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   2007年4月1日号
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寄せ書き
初の冬季練成に参加して
第10普通科連隊 本部管理中隊 1陸士 酒井 大志
  私は今回の冬季演習に参加して「スキーを履いての行進はこんなにも辛いのだ」と痛感しました。自分自身徒歩行進には自信があったので、スキーを履いての行進でも大丈夫だろうと甘い気持ちでスキー行進に挑みましたが、スキー行進を始めてすぐ何度も転倒するし、スキーの金具は外れるしで、2時間も経過しないうちに精神的に嫌になりました。しかし小隊のみんなに助けてもらい時には励ましてもらい、なんとか25キロのスキー行進ができ、到着した時は安堵の気持ちでいっぱいになりました。ホッとしたのもつかの間、じ後の偵察に備えて戦闘準備を整え天幕で仮眠をとっていると、結露が何度も頭に落ちてきて、その度にあまりの冷たさに目が覚めました。
 スキー行進の筋肉痛に襲われ始めた23時から偵察活動を開始しました。斥候動作もまともにできない私が、スキーやカンジキを使った偵察ができるのか?斥候班長についていけるのか?など不安でたまりません。眠さ、寒さで不安は強まるばかりでした。移動中の車両の中で明るく声をかけてくれていた小隊のみんなが、いざ車両を降りて偵察開始になると、無口で真剣な顔になって新雪の上をどんどん進んで行きました。先輩の背中を見てついて行くので精いっぱいでしたが、敵の人員、障害を見つけることができた時はドキドキしました。
 偵察が終わり疲れきって陣地に戻り、小隊のみんなに「お疲れ様」と声をかけてもらった時は、嬉しくて疲れを忘れました。「よーし、次も頑張るぞー!」という気になりました。
 今回の冬季練成では、自分の体力の無さとスキー練度の未熟さが分かりました。次の冬季練成では、少しは後輩に声がかけられる先輩隊員になれるように、体力とスキー技術を向上していきたいです。
冬季連隊練成訓練に参加して
第10普通科連隊 第4中隊 2陸曹 藤嶋 暢仁
 今回冬季連隊練成訓練に参加して、改めて痛感したことは「冬季の訓練は準備の段階で良し悪しが決まる」ということです。
 約25キロのスキー行進では我々第4中隊は遅れる隊員も出ず、アキオ曳行組を先頭に整斉と行進を実施できました。ただし行進間他中隊の遅れている隊員を超越する際、もしこの少ない人員で一人でも遅れたらと思うとぞっとしました。反面日頃のスキー訓練の成果が出ているのだと感じました。行進訓練の終盤に雪上車による曳行スキーに移行した際には、既に体力もかなり消耗している状態でした。加えて下り坂では、私の今までの自衛隊生活最速のスピードだったため中隊のほとんどの人員が転倒し、まだまだ練成不十分だと認識させられました。真の勝負は疲れた時、苦しい時にどれだけ頑張れるかだと私は考えます。
 雪上車による曳行スキーの後、集結地の占領、設営、警戒、陣地構築と、寒さと披露と戦いながら無事訓練を終了しました。
 本訓練に参加して、たとえ日頃自分の体力等に自信を持っていても、演習に際してはさらに上を目指して、体力・気力・職能・資質の向上に努力しなければならないとの教訓を得ました。今後も今回の教訓を忘れず「治に居て乱を忘れず」の精神で日々精進していきたいと思います。
私の相棒
6特連情報中隊=郡山駐屯地 3陸曹 千葉 恵美
 私がバイクに興味を持ったのは父の影響でした。父は私が物心がつく前から乗っていて、小さい頃よく乗せてくれていました。ずっと免許を取りたかったのですが、きっかけをつかめずにいたところ、後輩が免許を取りに行くと聞いて一緒に行くことにし、約1カ月かけて念願の自動2輪の免許を取得しました。
 教習期間中は、教習車を転倒させながらも職場の先輩にいろいろアドバイスを頂いて順調?に教習を進めることができました。
 今私が乗っているバイクは、一目惚れで即購入してしまいました。四季の風を感じながら、晴れた休みの日には目的地を決めずにお気に入りの場所を探し旅に出ています。
 まだまだ新米ライダーですが、安全運転でドライブを楽しみたいです。
定年を前にして
八戸駐屯地業務隊 補給科糧食班 技官(栄養士)木村 和子
