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読史随感<第167回>
神田 淳

世界情勢の変化と日本(2)

 以下、前回に続いて、次の時代―(2)日露戦争後(1905)から太平洋戦争終結(1945)まで―の世界情勢の変化と日本の対応について論じる。この時代は、前の時代(開国から日露戦争まで)から一転して、世界情勢を踏まえた日本の対応に過誤が多く、ついに太平洋戦争に至り、国家を滅ぼしてしまった。

 この時代の世界情勢をざっと見ると、1912年清国が滅び、中華民国が成立。1914年~1918年第一次世界大戦。敗戦国ドイツに過酷なベルサイユ条約が締結。大戦後大きな力をもったアメリカの主導で1921年ワシントン軍縮会議が開かれる。海軍軍縮条約が締結され、日英同盟は廃棄。1930年ロンドン会議でワシントン会議に続く海軍軍縮が合意。1931年満州事変が起きる。1937年盧溝橋事件が発生し、日中戦争が始まる。1939年第二次世界大戦が始まる。1940年日独伊三国同盟条約締結。1941年~45年太平洋戦争。

 この時代の日本の国際的な対応を振り返ると、日中戦争と日独伊三国同盟が決定的な誤りだったと思う。日本は中国と戦争したが、戦争は泥沼化し、やめることができず、どうしようもなくなった末、独伊と同盟を結んでアメリカを明確に敵に回すことになり、アメリカとの戦争に入ってしまった。

 日中戦争は全く無益な戦争で、日本は速やかにやめるのが正しく、またやめる機会はあった。しかし当時の日本はそれができなかった。まず、1937年8月盧溝橋事件が起きたとき、政府は戦争の不拡大方針を貫くことができなかった。政府が主戦派の軍部を抑え、断固として中国とは戦争しない国策に徹底すれば、日中戦争は起きなかったと思う。

 次に、上海戦で日本が勝利したときが戦争をやめる良い機会だったが、これを逸した。日中戦争は上海戦で本格化した。蒋介石は全面戦争の決意を固め、5万人を投入して上海にいる日本の海軍陸戦隊5千人を攻撃。日本は5個師団を派兵し、3か月に及ぶ大激戦の末、勝つことができた。蒋介石は12月2日に、広田外相が11月2日に提示していた和平案(第1次)を受け入れて日本に降伏する旨、在中華ドイツ大使トラウトマンに伝えた。12月7日その報告を受けた広田外相は、「日本はその後南京を攻略しつつあり、戦局が進んだので、和平条件は加重される」と答え、蒋介石の降伏を拒絶した。南京陥落後の翌1938年1月11日御前会議が開かれ、1月15日までに和平案(和平条件を加重した第2次和平案)に対する回答が蒋介石より得られなければ交渉を打ち切ることを決定。16日、近衛首相は「爾後国民政府を対手(あいて)とせず」という声明を出し、日中戦争終結の機会が失われた。御前会議で参謀本部を代表する多田駿次長は、第1次和平案で蒋介石との和平を実現させるべきだと強く主張したが、却下された。歴史を顧みれば、多田次長の主張が決定的に正しい判断だった。国家としてこれができなかった歴史の研究は、重要な教訓を見出すだろう。

 次に日独伊三国同盟。日米戦争に至るポイントオブノーリターンとなるような同盟を日本はなぜ結んだのか。1940年9月7日ヒトラーの特使シュタイマーが来日し、前年提案したが棚上げになっている三国同盟を再提案。近衛内閣は9月19日に三国同盟の締結を決定した。この頃まで第二次世界大戦におけるドイツの勝利はめざましく、5月英仏連合軍を破り、6月にはフランスが降伏していた。欧州を支配する勢いのあるドイツと組むのが有利と判断され、同盟はアメリカとの戦争の抑止力になると判断された。しかし、この判断は決定的に誤っていた。誤った判断がなぜ国家としての意思決定となったか。これを追求する研究も深い教訓を生むだろう。

(令和7年2月15日)


神田 淳(かんだすなお)
 元高知工科大学客員教授。
 著作に『すばらしい昔の日本人』(文芸社)、『持続可能文明の創造』(エネルギーフォーラム社)、『美しい日本の倫理』(https://utsukushii-nihon.themedia.jp/)などがある。

ソロモン諸島に能力構築支援

不発弾処理に係る知見を共有

金子政務官が派遣隊員らを激励


 防衛省・自衛隊は、2月1日から17日まで、ソロモン諸島・ガダルカナル島にある首都ホニアラに、陸上自衛隊武器学校の4名と防衛政策局インド太平洋地域参事官付2名を派遣し、不発弾処理分野の能力構築支援事業を行っている。髙橋忍2陸佐以下6名は、ソロモン国家警察不発弾処理局に所属する不発弾処理要員8名に対して、旧日本軍弾種等に関する知見の共有と一般市民への啓蒙方法に関する知見の共有を行う。

 これは、自前の軍を持たない太平洋島嶼国との能力構築支援について、「軍以外の沿岸警備隊等も対象の検討とする」とした国家防衛戦略に基づくもので、昨年1月に初めて行われた事業。ガダルカナルの戦いから80年以上経過した現在でも、100万発以上の不発弾が残存すると言われ、暴発事故による一般市民の犠牲が絶えない。本事業は、現地警察に不発弾処理能力を向上させることで、不慮の事故を軽減することに寄与する。

