防衛ホーム新聞社・自衛隊ニュース 防衛ホーム新聞社 防衛ホーム新聞社
   2003年5月15日号
 1面 14面 15面 18面 19面 20面

彰古館往来
陸自三宿駐屯地・衛生学校
<シリーズ16>
救急包帯の先駆け三角巾
明治6年(1873)石黒忠直の三角巾
 陸上自衛隊員の個人装備で最も小型のもの、それが救急包帯です。救急包帯は被覆包帯や圧迫止血用に使用しますが、当初は三角巾一枚でこれらの用途を全て賄っていました。軍医や衛生下士官が近くにいなくても兵卒自ら初期治療が出来る装備で、明治6年(1873)に陸軍衛生部の石黒忠直が考案したものです。
 この頃石黒は1個の包帯小包を入手します。これを開いてみると三角形の布と小冊子が入っています。ドイツの軍医総監エスマルヒの三角包帯法です。字引と首引きで読んでみると「三角巾一枚で全身、どのような部位の傷でも包帯が出来る。しかも、その使用方法の図が、三角巾に印刷されている。こいつは妙だ」と感嘆した石黒はこの絵を数千枚印刷、使用方法を軍医・看護長・看護卒らに練習させ、各隊に頒布し、暇を見つけては一般の兵卒にまで教育を施したのです。
 彰古館の所蔵史料によると、明治6年には陸軍本病院で、明治10年(1877)の西南戦争では陸軍大阪臨時病院で三角巾を使用したと記録されています。明治7年(1874)8月には陸軍文庫から「三角包帯用法」が発刊されます。この
緒言には「一昨年の普仏戦争では、ドイツの兵士はこの三角包帯の使用法を良く習っていたので、大いに助けとなった。願わくば、わが国の兵土も平日よく之を心得おき、万一の時之を施せば大いに治療の助けとなり、又、軍医の事欠けても補うに足る」と書かれています。
 エスマルヒの著書を石黒が翻訳出版した「軍陣外科手術」によると石黒が手本とした三角巾は、1830年頃スイスのマヨル氏が発案したものを1869年に改良を加え、キールの画工ウツマークに絵を描かせ、ベルリンのベエケル氏に銅版彫刻をさせて印刷したものだそうです。
 石黒の作成させた三角巾の図柄もこれを踏襲したもので、上部に「明治六年陸軍本病院」の文字が加えられているのと、兵士の服装が日本陸軍に修正されている点が異なります。
 当時こうしたイラストを印刷するには非常に高価な銅板印刷しか方法が無かったため、これらは訓練に使用し、装備品には無地のものが使用されていました。彰古館に残るこの当時の「赤一文字の衛生背嚢」の入り組み品もやはり白色無地の三角巾です。
 彰古館には、駐在武官の物々交換などによって収集された明治27年(1894)の日清戦争以降の各国の救急包帯が現存しています。その種類は日清戦争、日露戦争、大正年間、昭和初期、大東亜戦争での国産品ほかドイツ、アメリカ、カナダ、オーストリア、イギリス、フランス、イタリア、中国などの各国・各年代に及びます。
 例えば中国のものは包みに「護傷包」と書かれており、安全ピンの代わりに竹串を入れてあるなど、多少お国柄の違いは散見されますが、これらの収集品は明治初期に石黒忠直が国産化したものと基本的には同じものです。それだけではありません。自衛隊の現用装備である救急包帯もまた、同じ源流を辿ることが出来るのです。

労務管理機構
設立1周年記念式典を開催
 独立行政法人駐留軍等労働者労務管理機構は、4月1日で設立1周年を迎え、本部では、会議室に役職員全員が参集、記念式典が催された。
 粟理事長は、「当機構は、昨年の4月1日、駐留軍等労働者の労務管理等事務の一部を引き継ぐ組織として新たに設立された。全職員が当機構の任務の重要性、業務の継続性を強く認識し、一致協力して業務に取り組んだ結果、円滑かつ着実に業務が遂行でき、機構設立初年度としては立派な成果を挙げることができた」と1年を振り返り、「当機構も2年目を迎え、初年度に築き上げてきた業務をより確実に軌道に乗せる必要がある。日々の業務処理にあたっては、常に駐留軍等労働者へのサービス向上を念頭に置き、業務を進めること。また、中期目標を確実に達成するため、中期計画を着実に推進していくことが必要不可欠であり、そのためにも、従前にも増して創意工夫をこらし、これからの業務処理をより効率的に進めてほしい」と職員に訓示した。

