防衛ホーム新聞社・自衛隊ニュース
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自衛隊ニュース   1059号 (2021年9月15日発行)
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読史随感
神田淳
<第85回>

日本のマスコミを批判する

 戦前、日本は満州事変以降おそらく国策を誤り、日米戦争に行き着いて国を滅ぼしたが、関東軍の行動を全面的に支持し、国民的熱狂をつくりあげたのは、朝日、毎日を主とする大新聞だった。満州事変後、全国の神社に必勝祈願の参拝者が押し寄せ、憂国の士から手紙が陸軍大臣の机の上に山のように積まれた。こうして軍部が世論に支持されるまで、新聞の果たした役割は決定的に大きかった。国民は新聞により軍国主義に導かれた。
 日本の国際連盟脱退も、戦前の誤った国策決定の一つだったが、脱退を煽ったのも大新聞だった。閣議で荒木陸軍大臣が連盟脱退を主張したが、斎藤首相はとんでもないと言って押さえた。これに対し新聞は、今の内閣は何だ、連盟からひどいことを言われてヘイコラするのか、連盟内の孤立と連盟外の孤立に何の相違もない、と主張して脱退を煽った。政府は、連盟が日本軍の満州からの撤退勧告案を採択したのを機に、脱退を決意せざるを得なくなった。
 日本政府の訓令に従って連盟を脱退した全権大使松岡洋右は、脱退すべきでなかったと考えており、日本に帰っても皆に顔向けできないと消沈していた。しかし、新聞はこぞって松岡を礼賛し、これほどの英雄はいないともちあげ、これを知った松岡は意気揚々と帰国した。
 大新聞の、特定方向にキャンペーンを張る報道体質は、戦後も全く変わっていない。そして戦後に著しいのは、日本を悪とする反日的キャンペーンであり、その典型例が朝日による従軍慰安婦報道である。朝日は慰安婦が強制的に戦場に連行された女性たちであると、事実に基づかない「慰安婦=性奴隷」を世界に広めた。朝日の慰安婦キャンペーンは、吉田清治という得体の知れない文筆家の、「私は済州島の女性200人余りを強制連行して慰安婦にした」という全くの作り話を紙面に掲載し続けたことに始まる。これが虚偽だと判明した後も朝日は訂正しなかったため、海外に誤解が拡散し、日韓関係を悪化させた。やっと2014年になって朝日は虚偽を認め、記事を取り消したが、謝罪はなく、強制連行の有無については、「ひとさらい」のような狭義の意味の強制連行はなかったものの、広義の意味での強制については意見が分かれるとした。そして、問題の本質は強制連行ではなく、慰安所で女性の自由が奪われ、尊厳が傷つけられたことにある、などと主張し、現在に至っている。
 2017年、市民団体が寄贈した慰安婦像をサンフランシスコ市長は、市として正式に受け入れる文書に署名した。吉村大阪市長はこれに異議を唱え、長年続けてきたサンフランシスコ市との姉妹都市関係を破棄した。これに対し、朝日は「姉妹都市 市民協力を続けてこそ」という社説で吉村市長を糾弾した。吉村市長は、ツイッターで「朝日は僕を批判する前にやることがあるでしょ」と痛烈に反論した。
 朝日新聞の偏向報道は、日本人の名誉を毀損してきた。その影響はすでに出ているが、今後も世界における日本の国の尊厳を毀損し、日本人の利益を損なうだろう。
 このように、大新聞の報道ぶりが国益を損なうことは度々あるが、それでも中国のような報道の自由のない社会より、日本がはるかによい社会であることは間違いない。我々は、特定の方向に恣意的なキャンペーンをする大新聞の報道体質をよく知り、軽々に信用せず、ネット情報を含む複数の情報源に接して真実を見極め、健全な世論を発信して民主主義による統治に反映させ、国益を守っていきたい。
(令和3年9月15日)

神田 淳(かんだすなお)
 元高知工科大学客員教授。著作に『すばらしい昔の日本人』(文芸社)、『持続可能文明の創造』(エネルギーフォーラム社)、『美しい日本の倫理』などがある。


航空自衛隊隊員自主募集優秀部隊等を表彰
 令和2年度の隊員自主募集成果が著しく優秀であった航空自衛隊の部隊等が、7月1日に航空幕僚長から表彰された。
 第2級賞状を受賞した北部航空施設隊(三沢基地)の人事担当者は、「全隊員が『我々の後輩は、我々の手で』という認識を持って、積極的に活動した結果の受賞。今後も、より多くの後輩隊員を獲得できるよう、活動を進めていく」と喜びを語った。同隊は前回の第5級賞状から引き続いての受賞で、今回、大きく成果を向上させた功労者である市原彩愛空士長(情報提供17件、入隊成果7名)は、「母校等の学校説明会に積極的に参加し、情報収集に努めた。楽しいことだけでなく、入隊後の苦労話も正直に話してアドバイスをすると、学生の不安が払拭されて、志願意志を高めてくれることが多い」と情報獲得の秘訣を明かす。
 隊員自主募集とは、少子及び高学歴化により自衛隊を取り巻く募集環境が極めて厳しい状況下で、部隊等で勤務する隊員各自が主体的に募集対象者の情報を収集し、地方協力本部へ情報提供する活動である。令和2年度は、コロナ禍による帰省自粛等で活動の制限を余儀なくされる中、空自全体で2467件の情報が寄せられ、977名の入隊へと繋げた。
 航空幕僚長表彰を受賞した部隊等は次のとおり。
◆第2級賞状‥北部航空施設隊(三沢)
◆第3級賞状‥南西航空方面隊司令部(那覇)
◆第4級賞状‥中部航空音楽隊(浜松)、教材整備隊(浜松)、幹部学校(目黒)、幹部候補生学校(奈良)
◆第5級賞状‥中部航空方面隊司令部(入間)、第8航空団(築城)、西部航空方面隊司令部支援飛行隊(春日)、南西航空施設隊(那覇)、宇宙作戦隊(府中)、第1術科学校(浜松)
 受賞部隊等には、航空幕僚長から表彰状のほか副賞として賞詞授与枠がそれぞれ贈られた。

