自衛隊ニュース

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読史随感<第196回>
神田 淳

国際情勢の俯瞰

 近年戦争が多発し、国際情勢は不安定化している。アメリカの力が減退し、世界は多極化、国際秩序が崩壊し、新しい帝国主義時代になったと言う人もいる。第三次世界大戦がすでに始まっていると見る識者もいる。

 冷戦が終わって三十数年になるが、1991年冷戦が終結したとき、世界は民主主義、新自由主義、そしてグローバリズムが浸透して、平和で協調的な新しい国際秩序が成立するという楽観的な希望が広がっていた。しかし実際は、現在まで世界の民主主義はむしろ後退。グローバリズムも後退し、戦争の頻発する世界になっている。

 冷戦終結直後、ユーゴスラビア紛争など民族・宗教対立に基づく内戦が多発した。2001年同時多発テロが発生。アメリカ(ブッシュ政権)はテロとの戦いを掲げ、イラク戦争を起こしたが、イラクで武装組織(後のIS)が台頭し、長期的な内戦状態となった。2014年ロシアは、武力を背景にウクライナ領クリミアを併合した。2022年ロシアは、特別軍事作戦と称して本格的にウクライナ侵略を始めた。ウクライナは必死で抵抗し、戦争は4年経った今なお続いている。驚くべきことにアメリカトランプ政権は、ロシア寄りの姿勢を示している。トランプ大統領は侵略の是非を論ぜず、国際秩序は大国の力関係で決まると考えているようである。

 冷戦終結後の世界の最大の変化は、中国の超大国化である。1989年天安門事件で民主化は挫折したが、中国は共産党の指導する資本主義国となり、驚異的な経済成長を達成した。1991年から2025年まで毎年の成長率は平均8%を超え、現在中国は20兆ドル(アメリカの6~7割)のGDPをもつ世界第2の経済大国である。中国はまたアメリカに次ぐ軍事大国で、軍事費(2500億ドル)はロシアを上回り、アメリカの3割、日本の4倍である。経済大国、軍事強国となった中国は国際秩序を変えようとしている。南シナ海、東シナ海、太平洋への進出をはかり、台湾統一に武力行使も否定しない。

 現代、世界は米、中、露の大国が覇を争う時代となった。大国の力と利益が国際情勢を支配する。もともと国際社会は強者の支配する弱肉強食の世界であるが、人類は悲惨な戦争を経験して、国際法や平和思想、勢力均衡による抑止といった、平和共存の知恵を生みだしてきた。しかし現在、世界は強者の支配するあり方に戻ったかのようである。

 このような世界で日本はいかに生きるべきか。やはり防衛力を強化しなければならない。日米同盟は重要だが、自ら防衛しない同盟国のためにアメリカが戦うことはない。また、アメリカはロシアとは戦わないように、大国中国と戦争することはないと考えるべきである。日本は中国とは戦争しないことを国是とするのがよく、中国とは戦争せず日本の国の尊厳を守ることは十分可能だと思う。そして、日本は世界の民主主義国との連携をできるだけ強める。安倍元首相が提唱した「自由で開かれたインド太平洋」構想を推進し、インド太平洋の諸国とのつながりを深める。また、カナダのカーニー首相の提唱する、EU、日本、カナダ、オーストラリアなどの中堅の民主主義国による有志連合の形成に、積極的に主体性を持って加わる。こうした世界の立派な民主主義国との連携が、大国に支配されない日本の存立に裨益するだろう。

(令和8年5月15日)


神田 淳(かんだすなお)

 元高知工科大学客員教授。著作に『すばらしい昔の日本人』(文芸社)、『持続可能文明の創造』(エネルギーフォーラム社)、『美しい日本の倫理』(https://utsukushii‐nihon.themedia.jp/)などがある。

日本防衛の核心としての自衛官
‐人的基盤はいかにあるべきか‐
<第17回:最終回>

笹川平和財団日米・安全保障研究ユニット総括・交流グループ長 河上康博(元海将補)

急速に変化する安全保障環境に対応できる
防衛力の人的基盤強化が必要不可欠(今後の提言)

 現在の安全保障にかかる国際情勢は、戦争・紛争の勃発に加え、地震、津波、竜巻、洪水、山林火災、水不足による灼熱高温などの自然災害、さらに疫病などのパンデミックが生じている、まさに混沌とした状況にある。世界各国の政府は、自らの国が生き残り、そして国民(市民)が自主的権利を持ち、安全かつ自由に活動できる環境づくりを目指している。

