自衛隊ニュース
冬まつりを盛り上げる
写真=積み上げた氷に印をつける隊員
氷像を制作<25普連>
第25普通科連隊(連隊長・谷口慎1陸佐=遠軽)は、北海道紋別市において、2月6日から8日の間に開催される「第63回もんべつ流氷まつり」(北海道紋別市海洋公園ガリヤ地区イベント広場)におけるメイン氷像の制作を開始した。
今回のメイン氷像は、北海道紋別市に所在する「嚴島神社」が創祀150周年を迎えるにあたり選定された。
支援開始に伴い、もんべつ流氷まつり実行委員会との協定書調印式が行われたほか、紋別市による受入式に参加し、安全に作業しメイン氷像の完成を祈願した。
ふれあい祭り支援<丘珠>
丘珠駐屯地(司令・安達弘典1陸佐)は、1月24日、札幌市東区元町まちづくり連合会が主催する「第15回元町冬のふれあい祭り」を支援した。
丘珠駐屯地に所在する北部方面管制気象隊の隊員たちが中心に、ふれあい祭り会場の設営や雪山でのそり滑り支援等を行った。雪山をチューブに乗って滑り降りるそり滑りは子供たちに大人気で、チューブの引き上げ作業を行う隊員たちは大忙しであった。また、丘珠駐屯地キャラクター「たまちゃん」も参加し、子供たちと記念撮影するなどして、祭りを盛り上げた。
丘珠駐屯地は、今後も祭り支援等を通して、地域の方々との交流を深め、自衛隊に対する理解を得るとともに、自衛隊を身近に感じてもらえるように活動していく。
日本防衛の核心としての自衛官
‐人的基盤はいかにあるべきか‐
<第12回>
笹川平和財団日米・安全保障研究ユニット総括・交流グループ長 河上康博(元海将補)
提言8
自衛官という仕事の理解の促進
現在、自衛隊の人的基盤の強化については、政府をあげて検討、改善が行われている。その中で募集に関する検討も実施、もしくは既に実行されている事項もあり、これらについて、本研究会においても強く支持するものである。
一方、組織が魅力化されてもそれが広く知られなければ募集行動には繋がらないため、自衛官が普段からどのような訓練をし、どのように生活しているのか、あるいは自衛官になればどのような利点があるのかを広く国民に伝えることが喫緊の課題となっている。
近年の自衛隊広報においてもSNSの活用をはじめとした活発な発信が認められるが、広報活動が業績に繋がらなくてはならない民間企業とは異なり、その成果が問われる性質のものではないため、広報そのものが目的化してしまいがちであり、その影響が明確化されるのは難しい。
「世論調査」では、「もし身近な人が自衛隊員になりたいと言ったら、賛成しますか、反対しますか」との問いへの回答は「賛成(小計): 68・7%、反対(小計): 29・5%」、また「自衛隊員になることに反対する理由」としては、「戦争などが起こった時は危険な仕事だから: 79・7%」、「自衛隊の実情がよくわからないから: 46・0%」、「仕事が厳しそうだから: 31・8%」との結果が出ており、「自衛隊の実情がよくわからないから」も大きな要素となっていることが分かる。
こうした実情から、防衛省・自衛隊の不断の努力も依然として自衛隊の役割に対する正しい認知の増加には至っていないことが分かる。笹川平和財団の研究会では、桜林美佐氏を中心に現段階からさらに一歩踏み出すためには従来の思考過程を超越した新たな広報体制の構築について議論し、以下の提言を行った。
(1)全面委託も含めた広報の民間活用拡大
そのためには防衛省・自衛隊だけの取り組みでは限界があり、政府全体としての推進はもちろん、さらに民間力の活用も一層強化することが求められる。諸外国では専門家を介した広報や募集活動を活性化させ成果を上げている事例があることからも、広報事業そのものの完全な委託も含め、従来の枠組みを超えた可能性を模索し、募集活動のために自衛官がチラシを配るのではなく、あのような自衛官になりたいという憧れの存在になることが何よりの広報となる。
