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   2003年9月1日号
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寄せ書き
腕時計
福知山駐屯地業務隊 1曹 大槻公明
 私が現在使用している腕時計は、まもなく30歳を迎えようとしています。自衛隊の入隊祝いに買ってもらった物です。特別高価な腕時計ではありませんが、定年までは大切に使用していきたいと思っています。
 私が大学生の時、親元から離れ開放的になり、毎日友人と遊び回っていました。ある時小遣いが足りなくて、腕にはめていた時計を質入れしてしまい、流してしまいました。その腕時計は高校の入学祝いに父が買ってくれた物でした。その時は、父がどんな思いで買ってくれたのか知るよしもありませんでした。
 ある時父に「公明、腕時計をしていないがどうしたんだ」と聞かれ、とっさに「どこかで落としてわからなくなった」と、嘘をついてしまいました。しかし、父が買ってくれた大切な腕時計を質草にしたこと。また質問に対して嘘をついてしまったことで、非常に心苦しい毎日を送っていました。それ以来父の顔をまともに見ることができませんでした。 ところが私が自衛隊に入隊する時、父が時計店に連れて行ってくれ、真新しい腕時計を買ってくれたのです。そして「今度は大切にしろ。自衛隊頑張れよ」と一言だけ言って、入隊を見送ってくれました。その時初めて私は父の思いを知り、涙が出そうになるのをこらえ「お父さんありがとう。今までの僕を許してください。心機一転頑張ります」と心の中で固く誓いました。
 それ以来、演習の時も、外出の時も、もちろん結婚してからも肌身離さず使用しています。陸士や若年3曹の時、色々な悩みや壁に当たって挫けそうになった時など、腕時計を見ては父の言葉を思い出し今日に至っています。
 その父も若い時の面影もなく、実家で静かに余生を送っています。ただ精神的にはしっかりしていて、たまに実家に帰ると「定年まで体に気をつけて頑張れよ」と激励してくれます。幾つになろうと年齢に関係なく親子は親子であり、私は子供扱いです。
 その私も定年まで余すところ3年半になりました。最近はよく遅れたり止まったりして電池交換が多くなりましたが、私の自衛隊人生そのものの腕時計なので、あと少しだから頑張ってくれと、腕時計と私自身に言い聞かせ、今日も仕事をしている毎日です。

私の趣味
42普通科連隊本部管理中隊 3曹 赤尾隆弘
 私のこれまでの休日の過ごし方と言えば、無駄遣いばかりしていて決して充実しているとは言えませんでした。しかし、そんなつまらない人生にピリオドを打つことができました。こんな私にも最近趣味を持つことができたんです。その趣味とはある先輩に勧められ以前から興味のあったオフロードバイクです。なぜ興味を持ったかと言いますと、ある先輩のレースを見学し「オフロードバイク」に一目惚れしたからです。オフロードバイクとは、演習場のようなでこぼこした道に大小様々なジャンプ台や急カーブがあり、そのコースを時間内に何周回れるかを競い合う競技です。
 初レースの時は、練習もあまりしてなくて不安や緊張で一杯の中、レースに参加しました。先輩達に言われた事をしっかり守ろうと思ったのですが、いざ走りだすと恐怖におののきブレーキばかり握りしめていました。結局バイクをうまく操れず順位を落としてしまい、悔しい思いをしました。レース後、先輩達に言われたことが「根性なし!」「センス無し!」と、「無し」づくしでした。以前の私ならこのまま諦めるところですが、このままではまた昔の自分に戻ってしまうと思い、初めてバイクに出会った頃を思い出し、楽しく、自分の「こだわり」になれるように、やっていきたいです。
 モトクロスバイクは、レース中も大事ですがレース後のメンテナンスが大事です。私は車両整備班に勤務していますので、職場での経験を生かし、レース中バイクが故障しないようにしたいです。早く自分のバイクを持ち、よきパートナーにしたいです。

