自衛隊ニュース
日本防衛の核心としての自衛官
‐人的基盤はいかにあるべきか‐
<第9回>
笹川平和財団日米・安全保障研究ユニット総括・交流グループ長 河上康博(元海将補)
提言5
予備自衛官制度の
大胆な見直し
この原稿を作成している現在、人的基盤強化の政策提言第2段に向けての海外調査のため、欧州のエストニアおよびフィンランドに出張中である。両国とも陸地で権威主義国ロシアと接しているため、徴兵制や予備役制度、さらには市民による国防体制を含め緊張感を持った安全保障政策のもとでの体制をとっている。同じくまたはそれ以上の3か国の権威主義国に囲まれる日本の防衛には、現状では現役自衛隊員以外の人的防衛力が十分に活用されているとは言えず、大胆な見直しが急務であることを改めて本調査においても強く感じている。
日本は、さらに少子化の加速により、募集対象人口(満18歳から32歳までの総人口)は30年後には現在の約6割にまで減少することが見積もられる。隊員の処遇改善策等を講じたとしても、自衛隊の現体制を維持することが極めて困難であることは明白である。社会全体が高齢者の活躍に期待し「高齢者雇用安定法」により65歳までの安定した雇用が義務付けられる中、諸外国に見られる予備役制度に倣い、まずは自衛隊の予備自衛官制度を大胆に見直し、退職自衛官の活用を図ることは、有事はもちろん平時の任務を果たすためにも必要である。
予備自衛官制度は、緊急時の人的防衛力確保のため、1954年自衛隊発足と同時に導入された。しかし、現在、予備自衛官4万7900名の定員に対し近年の充足率は7割以下であり、特に第一線部隊における戦力の補完を期待する即応予備自衛官は5割程度の充足に留まっている。日本において、急速かつ計画的に自衛官を補完できる人材は予備自衛官等に限られているにもかかわらず、その目的を果たせる現状にはない。
予備自衛官等を貴重な人的防衛力として有効に活用するため、退職自衛官(一定の期間を勤務した中途退職者を含む)を平素からの貴重な人的防衛力ととらえ、原則として退職後一定の期間、予備自衛官等として第一線部隊を含む自衛隊の活動を支援する体制を検討すべきである。
そのために以下の3点の検討を提言する。まず、予備自衛官等に対する社会的評価の確立である。退職した自衛官が納得して志願できるよう、予備自衛官制度に対する意識を変える必要がある。
志願者が少ない最大の理由は「職場と訓練の両立が困難」なことにある。退職した自衛官の多くは企業等に再就職するが、予備自衛官等となった場合に、勤務先から十分な理解を得られないことも多い。訓練と現業のスケジュール調整に苦労しながら何とか訓練に参加している予備自衛官等も多い。そのため、就職先企業等の意識改革は急務であり、予備自衛官等を「国民的義務を果たす代表者」として尊重する意識を、政府や企業を挙げて社会で共有する必要がある。その上で、国は他諸国と同様の企業等に対する十分な補償や税制優遇等の明確なインセンティブを検討すべきである。
第2に予備自衛官等の勤務態様の見直しの検討である。日本の労働市場においても、従来のフルタイム正社員制中心から多様な働き方が認められるようになり、人材の流動性も高まっている。予備自衛官等においても訓練および緊急時における招集を基本としつつも、企業等との調整を図ることで、自衛隊との兼業を可能とするなど、様々な雇用形態(期間労働、パートタイム労働等)が選択可能な制度を検討し、予備自衛官等のスキルを高めるとともに、自衛隊の慢性的な人材不足解消の一助とすべきである。また、この際にセキュリティ・クリアランスをはじめ、退職前に所有した資格等の継続を検討すべきである。
そして、第3は、予備自衛官等の処遇の改善の検討である。一定期間、特に長期の勤務を終えた退職自衛官が、引き続き予備自衛官等として危険を顧みず任務に就くことへの精神的な負担は極めて大きく、予備自衛官等を一職業として考えている限りは、志願者を確保することは困難である。
優良な隊員を叙勲の対象とするほか、自衛官と同様の医療や福利厚生の受給資格に加え、手当の充実および非課税化、「提言3(1)国家補償年金制度(仮称)」の予備自衛官等への適用等、諸外国の予備役制度を参考に、勤務の特殊性に応じた十分な処遇を検討すべきである。人口が日本の約1/5のオーストラリアでは、退職軍人を予備役として登録するとともに、軍と企業等の間で人材交流が容易となるよう就労におけるハードルを下げ、民間企業の動向に合わせた予備役軍人の報酬の見直しや、双方における成果を加味した昇任・昇給を可能とするほか、家族を含めた医療や住居に対するサービスの向上等の魅力化を図っている。何より、予備役軍人と所属企業等の双方が国防に貢献することに誇りを有している。
