自衛隊ニュース
防衛省・自衛隊
地方協力本部
訓練見学ツアーを
中高生らに<愛知>
写真=V‐22オスプレイを見学
愛知地方協力本部(本部長・丸尾寿明1陸佐)は1月24、25の両日、南海トラフ巨大地震を想定した災害対処訓練「07南海レスキュー」に関連した募集広報ツアーに参加した。
参加者はコースごとに分かれ海上輸送・物資輸送・被災者輸送・体験喫食(戦闘糧食)・生活支援の現場を見学・体験。「いざという時に人を支える仕事」を身近に感じた。
輸送が単に「運ぶ」だけではなく、被災地復興の初動を支えるために海上と航空の力そして、陸での生活支援がつながっていることを分かりやすく学べた。
参加者からは「採用試験を受けて災害派遣に貢献してみたい」、「誰かの役に立つ仕事に従事したい」といった前向きな声も聞かれ、進路選択を考えてもらうきっかけにもなった。戦闘糧食の体験喫食でも自衛官しか食べられない食事を自分で温めて食べる、という貴重な体験ができたことへの喜びの声が聞かれた。
愛知地本は、見学と体験を通じて自衛隊の任務と仕事の具体像が伝わるよう、今後も募集広報を継続していく。
防災授業を<和歌山>
和歌山地方協力本部(本部長・髙岡良一1陸佐)新宮地域事務所(所長・溝尾3陸佐)は2月2日、近畿大学付属新宮高校・中学校(新宮市)で実施された防災授業を支援した。
午前の部に2年生49名、午後の部に同校1年生34名及び担当教員各2名がそれぞれ参加した。
午前の部では、生徒たちは加水型加熱剤の取り扱い要領について講義を受けた後、2グループに分かれ応急担架の作成・患者搬送、ロープワークを行った。応急担架を用いた搬送では、棒がない場合に毛布だけで運ぶ要領やロープワークを応用して患者を固定する要領も実習した。
午後の部では、生徒たちは男女別にグループに分かれ、水害対策として土のう作成・積み上げ方、鉄棒を利用したロープワークの実習を行った。
受講した学たちからは、「ロープと鉄棒を利用して体を固定したり、ぶら下がったり応用する要領を学べて良かった」、「担架で棒があるのとないのでは体感する重さが全然違い、持ち上がらない」、「土のうは作るのも手間だが、きれいに積み上げることで強度が増すと知った」などの感想が聞かれた。
新宮地域事務所は、今後も積極的に防災教育等を支援し募集基盤の拡充につなげていく。
なんば開所<大阪>
大阪地方協力本部(本部長・安田百年陸将補)は中央地区隊が管轄する6個事務所のうちの「ナンバ募集案内所」と「谷九募集案内所」の2個事務所を合併し新たな拠点として「なんば募集案内所」を開所。2月17日、オープニングセレモニーを執り行った。
当日は部外来賓として、大阪市市民局長代理(区政支援室長)をはじめ、自衛隊協力会会長並びに役員、家族会会長の皆様にご臨席いただいた。部内来賓としては近畿中部防衛局企画部長にご出席いただいた。
式典は国歌斉唱に始まり来賓紹介、来賓祝辞と続いた。大阪市民局長代理からは、平素からの募集業務に対する取り組みに対し、深い理解と協力が寄せられていることに触れられ、地域と自衛隊を結ぶ重要な窓口として今後ますますの発展を期待する旨のお言葉を頂いた。
近畿中部防衛局企画部長からは「装備品は年々新しく充実したものとなっているが、それを扱い任務を遂行するのは人であり、人がいなければ真価は発揮できない。だからこそ募集業務は極めて重要であり今後の活動に一層期待している」とのお言葉を頂き、出席者一同、募集任務の使命の重みを改めて認識した。続いて本部長あいさつの後、所員紹介、所長の決意表明が行われた。新所長は「今回の合併は後退ではなく前進のための決断である。限られた人員と資源を結集し、この地域における募集広報活動をより持続的かつ効果的に進めていくための一歩である。なんば募集案内所を崩れない組織、結果を出し続ける組織として育て上げる覚悟だ。所員一同、地域に深く根ざし、日本の未来を担う若者一人ひとりに自衛隊という進路の選択肢を真しに伝えていく」と力強く述べた。
