自衛隊ニュース
お疲れさま護衛艦「あさぎり」
38年におよぶ任務の歴史に幕
写真=あさぎり艦長から舞鶴地方総監へ自衛艦旗返納
3月23日に京都府舞鶴市の北吸岸壁において、護衛艦「あさぎり」の自衛艦旗返納式が執り行われた。
「あさぎり」は、昭和63年3月「あさぎり」型の1番艦として就役以来、38年にわたり日本の海上防衛と人材育成の両面で重要な役割を果たしてきた艦であり、その長い歴史に幕を下ろした。
就役当初、佐世保を母港とする第2護衛隊群に所属し、警戒監視や各種訓練任務に従事した。平成14年には呉へ転籍し、テロ特措法によるインド洋派遣にも従事した。平成17年には、艦種を練習艦へ変更し、第1練習隊に編入された。ここでは、将来の海上自衛隊を担う初任幹部の教育にあたり、多くの人材を育成した。
その後、平成24年に再び護衛艦へと艦種を戻し、舞鶴へ転籍。第14護衛隊に編入され、第一線部隊の護衛艦として再び日本海周辺の警戒や訓練任務に就いた。運用形態を変えながらも、常に時代の要請に応え続けてきた。
これまでの総航程は、約96万3000マイル、地球約38・6周に相当する。長年の航海の中で歴代32名の艦長が指揮を執り、数えきれない自衛官が「あさぎり」での勤務を通じて経験と誇りを積み重ねてきた。
老朽化に伴う除籍とはいえ、「あさぎり」が果たした役割は大きく、その航跡は海上自衛隊の歴史に確かに刻まれる。
機略縦横(116)
いろんな愛を大切に
海自補給本部先任伍長
准海尉 谷 恵子
「愛を語るなんて、うさんくさい」、そう感じる方もいるかもしれません。しかし、人は理屈で動く生き物ではありません。心の奥底にある感情に響き、折れそうな心を最後に支えてくれるもの、それが「愛」だと私は信じています。
私自身、かつて人生のどん底を味わい、孤独に押しつぶされそうになった時期がありました。その暗闇から救い出してくれたのは、他でもない、身近にあふれていた「いろんな愛」でした。
愛の形は、一つではありません。温かく迎えてくれる「家族愛」、苦楽を共にする「同期愛」、癒しをくれる「ペット愛」、人生に彩りを与えてくれる「推し活愛」、甲子園の球児を応援したくなる「地元愛」、誇りを持って働く「組織愛」など。そんな何気ない感情も私たちを支える大きな力になります。
たとえ人生のどこかで愛をひとつ失い、光が見えなくなったとしても、どうか自暴自棄にならないでください。あなたを大切に思っている存在、そしてあなたが大切にしたいと思うものは、必ずあります。あなたは、決してひとりではありません。
そして、もう1つ忘れないでほしいのが「ご自愛」です。自分自身を大切にし、心と体を労わってあげてください。自分を愛し、大切にできなければ、誰かを守り続ける強さを保つことはできないからです。
私自身、今も多くの方々に支えられていることに心から感謝しています。
この寄稿という名の「先任伍長愛」が、みなさんの心に少しでも届き、この国のかけがえのない日常と大切な人を守り抜く強さへと繋がれば幸いです。
読史随感<第195回>
神田 淳
国の安全保障とエネルギー
ホルムズ海峡危機で石油の重要性が改めて認識されている。ホルムズ海峡は、世界の石油(原油)貿易の20~40%が通過する世界最大のエネルギー・チョークポイントである。日本、韓国等アジア諸国の依存度が特に高い(日本は石油の90%依存)。イランによるホルムズ海峡の封鎖は、石油供給途絶不安、価格高騰から、世界経済に大きな負の影響をもたらしている。IEA(国際エネルギー機関)は世界各国と協調して過去最大規模となる4億バレルの石油備蓄放出を決定し、段階的に放出開始、日本も国家備蓄の放出を始めた。イランのアラグチ外相は17日、海峡が条件付きで解放されると表明したが、トランプ氏の演説を受けて、18日、イラン軍報道官は海峡統制(封鎖)を維持すると表明。海峡危機が続いている。
