防衛ホーム新聞社・自衛隊ニュース
スペーサー
自衛隊ニュース   2009年12月15日号
-
1面 5面 6面 8面 9面 10面 12面

彰古館 往来
陸自三宿駐屯地・衛生学校
シリーズ94
陸軍軍医総監の肖像5
-

 陸軍省第9代医務局長は鶴田禎次郎軍医総監(中将相当官)です。
 鶴田軍医総監は佐賀県出身で、日清戦争(1894)時には第二師団第二野戦病院付として活躍、その後は東京第一衛戍病院付、陸軍軍医学校教官を兼務します。
 日露戦争時(1904)には精鋭第一師団の軍医部長を拝命します。二等軍医正(軍医中佐相当官)の鶴田は、第二軍軍医部長の森林太郎軍医監に「脚気予防のため麦飯の支給」を再三上申していますが、これは無視されています。
 昭和11年(1936)に書かれた「日露戦役従軍日誌」は、第一線の戦闘と救護の様子が生き生きと描かれており、現在でも研究者が必ず資料としている良書です。
 日露戦争凱旋後は、近衛師団軍医部長、東京第一衛戍病院長となりますが、この間、陸軍軍医学校教官及び日本赤十字社病院副院長を兼務しています。
 大正3年(1914)、第一次世界大戦勃発時には軍医監(少将相当官)となっておりましたが、またも第一師団軍医部長を務め、大正5年(1916)には陸軍軍医総監に昇進、医務局長となっています。
 第一次世界大戦の戦訓を基に、フランス軍に範を取り、患者輸送自動車を装備した野戦病院、包帯所などの整備を行いました。
 また実践した経験を基に、教育と指導に力を入れ、全国の陸軍病院を精力的に視察して、直接指導・教育に当たっています。
 大正12年(1928)3月、後進の山田弘倫に後を譲り、昭和14年(1939)73歳で亡くなっています。
 彰古館には、美術評論家、挿絵画家、洋画家の鬼才、石井柏亭が揮毫した肖像画が残されています。
 後を受けた第10代医務局長の山田弘倫軍医総監は岡山出身で、東京帝国大学大学院で研鑚中のところ、日露戦争が勃発し、近衛師団衛生隊予備員として参戦しています。
 凱旋後、再び大学院に戻り、卒業後は陸軍薬局方、日露戦役衛生史の編纂作業に従事し、明治40年(1907)には陸軍軍医学校教官に任ぜられ、梅毒泌尿器学を教授します。これは明治35年以来中絶していた科目を、山田軍医が復活させたものでした。
 明治42年(1909)には二等軍医正に昇任、欧州視察に派遣されます。翌年帰国後は陸軍省医務局衛生課長に補され、臨時脚気病の調査、戦用炊事具の審査、日露戦役衛生史の編纂などの業務をこなします。
 大正6年には陸軍軍医監に進み、第十二師団、第一師団、朝鮮派遣軍の軍医部長を歴任、大正11年(1922)、陸軍軍医総監に任じます。
 同時に陸軍軍医学校長を拝命し、これまで軍医監職だった陸軍軍医学校長は、この時点で軍医総監職となったのです。在職中は軍隊胸膜炎の調査と、その撲滅に力を注いでいます。
 大正12年3月、医務局長となり、9月の関東大震災に際しては、医務局の全勢力を持って、その対応に当たり、昭和3年(1928)に職を辞しました。
 彰古館には、これも異才の洋画家、片多徳郎が、その晩年に揮毫した肖像画が残されています。


