自衛隊ニュース

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防衛省で大学生がミニ幕僚活動を展開

2月27日、大学生に自衛隊の仕事を知ってもらうべく、防衛省において職場体験イベントが開催された。本イベントは、大学1年生から4年生までを対象に、地方協力本部等を通じて全国から広く参加者を募集。グループワークや幹部自衛官との懇談、職場見学を実施するものであり、オンラインによる参加者も含め60名の参加が得られた。陸海空各幕が協力してイベントを運営しつつ各自衛隊について説明し、海幕募集推進室も海上自衛隊の魅力を積極的にアピールした。
 職場体験のメインイベントであるグループワークでは、「大学生に対する採用広報」をテーマとして、参加者を6つのグループに分け、テーマに基づいた討議及び発表を通して論理的思考と組織活動を体験するミニ幕僚活動を実施した。採用広報に係る複数の施策を起案、それらを分析、比較し、行うべき施策を導出することが目的である。参加した大学生は限られた時間の中で、事前に配布された自衛官採用状況などの資料に目を通しつつ、何を魅力とするか、それをどのようにして伝えていくか等について議論した。自衛隊に関し「やりがいがある」、「職業として安定している」、「体力的に厳しそう」といった印象や大学生に対してアピールするためには教諭など学校関係者にアプローチすることが有効である等の意見が出された。討議終盤では、各グループが導出した採用広報についてプレゼンテーションを行い、活発な意見交換が行われた。
 グループ討議後に実施された職場見学では、各幕担当課が自衛隊の多様な職種や仕事について各々の特性をアピール、特に海幕においては、人事教育部長(金嶋浩司海将補)も積極的に大学生と交流し、人事・教育の観点から海自の仕事や意義等について紹介した。
 参加した大学生からは「これまでのイベントでは、幹部の方とお話をする機会が少なかったため、幹部候補生を目指すにあたり、とても参考になった」や「ちゃんとデスクワークもあることがわかって安心した」といった声が多く聞かれた。
 本イベントを支援した海幕募集推進室は「各種メディアで情報が溢れる現代社会において、大学生など若い世代に職業としての自衛隊をどのように伝えていくか、そしてそのためには、若い世代の価値観やニーズ等をしっかり把握していくこと、 "募集対象者ファースト" で採用広報を考えていくことに努めている。引き続き本イベントのような対面でのコミュニケーション機会を増やし、海洋立国の重要性や海上自衛隊の意義、さらに給料、勤務場所、福利厚生等の職業選択に係る魅力について、海幕をはじめ隊員一人一人が積極的に情報発信することを促進していきたい」としている。

米海軍兵学校合唱部が市ケ谷で公演

3月15日、防衛省のエントラスホールでは、米海軍兵学校合唱部の優しくも力強い歌声が響いた。
 米海軍兵学校合唱部は、アメリカでトップクラスの男声合唱団として有名な男声合唱部と、世界で唯一の女性だけの軍楽合唱団である女声合唱部で構成され、今回、文化交流のため神奈川・東京・京都で公演を行うため来日した。
 1階と2階を繋ぐ階段に74名の合唱部員が整列し、「君が代」を斉唱すると、ざわついた雰囲気が一変した。ランチタイムであったこともあり、その歌声に吸い寄せられるように、多くの職員らが集まってきた。会場を見下ろせる2階と3階にも人だかりができた。両国国歌を含めて9曲、最後は米国の愛国歌であり、国民的行事「スーパーボール」では必ず歌われる「America the Beautiful」で30分の公演を締めくくった。会場を訪れていた酒井海幕長はその素晴らしい歌声に賛辞を贈った。
 市ヶ谷での公演は、米海軍側からの申し入れがきっかけとのこと。合唱部メンバーの中には、将来日本で勤務する可能性がある士官候補生もいる。今回の来日に合わせて、市ヶ谷で勤務するリーダーや多くの隊員に披露したいという要望を受けて海幕が支援、初めて実現した。

基地支援者へ感謝状を贈呈

<第1航空群>

鹿児島県鹿屋市に所在する海上自衛隊第1航空群の群司令(大西哲海将補)は、昨年12月9日に開催された「鹿屋航空基地開隊69周年記念式典」において、長年にわたり同基地に支援を頂いた4名の方に対し5年ぶりに感謝状の贈呈を行った。
 また、当日の式典に参加できなかった新潟県在住の山口龍二氏(83歳)に対しては、2月6日、同氏が設立された株式会社タツミ本社(新潟県見附市)を大西群司令が訪問し、感謝状の贈呈を行った。
 山口氏の功績は、昭和37年鹿屋航空基地所属のP2V-7が奄美大島名瀬市(現在の奄美市)で緊急輸血が必要となった妊婦に対し、輸血用の血液を上空から投下するという災害派遣任務の途中、同市北部にある「らんかん山」中腹に接触・墜落し、搭乗員12名と住民1名が亡くなった事故の犠牲者を追悼するため、毎年、奄美市青年会議所が中心となって開催され、第1航空群司令以下、第1航空群の隊員も参加している追悼式に長年にわたり多大な支援を行ったというものである。
 同氏は戦時中、奄美大島に疎開しその後、新潟県で起業され、現在は多くの退職自衛官を雇用されており、自衛隊の広報誌から奄美大島において追悼式が行われていることを知り、支援されるに至ったとのことである。
 感謝状贈呈の際、大西群司令から感謝の言葉が伝えられると、山口氏は、満面の笑みを浮かべ、「私が幼少時代を過ごした奄美大島への感謝の活動が、このような形で認められたことに大変感謝している」と述べられるとともに、あわせて海上自衛隊への感謝と今後の末長い協力が大西群司令に伝えられた。

