自衛隊ニュース

ゲッキーのイラスト

兄弟姉妹で歩む自衛官への道
熊谷で育むそれぞれの志

写真=手前から兄の宮城隼人自衛官候補生・妹の美涼一般空曹候補生(2空士)、双子の田羽田かすみ・帆乃佳一般空曹候補生(2空士)、姉の相馬慈佳一般空曹候補生(2空士)・妹の心佳乃一般空曹候補生(2空士)


 今春4月、航空教育隊(熊谷)に入隊した隊員の中に、兄妹、姉妹、そして双子で同じ道を志した3組の姿があった。家族という身近な存在を励みにしながら、それぞれが自衛隊員としての第一歩を踏み出した。

 兄の宮城隼人自衛官候補生は「兄として妹の相談に乗りながら励まし合い、切磋琢磨できていると感じています」と語る。妹の美涼(みすず)一般空曹候補生(2等空士)も「兄に負けないよう、毎日の訓練を頑張っています」と笑顔を見せ、お互いの存在が大きな心の支えとなっている様子がうかがえる。

 双子の田羽田(たばた)かすみ、帆乃佳一般空曹候補生(2等空士)は、5歳年上の陸上自衛官の兄に憧れ、自らも同じ道を選んだ。「兄への憧れがきっかけでした」「兄妹3人で目標に向かって努力していきたい」と語り、国民や仲間から信頼される自衛官を目指している。

 姉の相馬慈佳(いつか)一般空曹候補生(2等空士)は「必要な知識をしっかり身につけ、胸を張って『自衛官です』と言えるようになりたい」と意気込みを語る。妹の心佳乃(みかの)一般空曹候補生(2等空士)は、「姉と一緒に頑張れる安心感があります。互いに支え合いながら成長したい」と話し、日々の訓練に真剣に向き合っている。

 教育の場では兄妹姉妹であっても特別扱いはしない。全員が一人の隊員として厳しい規律のもとで、自らの課題に向き合いながらに日々の訓練に励んでいる。そうした環境の中で、身近に家族がいることは安心感のみならず、お互いを高め合う力、そして責任感や

誇りを育む力となっている。

 暑い熊谷の空の下、それぞれの志を胸に歩み続ける若き隊員たち、兄妹姉妹の絆を自身を高める力に変えながら、一人の自衛官として成長していくその姿に、これからの活躍が大いに期待される。

中部航空方面隊ベーシックスキル競技会

写真=負傷隊員(人形)を救護 


 3月4日、百里基地(司令・鈴木繁直空将補)で中部航空方面隊ベーシックスキル競技会が開催された。本競技会は、空自初の競技会であり、7空団及び中施隊(3作隊)が競技運営を実施した。競技は、学科の部、実技の部、総合の部に分かれ、中空内の5チーム(6空団、7空団、中警団、中高群、中空混成)で行われた。実技の部は、警備、衛生、消防の3種目が行われ、各種目における手順の確実性や迅速性等が評価される。各チームの代表は、練成成果を遺憾なく発揮し、会場は熱気溢れる盛り上がりとなった。

 実技の部の競技内容は次のとおり。

 警備:航空機に接触する様々な不審者等に対し、それを警備する選手が状況に即して対応する。

 衛生:被害状況下における負傷隊員(医療人形)を選手が救護する。

 消防:屋外消火栓に選手がホースを接続し、火災想定箇所に放水する。

 学科の部は、警備、衛生、消防の知識事項を学科試験により評価する。

 総合の部は、実技成績、学科成績、各チームのベーシックスキル隊員養成数を総合的に評価する。

 7空団からは、実技の部に13名の選手が参加し、警備で優勝、衛生でも優勝、消防は第3位、総合の部で第3位を見事獲得した。

読史随感<第198回>
神田 淳

すばらしい中村天風の教え(2)

 中村天風は、当時死病といわれた結核の身を冒して、人生何たるかの答えを求めて欧米を遍歴し、最後にインドのヨーガの聖者カリアッパ師に出会い、ヒマラヤの山麓で修業し、思索を重ね、悟りを得た。