なぜこれほど石油が問題になるのか。人間はエネルギーなしで生存できず、エネルギーが国家、社会の重要なインフラとなっており、特に石油なくして経済、社会が成り立たないからである。世界のエネルギー使用(一次)の80%が化石燃料であるが、石油の使用が最も多い(32%)。自動車(ガソリン)、トラック(軽油)、飛行機(ジェット燃料)、船(重油)など、交通インフラは石油なしでは成り立たない。ペットボトル、食品トレイ、スマホ・PC部品等のプラスティック、ポリエステル、ナイロン、アクリル等の合成繊維、注射器、洗剤、化粧品等の医療・衛生用品など、日常の生活用品が石油を原料としている。生産工場における加熱炉、ボイラー、建設現場における機械など、石油なしでは動かない。石油は輸送、化学製品、生活用品、インフラのすべてにかかわる社会の基盤となっている。
石油は社会、経済を支える不可欠のエネルギーであるため、その安定供給は経済安全保障、さらに国の安全保障に深く関係してくる。過去、人類は石油のために戦争もしてきた。石油だけでなく、エネルギーの安定供給は国の安全保障に深く関係する。ウクライナ戦争で、EUは侵略するロシアに対し経済制裁を課したが、EU各国が一致していたわけではない。特にハンガリーは制裁に最も消極的で、むしろロシア寄りの姿勢を示した。その大きな理由は、ハンガリーがエネルギーの大半(石油の64%、天然ガスの95%)をロシアに依存しているからである。
このように、化石燃料の安定供給は国の安全保障に深くかかわるが、電力エネルギーの安全保障問題が新しく生まれている。太陽光発電等の再エネは国産のエネルギーで、基本的に国の安全保障上好ましいが、問題もある。再エネの生産に必要なレアアースを含む重要鉱物資源の精錬所が中国に極度に集中し、重要鉱物資源の輸出が経済的な武器や外交的な圧力として使われる状況が生じている。また、中国が再エネの卓越した技術力を獲得し、各国の再エネが中国の技術に支配される状況が生まれている。これは国の安全保障問題ともなる。
また、近年デジタル化が進み、AIが広く使われる社会となって、サイバーセキュリティ問題が深刻化している。コンピュータ、ネットワークのサイバーシステムが攻撃を受け、情報漏洩、データ改ざん、フィッシング、サービス停止をもたらし、広く社会、経済の機能停止をもたらすという安全保障問題が発生している。
エネルギー問題が複雑化し、以前にも増して安全保障を深く考慮したエネルギー政策が必要になっている。
(令和8年5月1日)
神田 淳(かんだすなお)
元高知工科大学客員教授。著作に『すばらしい昔の日本人』(文芸社)、『持続可能文明の創造』(エネルギーフォーラム社)、『美しい日本の倫理』(https://utsukushii‐nihon.themedia.jp/)などがある。
操縦席からの回顧録
~大いなる空へ夢を乗せて~
手記:井上 正利(監修:芦川 淳)
<第14回>目的こそすべてにつながる原点
配属部隊での着任者教育期間が終わり、やっと念願の実フライトが始まった。しかし初めの200時間は当然ながら任務など一切無く、只ひたすらに基礎練成訓練(通常離着陸・緊急操作・地文航法・計器航法・制限地操作・戦技操縦など)のカリキュラムをこなしていく毎日だった。1回のフライト(2時間)の訓練のために、3~4時間かけて飛行訓練計画を立てるのだが、B4サイズの紙2枚にエンジンスタートから始まって訓練の実施要領、着眼点、達成すべき目標などを時系列ごとに分単位でビッシリ書きこんでいくという気の遠くなるようなやり方であった。結局、FEC(陸曹航空操縦課程)の頃の課目を改めて徹底的に反復して鍛えられるわけだが、これからすればFECはホンのかじり程度のものだったのだと痛感させられた。
訓練では教官が展示飛行で示した手法を真似できるように心がけていたが、あるとき教官に「技術は出来ているが、それが何のためにやらなくてはいけないのかと考えたことあるか!?」と問われ何も言えなくなってしまったことがあった。課目ごとの操縦技術をこなすことに必死になっていて『何のためにやるのか』・・・そう、シンプルかつ核心的で操縦の原点ともいえる基本事項をすっかり失念していたのである。
