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   2003年10月1日号
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10カ国、13寄港地を訪問
海自遠航部隊が帰国
 海自遠洋練習航海部隊(司令官・杉本正彦海将補以下800名)が9月8日、東京・晴海に帰国した。練習艦「かしま」、護衛艦「さわぎり」「はまゆき」の3艦が10カ国(13寄港地)を巡る航海を終え、相次いで晴海埠頭K桟橋に到着、赤城徳彦副長官、守屋武昌事務次官、古庄幸一海幕長はじめ高級幹部、家族、関係者ら多数が隊員を出迎えた(=写真)。
 午前10時すぎから帰国行事が開かれ、杉本司令官の帰国報告、赤城副長官の訓示、古庄海幕長の訓示、花束贈呈などが行われたあと、隊員は家族のもとにかけ寄り約半年ぶりの再会を喜び合っていた。

国民の自衛官
1団体9個人が受賞
 第2回国民の自衛官(主催・フジサンケイグループ、主管・産経新聞社、協力・防衛庁)の表彰式が9月16日、都内のホテルで開かれた。この賞は、国際貢献や精強な部隊の育成、人命救助など各分野での活動や日常の行動で功績のあった自衛官に贈られるもので、今回、9名と1団体が受賞した。
 表彰式には、防衛庁・自衛隊の高級幹部をはじめ関係者多数が列席した。午後2時、受賞者が各々夫人を伴って会場に入場。国家吹奏に続いて受賞者一人ひとりが壇上で順次紹介された。
 主催者の清原武彦産経新聞社長が挨拶に立ち「受賞者は、われわれ国民共有の財産」と功績を称えたあと、受賞者に表彰盾を、夫人に記念品をそれぞれ贈った。
 次いで、来賓の石破茂防衛庁長官が祝辞の中で受賞者一人ひとりの功績を称えながら「国民が最後に頼るのは自衛隊。だからこそ、どの組織よりも規律正しく、信頼に足る組織でなければならない。そうであれば、日本はどんな困難があっても21世紀を生きていける」と強調した。また、安倍晋三官房副長官は「『ことに臨んでは、身の危険を顧みず』という決意をした皆さんの意志が日本を守っている。長い道のりで苦労した皆さんに敬意を表したい」と祝辞を述べた。
 引き続き、受賞者代表の挨拶、祝賀演奏、記念撮影などが順次行われ、栄えある表彰式を終えた。
 受賞者は次のとおり。
▽山口陽一郎1陸佐(中方総監部、53歳)▽桑原巧3陸佐(北方航空隊、52歳)▽滝ヶ原自衛隊(陸自普通科教導連隊)▽佐藤淑孝2海尉(205教空隊、52歳)▽村山成雄准海尉(潜医隊、53歳)▽小宮光春海曹長(補給艦はまな、51歳)▽久保田達夫准空尉(百里救難隊、50歳)▽外有祥一郎1空曹(航空中央音楽隊、33歳)▽熱海孝2空曹(3補処、33歳)▽竹之上典昭1陸佐(技本技術開発官付、48歳)

防衛庁で不祥事防止会議を開催
 防衛庁では9月11日、A棟第1庁議室で不祥事防止会議を開き、施策のフォローアップ作業などのための枠組み等を次のとおり決定した。
 (1)不祥事防止会議の下に副長官を長とする「人事関係施策等フォローアップ会議」(▽議長=副長官▽副議長=人事教育局長▽構成員=陸幕人事部長、海・空幕人事教育部長、統幕第1幕僚室長、その他議長が指名する者)を設置し、平成12年5月に不祥事防止会議で取りまとめられた不祥事防止施策のフォローアップ作業を加速させる。
 (2)自衛官OB3名と部外有識者5名からなる「人事関係施策等検討会議」を開催し、フォローアップ作業に係る点検・評価及び部内検討だけでは得られない不祥事防止に係る有用な視点を提示してもらう。

自衛隊音楽まつり入場者を一般公募
 自衛隊音楽まつり(マーチングフェスティバル2003イン武道館)が、11月22、23の両日、日本武道館で開催されます。申し込み方法などは次のとおりです。
 【11月22日(土)】▽第1回公演14時30分〜16時▽第2回公演18時〜19時30分
 【11月23日(日)】▽第3回公演14時30分〜16時▽第4回公演18時519時30分
 〈申込み方法〉
 (1)往復はがきに図の要領で記入した上で、郵送にてお送り下さい(10月17日鶴必着)
 (2)当選はがき1枚で2名まで入場できます。
 (3)多くの青少年層に来場してもらうために「青少年券」を設けています。青少年券での入場は2名のうち1名以上が29歳以下であることが必要です。
 ※自衛隊音楽まつりの入場券及び当選はがきは非売品です。営利目的では使用できません。
 〈お問い合わせ先〉防衛庁陸上幕僚監部広報室 電話03・3268・3111内線40091〜94