 人間をはじめ、生きとし生けるものが、すべての自然現象を含め、大宇宙の根源の力からつくり出されている。それは、宇宙の生成と変化、一切の生命活動を行う根源の力であり、エネルギーである。すなわち、宇宙の根本主体であり、宇宙霊である。宇宙は根本主体の力によって、絶えることなく進化し向上している。人の生命は宇宙の根本主体(宇宙霊)の分派である。根本主体(宇宙霊)の働きである宇宙の心は、進化向上を現実化する絶対的な積極性である。人は積極的な心で生きれば必ず充実した幸福な人生を送ることができる。人はこの世の中の進化と向上を実現する厳粛な使命をもって生まれてきたと考えてよい。

 以上が天風の悟りであり、天風哲学の要点であるが、天風はこれを哲学的知識にとどめず、実践的方法を研究して体系化した。

 実践論としてまず、観念要素の更改を説く。人は潜在意識が、怒り、心配、恐れ、悲しみ、不平不満などの消極的観念で満たされていると、意識的に積極的な心を持とうとしても、なかなかできない。積極的な心とは、明朗、勇気、希望、歓び、強い信念など。天風は、心を積極的観念で満たす方法として、暗示法を提案する。連想暗示法は、暗示感受性の最も強くなる就寝直前と朝起きた時に積極的な思いを意識的に抱く。布団に入ったら消極的な思いは一切やめ、楽しいことのみを思い、眠りにつく。朝起きたら、今日は良いことが起きると意識的に思う。思うだけでなく、「今日は良いことが起きる」と口に出す。これが暗示となって潜在意識に浸透し、心は積極的になる。口に出して言う暗示法は、命令暗示法であり、断定暗示法でもある。命令暗示法は、自分に向かって積極的な心のあり方、例えば、「お前は信念が強くなる」といった言葉を叩き込む。断定暗示法は、「私は信念が強い」と言葉で断定する。これを続けると暗示が浸透して信念の強い人間になる。天風はまた、日常積極的な言葉を使うこと、いかなる時でも消極的な言葉を発しないこと、自分の考えていることが積極的であるか反省すること、人との交流においても常に明るい朗らかな態度で接することを説く。そして天風は、心を積極化する上で、正義の実行の重要性を説く。正義とは自分自身の本心良心に悖らないこと。自分の心にやましい思いがあると心は消極的になる。正義を実行しているとの思いは、強い積極的な安心立命の境地をもたらす。

 天風はまた、自分の悟りを誦句にして人々に説く。「およそ宇宙の神霊は、人間の感謝と歓喜という感情でその通路を開かれると同時に、人の生命の上にほとばしり出ようと待ち構えている。だから平素できるだけ何ごとに対しても、感謝と歓喜の感情をより多くもてば、宇宙霊の与えたまう最高のものを受け取ることができるのである。かるが故に、どんな事があっても、私は喜びだ、感謝だ、笑いだ、雀躍りだと、勇ましく溌剌とした人生の一切に勇往邁進しよう。」、「私は今後かりそめにも、吾が舌に悪を語らせまい。否、一々吾が言葉に注意しよう。同時に今後私はもはや自分の境遇や仕事を、消極的な言語や、悲観的の言語で、批判する様な言葉は使うまい。終始、楽観と歓喜と希望と溌剌たる勇気と、平和に満ちた言葉でのみ活きよう。そして宇宙霊の有する無限の力をわが生命に受け入れて、その無限の力で自分の人生を建設しよう。」

 天風の唱えた代表的な誦句である。

(令和8年6月15日)

  

神田 淳(かんだすなお)

 元高知工科大学客員教授。著作に『すばらしい昔の日本人』(文芸社)、『持続可能文明の創造』(エネルギーフォーラム社)、『美しい日本の倫理』(https://utsukushii‐nihon.themedia.jp/)などがある。

操縦席からの回顧録
~大いなる空へ夢を乗せて~
手記:井上 正利(監修:芦川 淳)

<第17回>極限状態で自分を認識できた学び舎

写真=福岡県久留米市の前川原駐屯地に置かれる陸上自衛隊幹部候補生学校。すべての幹部候補生が通る道であり避けては通れない場所だ(写真:芦川 淳)


 私が飛行職の幹部候補生として幹候校に入校したのは、昭和63年10月のことだ。どの幹部も「久留米には2度とクルメエ~!」と嘆く幹候校だが、そこでは実に多くのことを学ばせてもらったように思う。陸自幹部のお家芸である戦術基礎、各職種の知識一般、戦術英語、また体力面では高良山登山競争、3級以上を取らないと卒業できない体力検定、武装障害走、そして最後の極めつけが卒業前の戦闘訓練だ。

