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   2003年2月1日号
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統幕議長に石川海将
古庄海幕長
道家海幕副長、香田護衛隊司令官
統幕議長 石川 亨(いしかわ・とおる)
昭和19年生まれ、埼玉県
42 防大卒、海自入隊
5 第1航空群司令
7 海幕防衛部長
9 海将、教空団司令官
11 佐世保地方総監
13 海上幕僚長

海幕長 古庄 幸一(ふるしょう・こういち)
昭和21年生まれ、大分県
44 防大卒、海自入隊
9 練習艦隊司令官
10 海幕監察官
11 阪神基地隊司令
13 海将、護艦隊司令官
14 海上幕僚副長

海幕副長 道家 一成(どうけ・かずなり)
昭和23年生まれ、京都府
46 防大卒、海自入隊
7 海幕監理部総務課長
9 佐世保総監部幕僚長
10 第1護衛隊群司令
11 海幕人事教育部長
14 海将、護艦隊司令官

護艦隊司令官 香田 洋二(こうだ・ようじ)
昭和24年生まれ、徳島県
47 防大卒、海自入隊
6 海幕防衛調整官
8 海幕防衛課長
9 護艦隊幕僚長
11 第3護衛隊群司令
13 海幕防衛部長

<防衛庁発令>
◇海将に昇任
 (海幕防衛部長) 海将補 香田 洋二
 統合幕僚会議議長(海上幕僚長) 海将 石川 亨
 海上幕僚長(海幕副長) 海将 古庄 幸一
 海上幕僚副長(護艦隊司令官) 海将 道家 一成
 護衛艦隊司令官(海幕防衛部長) 海将 香田 洋二
 退職を承認=勧奨(統幕議長) 空将 竹河内 捷次
◇海将補に昇任
 (護艦隊幕僚長) 一海佐 柴田 雅裕
 (教空団幕僚長) 一海佐 岩田 耕道
 防衛大学校訓練部長(海幕付) 海将補 泉 徹
 海上幕僚監部防衛部長(2空群司令) 海将補 倉本 憲一
 横須賀地方総監部幕僚長(防大訓練部長) 海将補 田村 力
 第2航空群司令(教空団幕僚長) 海将補 岩田 耕道
 退職を承認=勧奨(横監幕僚長) 海将補 小林 拓雄
 防衛大学校訓練部学生課長(空自3補処資計部長) 一空佐 横山 重治
 統合幕僚会議事務局副官(海幕監理部総務課) 一海佐 岡 浩
 統合幕僚会議事務局第1幕僚室広報班長(51空隊訓指隊長) 一海佐 森川 一朗
 海上幕僚監部監理部総務課総務調整官兼ねて総務班長(海幕監理部総務課) 一海佐 久野 敬市
 さがみ艦長(阪神基地隊副長) 一海佐 御厨 清志
 阪神基地隊副長(あけぼの艦長) 一海佐 向井 一馬
 教育航空集団司令部幕僚長事務取扱(教空団司令官) 海将 中島 栄一
 海自幹部学校主任教官(神奈川地連部長) 一海佐 濱川 澄人
 中部航空警戒管制団整備補給群司令(統幕事務局副官) 一空佐 岩成 真一
 空自幹部学校勤務(統幕1室広報班長) 一空佐 荒木 正嗣
 空自第3補給処資材計画部長(中警団整補群司令) 一空佐 奥村 英延
 神奈川地方連絡部長(海幕監理部総務調整官兼総務班長) 一海佐 山口 康彦
     (1月28日)
 海上幕僚監部監理部総務課勤務(3護群幕僚) 一海佐 久野 敬市
 海上幕僚監部調査部調査課調査第1班長(海幕調査部) 一海佐 高山 忠
 海上幕僚監部装備部航空機課勤務(海幹校付) 一海佐 本橋 稔彦
 自衛艦隊司令部後方主任幕僚(121空隊司令) 一海佐 高橋 忠義
 第3護衛隊群司令部幕僚(海幕調査部調査1班長) 一海佐 近藤 誠
 第121航空隊司令(122空隊副長) 一海佐 矢儀 和哉
 掃海隊群司令部勤務(海幕付) 一海佐 松本幸一郎
 海自幹部候補生学校教育部長兼ねて学生隊長(海幕付) 一海佐 高田 博幸
     (1月10日)


24時間態勢、北海道防空の要
1高特群で「訓練始め」
 24時間態勢の北海道防空に任ずる第1高射特科群(群長・出口政治1佐)の訓練始めが、正月気分の余韻が残る1月7日、北海道大演習場(島松地区)で行われた。
 北に日本海、南に太平洋を同時に眺望できる風光明媚な道央の要衝、島松山(標高・約500m)。その山頂に所在する第304高射中隊の島松山高射教育訓練場をスタートし、第303高射中隊の桜森高射教育訓練場までの16?をスキーにより走破し、今年の態勢維持任務及び、訓練に対する決意を新たにするとともに隊員相互の士気を大いに鼓舞した。
 前日までの猛吹雪とはうって変わり、零下15度に達する厳しい寒さとはいえ、この時期には珍しいほど風も無く、抜けるような青空に恵まれた島松山頂で訓練開始式が行われた。年頭にあたり群長自らが揮毫した「創意」の大きな文字を掲げながら「今年1年、1人が1つ新たな工夫をし、これを結集して、群の訓練・隊務を前進させ、部隊として更に向上・飛躍する…」と全隊員に訓示した。
 午前8時半、群本部を先頭に各中隊が整斉と滑走を開始、約6,000mに及ぶつづら折れの急勾配を30分かけて慎重に滑り降りた。その後、アップダウンの障害をものともせず、果てしなく続く白一色の大雪原を汗にまみれながら踏破し、午前11時半、参加隊員全員が無事に目的地の桜森高射教育訓練場に到着した。
 昼食に出された隊員手作りの温かい豚汁と、疲れを癒す甘いお汁粉に舌鼓を打ちながら、今年の訓練に臨む気概を新たにした第1高射特科群の頼もしい隊員たちだった。

