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   2004年8月1日号
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患者350人に歌のプレゼント
写真、絵画、書も展示
<防衛医大病院>
 防衛医大病院(関根勇夫院長)は6月26日、入院中の患者やその家族を対象に、2回にわたって「紫陽花コンサート」を開催した。
 病院外来診療棟玄関ホールには、数多くの車椅子の患者など約350人が訪れ、「楽しい時を過ごして」という願いのこもった演奏や歌に、くつろいだ土曜の午後のひとときをすごした。
 各回の前半の部を受け持った防衛医大弦楽アンサンブル部(代表・升永綾子学生)が、他大学の4名の友情出演を得て「アイネ・クライネ・ナハトムジーク」、「となりのトトロ」など6曲を、また、後半の部では歌手の東千晴(あずま・ちはる)さん(元自衛隊中央病院看護師)が、恩師である矢崎一雄先生のギター伴奏などでデビュー曲の「俺の人生浪花節」など全11曲を熱唱、さらには参加者と一緒に「ふるさと」、「おぼろ月夜」など4曲を合唱し、まさしく会場が一体化となった演奏会は大盛況の内に終了した。 
 会場からは、「気分転換になった」「普段聞けない生の演奏や歌が聞けた」、「一緒に歌えて良かった」、「入院していることを一瞬でも忘れることができた」、「医大生の一生懸命な姿に感動した」などの声が聞かれた。また、ある看護師からは、「普段は化粧をしない年配の女性が、今日は朝早くから念入りに化粧をして、演奏会を楽しみにしておられた」との話も伝わってきた。
 病院での演奏会は今回で2度目であり、午後1時半及び3時10分からそれぞれ1時間ずつ行われ、準備した椅子全てが埋まるほどだった。また、このコンサートには非番の看護師、看護学生や事務職員が支援に当たった。
 病院としては、入院中の患者に対する憩いの場を提供するとともに、将来医師として同病院で勤務、研修することとなる医学科学生や看護学院生の姿を皆さんに見ていただくとの趣旨にのっとり、今後とも演奏会を続けることとしている。
 なお、今回は演奏会実施に併せ、初の試みとして、学生のクラブ活動の成果である写真、絵画、書を展示したところ、演奏会と同様、患者に大好評だった。

コンサート開催のお知らせ
<東京音楽隊>
海上自衛隊東京音楽隊は次のとおり「ファミリーコンサート」を開催します。
<日時>平成16年9月24日(金) 
<時間>18時30分開演(18時00分会場)
<場所>東京簡易保険ホール ゆうぽーと
<曲目>「懐かしき映画音楽の世界」他
<指揮者>熊崎博幸、田辺眞道
<入場料>無料(入場整理券が必要)
<応募方法>往復はがきに住所、氏名、年齢、電話番号を記入し申し込む。8月13日(金)必着。応募は1名につき1枚とし、応募多数の場合は抽選。整理券1枚で1名様入場。不備はがき等は返信致しかねます。
 <応募・問い合わせ先>〒158‐0098東京都世田谷区上用賀1‐17‐13 海上自衛隊東京音楽隊「各」係 TEL03‐3700‐0136

横須賀音楽隊がコンサート開催
海上自衛隊横須賀音楽隊が「ファミリーコンサート2004」を開催します。
<日時>10月1日(金)18:30〜20:30
<場所>よこすか芸術劇場 大劇場(京急汐入駅徒歩3分)
<曲目>【第1部】ハイランド讃歌組曲(フィリップ・スパーク作曲)他【第2部】デサフィナード、斎太郎節、アンフォケッタブル、涙そうそう、昭和50年代ヒットメドレー 他
<申込要領>◎住所・氏名・年齢・性別・電話番号を記入した「往復はがき」で〒238‐0046横須賀市西逸見町1丁目無番地 海上自衛隊横須賀地方総監部 広報「防衛ホーム」係 宛、お申し込み下さい。◎往復はがき1枚で2名様分の入場整理券をおおくりします。◎満員の際は入場をお断りする場合もございます。◎9月13日(月)必着◎お問合せ:TEL046‐822‐3500(内線2208)広報係まで。