本来、成果主義の広報においては、「どこの、どのような年代の、どんな人々をターゲットとし、どのようなアプローチが受け入れられるか」といった綿密な市場調査が重要であり、年齢層や嗜好、地域性など多種多様なニーズに適合させることから始まる。どんなに良いコンテンツを作っても注目されなければ意味をなさず、そのためのノウハウは、リサーチ企業およびPR企業、広告代理店等といった民間企業のみが有している。コンテンツの評価を官側が行う従来の方式を改め、成果重視、つまり、評価は世論や募集の成果によってなされる構図にすることが望ましい。このことにより、防衛省・自衛隊における広報業務の省力化も期待できる。
(2)自衛官家族向け広報の実施
また、諸外国の事例からも分かるように、安全保障に関する博物館等の創設は、安保教育の促進のみならず、広報にも資する施策である。一方で、自衛官の社会的地位や価値が認知されていなければ、既に関心を持つ人々の需要に留まりかねないため、真の自衛隊広報を目指すには、教育の充実を図ることが不可欠である。しかし、実際には当事者である自衛官の家族でさえも、特別な教育を受けているわけではなく、任務の意義を知る機会はほとんどない。米軍が実施している「米軍の子ども月間」(The Month of the Military Child)や、自衛官表彰機会の拡大を検討するとともに、それらの場に家族が参加することは潜在的な広報員の拡充にもなる。家族への配慮は広報施策の一環としても思考されるべきである。
(3)自己実現や「やりがい」に訴える内容へ
最も注力すべきは「何を広報するのか」であるが、時代や景気、国際情勢等の要因により若者の心理は日々変化している。また若者の自己実現欲求において、快適な生活環境を追求することのみでは限界がある。むしろ諸外国の事例を見ても、困難な生活を経験することこそが、自身の経験値を向上させ、自己実現に繋がると認識されている。こうした軍組織の普遍的な在り方に鑑みれば、自衛官になることで得られるスキル・経験値に照準を定めた広報も一考の余地がある。自衛官になれば大型自動車免許が取れるらしい、といったことは認知されていても、努力次第で海外留学や駐在ができることは広く知られておらず、それに伴う語学教育、配偶者帯同制度など様々な機会が提供されることはもっとPRされていい。また、「自衛官になるには運動能力・体力が高くなくてはならない」という先入観も募集の壁となっているが、実際は走れない・泳げない人でも入隊は可能であり、むしろ入隊後、体育教官による正しい走り方や泳ぎ方を習得し、平均より速くなる者も多い。健康や減量に関心を持つ人は少なからず存在することからも、自衛官になることによって心身ともに強くなるといった利点も語られるべきである。
自衛隊は国を防衛する実力組織であり、自衛隊広報は本来その本質を知らせなくてはならない。そのためにも、自衛隊を取り上げたドキュメンタリー制作の推進を求めたい。政府広報としての枠組みの信頼性は高いものの、視聴者は「マイナスのことは言わないだろう」と、色メガネをかけてしまう。例えば、英国・ドイツや米国等では、軍隊を取り上げたドキュメンタリー作品を放送すると人気が高まるといった成果が表れており、良い面もそうでない面も明らかにすることがむしろ人々の信頼を得られる証左である。
現役隊員の実際の姿はもとより、退職自衛官の経験談や映像も有意義な素材となり得る。自衛隊関係者は現役隊員とその家族のみならず、退職した人々も含めればその数は決して小さくない。こうした関係者からも最大限の協力を得るべきである。
操縦席からの回顧録
~大いなる空へ夢を乗せて~
手記:井上 正利(監修:芦川 淳)
<第10回>TH-55での教育を修了し、実用機UH1Bへ
写真=当時のパイロット教育は、UH-1(手前)とOH-6(奥)という2つの機種に大別されていた※撮影:芦川淳
昭和60年(1985年)当時のFEC(陸曹航空操縦課程)では、初めにTH-55訓練ヘリコプターによる合計65時間の飛行を実施していたが、学生目線で見れば、そのなかで最大の関門となったのがソロフライトチェックであろうことを前回のこのコラムで触れた。それを突破し、初のソロフライトを経験すると、TH-55を用いた訓練の後段に入り、実用機のパイロットを目指すための応用教育へと移行する。