式典後は事務所内の案内・説明を行い、募集対象者相談スペースや所員の執務室、広報展示室を見てもらった。展示室は大阪地本13個事務所の中で唯一設置されたもので、陸海空自衛隊の装備品模型、オートバイ、階級章・防衛記念章パネルを展示している。自衛隊の任務と隊員の歩みを視覚的に伝える空間として、来賓者から高い関心が寄せられた。
合併により流・情報発信力ともに高い「なんば」の立地特性を最大限生かし、これまで以上に効果的かつ魅力ある募集広報が可能になるものと確信している。
多くの方々の理解と協力のもと誕生した「なんば募集案内所」は、地域と自衛隊を結ぶ身近な窓口としての役割を担いながら新たな一歩を温かく、そして力強く踏み出した。
横須賀教へ<千葉>
千葉地方協力本部(本部長・西川和宏1海佐)は2月4日、入隊予定者23名を海上自衛隊横須賀教育隊へ引率した=写真。
施設見学、隊員たちに親しまれている「海上自衛隊カレー」の体験喫食、実際に新隊員を教育している教官たちとの懇談会などが行われた。
施設見学では実際に教育が行われている環境を間近で確認し、入隊後の生活や訓練の様子について具体的な説明を受けた。
懇談会では入隊前に感じている不安や疑問について自由に質問する時間が設けられ、教育内容や生活面、ワークライフバランス等について教官たちから丁寧に返答を受けていた。
入隊予定者からは「不安に思っていたことをすべて質問でき解消できた」、「実際の環境を見ることで入隊後のイメージがわいた」と言った声が聞かれた。
「入隊するのがますます楽しみになった」との声も聞かれ、今回の見学が入隊への理解と意欲を高める良い機会となった。
JR社員と二足わらじ<群馬>
下平翔也予備1士
元々大卒で航空自衛隊に入隊し、高射操作員として約1年勤務していました。
術科学校を卒業していないのでリロードをはじめとした各種訓練をあまり経験していないですが、基地警備訓練やペトリ機材の整備など、普通の社会人では経験できない日常を送り、非常に充実した自衛官生活を送れました。
しかし、幼い頃からの夢だった鉄道マンになりたいという夢を叶えるため、就職活動を行い、JR東日本へ就職しました。駅員としてお客様への切符の発売やお身体の不自由なお客様のご案内、遺失物の取扱いなど、自衛官としての生活とは関わりのない業務を担当しています。
そんな中、ニュース等で自衛隊の活躍が報道されるたびに、私も何か国民の役に立ちたいという感情が再び生まれました。
改めて予備自衛官について調べる中で、予備自衛官補という制度を知り、会社に事情を説明した上で試験を受けました。職場の方々のご理解もあり、順調に予備自訓練補の訓練を終え、予備自衛官に任官することができました。
今では陸上自衛隊での訓練にも慣れ、89式小銃の取扱いなども問題なく出来ています。長きにわたり勤務されてきた先輩方がたくさんいらっしゃるため、部隊での出来事や辛かった訓練の話などを通じて陸上自衛隊への理解を深める良いきっかけとなっています。
お客様の命守る
現在私は駅勤務を卒業して乗務員(車掌)となる研修を続けています。車掌となるとより不規則な勤務体系となるだけでなく実際に電車に乗務してお客様の命を守る役割が大きくなるので、二足のわらじを履いていくことは、大変だと感じています。
ですが、予備自衛官の基地警備訓練で学ぶ状況判断能力や救急法などは乗務員としても生かせると考えております。
これからも予備自衛官の訓練を通じて、乗務員として必要な命を守る、という知見を増やしていきたいと思います。
音楽隊に敬礼っ‼<第31回>
前陸上自衛隊中央音楽隊長 樋口 孝博
