News index
2008年
10月1日
9月1日
9月15日
8月1日
8月15日
7月1日
7月15日
6月1日
6月15日
5月1日
5月15日
4月1日
4月15日
3月1日
3月15日
2月1日
2月15日
1月1日
1月15日
2007年
2006年
2005年
2004年
2003年
2002年
2001年
2008年3月15日号
1面
2面
3面
5面
6面
7面
8面
9面
10面
12面
着実に任務飛行継続
空自イラク輸空5年目へ
4周年を迎えた3月3日、任務飛行を終え着陸するC-130
空自イラク復興支援派遣輸送航空隊は3月3日、C-130H輸送機による任務運航4周年を迎えた。
平成16年3月3日に初の任務運航を開始して以来、現在も隊司令・赤峯千代裕1佐以下約210名の第14期隊員が任務を継続、今年3月3日、5年目に入った。
米海軍空母ニミッツ潜水員と共同訓練
《佐世保》
佐世保警備隊(司令・江見雅博1海佐)は2月12日から15日までの間、佐世保水中処分隊による潜水集合訓練を実施した。
この訓練期間中に佐世保湾内で補給と休養のため停泊していた米空母ニミッツの潜水員から共同潜水訓練の実施について調整があり、処分隊長高橋幸治1尉とニミッツEOD隊長カール・ステール少尉は日頃から掃海特別訓練などでEOD訓練を実施していることもあり、潜水訓練を共同で実施した。
2月13日、佐世保水中処分隊員と佐世保地区スクーバ潜水員ら55名は、米海軍EOD衛生兵から緊急止血法などについて、中東方面で救急救命時に実際に使用されている器材を使用し、最新の知識と救命処置要領について実習を含む講習を受けた。
米海軍EOD救急救命の技量は高く、生存率の高さについての講話内容には、潜水集合訓練に参加中の陸上自衛隊西部方面普通科連隊、自衛隊佐世保病院及び鹿屋救難飛行隊の潜水員も感嘆していた。
講習後は佐世保湾内で潜水器材を使用し、遺失物捜索を共同で実施した。
日米の潜水員の間には言葉が多少通じなくても以心伝心のような無言の会話があり、お互いの潜水員士気もすこぶる高い。日米潜水員は潜水技量の向上、潜水無事故の達成、将来の再会を約束して固い握手を交わした。
43連隊で体力検定
第43普通科連隊(連隊長・普家俊哉1陸佐)は2月1日、平成19年度連隊体力検定競技会を実施した。内容は、方面戦技競技会(体力検定)の選手選考併せて体力検定(1)総合及び(1・2)種目別の最優秀隊員を決定することを目的に、競技は腕立伏せ、腹筋、ボール投げ、懸垂、走り幅跳び、3000メートルの6種目。
また、これは連隊が毎年取り組んでいる基礎体力の向上を目的にした訓練の一環で、選手は、日頃から練成してきた実力を駆使し、持てる力を存分に発揮して最優秀隊員の栄冠を勝ち取るべく競技に臨んでいた。
結果は、腕立伏せ(123回=本管中隊・松本3曹)、腹筋(107回=4中・立岩士長)、ボール投げ(90m10cm=4中・川副士長)、懸垂(25回=1中・直野士長)、走り幅跳び(6m30cm=重迫・岩切士長)、3000m(9分19秒34=4中・樋口3曹)がそれぞれ最優秀に輝いた。
《論陣》
まだ解決していない水俣病
被害者の無念いかばかりか
先ごろNHKが水俣病のことを報じていた。胎児性患者が差別体験を話す場面が映像で流され、確かまだ多くの患者が救済されていないという趣旨の発言もアナウンスされていた。
門外漢のためか当初、不思議な思いで聞いていた。というのも悲惨な水俣病は、過去のもので既に解決済みと理解していたからである。調べると、イタイイタイ病、四日市ゼンソク、新潟水俣病とともに四大公害病に数えられる。これこそ高度経済成長の暗部である。人の命・環境を無視した、それこそ資本の論理をとことん追求したおぞましい因果応報であった。
巨大企業・自治体・国の利益・生産第一主義が生み出した結果でもある。熊本県の水俣市で確認されたのが、56年のことである。今から50年前である。犯人企業は現在のチッソ株式会社と特定されている。
2004年に最高裁が国・熊本県にも責任がある、との当然の判断を示している。それにしてもひどすぎる。事件発覚から48年も経っている。被害者救済を放置していたことになる。責任を認めようとしなかった政府の対応から、環境・公害・命を軽視する行政の価値観を伺うことができようか。
実を言うと、いまから30数年前になる。水俣市を一度だけ訪問したことがある。当時、水俣湾で獲れた魚介類を食べた猫が奇妙な動きをして死んでいく、という報道もなされていた。しかし、両手両足が正常でない幼児を見たときは、なんといっていいのか、まだベトナム戦争での枯葉剤の奇形児を知る前だったので、すさまじい衝撃を受けたものだ。
戦争で銃弾を浴びた傷痍軍人が、電車の中で物乞いする姿、片方の足の具合の悪い子供は承知していたが、水俣での、これほど無残きわまりない目の前の幼児に愕然としたのだが、今回のNHKニュースでそのときの様子が頭に浮かんできた。
企業・政府がどんなに償っても償いきれるものではない。それでいて、その救済がまだ解決していないのだという。やりきれない。いたたまれない。
学者の研究が混乱したことも、事態を長引かせた原因となった。既に40年にイギリスで報告されていたのにかかわらず、である。チッソからの工場排水に水銀廃液が水俣湾に垂れ流され、これが魚介類に蓄積された。それを食べた市民が被害に遭ったのであるから、なんとも痛ましい。これが陸で発生する心配はないのか。ある。残留農薬であるが、これの対策はまだ心もとない。
水俣病の患者のうち、特に胎児性患者は哀れをさそう。彼らと対面した人間であれば、何人も同情するであろう。しかも、彼らの人生には多くの差別が待ち構えていたのだ。当事者の話で大方の様子はわかっても、当事者にならないと本当のところは理解不可能である。冒頭の報道は、そんな被害者の体験だったのだ。
96年に水俣市は314人の被害者のための慰霊碑を建立した。ところが碑に名前を刻むことに同意した被害遺族は2割にとどまった。理由は残された家族が、差別されることに恐怖を抱いているためである。これも涙をさそう話ではないか。この水俣の教訓は生かされずに、新潟県でも発生してしまった。70年代の初めには、中国・東北地方を流れる松花江流域でも、土壌汚染として問題になったという。
環境破壊は防止できる。破壊の元凶は決まって人間だからである。人々の価値観を少しまともにするだけで、多くの自然は守られる。もういい加減にして水俣病患者を犯人企業・国・自治体が人間の心で智恵を出し合って、全員を救済して上げるべきである。
5面へ
(
ヘルプ
)
Copyright (C) 2001-2008 Boueihome Shinbun Inc