自衛隊ニュース

6部隊に内閣総理大臣特別賞状
首相「成果を誇りに」
写真=石破首相の訓示を聞く受賞部隊長(首相官邸HP)
5月14日、総理大臣官邸において「内閣総理大臣特別賞状表彰式」が行われ、長年にわたり顕著な功績を挙げている6部隊に対して、石破茂首相から賞状等が授与された。石破首相は「諸官の部隊の活動は、仲間の部隊の活動を支える基盤であると同時に、国家的な行事や災害派遣でも重要な役割を果たすものです」、「日々の活動で諸官が挙げられた成果を誇りとし、引き続き高い規律をもって任務に精励されることを心より期待をする次第であります」等と述べた。表彰部隊と功績は以下のとおり。
▽陸自中央会計隊(長年にわたる会計業務・会計支援等による功績)
▽陸自国際活動教育隊(長年にわたる国際平和協力に関する教育等による功績)
▽海自第3ミサイル艇隊(長年にわたる警戒監視等による功績)
▽海自機動施設隊(長年にわたる機動展開による工事等による功績)
▽空自土佐清水通信隊(長年にわたる航空警戒管制多重通信中継等による功績)
▽空自中部航空警戒管制団基地業務群業務隊(長年にわたる給食業務・福利厚生業務等による功績)
海自中央業務会計隊が発足
‐会計経理事務を集約‐
東京業務隊は解隊
写真=齋藤海幕長(中央左)と伊勢司令(中央右)及び各先任伍長
海自の組織改編に伴う、海上自衛隊東京業務隊(司令・森裕之1海佐)の解隊行事が3月21日、東京・市ヶ谷地区で行われ、その歴史に幕を下ろし、新たに海上自衛隊中央業務会計隊(司令・伊勢武朋1海佐)が3月24日に発足した。
東京業務隊は昭和38年3月31日に発足。以来62年間にわたり東京地区に所在する海上自衛隊の防衛大臣直轄部隊及び機関に対する福利厚生、経理、補給業務等並びに海幕等の行う人事業務の支援を任務としてきた。
中央業務会計隊は、東京業務隊の任務に加え、これまで全国で分散処理していた会計経理事務の一部を集約・処理する部隊として新編された。
開隊行事で伊勢司令は「大きな変化に適応しつつ誠実に支援業務に臨み、これまでの伝統を継承して任務を全うする」と訓示。新しい船出に隊員一同、決意を新たにした。
奈良基地のランドマーク 79年の歴史に幕
写真=解体を前に貯水槽と共に記念撮影
幹部候補生学校が所存する航空自衛隊奈良基地(司令・岡本秀史空将補)のランドマークとして長年親しまれてきた貯水槽が、ついにその役目を終えた。昭和21年(1946年)、米軍接収時代に建設されて以来、約79年にわたり基地の水供給を支え続けてきたこの貯水槽。昭和29年に航空自衛隊の幹部候補生課程教育を浜松にて開始し、昭和32年に奈良へ移転して課程教育を現在の幹部候補生学校として開始した以降、昭和、平成、令和の3つの時代で幹部候補生学校の変遷を見守ってきた歴史の証人でもある。高さ約34メートルの堂々とした姿は、基地の横を走る国道24号線からも臨むことができ、ドライバーや地元住民にとっても、日常の風景の一部だった。
基地内で働く自衛隊員や職員にとっても、貯水槽は変わらない日常の象徴であるとともに、記憶に強く残る印象的な施設であった。
しかし、施設の老朽化などに伴い、令和5年9月に運用を終了。今年5月から解体することとなり、その歴史に幕を下ろすことになった。解体に先立ち、4月25日には隊員たちが長年の感謝の想いを胸に貯水槽の前に集合し、記念撮影を行った。幹部候補生学校業務部長の田中慎吾1空佐は「我々の親父のような建造物であり、この姿がなくなることに一抹の寂しさがある。しかし、形ある物がいつかは無くなるのは、より良い教育環境を支援する進化の一過程であり、基地はこれからも時代の変化に応じて発展していく。これまで長年頑張ってくれたことに心から感謝している。」と語った。
令和5年9月からは、本貯水槽に代わり新たな貯水槽が運用されており、これからの基地の歴史を刻んでいく。
ノーサイド
北原巖男
読書と体験
多くの自衛隊員・ご家族そして本紙読者の皆さんには、それぞれ、最近読んだり、いま読み進めている本があるのではないでしょうか。どんなきっかけでその本を手にされたのか、人それぞれですが、ちょっと興味がありますね。
中には、最近読んでいないなぁと言われる方もおられると思います。僕もそれほど読むほうではありませんので、そうした皆さんに、偉そうなことは言えませんが、チョットしたきっかけになれば幸いです。