予備自衛官等とその家族が安心して誇りをもって勤務できる環境を整え、予備自衛官制度を「有事の予備戦力」から「平時から有事まで日本の防衛力を支える」制度へと見直す必要がある。
読史随感<第187回>
神田淳
新年と清浄の日本文化
謹賀新年。すがすがしい気分で迎える新年は、清浄の日本文化に満たされるときである。人々は年末に「大掃除」を行う。「大掃除」は、新年に「年神様」を迎えるために家を清浄にする。神は清浄なところにまします。年神様は五穀豊穣をもたらす神で、先祖の霊でもある。年神様を迎えるため、神の「依り代」として門松を掲げる。
日本の清浄な生活習慣は、世界的に知られている。トロイ遺跡の発掘で著名なシュリーマンが幕末の頃来日して、「日本人が世界で一番清潔な国民であることは異論の余地がない」と書き残している。中国人は清潔・衛生意識が世界一高い国は日本だと評価していて、「日式清潔」という言葉がある。近年、サッカーの国際試合で、日本人サポータ‐が座席周辺を清掃したり、ゴミ拾いをして帰る姿が世界のメディアに報じられて話題になった。最近では、ワールドシリーズで大活躍した山本由伸投手がペットボトルやゴミを自ら拾いゴミ箱に捨てる姿が中継され、賞賛された。
清潔を好み、よく入浴し、よく掃除する。後片付けをきちっとやる。こうした日本の生活習慣は長い伝統をもち、今なお根強く生きている。清浄を尊び、汚れを穢れとして嫌う神道の文化でもあるが、実は清浄を尊ぶ精神文化は世界的なものである。
大乗仏教は清浄を重視し、心を清めることを信心の根本とする。食事、行動、言葉を清浄に保ち、心身を澄みきらせ、煩悩を浄化する。キリスト教も清浄を尊ぶ。洗礼は水で人を浄化する象徴的儀式。旧約聖書の律法に儀式的な清浄規定があった。しかし、キリスト教の清浄思想は外面的な儀式や物理的な清潔さより、心の内面的な清さ、道徳的な純粋さを重視する精神として発展した。イスラム教にも「清浄(タハーラ)」の思想があり、信仰の根幹に位置づけられている。ムハンマドは「清潔さは信仰の半分である」と言い、清浄は神に近づくための条件とされる。礼拝前に手や顔、足を洗う儀礼的浄化の他、衣服や住環境を清潔に保つことも信仰の一部とされる。
清浄の文化は日本に特有なものではないが、日本の自然、社会、歴史の中で、日本でよく発達した文化と考えてよいだろう。日本では、清浄の思想が、家庭生活、倫理・道徳、社会生活に広く及んでいる。日本では工場やオフィスに5S(整理、整頓、掃除、清潔、躾)の標語を掲げて推進する。職場の清浄環境が生産性や仕事の質に影響することを、日本人は経験的に知っている。
昨年1月、91歳で逝去した自動車用品販売会社(株)イエローハットの創業者鍵山秀三郎氏は、日本の清浄信仰の申し子だった。鍵山さんは高校卒業後上京、就職した会社でトイレ掃除を始めた。29歳のとき独立してロイヤル(イエローハットの前身)を設立してからも、毎日会社と近隣を掃除し続けた。やがて社員も掃除に参加するようになり、周囲から評判もよくなって、会社の業績も上がっていった。鍵山さんは掃除体験を語る。トイレ掃除をすると気持ちがすっきりし、素直な心になる。不思議に先のことがよく見えるようになった。掃除を続けていると物事によく気づくようになり、直観力が研ぎ澄まされて突発的な問題に対する判断力が高まった、と。イエローハットは、掃除によって磨かれた鍵山さんの経営判断力のもとに、よき会社として成長した。鍵山さんは掃除によって事業にも成功し、社会に貢献する偉大な生涯を全うした。
(令和8年1月1日)
神田 淳(かんだすなお)
元高知工科大学客員教授。著作に『すばらしい昔の日本人』(文芸社)、『持続可能文明の創造』(エネルギーフォーラム社)、『美しい日本の倫理』(https://utsukushii‐nihon.themedia.jp/)などがある。
操縦席からの回顧録
~大いなる空へ夢を乗せて~
手記:井上 正利(監修:芦川 淳)
<第7回>10カ月の座学を終えて始まったフライト訓練
写真=実機でのフライト訓練に先立つ10カ月間は座学が続く。楽しみを前にしての試練である
