよりキャビンサイズが大きいため重心が後方に寄っており、そのせいでほんの僅かだけ前方に向けて機体が上向いている(写真:芦川淳)
初任地にある北海道での勤務では、UH-1B型機で副操縦士としての基礎練成訓練を受けつつ、少し大きめの中型ヘリコプターUH-1H型機への機種転換教育も併せて受けた。前話の続きとして機体についての感想にも軽く触れておきたい。
UH-1Bは昭和37年(1962年)に陸上自衛隊が導入した機体だが、その当時は米軍にならってHU-1と呼称されていた。HUとは「ヘリコプター・ユーティリティ」(汎用ヘリ)の略である。このヘリコプターの米軍での通称にはイロコイスという名もあったが、いつ頃からか「ヒューイ」の愛称も使われていた。元になったHU-1の数字の「1」がアルフェベットの「I」に見えたことからそう呼んでいたようで、陸上自衛隊でもヒューイと呼んでいた。もっとも米軍は1962年に命名規則を変更、形式番号の略字を用途→機種という形に統一し、HU-1をUH-1にひっくり返した。日本ではだいぶ遅れて1992年になってHUからUHへと並びを変えた経緯がある。
UH-1BとUH-1Hの大きな違いは、最大搭乗人員数がUH-1Bの9名に対してUH-1Hは13名と増加したことだ。エンジンもUH-1Hのパワーのほうが大きく40%ほど向上している。UH-1BとUH-1Hとでは、コックピットからの視線が少し異なっていて、UH-1Bの操縦席床面は地面と水平だが、UH-1Hではわずかに登り傾斜となっていた。
これはなぜかというと、積載能力の拡大を狙って胴体のカーゴスペースをUH-1Bより約1・5m延長したことでローターマストの位置がやや後方に寄り、そのぶん重心位置が後方へ移動したからだ。このため地上設置時とホバリング時のパイロットの姿勢はやや上向きとなった。それでも操縦特性的にはB型に比べ大きな違和感もなく、エンジンパワーが増えたぶん安定感も増して操縦はし易かったと思う。
ちなみにヘリコプターは、エンジンがアウトになった際に安全な不時着を行う「オート・ローテーション」という操縦技術がある。ローターを空転させて、そこで自然発生した揚力を利用しつつ降下速度を減衰させるテクニックなのだが、このオートロの操作はUH-1BよりUH-1Hのほうが断然容易であった。オートロで降下中、最初にローター・ブレードの迎え角を変化させるイニシャルピッチという操作をすると、UH-1Hでは一瞬、ググっと空中に止まったような急減速感があった。UH-1Bはその感覚が非常に薄く、安全係数が高まるという点でUH-1Hの挙動は私としては良い印象を持っていた。
さて、初任地・北海道での話はこれくらいにして時計の針を先に進めよう。昭和63年(1988年)10月、私は福岡県久留米市の前川原駐屯地にある陸上自衛隊幹部候補生学校に入校した。FEC(陸曹航空操縦学生)修了者は、まずは卒業後に第一線の航空部隊に配属され、その部隊での勤務を通して幹部としての資質に問題がなければ、およそ2年後には全員が自動的に幹部候補生学校へと送られる。一人前のパイロットならばすべからく幹部(いわゆる士官)になるというわけである。
「幹候校(かんこう)」や「久留米」の名で知られる幹部候補生学校では、陸上自衛隊の幹部たる資質や指揮官としてのリーダーシップなどを厳しく鍛えられる。それをクリアできれば卒業と同時に晴れて初級幹部(=3等陸尉)として任官する。幹部になれば、幹部航空操縦士としての資格が付与され、やっと人事上の扱いが一人前となる。しかし幹部自衛官になるためには、幹部候補生学校でのそれはそれは厳しい教育を避けては通れない。
有名な『トップガン』の雛形にもなったという昔の映画で「愛と青春の旅立ち」というのがあったが、あの映画のなかの米海軍兵学校の世界がまさにそうだ。幹部候補生学校では、職種とは関係なく同じ軍種の幹部候補生が集まり、初級幹部としての基礎知識を学び、厳しい体力練成を行い、強い精神力を養い、次のステップを前に厳格に鍛えられる。
これを一言で表現するなら「2度と来たくない!」だろうか。我々FEC出身者は部隊経験者なので約6か月の入校期間で済むが、一般大学から自衛隊に入隊した一般幹部候補生は、基礎の基礎から自衛官生活をスタートするため卒業までに1年以上もの長い教育期間があるから大変だ。我々の仲間内では幹候校を指して「久留米には2度とクルメエ~!」と言うほどで、それはたぶん防衛大卒も含めてどの幹部も似たような思いのはずだ。(つづく)
井上正利(いのうえまさとし)少工校20期生。
陸自では希少な固定翼機操縦士として緊急患者空輸等で活躍(総飛行時間4967時間)、現在は航空会社の那覇営業所長と安全推進室長を兼任