頑張っています 新しい職場
<活躍するOBシリーズ>
(財)茨城県学校給食会 川又豊彦
(平成12年10月、施設学校を准尉で定年退職)
 私は、平成12年10月に施設学校(勝田)を最後に、定年退官しました。在職中、一般社会の厳しさはそれなりに考えていましたが、実際社会に入り厳しい状況を身をもって感じた次第です。
 現在は、在団法人茨城県学校給食会の倉庫係として多種・多品目の仕分けや管理を行っていますが、考えていた以上に大変な仕事です。出庫作業は、茨城県内の各給食センターや各学校別に仕分けをして「迅速・正確・衛生的・丁寧」に食材料の準備をするというものです。
 県内外問わず、運転手が荷物を運んできます。そして、少しでも早く荷物を卸して次の場所に行かなければならないという多忙さがあります。若い運転手が缶詰500ケースを1人で手卸で真冬でも大汗をかいて荷物を卸していく姿を見ていると、手伝いをせずにはいられません。汗を拭きながら「ありがとうございました」と笑顔で挨拶して帰るときは「ご苦労さん、気をつけて安全運転で」と言って手を振り、車が見えなくなるまで見送りをしています。
 荷崩れ、破損などをしないように気を使いながら準備をし、約1600品目にわたる多種多様なものを迅速・確実に出庫して各学校の栄養士の方々のニーズに応えています。
 今後、定年退職を迎える皆様も一般社会の厳しさをよく考えて自分に合った仕事を選択されることを望みます。自分に対する意識改革をし、やる気にならないとだめです。そして「体力・気力・努力」でがんばってもらいたいと思います。
 最後に、茨城県内の各学校の生徒が楽しく給食し、毎日の勉学に励むことができれば、自分としては本望です。これからも学校給食のために精一杯貢献していきたいと考えています。

回想の70年代音楽(16)
NHK「想い出のメロディ」から
 今回はNHK「想い出のメロディ」(8月9日放送)から、新聞の見出し風にまとめてみました。
 (1)さすがNHK、出てくる顔ぶれの格がテレビ東京(「夏祭り日本の歌」)とは大違い。
  万年青年加山雄三と中村雅俊、それとジョー山中の本物をじっくり楽しみました。
 (2)民放等の人気にちゃっかり便乗、少しせこいNHKの声も。
  青春ドラマ(これって昔から日テレの独壇場!)から「これが青春だ」(布施明)、「太陽がくれた季節」(西口久美子ー元青い三角定規の注釈付き)、「ふれあい」(中村雅俊)の3連発!アニメから「あしたのジョー」(尾藤イサオ)、バラエティー番組から「ハイスクール・ララバイ」(イモ欽トリオ)、角川映画から「人間の証明」(ジョー山中)(注)「これが青春だ」(昭42年)は竜雷太主演、「太陽がくれた季節」を生んだドラマ(名前忘れた)は村野武範主演だった。
 (3)ゴールデンカップス34年ぶり再結成。
 司会の宮本アナが数あるGSの中でもひときわ高い音楽性が評価されていたと紹介したのはリップサービスに非ず、本当に痺れる味わい深いサウンドだった。(70年代にゴダイゴで活躍するミッキー吉野すら他のメンバーに比べれば鼻タレ小僧に見えた)ディブ平尾の歌い方は10年後の桑田佳祐に通じてるとの声も。
 (4)ちょっと悲惨な人たち。透きとおった美声なく、ザラついた声で苦しそうに代表曲「雨」を歌う三善英史。声に艶のない分、何とか仕草でカバーしようとする園まり「逢いたくて、逢いたくて」ー聞いている方が涙が出てきちゃうね。歌詞をまちがえて仲間たちからギロリとにらまれた長江健次(イモ欽トリオ)。8月18日にはテレビ東京に出てちゃんと歌えたよ!)。マイクの調子が悪くて出だしがきこえなかった「ひまわり娘」伊藤咲子。(ただしこの人の場合、お店の宣伝をかねてこまめにテレビに出ているからこんなアクシデントは何ということもないだろう)最後に、ヒゲに白いもののまじったもんたよしのり(泣)
 (5)変らずな元気な人たち。病気から復活した西城秀樹。5児の母、少子社会の救世主(?)堀ちえみ。蛇足だが堀ちえみの歌った「さよならの物語」は80年代アイドル・ブームの一到達点と言ってよい名曲であろう(詳細は後日記す)。額は広くなったが抜群の歌唱力は相変わらずの布施明。以前この場で取り上げたサーカスの「アメリカン・フィーリング」も結構でした(一部にはアメリカを讃美しすぎの声も…)
 デューク・エイセスも元気だね(昭和49年、当時私の通っていた高校の芸術鑑賞プログラムで来校しナマの演奏を見た。なつかし〜)
 (6)御三家に挑んだ男たちの中で最も有名な「イルカにのった少年」城みちる登場。
 ほかにどんな奴がいたなか?

