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   2003年7月1日号
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SLC教育訓練を実施
<富士学校>
600隊員、戦車など170両参加
 富士学校(校長・柳澤壽昭陸将)は、第52期3尉候補者課程(SLC)の仕上げとなる教育訓練を6月10日から13日まで東富士演習場で総人員約600名、車両約170両(戦車、装甲車含)の規模で行った。
 今回、同課程の学生は平均43歳で、全国から選抜された生え抜きの猛者。学生の中には過去にカンボジアやゴラン高原のPKOに参加経験がある者も含まれ、それぞれの職種の超ベテラン揃いとなった。
 6月12日、この日の戦闘訓練は、午前6時、特科部隊の火砲による敵陣に対する射撃からはじまった。敵の障害を施設科部隊が処理し、機甲科部隊と普通科部隊が連携をとり、敵の陣地に侵攻。激しい雨が降りしきる中、緊迫に満ちた訓練となった。(=写真)
 なお、12週間のすべての教育を修了した148名(普通科82名、特科46名、機甲科20名)は7月1日に富士学校長が執行する卒業式で、3等陸尉に任官される予定。現隊にもどり、それぞれは第一線の小隊長として、名誉と誇りをもって各部隊の中核を担う。

日米で懇親会を開催
『富士友好協会』、『勝縁会』
日米ミリタリーと市民が地引網やバーベキューで交流を深めた(6月22日、沼津市で)
 6月22日「日米ミリタリーと市民との交流懇親会」が沼津市の今沢海岸に約300人が集り、地引網やバーベキューなどで賑やかに行われた。富士日米友好協会(中野新一会長)と自衛隊協力会「勝縁会」(石井登会長)の呼びかけで一昨年から開催されているもの。
 会場は地元のこどもづれ家族や自衛官・米海兵隊員など若い空気がいっぱいだった。この他にも米海兵隊富士キャンプのヘンリー・J・ドニガン3世夫妻や中谷正寛前陸幕長夫妻、斉藤斗志二、渡辺周、細野豪衆院議員、鈴木正孝元防衛政務次官らも出席して終始笑顔で懇談していた。
 朝6時の一番網には約7?の大きな平目が入り、網の中で飛びはねるのを見て海兵隊員や若い自衛官たちは大さわぎ。2番、3番の網にもたこやウツボ、ボラ、真鯛などで大豊漁。協力の漁師さんも「10年ほど前にこのくらいの平目が入ったことがあるが近年にない大物だ」と少し自慢げだった。早速これらは調理され、いのししやスペアリブ、ヤキソバなどと一緒に参加者にふるまわれた。
 さらにステージでは中野・石井両会長のあいさつがあり、中谷前陸幕長のかんぱい、長泉女性太鼓などで時間いっぱい盛りあがった。(所谷尚武)

防衛協会が定期総会開く
佐瀬氏の講演会も
 全国防衛協会連合会(山口信夫会長)と東京都防衛協会(同)の定期総会が6月11日、グランドヒル市ヶ谷で開催された。
 総会に引き続き、午後2時40分から拓殖大学海外事業研究所の佐瀬昌盛所長を招いて講演会が行われた。演題は「変化する国際政治構造と日本の安全保障」で、▽9・11とイラク戦争▽国際秩序と国連▽北朝鮮という難題▽わが国は何をすべきかなどを具体的なテーマとして、それぞれ詳細に自説を展開した。佐瀬氏の的を射た国内外の現状分析に、参加者300名は心から感銘を受けた様子だった。
 次いで、場所を移して懇親会が催され、石破茂防衛庁長官はじめ来賓多数が出席、和やかに歓談するとともに防衛協会の一層の発展を誓った。

防衛協会京都青年部、7普連で体験入隊
 京都地連(部長・浅見憲司1陸佐)は5月20、21の両日、第7普通科連隊(連隊長・財域昭彦1佐)で実施した京都府防衛協会青年部会(津田純一会長)の体験入隊を支援した。
 この体験入隊は、青年部会役員会で「自らが自衛隊員の生活の一端にふれ、理解と認識を深めることにより、協力基盤の拡充も図れるのでは」などの意見により実現したもので、会長・副会長を含む9名(男性5名、女性4名)が参加した。
 体験入隊は第7普通料連隊第1中隊(中隊長・廣澤久伸3佐)計画で実施され、初日は被服等を受領した後、概要説明、基本教練、装備品の説明、連隊長講話、主要幹部との懇談、2日目はレンジャー訓練見学、行進訓練、史料館見学等を行った。
 参加した防衛協会青年部会員からも「貴重な体験ばかりで、隊員さんが日夜訓練に励んでくれている姿を直接拝見でき感動しました。他の会員さんにもどんどん参加を呼びかけていきます」と頼もしい意見が出ている。