少年工科学校20期生として卒業後に沖縄の第1混成団第一〇一飛行隊で勤務、ヘリコプター整備の腕を磨きつつパイロットへの道を狙っていた私だが、何度落ちても最後の最後まで、絶対に諦めずはいつくばった。そして5回目のFEC(陸曹航空操縦課程)受験でなんとかラストチャンスを勝ち取った。昭和59年夏のことである。
昭和59年9月、陸上自衛隊航空学校宇都宮分校に入校すると、最初に入念な身体検査を受けた。このときの検査では、視力と心電図で規定値に達せず、残念なことに不合格となって原隊に戻った要員が2人いたが、パイロットには完璧な身体能力が要求されるので仕方ない。視力が規定に「0・1」しか足りなくても絶対に合格はないのだ。
もし偶然に基準値をクリアーできたとしても、最低でも年に一度は厳しい検査を受けなければならず、必ずどこかでつまずいてしまうだろう。航空身体検査の規定は、我々を危険から守ってくれる砦だと私は考えている。厳しいプロの世界に妥協があってはいけないのである。
こうして晴れて操縦学生に任命されると、オリエンテーション教育の後に、早速、パイロットを目指す教育が始まった。それからは航空機漬けの毎日となるわけだが、まずは実機での教育の前に約10カ月に及ぶ長い座学が待ち受けていた。座学自体は苦でもなんでもなかったが、物理の流体力学や数学の解析幾何学などは『こんなことが本当にフライトに役立つのか?』と感じていただけに他の科目よりは苦労させられたという記憶がある。特に解析幾何学は少しだけ居眠りしたお陰で最初からじっくりと勉強しなおし、無駄な時間を作ってしまった。やはり授業は万全の態勢(特に身体的に疲れを残さないこと)で臨むことが大切である。
そして昭和59年9月より陸上自隊航空学校宇都宮分校に入校し、ヘリコプターパイロットとしての第一歩を踏み出すことになった。もっともFEC生活最初の10カ月は座学ばかりで、流体力学や解析幾何学などの難解な理系科目がもともと苦手であっただけに退屈な時間であったように思える。
そういえば、私の隣の席にはI学生という授業中によく寝る学生が居たが、彼はとんでもない博識者で世の中には凄い奴が居るものだと感心するほどの人物だった。私が疑問に感じたことを彼に問えば、社会・経済・政治の一般常識から雑学的なモノまで、素晴らしく完璧に近い解答が返ってくる。いまのようにインターネットもなく、AIなんてSFの世界なみに遠い時代である。どこでどう勉強すればこういう知識を得ることができるのだろうと不思議で仕方なかった。
しかし、そんなI学生は、なぜか学科試験となるとことごとく落第しては追試となってしまうのだ。もの凄い物知りなのに、なぜか学科試験では赤点を取るのだから、それも不思議で仕方ない。そして更に不思議なことに、なぜかその再試験を軽々とクリアーして首がつながってしまうのである。ちなみに私が学んだ第24期FECでは学科試験を落とすたびに、椅子の背もたれに学科試験落第の意味する赤い☆マークのシールを貼って遊んでいた。いうなれば逆撃墜マークである。I学生はFECの課程を終えるまでにその赤い☆マークを20個近くも収集しながら、しっかり卒業することが出来たのだからたいしたものである。
そのI君とは、FECを卒業してから20数年後に沖縄勤務の際に再会し、机を並べて勤務した。お互いに機長となっていたが、FEC24期の同期では私を除けば全員がヘリパイの道を進み、ヘリ一筋の彼はまだ陸上自衛隊に導入されたばかりのUH‐60JAの操縦士を務めていた。エンジン双発のUH‐60は、UH‐1H(エンジン単発)の後継機として導入され、洋上飛行の多い沖縄には全国の飛行隊に先駆けて配備されていた。赤い☆マークを20個も頂戴した彼が最新鋭機とは恐れ入る・・・やはり凄い奴だった。
課程教育前半戦である約10カ月の座学期間を終えると、いよいよ実機を使ったフライトに移行する。実機の課程で半数の学生がリタイアしてしまった期もあると聞いたが、当時を振り返ってみると、確かに学科だけの時は気が楽で、突破しなければと焦るよりもエンジョイする気持ちのほうが勝っていたと思える。再び入校時と同様の厳しい航空身体検査を受け、それにパスするといよいよ訓練フライトに向けての準備が始まる。(つづく)
井上正利(いのうえまさとし)少工校20期生。
陸自では希少な固定翼機操縦士として緊急患者空輸等で活躍(総飛行時間4967時間)、現在は航空会社の那覇営業所長と安全推進室長を兼任