チリ海軍司令官と会談 酒井海幕長

3月14日、酒井良海上幕僚長は、チリ海軍司令官のフアン・アンドレス・デラマサ・ララーイン海軍大将を公式招待し、市ヶ谷の海上幕僚監部で会談した。会談にはチリ海軍兵学校長のタッペン海軍大佐も陪席し、16日に行われた海上自衛隊幹部候補生学校(江田島)の卒業式に共に参列した。酒井海幕長は「日本とチリは地理的に遠いものの、両国は互いに太平洋を挟んだ隣国であり、自由で開かれた海洋の価値を共有する同志国として連携を拡大することは重要であると認識している」と述べ、継続したチリ海軍との人事交流等を歓迎した。また、2月にヘリコプター墜落事故のため逝去したピニェラ前大統領に対して哀悼の意を表した。
 デラマサ司令官は、翌15日は横須賀基地に出向き、自衛艦隊司令部、護衛艦隊司令部、潜水艦隊司令部等、海自の主要な司令部を集約する海上作戦センター見学した。

読史随感

神田淳

<第147回>
石橋湛山…信念の言論人・政治家・思想家(2)

第55代内閣総理大臣石橋湛山は、日本の歴代首相の中で(おそらく最高の)卓越した知性と哲学思想の持ち主だった。しかし、同時代の日本人はほとんどそれに気付いていなかった。激動する昭和の時代、政治経済のあり方を発信し続けた石橋湛山は、どのような思想家だったのか。
 湛山は徹底した自由主義者だった。湛山は「断固として自由主義の政策を執るべし」と言い、「自由主義の政策とは何ぞや。政治上、経済上、社会上、乃至思想道徳上における個人の行動に機会の均等を与え、その自由を保障する政策これなり」と説いた(1914年東洋経済新報社説)。湛山は軍部や世論の圧力に屈することなく自由な論陣を張り、ジャーナリストとしても政治家としても、自由主義者の信念を貫いた。
 湛山は民主主義者だった。議会制民主主義をブルジョワ独裁の手段などとは見ず、絶対主義ないし全体主義的専制政治を排して国民全体の欲望を広く反映し、漸進的に人間的自由を実現していく方法と考えた。湛山は大正デモクラシーを高く評価し、鼓吹した。元老政治、藩閥・軍閥政治を批判し、普通選挙法の早期実現を主張した。選挙権拡大による国民的利害の議会への浸透と、大衆の監視による活きた議会制民主主義の実現を目指した。英国の自由党や労働党のような野党が成立して、チェック・アンド・バランスの政党政治が実現することを目標とした。
 湛山はプラグマティストだった。湛山は早稲田大学哲学科を首席で卒業したが、在学中、田中王堂に私淑した。王堂はデューイに師事して日本にプラグマティズムを伝えた哲学者である。湛山はJ・S・ミルからJ・デューイと展開していった英米の功利主義哲学の良き伝統を受容し、ドイツ流の哲学的観念論に惑溺することはなかった。湛山の思想、活動には強靭な理性的良識(コモンセンス)がみられる。非常に合理的に考え、ラジカルな自由主義者、民主主義者であるが、活動は粘り強く、現実的だった。
 湛山は福沢諭吉と二宮尊徳を深く尊敬していた。湛山は言う、「私が福沢翁に傾倒する理由は、その門下に向かい、自ら実行できる確信のある主張でなければ、それを唱えてはならないと戒めていたことである。福沢翁も二宮翁も進歩的思想家でありながら、きわめて実践的だった」、「二宮翁は勤勉で倹約家として知られるが、私が翁を偉いと思うのは、徳川時代の日本で驚くべき自由主義に立脚していたことである。翁は、いかなる聖人の教えでも自己の判断で納得できないものは用いない、という大胆な自由思想家であった」。
 石橋湛山は根底に宗教心をもった人だった。湛山は日蓮宗の高僧杉田湛誓の子であり、少年期を同じく日蓮宗の高僧望月日謙のもとで過ごした。湛山は言う、「有髪の僧のつもりであって、宗教家たるの志は、いまだこれを捨てたことがない」と。日蓮宗の在家または平信徒としての信仰が、湛山の生き方の根底をなしていた。湛山は晩年基督教も受け入れた。日蓮宗権僧正に叙されていた湛山は、晩年聖路加病院入院中、基督教の礼拝を欠かすことがなかったという。
 世界主義者で平和主義者だった湛山は、77歳のとき「日中米ソ平和同盟」構想を提唱した。世界が冷戦から平和共存に向かうと予見した上での湛山の提唱であるが、現実性を欠く夢想論とされ、実際に冷戦の終わった1989年以後も構想は実現していない。昨今はナショナリズムと、価値観の違いによる国家の対立感情は、むしろ強くなっている。昭和の時代あれほどの先見性を示した思想家湛山の提唱である。真剣に検討する余地はないだろうか。
(令和6年4月15日)

神田 淳(かんだすなお)
 元高知工科大学客員教授。
 著作に『すばらしい昔の日本人』(文芸社)、『持続可能文明の創造』(エネルギーフォーラム社)、『美しい日本の倫理』などがある。

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