自衛隊ニュース

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応急給食(野外炊飯)訓練

<第6航空団>

写真=炊事車調理を行う給食小隊員


 小松基地(基地司令・野村信一空将補)給食小隊は、7月31日、同基地整備格納庫横において応急給食訓練を実施し、普段は業務等の都合で食堂において喫食できない第6航空団整備補給群隊員に出来立ての食事を提供した。

 第6航空団は日本海側に位置する唯一の戦闘機部隊で、整備補給群は昼夜を問わずF15やF35戦闘機等の整備や補給を行っている重要な部隊である。当日は、気温約33度、湿度70%と暑い中、給食小隊の藤田2曹以下5名の隊員は、車両に食材及び調理器具等を積載の後、炊事車を牽引して訓練場所に展開し訓練を開始した。訓練参加者は日頃の訓練成果を発揮し、2時間かけて約120名分の炊飯(石川県産のゆめみずほ)、能登豚カレーにトッピング用の夏野菜の素揚げを作成した。

 その後、格納庫内に設置した臨時食堂で配膳を開始。喫食した隊員は、「出来立ての能登豚カレーは、格別の味で活力が沸いた。調理してくれた給養員に感謝するとともに、6空団所属隊員として誇りを持ち、今後も戦闘機の整備に従事していきたい」と述べた。

 本訓練を計画した佐藤3曹は、「炊事車は令和6年能登半島地震における災害派遣時の給食支援活動を支えた重要な装備品であり、今後も各種防災訓練への参加や計画的な訓練により応急給食(野外炊飯)能力の向上を図っていきたい」と述べた。

読史随感<第206回>
神田 淳

現代アメリカをどう見るか

 トランプ大統領は、今までのアメリカ大統領とかなり違っている。同盟関係にあり、価値観を共有している西欧諸国を侮蔑するような言動を繰り返す。カナダ首相を州知事と呼んだり、カナダは米国の51番目の州になるべきだと言ったりする。G7サミット後、イタリアのメローニ首相が私と写真を撮ってくれと懇願した、と述べた。メローニ首相は反発し、トランプ氏の発言は完全な作り話だ、私もイタリアも誰かに懇願したりはしない、と述べた。一方、トランプ氏は北朝鮮の金正恩については、自分とは非常に良い関係だと述べ、好意的に発言している。氏は独裁を好み、民主主義や自由といった西欧的価値を全く持たない人のように思える。

 識者はトランプが変わっているのではなく、アメリカが変わってしまったのだと言う。著名な歴史人口学者エマニエル・トッド氏は言う。米国はもはや自由民主主義国家ではない。一つの帝国システムと化している。そしてアメリカ帝国は崩壊しつつある。米国政権幹部の下品で暴力的な言動がアメリカ文明の衰退をまざまざと物語っている、と。また、ワシントンで30年以上米国政治を観察してきた伊藤貫氏は言う。米国エリート層は、道徳規範の基盤を失ってカネとパワーの獲得に狂騒し、内政でも外交でも、落ち着いた政策を実行する思考力を失っている。ワシントンにいる米国人は、ユーティリタリアニズム(功利主義)やマテリアリズム(物質主義・拝金主義)、ヘゲモニズム(覇権主義)の信奉者ばかりです、と。

 アメリカは変わり、よきアメリカはもうなくなったのだろうか。日本は開国以来、アメリカをよき文明国と認識し、アメリカから多くを学んできた。日露戦争講和の仲介もアメリカに頼むことができた。しかしアメリカは日本を次第に敵視するようになり、ついに日米戦争に突入、そして敗戦。原爆も落とされたが、日本は戦後アメリカを非難することはほとんどなかった。日本人はどこかアメリカを国として信頼するところがあったと思う。勿論、国民の一定割合に反米感情があったが、それがマジョリティの国民感情となることはなかった。戦後占領統治が終わり、国際社会に復帰したときもアメリカに対する信頼感があった。戦後の日本は経済、文化ともにアメリカ化が進んだ。

 文明史的にみると、アメリカ文明は近代の主流となったアングロサクソン文明の先端である。英語が世界語になったことが、アングロサクソン文明の世界支配を象徴する。イギリスは近代議会制民主主義を生み、近代科学を生み、産業革命を起こし、強い近代社会を実現した。19世紀、世界はイギリスの力による国際秩序(パックス・ブリタニカ)が実現していた。20世紀初めから今日まで、イギリスを継承したアメリカの力による国際秩序(パックス・アメリカーナ)の時代だが、現在アメリカの力が減退し、パックス・アメリカーナはもう終わったのかもしれない。

 アメリカをどう見るかということは、日本の生き方に深く関係する。戦前、英米主体の世界平和を排す、という思想の持主だった近衛文麿首相は、日本の進路の舵取りに失敗した。また、日本はドイツと同盟して英米と敵対し失敗したが、日本の軍部はアングロサクソンの真の力を理解する能力がなかった。

 アメリカは変わってしまったのか、それはわからない。しかし、アメリカの力が減退し、世界の力の多極化が進んでいることは確かなようである。日本の防衛/安全保障は日米同盟を堅持しつつも、アメリカだけに依存することのない現実的な体制をしっかり作り上げておかなければならない。

(令和8年10月15日)


神田 淳(かんだすなお)

 元高知工科大学客員教授。著作に『すばらしい昔の日本人』(文芸社)、『持続可能文明の創造』(エネルギーフォーラム社)、『美しい日本の倫理』(https://utsukushii‐nihon.themedia.jp/)などがある。

操縦席からの回顧録
~大いなる空へ夢を乗せて~
手記:井上 正利(監修:芦川 淳)

<第25回>金の玉曰く、汝あせるべからず!