市ヶ谷駐屯地でグリーンコンサート
 市ヶ谷駐屯地(司令・宮崎悟介陸将補)は、6月17日の昼休みに防衛庁東儀仗広場で、陸上自衛隊中央音楽隊を招き、恒例のグリーンコンサートを開催した。
 このコンサートは、市ヶ谷駐屯地・基地に勤務する隊員等にひと時の安らぎを与え、健全な心を育むことを目的に平成12年から年2回行われており、今回で通算9回目。
 この日は、梅雨の中休みの晴れ間で、立見観客がでるほどの盛況ぶりとなった。
 プロローグは、藤井1尉の指揮で行進曲「大空」で始まり「ベルギー落下傘兵」「スパルタキアーダ」「アンパリート・ロカ」「ボギー大佐」「オン・ザ・モール」と続き、エピローグは、隊長・野中1佐の指揮による陸上自衛隊創隊50周年記念行進曲で、最後に同音楽隊隊員の堀滝比呂2曹の作曲による「凱旋」で締め括られた。
 コンサート終了後、中央業務支援隊総務科・増山事務官が盛大な拍手の中、駐屯地を代表して感謝の花束を野中隊長に贈呈した。引き続き、野中隊長は盛大なアンコールの声に応え、再度「凱旋」を演奏、軽快なリズムが昼休みの市ヶ谷台に響き渡った。

大和駐屯地も
 大和駐屯地(司令・田中一二2佐)では7月10日、定期演奏会(まほろばコンサート2004)を陸自第6音楽隊と黒川高等学校吹奏楽部・音楽部の参加を得て開催した。
 この日はリハーサル終了後、音楽隊による黒川高校吹奏楽部へ各楽器ごと個人指導の後の音色の変化に戸惑いと喜びの声を上げていた。
 演奏会は2部構成で行われ、第1部では、黒川高校音楽部が見事に息のあったマンドリン演奏4曲を披露し、次に吹奏楽部が「栄光をたたえて」など4曲力強く演奏した。
 第2部は、第6音楽隊が「威風堂々第1番」など7曲を披露した。素晴らしい演奏は、観客との一体感を生み、「音楽を楽しむ」雰囲気が会場を包み込んだ。
 約2時間にわたるコンサートは聴衆を魅了し、曲が終わる毎に惜しみない拍手が湧き起こった。
 今回で11回目となる定期演奏会。この日の約600名の聴衆は「とても素晴らしい演奏会でした。来年も是非やってもらいたい」との声を残しながら満足した様子で会場を後にしていた。

防衛ホーム 俳句コーナー
水中花嫁きしの娘の部屋飾る 晴山 雅之
波を追ひ波に追はるる水着の子 有馬 澄廣
思草思ひ断ち切ることできず 岩崎 清子
退屈な水遊ばせて水馬 小野 道子
盆の月見る影小さく母に似し 須賀 きよ
父生きて還り吾あり終戦日 西村 孝彦
踊場に落ち従客と唖の蝉 神濱 桜枝
征き征きし散華の海に月昇る 森 未知子
利久色して霧ごめの木立かな 柳沼 隆生
羅に緑なく過ぎし日を悔いず 米田 ふさゑ
故里に帰るたのしき夏帽子 脇田 忠俊
波の間に見えし隠れして浮輪の子 工藤 青樹
秋露の沖暗みして募り来し 柴田 旦子
団地中蝉の鳴く木のあたりけり 本田 すみ子
端居していつもの我に戻りけり 杉田 淹
終戦日忘れられたる兵の墓 成合 よしひろ
回遊の鰯水槽とは知らず 今村 淑子
盆の海人影もなく雨降れり 朝倉 サカエ
空よりの万緑目には入り切れず 坂元 順一
濯ぎものきちんと干されゐて涼し 三川 明美
選者吟
峽深く一戸眠れる星月夜 保坂 伸秋
(「栃の芽」誌提供)
「栃の芽」誌をご希望の方は<栃の芽会連絡先=仙台防衛施設局総務部・畠中草史氏 電話022・295・1281 内線3100>へご連絡下さい。