第6236回QCサークル茨城地区夏季大会
<百里基地>
 7月9日に行われた「第6236回QCサークル茨城地区夏季大会」に百里基地を代表し、施設隊からh&S for U(施設隊施設管理小隊給汽班)が参加した。
 今回の大会は新型コロナウイルス感染症拡大防止のため、QCサークル茨城地区のHPよりストリーミング配信し、大会は百里基地から1チーム、民間企業から7チームの計8チームで行われた。民間企業も参加しており、初めて見る機械や作業も多々あり、非常に分かりやすくまとめられている発表が多く、レベルの高い大会だった。
 そして結果は、今後に向けて活躍が期待されるサークルに贈られる「経営者協会会長賞」を受賞した。サークルを発足してから約1年2カ月、集大成として臨んだ今回の大会で受賞することができ、有終の美を飾った。今後は今回の活動成果を他部隊等へ共有するとともに、QC活動の知識や経験を活かして新たなる問題に取り組むことでより円滑に業務を遂行できるよう努力したい。

留萌駐屯地へ出前広報
F-104Jのコックピット復元
<第2航空団>
 7月25日、第2航空団(司令・徳重広為智空将補=千歳)は、陸上自衛隊北部方面総監部が主催する陸・海・空自衛隊総合広報を支援した。募集対象者に対し、航空自衛隊の魅力を体感してもらうとともに、今後の航空自衛隊及び各地方協力本部が実施する募集施策に貢献することを目的とし、支援を行った。
 2空団から陸上自衛隊留萌駐屯地へ、パイロットの個人装具、修理隊工作班が復元したF-104Jのコックピットを運び、駐屯地内に展示ブースを設け、パイロット、コックピットの復元をした隊員が説明にあたった。
 北海道らしからぬ気温の中、石狩管内から約60名の募集対象者が集まり、駐屯地内を見学した。航空自衛隊の展示ブースにも、沢山の募集対象者が集まり、目にすることのできない航空機のコックピットに興味津々の様子だった。パイロットの熱のこもった説明や復元の苦労話等を聞き、募集対象者らは非常に満足し会場を後にしていた。
 ある支援者は「この度の支援を通じ、募集対象者の笑顔を間近に見て、後方支援成果を肌で感じられたとともに、説明をするための準備を通じて、今後の自身の糧とすることができ、貴重な時間を過ごすことができた」と話していた。

今話題!?のピクトグラム
<航空支援集団>
 東京2020オリンピック開会式で印象に残ったシーンとして、ピクトグラムを挙げる人は多いのではないでしょうか?
 ピクトグラムとは、言語によらない何らかの情報や注意を示すために表示される視覚記号の一つで、1920年代に、より抽象的な図の形でオーストリアで発明されたもので、1964年東京オリンピック開催時に外国語によるコミュニケーションをとることが難しい日本人と外国人との間を取り持つため改善され、非常口、トイレ、禁煙等を示すマークとして、現代の我々の生活で不可欠なものとなっています。
 そんなピクトグラムですが、航空支援集団にもオリジナルのものがあります。写真は、約15年前当時の特別輸送航空隊・守田2空曹(当時。現‥飛行開発実験団司令部所属・守田1空曹)が遊び心で作成したピクトグラムです。これを整備小隊の化粧室に表示していたところ、当時の航空支援集団司令官が「面白い!」として航空支援集団内に広まりました。今では、隊員にとって日常の景色の一部となっておりますが、航空支援集団の部隊にお立ち寄りの際は、この隠れキャラをぜひ探してみてください。

戦闘能力点検を受検して
第3航空団第3基地防空隊 平川2空尉
 第3航空団第3基地防空隊(三沢)は、昨年10月末に基地防空用SAMの領収を完了し、7月6日と7日に北部航空方面隊による基地防空用SAM戦闘能力点検を受検しました。
 我々の基本的な部隊行動は、基地防空システムを展開地に機動展開させ、侵攻する敵機等を発見し、目標割当を受け、これを撃破します。
 戦闘能力点検本番は、射撃統制装置(FCS)及び発射機(LCH)の各器材を指揮統制装置(CCS)で統制し、新陣地に再展開する「陣地変換」、射耗した発射機に新たにミサイルを搭載する「ミサイル・リロード」、「防空戦闘」の3項目の内容で受検しました。
 訓練に際しては、冬期における訓練場所の確保として、氷点下、かつ連日の積雪の中、隊員全員で人力除雪を行い、初夏(6月)においては、30度近い炎天下の中、大汗をかきながら訓練に励みました。その中で「早期、戦闘能力の確保」というスローガンの下、紆余曲折しながらも「元気だしてやるぞ!」という私の士気を上げる声で隊員が一つにまとまり、点検を受け、合格を果たすことができました。
 しかし、この結果に胡坐をかくことなく、更なる訓練を行い、日本一の防空隊を目指していきます。
 最後に、我々の練成訓練の実施にあたり、除雪支援、飛行支援等、多大なる御支援をいただいたことに感謝の気持ちを述べたいと思います。
 ありがとうございました。

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