部外者の声
一日艦長ありがとう
護衛艦「はまぎり」 青森・八戸高校生
3年 森越麻衣
 普段はテレビやラジオを通してしか、その一面を見ることが出来ない自衛隊という組織の内部を、この目で見てみたいという予てからの希望により、私は1日艦長を務めさせて頂きました。
 大砲やミサイルのセンサーなど最新の技術を取り入れた軍艦の装備の重厚さに驚き、また乗組員の方々の真剣な表情や仕事への誠実さから、国を守るという使命の重大さや自衛官であることへの誇りを強く感じました。
 また、自衛官にも様々な職種があり、それぞれ専門的な資格を持つプロフェッショナルの集団なのだということも知りました。
 イラク復興を手伝うための派遣など、自衛隊は今後ますますその重要性を増やしていくことでしょう。今後の活躍を期待するとともに、当日温かく迎えてくださった艦長さんや乗組員の方々に感謝したいと思います。
3年 近藤 さくら
 護衛艦がどのようなものであるかも知らずに1日艦長になり、なず驚かされたのが「はまぎり」の艦体そのものです。見るもの全てが珍しく、飽きることがありませんでした。その艦体よりも印象深かったのが、体験航海時の「これが現場だ」という雰囲気です。職員の皆さん1人1人が職務をこなす姿に魅了されたことを鮮明に覚えています。
 それぞれ決まった仕事をもっているというのは、責任が伴う分、やりがいがあるのだろうと思いました。そのとき改めて、自分の知らないところで懸命に働いている人々がいることや、こうした活動が自分の生活とどこかでつながっていることを実感しました。
 この1日艦長という貴重な体験ができたことを誇りに思い、この経験を通して感じたこと、考えたことを忘れずにいたいと思います。

海上自衛隊隊員御一同様
黒瀬中学2年 結城羅士
 拝啓。いかがおすごしでしょうか。先日は大変お忙しい中、僕たち職場体験のために、時間をさいてくださってありがとうございました。
 職場体験学習では、潜水艦の操縦の体験シミュレータをさせていただいて、こんな感じなのかと思いました。練習をしているところも拝見させていただいて、実際には、八人ぐらいでやるんだと思いました。
 潜水艦の中で食べたカレーは辛かったけどとても美味しかったです。初めて知ったことばかりで、役割などもわかりやすくおしえていただいてありがとうございました。せんぼうきょうはズームがあるとはじめて知りました。
 潜水艦の中は思ったよりも広いけれど、食堂は小さかったです。部屋と部屋を結ぶ入り口は小さく通りにくく、潜水艦に乗っている人は、よく通れるなと思いました。尊敬します。
 秋の文化祭で職場体験で得たことの展示をしたいと思いますので、時間があれば、見に来て下さい。お体にお気をつけてお過ごし下さい。敬具。

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