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   2004年4月15日号
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自殺予防 Q&A
防衛医学研究センター高橋祥友
〈第1回〉
こころの病と自殺の関係
 Q 自殺を思いつめている人を止めることなどできるのだろうか?
 A これはしばしば尋ねられる質問である。自殺を考えている人に対して、何の打つ手もないと一般には固く信じられているようだ。しかし、こころの病と自殺の間には密接な関係がある。こころの病の結果、いつもならばできる判断さえ難しくなり、自殺にまで追い込まれてしまいかねない。したがって、こころの病を早期に発見し、適切な治療を受けることによって、自殺を予防する余地が十分に残されている点をまず指摘したい。
 「自殺は覚悟の上での行為である」と広く信じられているが、実際はその背景にさまざまなこころの病が潜んでいる。うつ痛と薬物乱用(とくにアルコール依存症)だけでも全体の約半分を占める。自殺によって命を失った人の9割以上が、最後の行動に及ぶ前に何らかのこころの病にかかっていたという事実がWHOの調査でも明らかなのだ。
 ところが、精神科治療を受けていた人となるとせいぜい1〜2割程度であるとも指摘されている。多くの人々が治療も受けられないままに最後の行動に及んでいるのだ。
 したがって、自殺の背景に潜んでいるこころの病を早期に発見して、適切な治療を受けることによって、自殺予防の余地は十分に残されている。
 働き盛りの世代の自殺ともっとも深刻な関係にあるうつ病は、一生の間に約1割の人がかかる可能性がある。うつ病はけっして稀な病気ではない。そこで、最近ではうつ病を「こころの風邪」などと叫ぶこともある。しかし、「風邪は万病の元」とも言われているように、こころの風邪も放置しておくと、こころの肺炎になってしまい、最悪の場合は命取りにさえなりかねない。
 うつ病に対しては最近では副作用も少なくて効果的な薬がある。また、さまざまなカウンセリングも開発されてきている。このように、うつ病には治療法があるのだ。怖いのはうつ病になったことではなく、それに気づかずに放置しておくことである。

 高橋祥友(たかはし・よしとも)防医大教授(1陸佐)略歴1979年金沢大学医学部卒業。東京医科歯科大学(研修医、医員)、山梨医科大学(助手、講師)、UCLA(フルブライト研究員)、東京都精神医学総合研究所(副参事)を経て、2002年8月より防衛医科大学校防衛医学研究センター行動科学研究部門教授。医学博土、精神科医。著書、「医療者が知っておきたい自殺のリスクマネジメント」(医学書院)、「自殺の心理学」(講談社)、「群発自殺」(中央公論新社)、「中高年自殺」(筑摩書房)、「自殺、そして遺された人々」(新興医学出版社)他
 このコラムでは、自殺予防につながるメンタルヘルスの基礎知識を取り上げていきたい。
 本紙では、第638号(3月1日発行)に掲載した「自殺予防10箇条」に引き続き、高橋教授に再度ご登場願い、人事教育局人事第1課協力のもと「自殺予防Q&A」シリーズを12回(各月15日発行)にわたって紹介していきます。(編集部)


彰古館往来
陸自三宿駐屯地・衛生学校
<シリーズ27>
救急車のルーツ(4)
自衛隊創生期の救急車
 彰古館は、陸上自衛隊衛生学校という教育機関の施設ですから、当然自衛隊衛生創生期の資料も保管されております。今回は、衛生科の自衛官にも知られていない、自衛隊の救急車のルーツを御紹介します。
 昭和27年(1952)、久里浜の総隊学校第4部が発展解消し、衛生学校となります。この時点で、衛生科部隊に配備されていたのは、第2次世界大戦中に米軍が使用していたダッジ3/4tウェポンキャリアーを改装したアンビランスでした。
 この救急車は、優秀な軍用車両でしたが、製造後10年以上経った、しかも過酷な戦場で酷使された使い古しの車体です。自衛隊に配備された時点では、動くのがやっとと言う有様でした。これら老朽化した供与車両の更新用として、インチ規格からミリ規格へ変更して設計された国産の3/4tトラック、日産キャリアーとトヨタキャリアーの2種が自衛隊に納入されます。しかし、それぞれ部品の互換性が全く無く、日産は東北以北、トヨタは東方以南に配備するという変則的な装備化となりました。
 昭和30年頃、衛生学校では新救急車の開発が急がれておりました。日産キャリアーをベースに試作した救急車は、天井が低いため居住空間がやや矮小でした。何よりも目を引くのが、側面に大きく書かれた桜のマークです。本来なら赤十字が書かれていなければならないのですが、日本赤十字社は「赤十字はその国の軍隊に使用を許可しています。自衛隊が軍隊でないのなら、赤十字マークを使用させるわけにはいきません。」との見解です。そのため、完成した救急車は緊急車両の指定を陸運局から受けられず、赤色回転灯やサイレンの装備も出来なかったのです。
 「自衛隊は軍隊ではないが、他国の軍隊と同等の救助活動が出来る国家の創設した集団」であるとして赤十字使用が認められるまでに数年を要しました。
 晴れて赤十字マークを車体に記入した救急車は日産・トヨタで量産され、その後は車両の更新のため、何度かマイナーチェンジがありますが、平成4年頃まで使用されたのです。
 昭和48年(1973)には、3/4tキャリアーが73式中型トラックに装備改変されます。それに合わせて、救急車も73式救急車が開発されます。当初はエアコンは贅沢品であると装備されていませんでしたが、熱射病患者の輸送など、任務上の必要性から逐次追加装備されてゆきます。
 平成7年(1995)には、新装備の高機動車に救急装備を搭載した新型救急車が試作されます。しかし、余りに高価な高機動車ベースの新救急車は、予算の取得が出来ませんでした。そこで、廉価版として高機動車の車台に73式救急車のボディを架装したものが新73式救急車として、平成13年(2001)から部隊に配備されています。外見は従来の73式に極似していますが、その高機動車譲りの不整地踏破性能で、衛生科部隊の新戦力となりつつあります。
 彰古館には、救急車に限らず、衛生関係装備の資料が収集されています。

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