@長嶋茂雄氏が先崎陸幕長を激励
<写真1点、エトキ=長嶋氏?が直筆のバットを先崎陸幕長?に贈呈>
 長嶋茂雄氏が6月18日、先崎陸幕長を激励するため市ヶ谷駐屯地を訪問した。
 長嶋氏とは旧知の仲である荒川眞氏(陸幕長中学校時代の同窓生)が紹介したもので、長嶋氏は今回の訪問を記念して「快打洗心」と直筆したバットを陸幕長に贈呈した。また、市ヶ谷記念館を見学、記念館長から市ヶ谷台の歴史などの説明を受けた。

<論陣>
イラク支援、初の措置法下
冷静に、そして的確な判断を
 国際貢献のために活躍する。このことは自衛隊にとって重要な任務のひとつである。過去にもPKOなどの要員としてカンボジア、ゴラン高原、東チモール、モザンビーク、ルワンダ、ホンデュラス、インド洋などに派遣され、人道援助、後方支援、医療支援など、地道な活動を行ってきた。
 そして、こんどはイラクでの戦後復興支援である。イラク派遣のための「イラク復興支援特別措置法案」は、閣議決定の上、さきごろ国会に提出され現在、審議中である。そのため国会の会期を延長して、与野党間で真剣に討議、調整が行われている。
 激しい戦闘で荒れ果てたイラクで、その日暮らしをしている市民、また、銃弾で傷付いた人達を助けなくてはならない。そうしたことを一日も早く実現したいと思うのは、世界中の人達の一様な気持ちである。「イラク復興支援特別措置法案」が、順調な審議の上、通過することを心から願っている。
 国際貢献について、これまで日本への風当たりは強い面があった。「日本はどの関係国よりも出足が遅い」という声とともに「日本は経済大国面(づら)をして金は出すが、ひとつも汗をかかない。いや、一滴の血も流そうとしない」という手きびしい意見も多かった。特に湾岸戦争時の日本への批判は、これが多かった。湾岸戦争後、海上自衛隊の掃海艇がペルシャ湾などで機雷の処理に汗を流したことなどすら戦史の中の一行にもならなかったほどである。
 こんどの派遣は陸上自衛隊員が中核になると思われる。もちろん、隊員の輸送、物資の運搬には航空自衛隊機、海上自衛隊の艦艇が参加、協力することになる。
 さて、自衛隊がイラクに乗り込んだとき、どういう点が問題になるのだろうか。第一条件は、特別措置法の大前提になっている「支援活動は、武力による威嚇または武力行使に当たるものであってはならない」。まず、武力行使を禁止していると同時に「わが国領域および現に戦闘行為が行われておらず、活動期間を通じて戦闘行為が行われることがないと認められる地域で実施する」となっている。
 ここで問題なのは非戦闘地域をどう認定するかである。自衛隊が派遣されると予想される今年の8月〜11月頃には、米英軍や新編イラク軍、その他の関係国軍の活動で相当平穏な状態になっていると思われるが、それでも散発的なテロ活動や攻撃は行われるのではないかと推測される。
 現に米政府高官の中には「イラクは、まだ戦闘状態にある」と明言しているものもいる。条文には「外国で活動する場合は、当該国などと協議、実施区域を規定する」としているが、イラク全土の安全が不安定な状態のとき、果して活動地域がすぐ決定できるかどうかである。もちろん、この決定は閣議で決定、活動を開始してから20日以内に国会に報告されることになっているが、決定に当っては防衛庁長官はじめ内局、各幕、そして現地指揮官との綿密な連絡調整が不可欠である。その上、防衛庁長官の正確な判断がなによりも優先する。それが"血を流さないため"の最重要要件である。
 大量破壊兵器が発見され、その処理が問題化されたとき、日本はどうすればいいかの問題がある。法案を作るとき、政府、与党は法案の中にあった「大量破壊兵器の処理について、国連安保理で加盟国に処理活動への貢献を求める決議が採択されれば兵器の収集や無毒化、他国の処理部隊へ協力する」条項をあえて削除した。現地でこの問題が論じられる前に、日本政府は関係諸国に「なぜ削除したか」の理由をくわしく説明し、了解しておいてもらわなくてはならない。でないと、また「日本は非協力的だった」とのそしりをまねきかねないと心配する。
 4年間の時限立法だが「延長することも可能」となっているのも、関係国に話を通しておく必要がある。説明がないと「日本は4年経ったら、作業中でもハイ、さようならするのでは?」との不信感を抱かせる可能性があるからである。隊員の武器使用、戦時と平和時の線引きなど、むずかしいことは数多くある。ただ、自衛隊にとっては特別措置法下という形での初出陣である。国民は活躍を期待している。

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