自衛隊ニュース
ノーサイド
北原巖男
お父さんを失う悲劇
「突然メールを送り申し訳ございません。」との書き出しで、名古屋在住の方からメールを頂きました。
「私の祖父は東ティモール ラウテム港の若津丸で戦死しました。軍医でした。・・・どうしても若津丸の近くで祖父の慰霊をしたいのですが、船の所在などを知りませんか?トラック諸島などでは日本の沈没船の周りがダイビングスポットとなっているとお聞きしました。在東ティモール日本大使館にも聞きましたが分からないとのことでした。・・・現在82歳の母は父親のことをよく知らずに今まで来ました。東ティモールへの慰霊は母の悲願であります。なんとか成就させたいと思っています。雨期になってしまいますが、12月15日は祖父の命日でもあり、その日に慰霊を行いたいと思っています。」
その方は、これまで何とか若津丸の手がかりをつかもうと、各方面に問い合わせを行い、更に上京して国立国会図書館所蔵の各種文献に直接あたったり、防衛省防衛研究所を訪問して親切な専門家に相談するなどして来ているとのことでした。なかなか沈没場所の特定、その後の船の状況等は把握出来ないとのことでした。
かつて東ティモールに住んでラウテム県を含めて各地を訪問し、今も同国に関わっている一人として、また旧軍とは全く異なりますが自衛隊員OBとして、僕はお母さんの慰霊実現に協力したいとの思いに駆られました。
しかし、そんな僕には若津丸?と聞いて浮かんできたことがあります。それは、「チモール島の楠木正成」(三浦重介著・「文芸春秋」1961年9月号)と「輝け南の島の知謀戦 ティモール島星空の勇者たち」(山口重晴著・2003年5月・新風舎刊)にあった記述。
本紙2020年1月15日付け本欄にて、僕は「最前線での情報戦」と題して、太平洋戦争当時、ティモール島における連合軍との情報戦は日本軍の完全勝利で終了したことを取り上げたことがあります。いずれも、そのときに参考にした著作です。
そこには、若津丸のご遺族の皆さんからすると耐え難い大変残酷な記述がありました。
「十八年十一月、・・・二隻の大型船若津丸と元明丸がラウテンに入港した。この二隻の大型船がシンガポールに帰れる見込みはまったくなかった。逆無電二号は、わざとメルボルンへ「大型船二隻ラウテンに入港、荷役中」と真情報を入れて知らせてやった。隊長はこれだけの謀略が、成功するためには、一部の犠牲は始めから供える覚悟が必要だ、と考えていた。こうして、わざわざ仕組んだいけにえとは言え、眼の前に拡がるラウテンの泊地で愛児に比すべき二隻を失うという悲運もあった。しかし、敵の雀躍りする餌をときどき小出しに与えてやることを忘れなかった。こうしたことが長期にわたる逆無電を成功させた大きな原因であったろう。」(「チモール島の楠木正成」より)
「予定通り十二月二十四日十七時、若津丸はマダイラ河口冲に、元明はラウテン桟橋冲にそれぞれアンカーし、かねての手配どおり揚陸作業は急ピッチで開始された。・・・敵機は・・・まず若津丸に直撃弾を浴びさせた。すると、瞬時にボイラーの白い爆弾が中天高く舞い上がり間もなく沈没した。・・・若津、元明、この二隻に対する敵襲は大きな衝撃とあらぬ疑惑を生んだ。というのは、あまりにも敵の突入が巧妙だったからである。それはあたかも示し合わせたごとく、入港直後の薄暮を突いた。アッ!と息を呑む間も無い一瞬の悪夢であった。・・・兵団は荷揚げ後に通報という手段もあったはずである。いや、機密保持としてのテクニックとしてはあまりにも犠牲が大き過ぎる?そうした素朴な疑問が残ったのも当然であった。戦後柿沼情報参謀が次のごとく明確に否定されている。「若津、元明入港の折は秘匿に懸命であった。従って事後は逆用に利用したが、船団入港前に通報した事実は無い」「この二隻は小スンダ航行中すでに被爆しており、針路、時速など的確に捕捉されていた。したがって冷静な判断としては、退避寄港するなり、出直すべきだったと思うが、発見されればどこにいても安全は期しがたい。船長以下が悲壮な決意で突入したものである」以上のごとく、事前通告説は単なる憶測に過ぎなかった。」(「輝け南の島の知謀戦 ティモール島星空の勇者たち」より)
・・・真偽のほどは、僕には分かりません。
ところで、若津丸が沈没したラウテム港はどこでしょうか。ラウテム県にラウテムという場所はありますが、現在の東ティモールの地図を見る限り、ラウテム県で港のマークが付いているのはコム。昨年4月20日、僕はラウテム県のコム海岸にて金環皆既日食の中心食を観ました。そこには港があり、ポルトガル時代の建物の廃墟もあります。浜辺には、海岸を監視したのではないかと思われる朽ちた監視台のようなものもありました。ラウテム港というのはコムのことではないか。僕は、彼にこうしたコムの海岸を写した写真を沢山お送りしました。
