防衛ホーム新聞社・自衛隊ニュース
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自衛隊ニュース   2008年3月15日号
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東京音楽まつり開催
入隊予定400人を激励
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  東京地本協力10団体が主催する「自衛隊東京音楽まつり」が3月1日、日比谷公会堂で開催された。この音楽まつりは、入隊・入校予定者を激励するとともに、音楽を通じて都民との交流を図るため毎年開かれ、今年は約1400人が来場した。
 第1部は今春入隊・入校する予定の約400人に対する激励イベントが行われた。はじめに、会場に駆けつけた佐藤正久参議院議員から「自衛隊は国民の財産。しっかりと国民に結果を出すために、これから一歩一歩しっかりと学んで大きく成長してもらいたい」と祝いの言葉が述べられたあと、石破茂防衛大臣と石原慎太郎都知事からの激励メッセージがスクリーンで流された。ビデオレターの放映後は、入隊して1年目の陸海空先輩自衛官6人が舞台に上がり、事前に集められた入隊予定者からの質問に答えていった。一番身近な存在となる先輩自衛官たちは、「自衛隊に入って自分自身のどこが変わったか」「将来の目標」などの質問に一人ずつ答えていき、「私たちと一緒に一所懸命頑張って働きましょう」と激励した。そして、入隊激励イベント最後に登場したのは、昨年の中央観閲式で特別儀仗隊としても活躍した第1普通科連隊らっぱ隊。総理大臣だけが受けられる形での栄誉礼も披露された。
 続いて音楽イベントが行われ、陸上自衛隊第1施設大隊の朝霞振武太鼓、ゲストバンドの駒澤大学吹奏楽部のステージで会場を盛り上げた。途中、自衛隊グッズ抽選会など来場者に対する趣向を凝らしたイベントで観客の一体感が増すなか、最後に堂々登場したのは陸上自衛隊第1音楽隊。1普連らっぱ隊との合奏を含め、5曲が演奏された。そしてフィナーレでは出演者全員が舞台に整列、来場者とともに「ふるさと」を合唱して盛況のうちに終演を迎えた。

中央病院 職能補導所で修了式
52期の修了生8人が新任地へ
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 自衛隊中央病院職能補導所(所長・森山宣明事務官)の第52期生修了式が3月6日、内局人事制度課長、衛生学校長ら多数の来賓を迎えて三宿駐屯地で行われた。今期修了生は8人(陸6人、海1人、空1人)で、昭和32年の第1期生からの修了生総人数は722人となった。
 午前10時半、開会の辞と国家斉唱に続き、森山所長が壇上に立ち、更生指導成果を報告した。また、約1年間にわたる更生指導の全課程を修了した8人について、「指導方針を体し、専心努力した結果、気力・体力ともに自信を持ち、教育終了後、部隊においても新局面を開くに相応しい基礎的技能を確実に身につけたものと確信する」と述べ、引き続き、今期修了生一人一人に修了証書を授与した。
 次に、渡邉千之中央病院長が登壇、修了生の申告を受けたあと、「皆さんは明日から1年間で培った有形無形の財産をもって、それぞれの任地で新しい職務に就くが、ここで学んだ技術と自信、不撓不屈の精神をもってそれぞれの職務を誠実に遂行すれば、必ず充実した将来が約束されるものと確信する。修了生の皆さんの未来は、自分自身が切り開いていくものであるということを忘れずに、そして、この1年間をともにしてきた仲間たちが、どこかで同じように頑張っているということを励みに、何事にも積極的に取り組み、向上心をもってこれまで以上に発展されるよう祈念する」と式辞を述べた。その後、来賓祝辞と祝電披露がされたあと、修了生代表の設楽茂男陸曹長が答辞を述べた。設楽曹長は答辞の中で、関係者に感謝の気持ちを述べるとともに、「これからは、それぞれの勤務地において補導所で習得した知識と技能を活かし、自衛官として、また、一社会人として一層気を引き締め、全力を傾けて職務に邁進する」と今後の意気込みを語り、式を終えた。

冬季戦技競技会で部隊の能力を発揮
《第7師団》
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 第7師団(師団長・用田和仁陸将)は2月7日、北海道大演習場恵庭・千歳地区で師団冬季戦技競技会を実施した。
 本年度の競技会は、野戦を基本とする武力集団という視点で「単なるスキーレース」から「部隊の行動をベースとした競技会」への転換を図り、師団としては初の試みとなる。約20kmの長距離機動と戦闘行動に必要な課目(衛生救護、アキオ曳行、手りゅう弾投てき)からなる競技会となった。部隊機動の部は、Aグループ(10個部隊)、Bグループ(4個部隊)に分けて実施、女性自衛官の部は、個人戦とし約6kmと手りゅう弾投てきにより、その実力を競った。
 コース脇には声援のため駆けつけた千歳市長、関係諸団体をはじめ、各部隊の応援者が大勢集まり、選手と応援者が一体となった冬季戦技競技会となった。

雪月花
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 名古屋女子マラソンの高橋尚子選手が瑞穂競技場に入ってきた時の声援は、優勝した中村友梨香選手より大きかったかもしれない。シドニーオリンピックで金メダルを取った大選手がスタート早々に失速したことに誰もがおどろいた。だが彼女なら必ず奇跡の復活をするとテレビを見続けた、「あきらめなければ必ず夢はかなう」という彼女のことばを憶えていたからだ。しかし若い選手に次々に追い越されていく。それでも高橋選手はリタイアしない、華やかなかっこよさとは正反対の姿をさらけ出して一途にはしる。「夢」は北京というだけではなくもっともっと大きい物を持っているのかもしれない。44年前にもこのようなシーンを見た。東京オリンピックの円谷幸吉選手の姿である。折り返しの飛田給で待っているわれわれの前を何位だったか記憶にないが、同選手がいい位置で通過したことを知り京王線・国電を乗り継いで千駄ヶ谷に駆けつけた。まさにその前をアベベ選手、続いて円谷選手が2位で走っていった、かなり遅れてヒートリー選手だった。円谷選手の銀は確実と誰もが思ったが夜のニュースで銅になったことを知った。うつろになりながら毛布に抱きかかえられるシーンは今でもテレビに流れる。命がけで走る「夢」とは何なのだろう。誰よりも先にテープを切りたいのか、金メダルを手にしたいのか、そこにマラソンがあるから走るのか。自分の人生の夢を確かめられないままこんなことを思う。
(所谷)

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