 そして国防の視点からは、戦い方が大幅に変化している。すなわち、従来領域(陸・海・空)と新領域(宇宙・サイバー・電磁波)に加え、認知戦領域についても、情報通信技術の発達やSNSの発展などにより、その影響力が高まっている。これに加え、敵よりも素早く対応しなければ勝利することができないという時間軸としてのスピードが、以前よりも相当速まっている。ロシア・ウクライナ戦争では、敵目標探知から攻撃の決定までが5分以内にまで短縮しているともいわれている。

 そうした安全保障環境下において、日本は、上記に加え、力による一方的な現状変更を実行あるいは試みる権威主義国家3か国に囲まれている。さらに言えば自然災害も多い。

 そして、少子高齢化により、安全保障、経済活動を含めて人手不足となっており、特に少子化については、今後さらに進んでいくと予想されている。

 こうしたことから、国防に限らず国の危機管理を国全体で実施していく必要がある。

 そのためには、国民全体で国家安全保障を考え、安全保障に係る基礎的知識を習得し、日本を守っていく必要がある。

 この点で参考となる国が、フィンランドである。笹川平和財団安全保障戦略のあり方(人的基盤の強化)研究会では、人的基盤の強化調査の一環として、昨年12月にフィンランドを訪問し調査を行った(本連載第9回参照)。

 フィンランドの危機管理体制は、歴史的背景(旧ソ連との隣接)から、「包括的安全保障(Comprehensive Security)」と呼ばれる、総合防衛のコンセプトに基づいている。これは、政府、企業、組織、市民等が一体となって危機に対応する仕組みである。

 例として安全保障教育を取り上げると、政府関係者、国会議員、企業経営者、学術・文化・メディア関係者などをはじめ、社会の主要な機能を担うメンバーを対象に、国防大学にて安全保障を学ぶコースが実施されている。小学校からの義務教育においても、歴史・社会の授業などを通じて、包括的安全保障等への理解を深める教育が行われている。こうした教育は、市民防衛に繋がるものといえるだろう。

 このようにフィンランドは、第2次世界大戦中に旧ソ連から侵攻を受けた結果、国土の約10%を喪失した歴史的経験を教訓として、国民全体で体制・態勢を整えているのである。

 敗戦後の日本は、そうした教訓を自ら導かなくとも、安全保障に関しては、国連による国際秩序や日米同盟による米国の拡大抑止の傘の下で守られてきたともいえる。

 他方、国連の機能低下や米国の相対的国力の低下などにより、冒頭で述べたような国際情勢が生じていることから、現在、日本政府も自律的安全保障体制・態勢を推進している。

 この中には、当然、自らの国(日本)は、自ら守るという意識改革も重要である。

 笹川平和財団安全保障戦略のあり方(人的基盤の強化)研究会では、第2弾の政策提言として、国家の危機管理体制の向上、自衛隊と民間力の連携・協働、防衛省・自衛隊の人的基盤の強化について、新安保3文書に反映して頂くべく、議論を深めている。

 これまでの17回に及ぶ「日本防衛の核心としての自衛官‐人的基盤はいかにあるべきか‐」をご覧頂き、誠にありがとうございました。改めまして感謝申し上げます。

 第2弾の政策提言につきましても、今後発表・発信していきますので、ぜひともご覧頂き、ご賛同いただければ幸いです。

操縦席からの回顧録
~大いなる空へ夢を乗せて~
手記:井上 正利(監修:芦川 淳)

<第15回>副操縦士の役目は無理難題の処理?

写真=訓練支援のため北海道各地の駐屯地や演習場を訪れるなか、遠軽駐屯地近傍の街で「その事件」が起きた(写真:芦川淳)


 前回は、最初の配属部隊となった北部方面ヘリコプター隊第1飛行隊で指導者に恵まれたという話を書いたが、同時に良き先輩や同期にも恵まれた。脱線気味のエピソードで恐縮だが、強く思い出に残っているものをいくつか・・・。

 あれは確か昭和63年(1988年)の1月頃だった思う。ヘリボーン訓練支援のために4機編隊で雪積もる遠軽へと飛んだ時の話である。ヘリコプターのフライトは天候に大きく左右されるため、訓練支援の際は余裕をもって前日までに現地入りしておくのが一般的であった。そこで、到着日夜の余った時間を利用して4機のクルーで一杯やろうという事になったのだ。各機の副操縦士が集められ、飛行隊で「名物個性派機長」として名高かった「H松機長」と「佐々やん機長」の両名から飲み屋を探してこいという指令が飛んだ。

