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スペーサー
自衛隊ニュース   1101号 (2023年6月15日発行)
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読史随感
神田淳
<第127回>

勝海舟の知

 勝海舟は幕臣ながら幕府を超えた新しい日本の国のあり方を追求し、流血の非常に少ない革命(明治維新)を経て、近代日本を生む歴史を切り開いた。困難を極める幕末の日本で、卓抜した知力をもって急激に変動する社会を誤ることなく生き抜いた勝海舟の知は、どのような知だったのだろうか。
 海舟は、非常に開明的な知者であった。海舟は20代に蘭学を修め、30代で数年間長崎の海軍伝習所でオランダ人と交流し、38歳のとき咸臨丸で渡米してアメリカを知った。海舟は当時の日本で最高レベルに西洋の知に通じた一人だった。
 海舟の知は非常に合理性に富み、公明正大を好んだ。これは彼の西洋の知に由来するものでもなく、海舟という人間の生来の傾向のように思われる。海舟は日本人的なウェットさはあまりなく、考え方や行動は西洋人に近いところがある。「おれはいったい日本の名勝や絶景は嫌いだ。みな規模が小さくてよくない。支那の揚子河口は実に大海のように思われる。米国の金門に入ると気分が清々する」などと言う海舟の感覚は、開かれた合理性を好む海舟の知と深いところでつながっている。
 海舟は硬直的なイデオロギーや主義とは無縁で、現実を直視し、合理的で柔軟な知を求めるリアリストであった。海舟は言う。「主義といい、道といって、必ずこれのみと断定するのは、おれは昔から好まない。単に道といっても、道には大小厚薄濃淡の差がある。しかるにその一を揚げて他を排斥するのは、おれの取らないところだ」、「世の中のことは、時々刻々変遷極まりないもので、機来たり、機去り、その間に髪(ハツ)を容れない。こういう世界に処して、万事小理屈をもってこれに応ぜようとしても、及ばない。世間は活きている。理屈は死んでいる」と。ここに海舟の知の特徴がよく表れている。
 そしてこの変転する現実に正しく処する海舟の胆識は、坐禅と剣術によって養われたという。「こうしてほとんど4年間真面目に修行した。この坐禅と剣術とがおれの土台となって、後年大層ためになった。瓦解の時分、万死の堺を出入して、ついに一生を全うしたのは全くこの二つの功であった。この勇気と胆力は畢竟この二つに養われたのだ」と。
 海舟は晩年、「きせん院の戒め」という体験を語る。昔本所にきせん院という行者がいて、富くじの祈祷がよく当たるので、大いに流行して羽振りがよかったが、あるときから祈祷が当たらなくなり、落ちぶれてしまった。自分の祈祷が当たらなくなった理由をきせん院が若い海舟に語った。一つは、あるとき富くじの祈祷を頼みにきた美人の婦人に煩悩を起こし、口説き落として、その後祈祷をしてやった。祈祷の効験があって富くじは当たり、後日婦人がお礼に来た。再度口説こうとしたら婦人に拒否され、「亭主ある身で不義をしたのは、ただ亭主に富みくじを取らせたかったからだ、また不義をしかけるとは不届き千万な坊主」とにらみつけた。もう一つは、ある日スッポンを殺して食べたが、スッポンの首を打ち落としたとき、スッポンが首をもちあげて大きな目玉で自分をにらんだ。この二つのことが始終気にかかって、祈祷も次第に当たらなくなったという。自分の心に咎めるところがあれば、いつとなく気が萎え、鬼神とともに働く至誠が乏しくなる。人間は平生踏むところの筋道が大切です、と。
 海舟はこの話を聞いて豁然と悟るところがあり、爾来この心得を失わず、今日までいささかたりとも人間の踏む筋道を違えることがなかったという。この話は勝海舟の知の力を知る上で非常に興味深い。
(令和5年6月15日)

神田 淳(かんだすなお)
 元高知工科大学客員教授。
 著作に『すばらしい昔の日本人』(文芸社)、『持続可能文明の創造』(エネルギーフォーラム社)、『美しい日本の倫理』などがある。


緊急時の中核給油所における給油に関する協定
<東部方面総監部>
 東部方面総監部装備部は4月24日に新商(株)(新潟県)、4月25日に(株)武重商会(長野県)との間に、関東経済産業局仲介のもと「緊急時の中核給油所における給油に関する協定」を締結した。
 中核給油所は、資源エネルギー庁が東日本大震災の教訓から、災害発生時においても継続的に運営でき、かつ緊急車両に対する優先的な給油を実施することを役割とする給油所として設定したものであり、現在、東方管内約500コ給油所、全国で約2000コ給油所がその指定を受けているものであるものの、陸上自衛隊として活用するための枠組みが未整備であったことから、この度、新商(株)(新潟県‥1コ給油所)、(株)武重商会(長野県‥8コ給油所)との協定締結により東方管内で合計9コ給油所の活用が可能となった。
 本協定の締結により、災害派遣等における小規模部隊の機動展開において、最寄り駐屯地で給油するため高速道路を降りることなく、経路上の中核給油所で給油し、より迅速に目的地に前進することが可能となる。東部方面総監部装備部は、今後、更に対象中核給油所を拡大していく予定である。