初飛行・操船訓練更なる飛躍誓う<小松島航空隊>
明石海峡大橋上空を一糸乱れぬ編隊で飛行(1月6日)
 小松島航空隊(司令・渡邊洋一郎1佐)では、新年の祝賀気分も覚めやまぬ1月6日、御用始めと同時に初飛行訓練及び初操船訓練を実施し、今年一年の更なる飛躍と航空安全、艦船安全を誓った。
 午後1時過ぎからエプロンに隊員総員が整列。初訓練に先立ち、渡邊司令から「本年は、SH-60J体制による本格的な部隊運用の開始の年である。基地機能の充実を図るとともに他のHS部隊に決して負けず劣らず全知全能を遺憾なく発揮できるよう心身の錬磨と知識、技能の研鑚に努め、もって、即応かつ精強な部隊を堅持できるよう万全を尽くしてもらいたい。隊員諸官の健闘を期待する」と訓示を述べるとともに「平成15年の新春を飾る輝かしい前途にあって『安全に王道なし』をしっかり掲げ、今年最初の飛行訓練、操船訓練を開始する」と陣頭指揮を執った。
 初飛行訓練の編隊長(飛行隊長・熊代2佐)及び初操船訓練の指揮官(基地隊長・西3佐)は、渡邊司令の「かかれ」の命令を受け、整列した搭乗員、支援船の乗組員とともに、同航空隊に配備されているSH-60J4機と支援船1隻に乗り込み、一斉にエンジンを始動、それぞれ空へ海へと航空基地を後にした。
 小寒入りの当日は、一足先に到来した今季一番の寒波に見舞われながらも新春にふさわしい澄み渡る晴天の中、肌を刺す寒風をもろともせずに凄然と初訓練に臨み、操船訓練は小松島港内を1周し、飛行訓練については、同基地から淡路島西沖を経由し、大鳴門橋、明石海峡大橋、阪神基地隊上空、徳島航空基地、徳島市上空を巡る約250キロメートルを一糸乱れぬ編隊で飛行、途中、阪神基地隊及び徳鳥教育航空群上空では空と地上から無線で年始の挨拶を交わし、約2時間の初訓練を終えた。

少工校は早朝訓練
 少年工科学校(校長・武田正徳陸将補)では、年始に当たり学校長以下職員・生徒一体となり全員で早朝訓練を実施、気力の充実を図るとともに団結の強化及び士気の高揚を図った。
 訓練は、1月8日から10日の間、夜も明けきらない午前6時から3学年は銃剣道を、1・2学年及び職員は持続走を実施した。
 1・2学年は白い息を吐きながら元気良く走り、3学年は銃剣道の基礎動作に汗を流し、新年の躍進への第一歩を印した。
 最終日は、訓練終了後南食堂で、おしるこで打ち上げを行い、学校長以下職員の見守る中、各学年の代表者が新年の抱負を発表して、平成15年の健闘を誓いあった。

箱根大学駅伝を支援 第1師団
第1後方支援連隊人員12名、車両8両参加
悪コンディション 雪の箱根路支える
 第79回東京箱根間往復大学駅伝競走(主催=関東学生陸上競技連盟)、「箱根駅伝」が1月2、3日と行なわれた。お正月の風物詩ともいえるこの大会は注目度も高く、多くのファンが楽しみにしている。陸上自衛隊第1師団(師団長・青木勉陸将)では昭和48年以降、この歴史ある箱根駅伝の協力支援活動を続けている。1師団隷下部隊による支援は今回で31回を数え、今年は第1後方支援連隊(隊長・太田尚志1陸佐)が初めて主体となって行った。これまで裏方として自衛隊を支えてきた1後方支援隊は今回、「箱根駅伝」という大舞台で人員12名、車両8両により主に輸送・通信で2日間にわたり大会を支援。しかも悪天候(2日目は雪)の中、事故やトラブルもなくその任を見事に果たした。
 第1後方支援連隊の稲川誠広報陸曹によると初めての箱根駅伝支援は隊員も知らないことが多かったというが部隊では様々な訓練により大会に備えてきた。大会関係者らと実際のコースの下見に始まり、訓練内容は朝霞訓練場で選手の走る速度に合わせた低速(時速約20キロ)での走行訓練や、寒さに慣れるための耐寒訓練。また、前年度担当部隊から資料による情報提供を受けたという。
 大会当日、支援にあたる隊員は午前4時30分に練馬駐屯地に集合。ここで車両の最終チェックを行い午前6時前、スタート地点の東京・大手町に到着した。寒さには十分備えてきたが制服での乗車のためそれにも限界があり、また当日の寒さは「予想以上だった」という。しかし隊員は表立った支援に士気も高く、また、沿道から途切れることない選手への声援に混じって聞こえてくる「自衛隊頑張って」の声に随分励まされた。2日目、雪の中での「山下り」ではバランスを崩す選手がいる中、支援部隊は充分に距離を保ち安全な走行を実施。ゴール地点での気温も氷点下に近かったというが最後まで箱根の舞台をしっかりと支えた。
 支援部隊を代表して当日の様子などを語ってくれた稲川広報陸曹は最後に「大会終了後、無事に任務を完遂できた達成感とともに、次回に生かせる手応えも感じました」と話した。(小川郷太郎)

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