写真=筆者とKM‐2。退官を前に小月基地での同期会(VB0303)でのワンカット


 前回は、固定翼機への機種転換課程中に股間の激痛をともなう「急性睾丸捻転」で緊急手術となり、入院したことで2週間をロスした話に触れた。この間、他の学生たちはシミュレーター訓練を20hほど積み上げる一方で、私は病院のベッドの上でKM2のコックピット拡大写真を見ながら、エンジンの始動手順や基本操作をイメージトレーニングするしかなかった。早く飛行訓練に参加したい身としては非常にもどかしい時間であった。

 やっと退院してからは、仲間に遅れないよう必死に努力し、陸自から海自へ出向している中俣教官の助力もあって無事になんとか追いつくことができた。教官はマンツーマンで私の補習に付き合ってくれて、特にエンジンの始動・停止手順や各課目の要領についてミッチリと教えてくれた。これには本当に感謝している。

 木更津を後にして約3か月、平成3年の6月位から、いよいよ期待していた海自での飛行訓練が始まった。小月での教育は、学生2人に対し海自の教官1人という体制で、形式的には陸自と同じ方式であったが、海自教官の飛行前後のブリーフィングはかなり熱かったのをよく記憶している。非常に危険な操作、判断等をした時などに手渡されるピンクカードを受け取る学生も多く、全体がピリピリとした雰囲気だった。

 このピンクカードを2枚もらった場合、審査官から査定を受けて教育を継続するか断念するかを見極めてもらうことになる。パイロットとしての資質を吟味されるわけだからいわば人生を左右するカードなのだが、このカードには「なぜそうなったのか」を分析して次回に活かすことが出来るかという問いも含まれている。これをもらっても過度に委縮せず、しっかりと対応できれば問題ない。ちなみに我々陸自学生は課程期間中に一度もピンクカードは受け取らなかった。理由は簡単である、ヘリコプターの現役パイロットでもあり、一人もカードを渡されるような操作・判断をしなかったからだ。

 飛行訓練では、まず機長として実施しなければならない出発前の確認事項から徹底的にしこまれる。その内容は当日の天候調査から始まり、航空機の状態、NOTAMなどのチェック、本日の訓練課目の実施要領など多岐に渡る。学生はフライト毎に担当教官にこれら全てを説明し、続いて訓練課目内容の詳細、手順、目標や着眼点などを口頭で説明していく。それから一人で機体の飛行前点検を済ませ、教官が到着したら改めて一緒に点検を行う。ここで学ぶのはソロフライトまでの基本動作の徹底だ。

 ちなみに練習機のKM2は、当時の海上自衛隊が運用していた初等練習機である。製造は富士重工業で、2人乗りのT34メンター(空自の初等練習機)を4人乗りに改造したので「KAIZOU」と「MENTOR」のそれぞれの頭文字から取ってKM2となった。海自の機体では唯一の単発レシプロエンジンの小型プロペラ機であった。

 ヘリコプター操縦を学ぶ際には先ずホバリングを徹底的に叩き込まれたが、固定翼は離着陸を繰り返す訓練から始まる。向かい風、斜め横風、真横の風と日毎に気象は変化するが、その日の風向風速に応じて安全確実に離着陸が出来れば良い訳である。この離着陸訓練(俗にタッチアンドゴーと言う)を20時間目のソロフライト・チェックまで徹底して飛びまくる。特に技術を要するのが横風成分での進入・着陸操作で、クラブ(カニのように横ばいするように飛行)やウイングロー(翼を風上側に傾けて、流されないようにする技法)を併用することが一番難しくて苦労した。

 管制塔から離陸許可を得てスロットルレバーを推力MAXに・・・このときフットブレーキを踏ん張って機体を停止させているが、踏みが甘いと機体がゆるゆると動いてしまう。そうすると教官に怒鳴られる。そしてフットブレーキをリリースすると、KM2は勢いよく加速しながら滑走を始める。教官は、時には厳しく、また時には一緒に実践しながら適時適切なアドバイスをくれる。しかしモノにするのは自分である。頑張って要領・コツをつかむしかない・・・。

 また着陸は、離陸と異なり、その日の気象や機体のコンデション、自操作によって毎回結果が異なる。実に奥の深い技術を要するものと痛感させられたが、またそこに一番惹かれたように思う。実際に、その後の長い現役パイロット生活のなかでも、本当に「よし、ナイスランディング!」と思えたのは数える程しかない。

(つづく)

 

井上正利(いのうえまさとし)少工校20期生。

 陸自では希少な固定翼機操縦士として緊急患者空輸等で活躍(総飛行時間4967時間)、現在は航空会社の那覇営業所長と安全推進室長を兼任

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