 1月31日、派遣される隊員らが、金子容三大臣政務官に対して出国報告を行った。金子政務官は「歴史的にも深い関係を持ち重要な友人であるソロモン諸島の友人に対し、きめ細やかで親身なサポートを行い、専門的かつ高いレベルでの知見を共有いただくことを期待しています」と激励の言葉を贈った。


日本地雷処理を支援する会(JMAS)が
カンボジアでオタワ条約第5回検討会議に参加
‐これまでの活動が高い評価を得る‐

現地の学校で危険回避教育


 昨年11月25日から29日、カンボジアのシェムリアップにおいて「対人地雷禁止条約(通称:オタワ条約)第5回検討会議」が開催された。オタワ条約は、地雷のない世界を目指すための国際条約であり、今回の会議には、締約国のうち89カ国・地域(全締約国は164カ国・地域)及び13の国際機関の他、「地雷禁止国際キャンペーン(International Campaign to Ban Landmines:ICBL)」をはじめとする多くのNGOが参加する中、「認定特定非営利活動法人日本地雷処理を支援する会(以下JMAS)」も参加し、カンジアで行っている活動の紹介を通じ、多くの関心を頂いた。
アンコール・ワットを行進
 JMASは、地雷除去活動を通じてカンボジアの安全と平和を支援するために設立された認定特定非営利団体。今回の会議では、JMASとして、これまでの地雷除去の実績などカンボジアにおける活動を紹介するとともに、地雷探知機のデモンストレーションや地雷処理機の展示を行った。
 JMASの展示ブースには、フン・マネット カンボジア首相や日本から参加中の英利アルフィヤ外務政務官をはじめとする多くの訪問者の来訪を頂いた。フン・マネット首相からは「JMASは私の友人の山崎会長の組織ですね。会長はお元気ですか」と親しみを込めたご発言があり、英利外務政務官からは、「日頃の活動ご苦労様です。これからも頑張って下さい」とお言葉を頂いた。
 また、JMASのスタッフ全員が地雷の危険性を広く知らせるとともに、地雷除去活動の重要性を訴える行進に参加し、アンコール・ワット前を行進する姿が多くのメディアに取り上げられた。世界に誇る遺産である美しいアンコール・ワットをJMASカンボジアスタッフ全員で地雷撲滅のスローガンを掲げて歩くことができたことは、我々にとっても生涯の思い出となった。
地雷被害終結へJMASが果たすべき役割は大きい
 今般、日本政府を代表して出席した英利外務政務官は、対人地雷による苦痛及び犠牲を終結させることへの決意を新たにする「シェムリアップ・アンコール・コミットメント」に署名した。このコミットメントは、今後5年間の条約履行状況を評価し、その課題や目標について議論するものであり、その一環としてJMASの活動が重要な役割を果たすことを期待されている。
地雷除去だけにとどまらず
 カンボジアにおけるJMASの活動は、地雷除去だけでなく、地雷の危険性を広く知らせるための教育活動(危険回避教育)も行い、地域住民の安全意識を高めている。
 またカンボジア地雷対策センター(CMAC)と協力し、ドローンを用いた地雷探知技術の教育を行っている。若い隊員たちは競って学び、その成果は現地での地雷除去活動に大いに役立っている。
 更には、農地整備支援事業、既存道路の補強整備や暗渠構築を始めとする安全な村づくり事業の他、クラウドファンディングを活用して地雷処理活動地域周辺の小学校の子供たちに、清潔なトイレと手洗い場設置する等の事業も行ってきた。
 このようにJMASは、地雷除去活動にとどまるだけでなく、「地雷除去後の住民の生活まで考慮した事業を行っている」ことに対し、海外のNGOをはじめ多くの方々から高い評価をいただいた。
「退職自衛官の生き方としてこれほど素晴らしいものはない」
 今回の会議を通じて、JMASはその活動の重要性を国際社会にアピールし、多くの支持を得ることができた。今後もJMASは、地雷のない世界を目指して活動を続けていく。特に本年は、対人地雷禁止条約(オタワ条約)締約国会議の議長国を日本(議長‥軍縮代表部・市川大使)が努めることもあり、我が国の地雷除去NGOとしてJMASの活動もより一層注目されることになるだろう。
 2024年末まで、約1年間にわたり、カンボジアにおけるJMAS代表を務めた軽部真和さんからは、「私は、自衛隊を退職し再就職先も定年した後、63歳でJMASに参加しましたが、異文化で生活しながら、やり甲斐のある仕事を行なうという大変充実した時を過ごすことができました。自衛官当時の能力・知見を活用でき、海外生活を体験できることは退職自衛官の生き方として、これほど素晴らしいものはないと感じています」とのコメントが寄せられた。
 JMASは、今後とも「安全で豊かな社会の創造」に務めてまいります。当会の活動にご関心をお持ちの方は、ぜひ公式ウェブサイトをご覧いただき、ご支援、ご参加をお願いいたします。

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