今から思えば本当に単純な話であるが、FECを卒業したてのひよっ子は、とにかく早く上手く飛びたいとばかり考えてしまうのだ。その結果、訓練カリキュラムをこなすだけの毎日になり、パイロットとして修業しなければならない大切な部分が身に着かない。操縦技術を高めたいがための訓練では、いざという時に生還が出来なくなることもあるだろう。
部隊で飛び始めて20~30時間を経過した頃、教官の言葉をきっかけにそのことを気づかされ、それからは訓練の目標や注意点、着眼すべき内容などが良く見えるようになった。この基礎練成訓練の200時間も含めて、分単位の時系列で計画立案した飛行訓練は、やがて私が後輩の指導や機長になってから、また機長教育や飛行査定をする時などの基本となった。これがあったおかげで、イメージトレーニングを十分に実施できたと言えるだろう。そして、最初の配属地で経験した200時間の基礎練成訓練は、昭和61年7月から始まり、厳しい北海道の冬をまたいで翌年の4月に終了した。
飛行班長による学科試験と操縦技量査定を受けて、なんとか合格した。この後は副操縦士として搭乗し、さらに経験を積んで機長を目指す。そのためには貪欲に勉強し、身体を鍛えて健全な精神を維持してフライトに臨んでいかねばならない。これこそ今の私の使命だと心に誓ったものである。
その後の副操縦士時代にはさまざまな経験をしたが、とりわけ飛行班長の塚本3等陸佐、それと機長として副操縦士の私の教育を担当して下さった主任教官の根本1等陸尉との思い出が深い。根本1尉は私と同じ少年工科学校出身で8期上の先輩にあたる。もの静かで口数が少なく、怒ったところを殆ど見ない仏のような方であった。集中する時は全神経を傾けて操縦に取り組み、気を抜ける時はリラックスさせてくれる教え方であったが、着陸進入コースを逸脱したり、少しでも着陸点がズレたりすると厳しい指導を受けた。
訓練中に重要な所作や諸元を間違え、少々ならバレないだろうと訓練を続行しようとして大目玉を喰らったこともある。「まさか教官もこんな細かい諸元までは頭に入ってないだろう」という私の浅はかな考えやズルさを読まれて激高されたことがあった。「操縦をなめてかかると命取りになる」と言われた時はショックであり、また自分が情けなかった。教官の偉大さを改めて感じるとともに所作・諸元の暗記や理解は勿論、更にイメージトレーニングまでやって臨むように心を入れ替えた出来事だった。失敗したら命に関わることなので、同じ失敗をしない対策をしっかりと身体で覚えるのは当然のことだと言えるだろう。
また飛行班長の塚本3佐と搭乗する時も多々あり、仏の根本機長とはまた違った形の厳しい御指導を頂いた。フライト中は常に緊張して張り詰めており、根本1尉とは対照的に操縦に対する「熱」を感じさせるものだったが、二人の指導に共通していたことは、失敗=大事故への連鎖であり、これを繰り返さないということだった。私にとって、ひよっ子として最も大切な時期にこのお二人に出会えたことは、本当に幸運であったと思う。操縦は、さまざまなタイプの機長と同乗してその操縦法をコピーし、研究し、安全かつ自分自身に合ったものとして進化させていくことが不可欠だったからだ。
飛行班長はフライトや仕事中はとても厳しい方だったが、週末になると独身であった私をよく家に招いて頂き、佐賀県出身である奥さんの心温まる美味しい家庭料理を御馳走になった。その時に自分の好みで飲んでいた北海道のワイン、特に余市のロゼは格別に美味であり、今でもあの味を思い出しては懐かしんでいる。(つづく)
井上正利(いのうえまさとし)少工校20期生。
陸自では希少な固定翼機操縦士として緊急患者空輸等で活躍(総飛行時間4967時間)、現在は航空会社の那覇営業所長と安全推進室長を兼任