自候生入隊式<第30普通科連隊>
 第30普通科連隊(連隊長・前田貴大1陸佐=新発田)は、4月9日駐屯地において新潟、長野県出身者17名の「令和5年度自衛官候補生課程入隊式」を来賓、隊員家族を招き挙行した。
 式では、志田寿樹自候生と富樫凜自候生が連隊長に対し申告を実施し、服務の宣誓では徳永唯我自候生が宣誓を読み上げ、自衛官候補生一同が力強く宣誓を復唱した。
 連隊長は、式辞の中で「職務を貫徹し、目標をしっかりと定め、一生懸命努力に努め、人間的にも大きく成長してください」と自衛官候補生を激励した。
 引き続き来賓祝辞や祝電を披露し、式は無事終了した。

自候生入隊式<第33普通科連隊>
 第33普通科連隊(連隊長・金子洋幸1陸佐)は4月13日、久居駐屯地において「令和5年自衛官候補生入隊式」を執行した。今年は40名の自衛官候補生(以下自候生)が希望を胸に着隊し、家族が見守る中、入隊式が厳粛に行われた。
 式では、各人の氏名が区隊長により読みあげられ、連隊長が、各人を自候生として任命した。その後、佐藤自候生による申告及び栗原自候生による宣誓が実施され、全自候生の迫力に満ちあふれた声が体育館に響き渡るとともに、その眼光から国防に携わる者としての覚悟が感じられた。
 執行者(連隊長)は式辞の中で「40名の自衛官候補生諸君、入隊おめでとう。諸官は自衛隊の宝であり、国家の宝である。本教育の期間中、困難な局面に遭遇することもあるだろう。その時は、自衛官の道を選んだ初心にかえって『今、何をすべきか』『どうすれば乗り越えられるのか』について自問自答し、創意を凝らし、自ら前へ一歩踏み出してもらいたい」(要旨)と祝福と激励の言葉を述べた。
 入隊式終了後には会食及び家族との団らんの時間が設けられ、約2週間という僅かな時間での成長ぶりに、家族も驚きを隠せない様子であった。
 自候生は、今後、約3カ月間の訓練を乗り越え正式に自衛官として任命されるべく、今後も様々な訓練・教育に励み、国民の負託に応えられる自衛官となるであろう。

国連TPPインドネシアに派遣
各国工兵21名に重機操作訓練
 5月26日、「国連三カ国パートナーシップ(以下、国連TPP)」の一環で、アジア各国の工兵に対する重機操作訓練の教官団を代表して、教官団長の竹本憲介2陸佐以下4名が森下泰臣陸上幕僚長に対して出国報告を実施した。
 第14施設群を基幹とした教官団24名は、6月5日から7月14日まで、インドネシア・ボゴールに所在するインドネシア平和安全保障センターでPKO派遣要員21名の工兵に訓練を行う。
 団長の竹本2陸佐は「現地では安全管理を徹底し被教育者に寄り添った教育を心掛け、我々の技術をしっかり教育したい」、業務幹部の朝生文乃1陸尉は「学生たちが帰国したとき『俺は日本に教わったんだ』と言ってもらえるように精一杯サポートしたい」、企画幹部の澤史治2陸尉は「コミュニケーション力を活かして帰国する際、各国の学生とハグできるような関係を築きたい」、総括教官の大久保誠一陸曹長は「楽しくまじめに、思い出に残るような訓練にしたい」とそれぞれ教育にかける熱い思いを述べた。
 森下陸幕長は「日本を代表する技術をしっかりと各国に伝える、その使命を自覚して成果を上げるようにがんばってもらいたい」と送り出した。
 国連TPPは、PKO要員の能力向上を支援することを目的に、平成26年9月の「第1回PKOサミット」で当時の安倍総理が表明した施策で、これまでにアフリカおよびアジアで重機操作教育訓練に延べ276名の陸上自衛官を派遣し、各国工兵要員388名に対して教育を実施している。

4月のモンゴルで雪
測量等の能力構築支援
<第2施設団>
 第2施設団(団長・黒羽明陸将補=船岡)は、4月15日から30日の間、モンゴル国ウランバートル近郊である第014部隊において、測量及び道路構築に関する能力構築支援を行った。
 本事業は、モンゴル軍工兵部隊のPKO派遣に必要な施設分野における人材育成を目的として2014年より支援が開始され、第2施設団は2018年より隊員を派遣している。今年度は、4月の測量教育及び道路構築教育を通じた工事計画作成と6月の施工工事という2回の派遣であり、第10施設群の土屋2佐以下9名の隊員が参加し、その中には本事業として初の女性自衛官が加わっている。
 現地において、測量教育としてトータルステーションを使用したトラバース測量について教育するとともに、道路構築教育として作業隊力を綿密に計算した上での作業工程表の作成等について教育等を行い、モンゴル軍工兵の施設技術の向上を図った。
 士気が高く貪欲に知識を吸収しようと質問や議論を繰り返すモンゴル軍工兵に派遣隊員が圧倒される一面もあったが、これまで学んだ全ての知識や経験を総動員して対応し、6月にモンゴル軍が施工する暗渠×2、砂利道200mの工事計画の作成を指導し、工事計画の完成をもって4月の派遣事業は終了している。
 このように派遣隊員とモンゴル軍工兵の間において熱い交流が行われた本事業だが、この時期のモンゴルの季節は冬であり、派遣中に3回の降雪があり氷点下の真冬日が続いた。
 次回6月のモンゴル派遣は、新緑の美しい過ごしやすい時期のようだ。緑の草原が続くモンゴル国の中で、施設技術を通じてモンゴル軍工兵部隊との絆を更に深め、能力向上に寄与したい。

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