回想の70年代音楽(9)
二人の“ひろみ”
 だいき パパに最近メル友ができて、その人(女性)にこのテーマのことを話したら郷ひろみと岩崎ひろみですか?って言われたんだって。
 ひろか 残念ですが大違い。正解は岩崎宏美と太田裕美です。パパにとって1975年から80年に至る高校・大学時代とこの2人の女性歌手がヒット曲を連発していた時期がぴったし重なるんですって。
 だいき 太田裕美のことは5月14日に新宿の厚生年金会館で行われるコンサート(パパにとって実物を見る初の機会)の後で書くとして、今回は岩崎宏美を中心に、パパはママのいない隙をねらってはシングルの全曲を収めたCDを聴いているぜ。
 ひろか 不思議なもので昔はいいと思った曲が今ではそんなにハートに響かなかったり、逆にどうしてこんな曲が?というのが詞・曲とも凝ったものだと発見したりしてるんだってさ。
以下はパパが語る岩崎宏美ワールド’75〜’80。
 *75年 「二重唱(デュエット)」・デビュー曲が大ヒットしないのは世の常だから気にしない。「ロマンス」何も語る必要のない名曲、“歌は3分間のドラマ”という格言がピッタリくるぜ。「センチメンタル」●ハートマーク●でウキウキした女の子の気持ちを歌った名曲、ひろかにもこういう時が来るのね。
 *76年 「未来」“二人だけ青い道”というフレーズに草ぼうぼうのあぜ道を思い出すパパ農村の子!
 *77年 「思い出の樹の下で」あなたも私も卒業、旅立ちの時。「熱帯魚」ぐっと大人のムード。「思秋期」山口百恵の「秋桜」と甲乙つけ難き秋の名曲。ただ、中年になってみると若いね〜という若干の虚脱感が伴うのはナゼ?
 *78年 「あざやかな場面」発売当時は、えっこれがシングルの曲なのというくらい捉えどころのない作品だったが今になって聴くとアコースティックギターだけの伴奏からピアノ、トランペット等と次々に楽器が加わって高揚していく、凝ったつくりなんだと感じる。人気・実力とも安定していた岩崎宏美だからさせられたスタッフの野心作? 「シンデレラハネムーン」70年代名曲集とかによく収録されているとおりまちがいなくレベルが高い作。この頃、文化放送にDJ番組を持っていて某地方都市で雑音まじりのおしゃべりを聞いていました。
 *79年 「夏に抱かれて」“嵐が二人を…”なんて落語『宮戸川』のノリ。「万華鏡」アイドル歌手としての到達点という感に(当時21歳)。
 *80年 いろんな試験に恋愛にと(本当ダヨ)多忙で疎遠になりました。でも、この年の岩崎宏美は自衛隊音楽まつりと防大開校祭の両方にゲスト出演していたのだ。
 だいき それでパパは、俺も防衛庁でアイドル歌手と会えるような仕事をするぞと発願したんだって。
 ひろか そしたらどうなったか、いつか語らせたいと思います。

『東京音楽まつり』をプロデュース
ステージは生き物
東京地連 1陸曹  須賀 芳夫
 3月2日、今年も東京地連協力10団体主催により行われた「自衛隊東京音楽まつりミュージックフェアー2003in日比谷」を東京地連が支援し、来賓、招待者をはじめ入隊予定者やその家族、そして一般公募で当選した人達など、集まった約1,900人の観客を魅了し、成功裡に終了した。
 演出担当者として今振り返ると、特に今年のステージは見た目には分からない小さなミスはあったものの、これまでの失敗や教訓があらゆる所で生かされ、全てにおいてドンピシャ!計ったようにはまってくれました。
 何ヶ月も前から実行委員会が開かれ、企画、演出、受付、案内、広報展示等全て綿密な計画で当日の本番を迎えても「ステージ」そのものが成功しないと他の正面の苦労も報われるどころか逆広報になってしまいます。そのステージの生命線にあたるシナリオ(脚本)をいかに分かりやすく作り上げ、初めて舞台係を務める隊員、音響・照明に携わる隊員及び出演する隊員等にイメージさせることができるか、ということがなによりも大切な事で、平成4年2月、市ヶ谷駐屯地1号館(大講堂)で行われた「入隊予定者激励会」からその点を心がけながらシナリオを書いています。
 部内施設を使っていたころの演出と部外施設「日比谷公会堂」を使い出した時の演出は目まぐるしく違い大変苦労しました。日比谷公会堂で行われる他の催し物を自費で見学しながら舞台装備、資器材等の用途から演出効果まで修学し、独自のシナリオに盛り込んでいきました。今回は27ページで収まりましたが、多い時には40ページにものぼったこともあります。
 また、その演出を具現化して行く為の教訓として、スタッフ相互の信頼関係もさることながら出演者及び出演部隊等との信頼関係が最も重要だということです。出演依頼、事前調整の段階から如何に良好な関係で本番当日を迎え、総合リハーサルに望むことが出来るかということが目に見えない成功への鍵だと思います。
 特に、今回初めて出演して頂いた「駒澤大学吹奏楽部」については、派遣演奏を聴きに行って激励したり、ビデオカメラを片手にパレード演奏を最後まで記録するなど、彼等と共に汗を流しながらその実力と当日の演出効果を一緒に模索する等、信頼関係を築いてきました。正にそれらの結果が今回のステージで表現され、最高のフィナーレを迎えることが出来た要因の一つだと思います。「去年も良かったけど今年はもっと良かったね!」と、言われ続けて早10年!この培ったノウハウを財産として次の時代を担う仲間達に継承してもらいたいと思います。
 ステージは生き物であり、時間との勝負!来年の勝負に秘策あり!

15面へ
(ヘルプ)

Copyright (C) 2001-2014 Boueihome Shinbun Inc