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   2003年3月15日号
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東チモールPKO特集 1、2面

先崎幕僚長が隊旗授与(3次隊)
第3次東チモール派遣施設群(群長・田邉揮司良1陸佐以下522名、中部方面隊主力)の隊旗授与式が3月1日、伊丹駐屯地(兵庫県伊丹市)で行われた。午前11時すぎ、女性自衛官5名を含む全派遣隊員を前に、先崎一陸幕長が赤城徳彦副長官の訓示を代読・田邉群長に隊旗を授与した(=写真)。引き続き、田邉群長の記者会見、壮行会食などが行われたあと、駐屯地隊員や家族に見送られながら関西空港へ。そして当日夜、民航機で東チモールへ向け出発した。

国連、東チモール国民から高い評価 2次派遣施設
初の民生支援業務にも従事
政府、国連代表が見守る中での機材教育試験(ディリで)
 約460年間の長期にわたるポルトガル植民地時代を経て、76年以降もインドネシアに併合されていた東チモールは99年、実に98%以上の投票率を記録した住民投票で独立派が圧勝、その後、様々な苦難を乗り越えて、国連暫定統治のもと昨年5月20日、21世紀最初の独立国家として誕生した。同時に国連は国力建設と安全確保のためUNMISET(国連東チモール支援国)を設立。国連加盟各国がこの任に就く中、日本は同年3月、女性を含む過去最大規模となる680名の自衛隊を1次隊として派遣。6ヵ月交代の活動の中で道路や橋梁の維持・補修の他、向こう2年間に及ぶ自衛隊の活動の土台となる宿営地設営などの任務を果たした。UNMISETは、これまでのPKO活動には例のないCMA(民生支援)業務を新たに加え、民間と軍との協力関係の強化を計っているが、この日本にとっても初めてとなる任務には、同年9月に第2派として派遣された陸自第2次東チモール派遣施設群(群長・大坪義彦1佐以下680名、東北方主力)が従事している。2次隊は、今回の派遣施設群で、最も多大な作業量をこなしながら、施設機材操作教育をはじめとする民生支援、数多くのボランティア活動に積極的に取り組み、PKF司令部、東チモール国民から高い評価を受けた。記者は先崎一陸幕長、奥村快也東北方総監の2次隊への激励ビデオレターを届けるため東チモールに訪れた河村仁陸幕広報室長に同行し、ディリ、マリアナ、スアイの現地の様子を取材した。(本紙前号3月1日付の続報。塩田愛子)

 2月14日、東京ではまだ朝晩の冷え込みにマフラーと手袋が手放せない頃、東チモールの中心都市ディリに河村仁広報室長、映像写真中隊の緑川武彦2曹、濱砂和美3曹ら3人と一緒に記者も降り立った。雨季といえども晴れていれば30度を越える気温に達し、さんさんと降り注ぐ太陽に、立っているだけでも汗がふき出る程の熱帯地。
 街は車やバイクなどの交通量も多く、マーケットには豊富に品が揃い、ノートを手にした学生達のいきいきとした表情もあちこちに見受けられ、活気に満ちている。昨年12月4日に発生した大規模な暴動の際には、群本部が置かれるディリ宿営地に邦人や外国人が避難する緊急事態もあったが、自衛隊、国連の尽力により今ではすっかり落ちつきをみせていた。
 この日、街の中心部に程近いテラサンタ村では、1中隊(中隊長・吉春隆1尉)がバスケットコートの観覧席の構築にあたっていた。このコートでは全国のバスケ、バレーチームが集まり、約2週間にわたって熱戦が繰り広げられる。現場ではコンクリートで作られた座席が白いペンキで塗られ、作業はちょうど東チモールと日本の国旗をペイントしているところで、隊員の周りには親しげに子供達が寄りそい、ていねいな作業をじっと見つめている。村長もほぼ毎日顔を出し、次々と予定外の要望を出すのだというが、隊員は材料の工夫をしながら精一杯それに応えていた。
 ディリから約160?離れたスアイまでは車両だと、マリアナ経由で道なき山岳地帯を約8時間かけての1日がかりの移動となる。雨季ともなれば地面はぬかるみ陥没し、輸送班にとっては最大の難所となっている。河村室長らは、得がたい体験だし東チモールの本当の(2面につづく)

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