そこでは離着陸や航法・緊急操作・制限地操作といった実用機での任務に則した課目を学ぶのだが、そこで私がもっとも難しいと感じたのはナビゲーション(航法)だった。航法課目のカリキュラムのひとつである「地文航法」では、地図をもとに上空から現在地を把握しながら飛ぶため、頻繁に外の景色と地図との照合作業が必要になる。地図上の地形自体は不変だが、空から見る実際の風景となると、季節や天候次第で見え方がガラッと変わってしまいそこでかなり悩まされた。
気象とフライトは表裏一体の繋がりがあって、有視界飛行自体の可否は天候で90%が決まる。あとの10%は当日の状況(天変地異や搭乗者数など)によると思う。FECでの飛行訓練は、一般飛行部隊と違って、ある一定の気象条件下でないと訓練効果が得られないために中止せざるを得ない。天候不良で飛行訓練が中止になると、なぜか学生は凄く喜んでいたが、どうせいつかはやらねばならない訓練課目だから単純に喜んでもいられない。実働部隊でのフライトでは航空法の下限に迫る気象条件下で飛ぶこともあるからだ。
私がFECで地文航法のチェックを受けた時には天候が良く、風も弱い(風が強いと機体がドンドン流されてしまうのだ)という好条件だったのでラッキーだったと言えるが、その後の沖縄勤務の際の急患空輸では、実際に航空法適用除外の飛行にもなることも数多く経験。あれほど厳しい気象条件下での命を懸けたフライトが待っているとは、この時点では露ほどにも想像できなかった。
さて、冒頭にも述べたようにTH-55による飛行教育を終えると、次にFECの後半戦とも言える実用機課程に進む。私の同期では、約20名の学生が適性や希望、成績、性格などによって偵察機課程(OH-6J)と多用途機課程(UH-1B)の2コースへと振り分けられ、その割合は3:2ぐらいであったと記憶している。
ちなみに偵察機のパイロットは、一般的に一匹狼的な性格の方が向いているという。それは、敵情偵察のために最前線の敵地奥深くまで単機で入り込んで情報を収集し、速やかに帰還するという任務特性を持つからだとされる。災害派遣時などでも、やはり最初に現地へと飛び立ち、後続の航空部隊や、師団や旅団の主力部隊の任務に必要な情報をこれまた速やかに収集して伝達するという大切な役目を負っている。
一方の多用途機は、偵察機の情報を元に飛行コースを考慮し、前線に必要な人員・資機材を安全かつスムーズに空輸するというような活動が任務の柱になる。災害派遣時には偵察情報にもとづき各種資機材・必要人員等の空輸を実施するが、リペリングによる負傷者の救助といった人命に直接かかわる厳しく困難な任務もあるのが特徴だ。教官達は、各人の性格や能力を見極めたうえで学生を2つのコースに振り分け、ここで私は多用途機課程に進み、つまりUH-1Bのパイロットを目指すことになった。
なお、私は当初からUH-1Bの操縦を希望していて、機体サイズ(OH-6Jは我が身には窮屈すぎる!)や運用の多用途性などに興味を持っていることが主な志望理由だった。SF人形劇の「サンダーバード」に例えるならば、UH1はあたかもずんぐりムックリとしたサンダーバード2号。ややノンビリ派の私にはちょうどいいと感じたのである。教官たちはこうした各人の志向や性格もしっかりと吟味していたようで、当時、OH-6JとUH-1Bの要員分けによる悶着は無かったと記憶している。
そして実用機課程では、基本操縦教育を皮切りにトータルで約135時間のフライトをこなし、計器飛行や応用操縦など実戦的な戦技操縦を学ぶ。TH-55での教育はあくまでもヘリコプター操縦のイロハを学ぶものであったが、実用機課程では後の配属部隊においてUH-1B操縦の即戦力を目指す。この実用機課程を修了すれば念願のウィングマーク取得である。
(つづく)
井上正利(いのうえまさとし)少工校20期生。
陸自では希少な固定翼機操縦士として緊急患者空輸等で活躍(総飛行時間4967時間)、現在は航空会社の那覇営業所長と安全推進室長を兼任