オータムフェア開催
陸自広報センター
 陸上自衛隊広報センターでは秋のイベント「オータムフェア」を開催します。
 〈イベント内容〉★大型トラックに乗って朝霞駐屯地内を見学★野外炊具による炊き出し(軽食体験)
 ※材料費200円(広報センター友の会主催)
 〈開催日時〉10月18(土)、19日(日) 両日とも午前10時〜午後3時
 〈場所〉陸上自衛隊広報センター(朝霞駐屯地)
 〈お問い合わせ先〉陸上自衛隊広報センター電話03-3924-4176

<論陣>
中東和平、夢のまた夢か
パレスチナ議長追放決議
 世界中の人びとが待ち望んでいる中東和平、とりわけイスラエルとパレスチナ自治政府との和解は、当分、望めそうにない。イスラエルとパレスチナの対立は"アラファトパレスチナ自治政府議長の追放"をイスラエル政府が決議し、追放案に反対する国連安全保障理事会では、米国が追放案提出に反対との拒否権を発動、英国・ドイツ・ブルガリアが棄権、残り11カ国が賛成という複雑な様相を呈している。問題解決のむずかしさを見せつけている。
 イスラエルとパレスチナは、これまでに十数回も停戦協定を結び、和平に努力する申し合わせをしてきたが、ものの10日もたたずして、どちらかがテロ攻撃を実行、それに対する報復攻撃がくり返され、国家間の約束は反古(ほご)にされてきた。
 ユダヤ教とイスラム教との宗教的対立、領土的対立が主たる原因の戦争だが、テロ実行には、イスラム原理主義組織ハマス、アルアサ殉教者旅団などの対ユダヤ(イスラエル)攻撃集団が自爆テロ、集団攻撃を行っており、これら集団は戦いを"聖戦"と位置付けて戦闘行為をやめる気配は全く見られない。これでは、国連安保理がどう動いても調停できるはずがない。また、例えば国連の仲介案が実現しても、それは数日後に絵に画いた餅になってしまう可能性が高い。
 宗教的対立は明白だが、領土的対立となると、それを理解するのは、なかなかむずかしい。イスラエルにユダヤ人の祖先が定住したのは紀元前20世紀ごろである。紀元前10世紀にはダビデ王が地中海沿いのこの地にイスラエル王国を建設し、首都をエルサレムに置いたことは、文献に残っている。
 その子ソロモンが王になったが、死後、イスラエルは分裂した。ペルシャ、英国などが支配者になったが、結局、弾圧することでしかできなかった。虐殺などが続いたためユダヤ人は国を捨て、多数が放浪する以外に道はなくなってしまった。いわゆる"亡国の民"の出現である。
 パレスチナは第1次世界大戦終結以来、英国の信託統地(植民地)下になった。そのころもユダヤ人は「完全独立」を求めて内乱をくり返していた。統治不可能とみた英国は1947年、植民地廃止を決め、すべての軍隊、行政組織をもって、本国に撤退してしまった。かつてのイスラエル国は、パレスチナという国になっていたのである。
 では、なぜイスラエルという国が復活できたかというと、第1次世界大戦遂行中、英国は、流浪の民で、世界でも大金持ちが多いユダヤ人から、巨額の戦費を借りた。そのときの裏約束が「将来ユダヤ人の国を再起してやる」だった。
 第2次大戦が終結して、ユダヤ人の代表が英国に"約束の実行"を迫る一方で、国連に対して「イスラエルの建国」を要請した。裏方さんとしての英国の動きもあって、1947年の総会でパレスチナをユダヤ地区、アラブ地区、国際管理地区の3つに分け、ユダヤ地区にイスラエルという名の国にする国家樹立を決定した。アラブ地区は国ではなくパレスチナ人が居住するパレスチナ自治組織とした。
 しかし、この決議が大国の理論による押し付けだったため、周辺のアラブ諸国の強い反発をくった。1948年、祖先の地にイスラエル建国宣言を発し、意気旺盛のイスラエルは、アラブ諸国と戦闘を開始(第1次中東戦争)。一方、国連が決定したパレスチナ地区を攻め続け、その多くを武力でイスラエルが制圧してしまった。土地を失った約70万人のパレスチナ人は、難民となり外国を渡り歩くことになった。1964年、難民の一部は、エジプトの支援を受けてパレスチナ解放機構が結成された。いわゆるPLOの出現である。PLOは「パレスチナを取り戻せ」と主張する一方、フランス、アメリカ、英国などでテロ行為を行い、多数の犠牲者を出した。そしてハマスなど超過激なテロ集団が誕生、聖戦の名の下で自爆テロなどをイスラエルに加えている。
 ことしの夏、アメリカなどによって停戦協定が結ばれたが、結局、実らず、新たにイスラエル政府が「アラファトPLO議長のパレスチナからの追放」を決議した。両国の対立がとけぬ以上、中東和平の実現はない。

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