自衛隊ニュース
読史随感
神田淳
<第153回>
津田梅子…高尚な独立自尊の生涯と良きアメリカ
7月3日新札が発行されて、一万円札の肖像画が渋沢栄一に、五千円札は津田梅子に、千円札は北里柴三郎に変わった。三人とも、卓越した知力と独立自尊の精神で近代日本に大きな貢献をなした、すばらしい人たちである。渋沢栄一と北里柴三郎については、一度当エッセイで論じた。以下、女子英学塾(現:津田塾大学)を創設して、日本の女子教育に尽力し、近代日本の女性の地位向上の道を切り開いた人として評価される津田梅子(1864-1929)について論じる。
津田梅子は1871年(明治4)、7歳のとき明治政府の派遣する初めての官費女子留学生の一人としてアメリカに留学し、10年間アメリカで過ごした。帰国後、華族女学校の英語教師などを務めたが、1889年(明治22)再び米国に留学、ブリンマー大学で生物学を修めて帰国。日本の良妻賢母型の女子教育に飽き足らなさを痛感する梅子は、「男性と協同して対等に力を発揮できる女性を育成」する高等教育の場として、1900年(明治33)女子英学塾を設立した。女子英学塾は、その厳しさとレベルの高い自由な教育が評判を呼び、学生数も次第に増加。戦後は津田塾大学となり、日本を代表する女子大学として発展し現在に至っている。
梅子の父・津田仙は実直な幕府の通訳官だった。梅子は妥協を許さない潔癖な性格で、頑固さと実直さは父親ゆずり、人柄は地味だが、心に熱く一徹なものを秘め、正義感と責任感が強かった。梅子が1回目の留学を終えて帰国後、日本での女性の仕事のあり方に失望した手紙を、留学中にお世話になったランマン夫人に送ったが、アメリカに戻って来なさい、という夫人の手紙に梅子は、官費留学生として派遣された以上、日本に留まって恩返しする「道義的責任(Moral Obligation)」があります、と返信している。
梅子の英学塾における教育は極めて厳格で、並大抵の勉強ではついていけなかった。学生たちに完璧な予習を求め、英語の発音指導は特に厳しく、〝No, no! Once more!Once more!〟と正しい発音ができるまで何十回でも繰り返させた。
私は、津田梅子とかかわりのあった当時のアメリカ人の立派さに深い感銘を受ける。7歳の梅子を預かったランマン夫妻は、10年間、実の娘同様に梅子を慈しんだ。「もし梅子の留学が打ち切られるようなことがあれば、私どもは梅子の養育費や教育費を負担して預かり続ける覚悟です」という夫妻の書簡が残っている。
梅子は1回目の留学時にフィラデルフィアの資産家・慈善家メアリー・モリス夫人の知遇を得た。2回目の留学中、梅子は日本女性をアメリカ留学させるための奨学金の創設活動を始めたが、モリス夫人は募金委員長を引き受けて8千ドルの基金を集め、日本婦人米国奨学金を発足させた。帰国後梅子が女子英学塾の設立に取り組んでいるのを知ったモリス夫人、ブリンマー大学学長M・トマスなどは、モリス夫人を委員長とするフィラデルフィア委員会を組織し、女子英学塾を支える寄付金を継続的に集めて日本に送り続けた。
1923年(大正12)関東大震災に見舞われた英学塾は校舎を全焼し、塾の存続も危ぶまれる窮境となった。来日して塾の教育に協力していたアナ・ハーツホンは、すでに63歳となっていたが、急遽アメリカに帰国して募金活動を開始。3年間で50万ドルを超える寄付金を得て、塾の復興と小平キャンパスの建設を果たした。このような献身的な助力は、私心の全くない梅子の高尚な志に感じて実現したことだろうが、それだけとは思えない。こうした行動をとるアメリカ人と、アメリカの寄付文化に懐の深さを感じている。
(令和6年7月15日)
神田 淳(かんだすなお)
元高知工科大学客員教授。
著作に『すばらしい昔の日本人』(文芸社)、『持続可能文明の創造』(エネルギーフォーラム社)、『美しい日本の倫理』などがある。
候補生が奉仕活動
東山海軍墓地を清掃
<佐世保教育隊>
佐世保教育隊(司令・井上貴嗣1海佐)は、5月20日及び22日に第21期一般海曹候補生185名、第30期自衛官候補生61名及び第19期自衛官候補生(女性)14名による東山海軍墓地清掃を実施した。
東山海軍墓地には戦没者17万6千余柱と併せて海上自衛隊の殉職者162柱の霊名簿が奉納されており合葬碑・個人碑が建立されている。本奉仕活動は、歴史を正しく学ぶとともに清掃活動を行うことで自衛官としての徳操をかん養することを目的としている。
学生たちは、清掃活動に先立ち佐世保海軍墓地保存会役員で海上自衛隊OBの松永氏から同墓地の概要、歴史に関する講話を拝聴し、同墓地内の清掃活動を実施した。
最後に、総員で英霊に対し黙とうを捧げ、活動を終了した。
海自ゲストスピーカー
慶應大で講義
<海幕募集推進室>