その後、その方と国会図書館でお会いし、自分が知っている限りの話や説明を致しました。お母さんもご一緒でした。慰霊に対する強い思いを改めて感じました。
その後、彼から次のようなメールを頂きました。「送ってくださった「ティモール島 星空の勇者たち」の地図から判断すると、コムではないと思われます。・・・私が送ったGoogleマップやGoogle Earthの場所が当時のラウテン港だと思います。・・・できれば12月15日の慰霊は2回行いたいと思います。1回目は明るい時間帯に船で若津丸の大体の沈没場所殻を希望し、2回目は祖父の亡くなった20時20分に港から祖父のことを想い手を合わせたいと思います。」
今回のお母さんのみならず、今や高齢になられたご遺族の皆さんの中には、幼い時に出征したまま外地で戦死された父親の最期の地を訪ね、慰霊を行うことが出来ればとの思いを抱いておられる方も多いのではないでしょうか。お母さんの悲願である12月15日の慰霊実現に近づいて行くためには、まだまだ幾多の問題等があります。自衛隊員の皆さん・ご家族の皆さん、本紙読者の皆さんで、若津丸についての情報をお持ちの方がおられましたら、是非共、ご一報をお願い申し上げます。
こうした中、戦後79年、現下の厳しい国際軍事情勢を思うとき、先の戦争はまだ終わっていない、次代を担う子供達にお父さんを失う悲劇を強いるようなことは二度とあってはならない、政治に対する私たち国民自身の責任は甚大だ、そんなことを強く思う今日この頃です。
北原 巖男(きたはらいわお) 元防衛施設庁長官。元東ティモール大使。現日本東ティモール協会会長。(公社)隊友会理事
第1回予備自衛官招集訓練
<北部方面対舟艇対戦車隊>
北部方面対舟艇対戦車隊(隊長・山口良2陸佐=倶知安)は、5月24日から28日までの間、倶知安駐屯地において、「令和6年度第1回予備自衛官招集訓練」を実施した。 訓練には予備1等陸尉から陸士長まで45名の予備自衛官が参加し、体力測定、射撃検定、警備訓練、救急法及び野外衛生等が行われた。 予備自衛官からは「内容がとても充実した大変有意義な訓練でした。特に警備訓練では、展示した隊員の気迫と練度の高さを目の当たりにし、北部方面対舟艇対戦車隊の精強さを肌で感じました」「愛情のある丁寧な教育をしていただきとても感謝しています」などの感想があった。 北部方面対舟艇対戦車隊は「引き続き予備自衛官が訓練に集中できる環境を作るとともに、常備と予備が切磋琢磨しながら防衛基盤の育成に邁進していく」としている。 |
総合水防演習に参加
備えこそが地域を守る
<第5旅団>
第5旅団(旅団長・鳥海誠司陸将補=帯広)は、6月1日、北見市川東地先において、「令和6年度常呂川・網走川連合総合水防演習」に参加した。
本演習は、常呂川、網走川流域における大雨洪水災害に備え、警察や消防などと防災関係機関の密接な連携と水防技術の向上、地域社会全体における防災意識の高揚を図るとともに、水防に対する地域住民の理解を深めることを目的に実施された。
状況が開始されると、北見市長から要請を受けた北海道知事の災害派遣要請により自衛隊が出動するという想定で、各機関の代表及び第5旅団司令部員が集合して、被災状況の報告及び情報を共有する災害対策現地合同本部会議を実施し、第4普通科連隊が災害用ドローンによる被災状況を調査、第5特科隊が水防工法の一つである釜段工を作成、第27普通科連隊が野外炊具1号(改)を活用した炊き出しを実施した。
特に、釜段工の作成では、自衛隊ならではの丁寧かつ組織的な作業が展示され、その完成度の高さに感心の声が上がった。その他、地域交流会場では、第4普通科連隊の人命救助セット体験や第5施設隊の07式機動支援橋展示をした。
第5旅団は、本演習を通じて、若年隊員に釜段工作成の技術を伝授し、水防技術を向上させることができました。これからも、日々訓練に励み、あらゆる災害から地域を守るために備えていく。
06JXRに参加
<第3施設団>
第3施設団(団長・鹿子島洋陸将補=南恵庭)は、5月20日から24日までの間、日本海溝・千島海溝周辺海溝型地震発生時の大規模地震の発災から一連の状況下における指揮幕僚活動の演練及び計画検証による運用の実効性向上を図ることを目的に、令和6年度自衛隊統合防災演習(06JXR)に参加した。 本演習において団本部は、札幌駐屯地に方面施設調整所を開設し、団隷下部隊の運用及び北方の4個師団・旅団に加え増援の5個師団・旅団、第5施設団の施設力に係る調整・統制を焦点とした指揮幕僚活動を演練し、多くの教訓を得た。 また、本演習間、南恵庭駐屯地モニターに対する総監部及び道庁における活動状況や災害対処装備品研修を行った。参加者からは「日頃から本番さながらの訓練をしていることにも驚き、有難く本当に感謝しています」との感想をいただき、自衛隊に対する理解と信頼を醸成し防衛基盤の育成に寄与した。 |