想いの詰まった「愛唱歌」
とある師団の音楽隊長になったときのこと。
かっぷくの良い師団長に、緊張の面持ちで申告をしました。「私は、○月△日をもって○○音楽隊長を命ぜられました!」と申し上げると、師団長は即座に「私の悲願の夢は、音楽隊の訓練場を作ることである!」と言われるのです。いきなりのことで私の頭のなかは「??」と浮かぶだけでしたが、頼もしい師団長にひと安心し、その後、ご指摘の古びた木造の合奏場で時を過ごすことになりました。
合奏場と言ってもそれは名ばかりで、トタン造りの倉庫を利用しただけのガランドウ。トイレも仮設が一つでしたので女性隊員はとても苦労していました。もちろん国の施設である訓練場の新設は、待っているだけでは予算がおりません。師団長は、防衛施設の担当者や国会議員が訪れるたびに、わざわざ朽ち果てる寸前の合奏場へ案内し、「ここにヒビがあって雨漏りする」「ここは広報史料館であり、音楽隊独自の訓練場ではない」と、熱弁してくださったのですが簡単に財務が動くわけはありません。師団長ご自身、親御さんを介護しながら激務に耐え、音楽隊にまで目を向けてくださったその想いには感謝の念に耐えませんでした。
話は変わりますが、自衛隊には隊員の士気と団結を高めるために「愛唱歌」や「隊歌」と呼ばれる曲が数多くあります。なかでも古関裕而作曲の《この国は》や、《君のその手で》という歌は、愛唱歌の名作と言えるでしょう。この師団長は、海上音楽隊の幹部であった岩下章二作曲の《ひそかな祈り》という愛唱歌が、たいそうお気に入りでした。「平和の陰に汗を流す、若者たちのいることが…」という、父の気持ちを子に諭す自衛官の心の内を歌ったもので、師団のテーマ曲としてコンサートのたびに演奏したものです。師団長ご自身にも、定期演奏会で歌っていただきましたが、客席の中央で巨体を一回転させながら歌う姿はなんとも微笑ましいものでした。
あるとき、師団長の奥さまが「不慮の事故で亡くなられた」と耳にしました。数日後、小さな公民館で葬儀が執り行わたのですが、「音楽隊が生の演奏でお手伝いをします」と申しても、師団長は「私的なことなので遠慮する」の一点張りです。しかし、奥さまも好きであった《ひそかな祈り》だけはCDの音で流して欲しい、と申されました。
当日の、まだ誰もいない式場で、私がステレオの前にしゃがんで音量をチェックしているときでした。人影に振り向くと、そこには制服を着た師団長が立っておられるのです。そして信じられないことに、すすり泣きながら「ありがとう…」と、何度もおっしゃるのです。御夫婦ともに想い入れのあったこの愛唱歌を耳にすると、今でもそのときの立ち姿が思い出されます。
その後、新しく着任した師団長は、「誰もが口にできる、新しい愛唱歌を作ってくれ」と発言されました。広く募集された歌詞に音楽隊が曲をつけ、プロの歌手が歌ったCDまでが作られて隊員への普及に努めたのです。「愛唱歌で、心をひとつにする」という新師団長の想いが功を奏し、やっと多くの隊員たちが口ずさみ始めたその矢先、この「師団」は「旅団」に改編されました。想いの詰まった「師団愛唱歌」は消滅してしまい、新たに「旅団愛唱歌」が作られたことでしょう。
さて、音楽隊の訓練場はその後どうなったかというと、前師団長の意向を踏まえて修繕費用だけは捻出され、これまた朽ち果てる寸前の古い武道場を改修して、新たな合奏場が作られました。それからすでに30年以上も経ちますが、今も音楽隊独自の訓練場は新設されていません。「想い」というものは、ひたすら想い続けていかなければ、なかなか人は動いてくれないものです。ましてや、想い続けていたとしても、途中で途切れてしまうことすらあるのです。
【編集部より】
「音楽隊に敬礼っ‼」は、今号の第31回を持ちまして休載させて頂きます。