第37回全自衛隊弓道大会
浜松Bが優勝(団体戦)
-
皆中目指して熱戦がつづいた(明治神宮弓道場で)
-

 第37回全自衛隊弓道大会は12月6日、明治神宮の至誠館弓道場で約400人が参加して盛大に開催された。
 開会式ではことしから会長に就任した、上瀧守防衛省人事教育局長が挨拶をおこなった。同氏は「勤務で目標を達成するのと弓で的に的中させることは本質的には同じである。これからも両方の面で精進されたい」とあいさつをした。
 このあと、松岡誠二教士6段が矢渡り(野球の始球式)をおこなった。前夜来の雨上がりに陽がさした会場にはもやが浮かび神秘的に静まりかえっている。呼吸をするのも遠慮するほど、カメラのシャッターも音が気になり押すことができない。こんな緊張感のなかで古式にのっとって松岡6段は矢を放った。2射皆中。松岡6段(2等海尉・鹿屋)は初めての舞台だったが集中していたので緊張はしなかったと言っていたが見事だった。引き続き例年のように、団体57チームや個人の熱戦がくりひろげられた。特に個人戦隊友の部では上野利雄教士7段が8射皆中という記録をつくり場内を沸かせた。日本弓道連盟でも全国的に極めて貴重だと賞賛していた。観客席ではチームメートが的中させるたびにヨシッの声が上がったり、観光の途中で寄ったという金髪のグループも服装やマナー、競技を興味深く見ていた。
 成績は次のとおり。
 〈団体戦〉
 ▽優勝=浜松B▽準優勝=浜松C▽第3位=入間B
 〈個人戦〉
 【五段以上の部】▽優勝=谷口貴男(浜松)▽準優勝=遠藤幸一(仙台)▽第3位=楠井康文(宇治)
 【三・四段の部】▽優勝=佐久間勝弘(松島)▽準優勝=財津敬介(百里)▽第3位=坂井浩(浜松)
 【初・二段の部】▽優勝=大野了平(防大)▽準優勝=三輪一真(入間)▽第3位=森田修司(浜松)
 【女子の部】▽優勝=大澤翠美(防大)▽準優勝=中内佐和(防医大)▽第3位=品川理恵(仙台)
 【隊友の部】▽優勝=上野利雄(東京)▽準優勝=稲葉健次郎(茨城)▽第3位=原田昌彦(埼玉)


空幕長感謝状贈呈式
16個人、8団体が受賞
-
 11月25日、防衛省A棟講堂で「航空幕僚長感謝状贈呈式」が行われた。日ごろ航空自衛隊に対して功労のあった16個人・8団体に、外薗健一朗航空幕僚長から一人一人、感謝状を読み上げ手渡した。教育訓練や就職援護、防衛基盤の育成、遺族援護、装備品等の調達及び管理、福利厚生施設等の設置及び管理等の功績を讃えながら、空幕長が功労者に近づいての贈呈に功労者は感激していた。
 その後、一人一人とスナップ写真を撮り、A棟正面玄関での集合写真撮影、会食をしながらの懇談、市ヶ谷記念館研修と続いた和やかな一日。この日の天気のような爽やかな功労者の笑顔が印象的だった。  
 今年度の受賞者は次のとおり。(50音順、敬称略)
〈個人〉▽安里政芳(空自那覇基地協力会「レキオ・ウイング」会長)▽稲川三津雄(三沢ボリューム会会長)▽上野弘安(奥尻町自衛隊協力会会長)▽尾関南山(空自奈良基地育鵬会顧問)▽落合賢太郎(空自武山分屯地基地後援会「武山高友会」副会長)▽甲斐英光(霧島神宮宮司)▽高階弘正(自衛隊遺族会航空部会「ともしび会」北海道支部長)▽高野勝利(空自入間基地退職者雇用協議会副会長)▽瀧山和(空自幹部学校講師)▽手嶋文史(福岡地区防衛協会青年会会長)▽長坂彰彦(航空安全管理隊飛行安全幹部課程講師)▽永田哲夫(防衛省共済組合下甑島支部委託理髪業者)▽新納脩爾(空自沖永良部島分屯基地協力会会長)▽野邉攻(防衛省共済組合高畑山支部委託理髪業者)▽秦野滋(小牧基地協力会副会長)▽山田一夫(峯岡山友の会会長)
〈団体〉▽株式会社常陽銀行▽鳥取県自衛隊退職者雇用協議会境港支部▽株式会社東日本環境アクセス▽興和ビルメンテナンス株式会社▽株式会社サカエ▽株式会社日立国際電気▽日本航空電子工業株式会社▽科学技術学園高等学校

BOT講堂オープン
《小牧基地》
-
-
 航空自衛隊小牧基地(司令・谷井修平空将補)内に完成した教育トレーナー(BOT)講堂(KC767 空中給油・輸送機 ブーム・オペレーター・トレーナー)の開所記念式典が、11月16日行われた。
 これは、遠隔空中給油操作員ステーションを再現したもの。カメラから見る映像は夜間でも分かり易いよう、モノクロの3D仕様。右の操作レバーで給油ブームの上下・左右、左の操作レバーで給油ノズルの前後の操作ができる。来春にはKC767 空中給油・輸送機4機体制での本格運用を目指しており、暫くはブームオペレーターの技術維持のため活用されるトレーナーとなる。

9面へ
(ヘルプ)
Copyright (C) 2001-2014 Boueihome Shinbun Inc