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   2004年12月1日号
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『彩の国まごころ国体』を支援
<32連隊>
自衛隊への理解向上図る
馬術競技でスピーディに障害物を設置する隊員
 第32普通科連隊(連隊長武藤正美1佐)は10月23日から28日の間、埼玉県内各地で開催された第59回国民体育大会秋季大会「彩の国まごころ国体」の自転車ロードレースに第1中隊長以下42名、馬術競技に第4中隊長以下65名及び銃剣道競技に第5中隊長以下36名をもって協力した。
 大会は23日、熊谷スポーツ文化公園陸上競技場で天皇皇后両陛下のご臨席を仰ぎ、開会式が盛大に実施され、武藤連隊長が協力担当官として参列した。
 自転車競技協力は23日、24日に実施された。上尾駅前をスタートし東秩父村間を往復するコースで、連隊は役員等の乗車するコミッセル車や収容者などの車両班、丸広デパート屋上に通信所を設け各地点・車両と本部を中継する通信班、各地点に関門班を編成し、スピードを要求される協議会に迅速・正確に対応した。
馬術競技協力は24日から28日の間、江南町で実施され、障害物の設置、保守、撤去などを限られた時間内に行った。知識と高い練度が必要とされる作業を隊員が4月かた事前訓練を実施するなど万全な態勢で競技に協力し、円滑な運営に寄与した。
 銃剣道競技協力は22日から26日の間、岡部町で実施され、隊員は進行委員をはじめ会場・掲示・記録・放送などあらゆる任務に整斉と対応・処置し、自衛隊の主要戦技でもある銃剣道を側面から完全協力した。
この協力により連隊は、大会役員や関係諸団体の自衛隊に対する理解と認識の向上を図るとともに、県民に「埼玉に32連隊あり」を大きくアピールした。

阿部3佐(体育学校)が伴走務め優勝
―盲人5000m競争―
全国障害者スポーツ大会開く
 国内版のパラリンピックとして全国障害者スポーツ大会は、2001年に「全国身体障害者スポーツ大会」と「全国知的障害者スポーツ大会」が統合され障害者の社会参加が促進されることを目的とした障害者スポーツの祭典。「彩の国まごころ大会」は、“ともに感動!ともに笑顔”をスローガンに11月13日〜15日までの日程で開催され、開会式は、埼玉県熊谷市のスポーツ文化公園陸上競技場で、皇太子さまをお迎えして盛大に開かれた。
 体育学校スポーツ科学班長の安部昌弘3佐は障害者スポーツの普及活動に務め、本大会では、埼玉県選手団の陸上競技コーチとして参加。春先から身体や知的に障害を持つ陸上先週の実技指導に当たり、レースでは、盲人(視覚障害者)男子5000m競争の伴走を務めた。この競技には17名が参加、安部3佐埼玉県富士見市在住の田中選手の伴走を務め、選手同士の接触や転倒が相次ぐ中、冷静に後半追い上げて見事先頭でゴールテープを切り優勝に輝いた。
 表彰式後、安部3佐が「どこかでハンディを乗り越えてスポーツをしている障害者を見かけたら、単なるリハビリの延長でなく五輪と同じ純粋なスポーツ競技として見てほしい」と語った。