 39年前に営門を入る時、どんな思いだったか思い出せない程、長い間通った自衛隊もあと少しで定年となります。入隊して8カ月の時、需品学校で第1回目の集合訓練がありました。同期には、需品学校の元糧食教官の佐藤教官もいました。当時の糧食教官は荒井教官でしたが、知っている人もだんだん少なくなってきたのではないでしょうか。皆さんとても立派な方ばかりで、私は自衛隊の栄養士としてやっていけるのか不安でしたが、なんとか最後まで勤める事が出来そうなので、大変うれしく思っております。
 入隊当初は、毎日の業務がすべて手作業で余裕のない毎日でした。駐屯地の献立も、糧食調達要求書も、現品の献立も、なにもかもがみんな手作業でいつも仕事に追われていたような気がします。
 その後昭和63年にパソコン教育に参加し帰隊後すぐに使い始めましたが、いつもジージーと印刷の音が事務室中に響いていて、時間もかかりうるさがられました。パソコン歴は18年になりましたが、何もわからずいつも周りの人にお世話になっております。人間関係をいかに良くしておくかがとても大事だと思います。パソコン導入以来、栄養指導にも力を入れるよう指示がありましたが、一人ではなかなか大変な事もあり、平成13年から14年の間9師団グループの皆さんに声をかけ「栄養相談日」を開設しました。イベント的に大々的にやる事により、各部隊長から一隊員まで興味を示してくれて、本当にうれしかったです。青森駐屯地、秋田駐屯地、更に郡山駐屯地にまで広がりました。仙台病院の医官や看護官、そして一番力を貸してくれたのは、当時の仙台病院の管理栄養士さんでした。駐屯地には栄養士が一人なので、栄養指導にも限度がありますが、皆で力を合わせると楽しく、アイデアいっぱいにやれる事もわかりました。昨年の11月には、はからずも「陸幕長招待優秀隊員」の栄に浴し、主人と共に東京に行って参りました。本当に感謝した出来事でした。
 残りの勤務期間も少なくなりましたが、栄養管理を意義のあるものにする為には、隊員に「美味しい食事」を提供し、毎日食堂に来て食べて頂く事がいかに大切かをしみじみ感じております。最後のその日まで美味しい食事作りに頑張りたいと思います。39年の長い間、皆様に大変お世話になりました。有難うございます。
 最後になりましたが、皆様の益々のご活躍とご健康を祈念申し上げます。

「頑張っています」 新しい職場
活躍するOBシリーズ
日本興亜損害保険(株) 花田 満
再就職は明確な方針を
花田氏は平成15年1月、第21普通科連隊(秋田)を2陸佐で定年退職。59歳
 私は平成15年1月、定年と同時に日本興亜損害保険株式会社に勤務し、3年が経過しました。
 再就職に際しては「付配置前に再就職を決定する」と自ら方針を立て、定年退職1年前に自分の要望を援護センターに伝え、援護センターとの二人三脚を始めました。途中紆余曲折はありましたが、援護センターの積極的な行動により、私の方針通り付配置の1カ月前に再就職を決定することができ、援護センターには心から感謝申し上げた次第です。
 私は自動車事故発生時における対人の査定の業務を行っております。具体的には当該事故に関わる関係者への連絡・面談及び事故に遭われた方との示談交渉等が主な業務です。在隊中とは全く異質な業務で、相手方は老若男女かつ多種多様の職業であり、これから先本当にやっていけるだろうかと不安が募りましたが、会社の上司及び自衛隊先輩OBの機敏なアドバイス・声かけにより現在に至っております。
 査定業務中、相手方との会話の中で人情論を出されると、同じ人間として心が揺れ動き自らの判断に迷いを生じることが度々あります。その都度業務の原点である「査定」の2文字を思い出し、毅然とした態度で対応するようにしております。また被害に遭われた方から示談完了後に書簡・電話等で色々面倒を見てくれて有難うと御礼を頂いた時は、この仕事をやって本当に良かったと心から思っております。お陰様をもちまして最近はたいへん充実した日々を過ごしております。最後に今後定年退職される皆様へ
一、再就職先は、付配置前に決定できるよう定年の1年前から積極的に援護センターとの連携を図る
二、再就職先では、在職間の経験(各種職務に就いて当初苦労したことを思い出して下さい)に基づき自信と明るい笑顔で人と接する。
 以上の2点を心掛けられたらいかがでしょうか。

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