そんな僕は、時々、本屋さんの中をぶらつきながら、横積みされた無数にも思える様々な本の題名や表紙の絵や写真、ときには作者名やPOP宣伝に誘発されて、衝動買いすることがあります。
その内容や著者の筆力に引き込まれ、一気に読破し、最後のページを閉じるときの何とも言えない達成感に浸るときは痛快です。
他方、読了するに至らずで終わることも数知れず。そんな時は、そもそも文体が読みにくいからだと、自分勝手な理屈を付けて、積読(つんどく)の山を高くしています。実は、僕には内容が難し過ぎてついていけないことも多いのです。再び手にすることはよほどの必要が無い限りありません。時には、既に持っていることをすっかり忘れ、あわてて同じ本を購入したりしたこともあります。
更に僕の場合は、2019年5月1日付け号、本紙本欄「横積みの古本」にてご紹介した本人も無類の読書家であり、古本発掘の名人、本の持つ力を信じて人材育成に努めている方の存在がとても大きいです。僕が関わって来ている東ティモールについて様々な視点から書かれた本や、僕が自分のふるさとのことをあまり知らないのではないかとズバリ指摘して長野県伊那市高遠町等に関する郷土誌等を始め、今の僕に読むことを勧める様々な古本を見つけてくださっています。少しセピア色になった古本の中には、今まで知らなかった新鮮な発見や出会いの旅が、信じられないほど詰まっていて、僕はその都度驚きを新たにしています。
僕が、予め的を絞って入手する本は、新聞の読書欄等で取り上げられ興味を持ったものや、政治・社会・経済・文化等のテレビニュース・新聞報道等に触発され、それに関連するものが多いです。また、人から聞いていて、いつかは読みたいと探し続けた本に出合った時の喜びはひとしおです。
最近の出来事で僕が関心を持ったのは、沖縄でおこなった政治家の講演会における沖縄戦に係る発言でした。大きな波紋を広げ、後日撤回しています。
僕は、1998年から2000年の沖縄サミットが終わるまで沖縄にて基地問題に取り組んで来ました。その間、凄まじい沖縄戦を体験された皆さんからお話しを聴いたり、本を読んだり、様々な戦跡を見学したりしました。
戦跡見学の中で、生涯忘れることが出来ないことがあります。それは、沖縄戦当時陸軍病院として使用された沖縄県南城市玉城糸数に在る漆黒のアブチラガマ(糸数壕)に入り、恐怖心を抑えきれず逃げ帰ったことです。これではいけないと、その後、何度か立て続けに同ガマに伺いました。しかし、ようやく出口までたどり着いたのは、数回伺った後のことでした。情けないと言うよりは、その理由を挙げるのもはばかれるような、あまりにもひどい自分です。
沖縄そして日本を守るため全力で戦い、傷ついた皆さんや病気になってしまった皆さん、そんな彼らを介抱するために懸命に頑張り続けたひめゆり学徒などの皆さん。一人ひとりの目が真っ暗闇の中から僕を見つめ、何かを訴え、暗闇の中に引きずり込もうとしているのではないか、そんな我が身大事の恐怖心を感じた自分だったことです。
兵隊さんやひめゆりの皆さん、住民の皆さん達は全員、一人の例外もなく、戦後を生きる僕たち子孫が、二度と自分たちのような戦渦に巻き込まれることの無いように、悲惨な思いをすることが無いように、平和で幸せに暮らせるよう、ひたすら願い、祈っておられるにもかかわらずです。僕を引きずり込もうなどと考える人は誰一人いるはずがありません。
こんな弁解の余地のない僕であった事実は、それから今日まで、沖縄の皆さん・沖縄に対する僕の心の原点として生き続けています。
自衛隊員・家族の皆さん、そして本紙読者の皆さんの中で、未だアブチラガマ(糸数壕)に入られたことの無い方は、是非、当時の実相の一端に触れてみて頂ければと思います。
ところで、最近僕が読んだり、いま読んでいる本は、次の通りです。
・「私の沖縄戦記‐前田高地・六十年目の証言」(外間守善著 角川ソフィア文庫)
・「沖縄決戦 高級参謀の手記」(八原博通著 中公文庫)
・「沖縄県民斯ク戦ヘリ」(田村祥三著 講談社)
・「沖縄 日米最後の戦闘」(米国陸軍省編 外間正四郎訳 光人社NF文庫)
・「日本軍兵士‐アジア・太平洋戦争の現実」(吉田 裕著 中公新書)
・「続・日本軍兵士‐帝国陸海軍の現実」(吉田 裕著 中公新書)
ご参考まで。
北原 巖男(きたはらいわお) 元防衛施設庁長官。元東ティモール大使。現日本東ティモール協会会長。(公社)隊友会理事