 完全武装で約100kmを徒歩行軍した後に攻撃へと移行し、霧島演習場の指定地点を制圧するというシナリオだ。小銃や弾薬、雨衣や糧食などを入れた背のうなどを合わせると個人装備は約30kg前後あり、3日間、殆ど寝られない状態で行軍を続ける。

 我々の期では気温が氷点下近くという気象条件下だったので、背のう内の缶詰も半冷凍状態になってしまう。それでも体力を維持するためには食べなければならないし、足の裏がマメだらけになっても歩かなければならない。しかし教官は何も答えを教えてはくれない…自分で考えて掴んで学び取るのが幹部候補生学校での教えだ。背のうが重いので缶詰を勝手に処分している学生もいたが、いきなり「背のうの中身を出せ!」と点検が始まり教官に見つかる。結局、彼は缶詰の代わりに、大きな石を背のうに入れて歩く羽目になり、半ベソで行軍を続けていたのを思い出す。

 この幹候校での体験は、今でも思い出すほどに厳しいものだったが、体力・精神力が限界に近づく中で私が見たものは、極限状態での人間の行動力や思考力であった。そして自分の極限状態を認識できたことも大きな糧となった。例えば、飛行中に突然、操縦室に焦げ臭い異臭が充満したり、離陸直後にギア(脚)が格納できなくなったり、あるいはエンジン停止なら飛行中の緊急状態に対して冷静に対処できたのは、この時の教育が大きく影響していたと思う。

 そして、幹候校入校中の後半に自分の操縦士人生の大きな転換点となる出来事があった。ある日、北部方面ヘリコプター隊の人事幹部から連絡があり、「近々導入される新型の大型ヘリの基幹要員として第1ヘリコプター団に行かないか?」と打診を受けたのだ。パイロットなら新機種に気を引かれるのは当たり前である。当然ながら「行きます!」とあっさり2つ返事で話を引き受けた。しかし、これにはもうひとつの企みがあった。

 パイロットになったら、やはり、どうにかして固定翼へ機種転換したいと思いチャンスを狙っていたのだ。私がパイロットを目指すキッカケとなった操縦室からのあの眺め…それと同じ光景を自分で操縦する航空機から眺めたいという強い想いだ。しかしそれはヘリコプターでは難しく、やはり高高度を飛ぶ固定翼機でなくてはならない。ところが、陸上自衛隊に配備された固定翼機は数が少なく、ましてや希望しても競争倍率が高く、なかなか機種転換の機会に恵まれないというのが実情であった。

 そこに訪れたのがこのチャンスである。当時、陸上自衛隊では、幹候校を終了して幹部に任官したパイロットの中から、年に3人程度というわずかな人数を固定翼機へと転換させていた。木更津の第1ヘリ団なら隷下に固定翼部隊があるし、なにしろ防衛庁長官直轄部隊(当時)なので中央からの情報も素早く入る。将来的に固定翼機への転換を考えれば、第1ヘリ団への異動は非常に有利に働くだろうという読みがあった。

 一方で第1ヘリ団に移動すればその後は基本的に大型ヘリコプターの要員となる。やっと慣れ親しんだ北部方面のヘリ隊の同僚や先輩、そして自分を育ててくれたUH1に別れを告げることは辛いという想いも強かったが、チャンスが巡って来るかも知れないという微かな希望を胸に、私はここで思い切って新しい扉を叩く決心をした。人生に大きなチャンスは3度訪れると聞いたことがある。それを掴めるか否かは、その時の己の実力と運とアクションなのだと思う。

 ところで、話は幹候校に戻って、約6カ月の訓練も終了間近な頃のことだ。同期の一人がノイローゼになって自殺未遂を図った。何とか一命は取り留めたが、当然ながらパイロットの資格は喪失。一緒に学び、未来を誓い合った仲間であったのに、とても残念な出来事であった。幹候校の校内では、季節ごとに咲き乱れる桜と金木犀が何とも言えぬ高貴な香りを漂わせていたが、いまでもその香りを嗅ぐと幹候校での辛くてきつい経験を思い出す。

(つづく)

 

井上正利(いのうえまさとし)少工校20期生。

 陸自では希少な固定翼機操縦士として緊急患者空輸等で活躍(総飛行時間4,967時間)、現在は航空会社の那覇営業所長と安全推進室長を兼任

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