イラク派遣を終えて
<シリーズ>
航空自衛隊幹部候補生学校 業務部管理課補給班
1空曹 扇山和則
 今回の派遣を終えてまず思う事は、出発準備から帰国まで本当にあっという間に過ぎたということです。11月上旬に派遣候補者に選ばれ訓練を開始し、12月に小牧基地での集合教育、十条基地での補給処理教育など週単位で派遣に向けての準備が進められました。クリスマス、正月はいつ過ぎたのだろうかというぐらいで1月5日からまた十条基地での補給処理教育が行われました。その間にも当然のごとく予防接種を10数本うけました。こんな調子で1月22日の派遣当日までは、瞬く間に月日が過ぎていきました。
 自分自身は教育訓練で精一杯であり、イラク派遣についてゆっくり考える余裕はなかったと今では思います。しかし、家族は別で、毎日のように私に電話をかけてきました。特に実家の父は夜も眠れないくらい心配していたとあとで聞かされました。この時期は私本人よりまわりの人の方がほんとうに心配していたと思います。1月22日、小牧基地を政府専用機で出発してクウェートに到着、本格的なイラク復興支援活動が始まりました。航空自衛隊は、クウェートのアリアルサレム空軍基地を拠点に支援活動を行いました。基地の周りは何もない砂漠、ここからイラクに向けて支援物資を輸送するのが航空自衛隊の任務でした。
 基地の環境ですが、私たちが生活する宿舎はクウェート空軍から提供されたものでしたが、当初はシャワー、トイレも壊れていて使えず、エアコンも設置されていませんでした。私たち第1次隊が帰国する約1ヶ月前にやっと改修工事が終了したので、派遣当初は本当に苦労を強いられました。派遣の時期が1月〜4月ということで気候的には過ごしやすかったのですが、一度だけ砂嵐を体験しました。話では聞いていましたが凄い状態でした。視界は約50〜100mぐらい、あたりは薄暗くなり、なんとも不気味な感じがしました。砂嵐の翌日は、辺り一面ゴミだらけで、建物、飛行機等は砂まみれになっていました。
 当然の事ながら言語の違いがあり、現地で生活や勤務する上で、大変苦労させられました。自分の意志が伝わらないいらだち。意志の疎通がとれないのは、本当に辛いものです。現地の米軍との連携は必須なので、言葉の壁が解消されれば勤務の幅がかなり広がると思いますし、現地の友人も作ることが出来ます。
 現地は宗教上アルコールを飲む習慣がなく、派遣された自衛官もクウェートで勤務する以上アルコールは飲めませんでした。このことはかなりの隊員が苦痛だったと思います。また、豚肉を食べない習慣があり、日本とはかなり違う生活環境でした。
 今回のイラク派遣で一番強く感じたこと、それは、現地の人の目です。日本人とクウェート人は、服装等違いはあります。でも、一番違う所は目つきでした。日本でなに不自由なく生活してきた自分たちの目と、厳しい環境で生きていく彼らの目は、明らかに違いました。そして、日本という国は本当に裕福な国だということ、そして自分たちは恵まれすぎた環境で生活してきたということなどが、中東の異国で勤務して初めて実感出来ました。
 今回の派遣で、自分がどれだけ貢献出来たかどうか、それはわかりません。でも自分では来て良かったと思える派遣であったことは確かです。

 イラク復興支援派遣輸送航空隊に参加した空自隊員の所感を逐次シリーズで紹介していきます。(編集部)

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