 しかし、その条件とは、1人二千円の会費でダルマ(サントリーオールド)のボトルが入れられて、料理付きの歌い放題で、綺麗な若いお姉ちゃんがいる店というとんでもないものだ。「わかったな!」・・・と檄を飛ばすのは勝手だが、北の果てにそんな店があるはずがない。腹の中でそう思いつつも先輩方の命令なので、渋々預かった会費をポケットにねじ込み、シンシンと雪降る遠軽の街を何軒か探し廻った。

 しばらくして、そんな無茶なミッションがアホらしくなり、「オイ、ちょうど軍資金もあるし適当な店を見つけて俺達だけで飲もうぜ」と、同じく副操縦士仲間の同僚で少年工科学校の同期である渡辺と一緒にシケこむことにした。早速、気に入った店を見つけて2人で飲んで気持ち良くなっていたのだが、そこで恐ろしい事件が起きた。店の扉がガラ~ッと勢いよく開いたので振り返ると、なんとH松・佐々やん両機長が踏み込んできたのだ。

 2人ともしつこい性格なので軍資金を持ったまま姿を消した我々を探し回るだろうし、狭い遠軽の街だと探せば見つかるのも当然なのに、酒も回ってそれを完全に忘れていた。「コラ~ッ!お前ら、ええ度胸しとるのオ~!」と鬼のような形相で憤慨する2人に命の危険も感じたが、もうこうなったら覚悟を決めて開き直るしかない。「椅子を温めて先輩たちをお待ちしておりましたぁ!」と白々しく騒ぎ、とにかく飲ませてご機嫌を取った。

 翌日、任務を終えて札幌へ戻ったが、案の定といおうか、帰投後のデブリーフィングではフライトに関する話題は一切無く、延々と店の件について小言が続いた。昨夜はなぜ逃げた? なぜ2人だけで楽しんでいた? 先輩機長たちのことはどうでもいいのか?などの指導というより尋問である。いまでもあのガサ入れの瞬間と帰投後の厳しい尋問を思い出すと吹き出してしまう。あの二千円の会費で済まそうという発想はどこから出てくるのか不思議でならない・・・。

 また単一のエピソードではないが、勤務を通して、北海道全域及び離島は勿論、関東地域までシングルエンジンのヘリコプターで飛び回ったことも思い出深い。特に戦技飛行訓練での、札幌飛行場~西岡演習場経由~支笏湖ルートという飛行コースが最も迫力満点であった。川面を超低空飛行し、最後に千歳訓練場に急減速をして着陸するパターンだった。

 また2月に夜間飛行訓練で飛んだ時、丁度「札幌雪まつり」の真っ最中で上空から見下ろす大通り公園のライトアップされた雪像の景観はとてもロマンチックであった。これが隣に彼女でも居たら最高だったろうに、隣席を見ると最高の席に座っているおっさんは佐々やん機長だった・・・。佐々やんの顔を見た途端、溜息とともに現実に戻ったものである。

 このほかにも紙面には書けない数多の思い出や、北海道の大自然の美しさに胸を打たれっぱなしだったが、振り返ってみればFEC卒業後の2年間でずいぶんと学ぶことが出来たと思う。一人前の副操縦士になるには7~8年(飛行時間的には1500時間程度)の経験が必要だと思うが、やはり同じ経験をいかに吸収するかで成長の度合いも大きく変わる。操縦技能は飛行時間に比例してある程度は上達すると思われるが、判断力は経験の捉え方や修得の方法で差が生じるからだ。

 場数を意識して自分のモノにした人ほど、精神的・技術的に格段の差となり、それが機長に昇格する時に響いてくるのは間違いない。どんなことでも貪欲に吸収することをモットーに、常に「なぜ?」「どうして?」と疑問の解決に挑んでいけば、やがてモノが視えて道が拓けてくると思っている。前向きで貪欲な、図太い姿勢は大切である。

(つづく)


井上正利(いのうえまさとし)少工校20期生。

 陸自では希少な固定翼機操縦士として緊急患者空輸等で活躍(総飛行時間4967時間)、現在は航空会社の那覇営業所長と安全推進室長を兼任

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