6月10日、海幕募集推進室は、内閣府総合海洋政策推進事務局(川口参事官)、防衛装備庁長官官房装備開発官(艦船装備担当)付(湯本2海佐)、防衛装備庁艦艇装備研究所無人航走体連携研究室(熊沢室長)と連携し、慶應義塾大学総合政策学部(古谷教授)において、海洋安全保障分野における先端技術に関連した講義を企画・実施した。
本講義は海幕募集推進室が取り組む大学生へのアプローチ施策と総合海洋政策推進事務局が取り組む海洋人材の確保・育成に係る施策を融合した形で実現したものである。
無人機等の説明に学生は興味津々
当日は、ゼミの担当教授である古谷教授、大前教授(同大学環境情報学部)を始め、約30名が講義に参加した。最前線で海洋施策及び海洋技術に関する実務に携わっている3名の講師が、我が国の海洋施策、技術に関する課題を自己の経験を織り交ぜながら説明した。川口参事官が「海洋立国の実現に向けて」と題して我が国のAUV戦略とMDA構想に関する政策面を説明した。次に熊沢室長が「防衛装備庁における先端技術研究(UUV)」と題して主として海洋無人機に関する技術的な事項を説明。最後に湯本2海佐が、「海上自衛隊の戦略指針、技術系幹部自衛官の仕事内容紹介」と題して主として海上自衛隊の戦略指針と技術系幹部の主な経歴、仕事内容について説明した。
最初は静かに聴講していた学生も、質疑応答になると俄然活発となり、我が国の施策面から、GPSが使えない水中でUUVはどのように自己位置を把握するかなど、海洋無人機の技術に関する質疑に加えて、海外の技術や施策の動向など、講義の範囲を飛び出した質問もあり、海洋政策等への関心が非常に高まった様子が伺えた。理工系分野を学んでいる学生が主であったが、質疑の内容から物事を総合的かつ多角的に捉えている学生が多いことが伺われた。
海幕募集推進室は「四方を海で囲まれ、海洋に係る悠久の歴史を有する我が国にとって、海洋基本計画に示される海洋人材の確保・育成は、海洋立国の観点から極めて重要な取り組みである。また海上自衛隊や海上保安庁をはじめ海洋に携わる組織への志願者増加にも長期的かつ間接的に寄与するものと考えている。引き続き海洋政策に係る様々な組織・機関等と連携し、海の魅力や具体的な仕事の内容等を積極的にPRしていきたい」としている。
※AUV:自立型無人潜水機 MDA構想‥令和5年12月に策定された海洋状況把握(MDA)能力強化のための方向性を示したもの UUV‥無人潜水機(編集部加筆)
米海軍省功績勲章を受章
連絡官在任時の功績称える
海上自衛隊第2術科学校教育第2部長の尾藤由起子1海佐及び第22航空隊第221飛行隊長の前田皓亮2海佐に対する「米海軍省功績勲章(メリトリアス・サービスメダル)」の授与がデル・トロ海軍長官により承認され、訪日した米太平洋艦隊司令官のケーラー海軍大将(当時)から伝達された。伝達式は、4月16日に横須賀の自衛艦隊司令部で自衛艦隊司令官の齋藤海将はじめ、海上自衛隊高級指揮官の立会いの下行われた。
米海大連絡官として同盟強化に寄与
尾藤1海佐は、2018年から2022年の間、米海軍大学連絡官在任時、リーダーシップを発揮し、統合幕僚長、海上幕僚長、自衛艦隊司令官等将官級の来訪に係る重要な協議や調整を推進したこと、また、米海軍と海上自衛隊の関係強化に大きく貢献したことが認められた。さらに、教育者として国際プログラム部における授業を行ったのみならず、当時、日本に関する授業が無かった米海軍大学において、新たに日米海軍関係の授業を立ち上げ、江戸時代の黒船来航から現代の大国間競争の時代に至るまでの日米海軍関係について、歴史、法、戦略の観点から教鞭をとり高い評価を得たことなどが功績とされた。
米海軍大学連絡官が米太平洋艦隊司令官から勲章を伝達されるのは今回が初となる。尾藤1海佐は授与後のスピーチで、米海大連絡官として、日米同盟の強化のためにあらゆる交渉の推進や情報発信をしてきたが、実現することができたのは米海軍の同僚の力強い協力があったが故であり、今後も米海軍と海上自衛隊の連携及び日米同盟の強化のために努めたいと抱負を述べた。
優れた助言を提供
前田2海佐は、2021年から2023年の間、米太平洋艦隊司令部連絡官在任時、太平洋艦隊司令部とインド太平洋の同盟国及びパートナー国との業務に影響を与える問題に関する優れた助言を提供したこと、また、各種演習及び任務行動等に関する日本側との調整を行い日米間の協力関係を強化したこと、また、日本の高官が太平洋艦隊司令部を訪問した際の相互理解の促進に努めたことなどが功績とされた。
前田2海佐は授与後のスピーチで、名誉な本勲章を授与されるにあたり、在任中多大な支援を提供してくれた米太平洋艦隊司令官及び同司令部幕僚に謝意を表するともに、今後も海上自衛官として海自と米海軍の関係強化に寄与したいと抱負を述べた。