<論陣>
北朝鮮回答に誠意なし
=拉致事件解決、遠のく?=
 北朝鮮に拉致された日本人の安否をめぐる第3回の日朝実務者協議は、両国の外務省局長級が出席し、日本中の国民が注目する中で北朝鮮の首都平壌(ピョンヤン)で行われたが、過去2回の北朝鮮側の回答から、ほとんど前進が見られなかった。わずかに横田めぐみさんのものといわれる遺骨や数枚の写真、事故情報、天気状態表などが手渡されただけで「拉致されたといわれる10人中8人は死亡、2人は入国の事実なし」の主張に変化はなかった。被害者家族会などと同様、日本中で「北朝鮮に誠意があるとは思えない。これで日本が納得すると北朝鮮は考えているのだろうか。事件の真相に迫るためには、もう経済制裁に踏み切るほかはない」との声が、日を追うごとに強くなっている。
 この事件の解明については、小泉首相が二度も訪朝し、金正日北朝鮮国家総書記と直接会談している。金総書記は「拉致の事実を認め、謝罪し、二度とこのような事件を起こさない」ことを約束し「事件についての徹底した再調査」を“確約”している。
 それに対して日本側は、人道支援の名目で25万トンの米と医療品の提供を約束し、その半分は北朝鮮に送り済みである。そうした日本側の善意に対して返ってきた答えが、「ゼロ」に近いものだった。外交官、医師、捜査官などの日本側の実務者の存在を北朝鮮は、ほとんど無視した態度だったとしか思えない。例えば、横田めぐみさんの夫だったと名乗るキム・チョルジュンなる男。事前には貿易会社に勤めているとされてたが、DNA検査の必要上、日本側が頭髪や血液の採取を求めると一転「わたしは工作機関にいる人間だから―」と言って血液はおろか頭髪、ひいては写真の撮影も拒否したという。一事が万事この調子である。ねつ造としか思えないふしが各処にある。
 第一、死亡とされる8人の死亡年月日の訂正があまりにも多過ぎる。また、水泳中に死亡されたとされる市川修一さんの死因も溺死から心臓マヒに変更している。ガス中毒で亡くなった石岡亨さん、有本恵子さん夫婦も、お墓が洪水で流されてしまい遺体は不明となっているなど、あまりにもウソらしい話が多い。
 証拠として日本側に手渡された横田めぐみさんの3枚の写真もおかしな話である。これだけ、きちんとした写真が残っているのなら北朝鮮側は、なぜ、第1回の協議の席上、提出してこなかったのだろうか。それ以上に小泉・金正日会談の際、金総書記が謝罪しているのだから、その場で「申し訳なかった。これが残っていたのでお返しする」と言って写真を返さなかったのか。
 いろいろと考えると、家族会の人たちが「拉致された者たちは北朝鮮のどこかで生きている」と語っているほうが正しい気がしてならない。
 情報を小出しにして、“支援”をとり付けるのが戦術なら、日本側も対抗手段をとるべきであろう。対話と圧力ではなく、圧力と対話のときが来たようだ。一部には「経済制裁を加えると、関係がと切れ、あとの話が続かない」と心配するむきもあるようだが、そんなことはない。段階的制裁を実行すればいいのである。
経済制裁にはいろいろな方法がある。まず米と医療品の支援を中止すること。つぎに、在日朝鮮人が北朝鮮あてに送っている金の送金停止、そして北朝鮮との貿易の停止、船舶の入港制限、禁止、銀行決済の中止、両国民の渡航禁止などである。どれを先にし、どれを最終にするのかは政府が決めることだが、決断と実行に、あまり時間をかけてはならないことだけはたしかである。
 拉致問題は、日本だけの問題ではない。隣りの韓国でも、過去に数え切れないほどの行方不明事件が起き、そのほとんどが北朝鮮に拉致されたのではないかといわれている。そこで、日本の拉致事件と併行して韓国の拉致事件の解決にも、われわれが目を注いでいかなければならない。そのときのパートナーが矢張りアメリカ、中国であろう。6カ国協議は単に、“核廃絶”のためだけにあるのではない。日本、韓国の拉致事件解決にも役立つ協議であってほしいものである。

東富士を撮り続けて…
富士本屋写真部 佐藤欣一氏(写真提供)
<シリーズ 10>
昭和16年11月、秋期大演習終了後の中部第2部隊(静岡歩兵)。先頭は根岸部隊長。
電信隊、現在の通信隊。当時は電信柱も持って移動していた。
電信隊の作業風景。穴をあけて電信柱をたてている。

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