防衛ホーム新聞社・自衛隊ニュース
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自衛隊ニュース   1016号 (2019年12月1日発行)
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読史随感
神田淳
<第42回>

福澤諭吉の「独立自尊」

 福澤諭吉が明治時代に説いた「独立自尊」は、開国165年となる現在、日本の人と国のあり方として、ますます重視されるべき価値になっていると信じる。
 福澤の生きた幕末・明治の時代、国際環境は苛酷であった。科学革命と産業革命を経て強大化した西洋列強がアジアを侵略し、アジア諸国は次々と植民地化された。日本がそうなってはならない、この強い思いが福澤のすべての活動の源泉となった。
 福澤は日本が独立国として生きていくためには、西洋並の文明国になるしかないという明確な結論に達した。福澤の旺盛な啓蒙・教育活動は、常に日本の独立のためにという思いがあった。福澤は主著『文明論の概略』で、「文明は人間の知徳の進歩であって、至大至高、人間万事この文明を目的とせざるものなし」と説くが、同著の終章で「国の独立が目的で、文明はこれを護るための手段である」と結論する。福澤はこれほど国の独立が至高であるとしたのである。
 福澤は、「東洋の儒教主義と西洋の文明主義を比較して見るに、東洋になきものは、有形においては数理学(科学のこと)、無形においては独立心と、この二点である」と、西洋文明の中核にある精神を看破。西洋人の旺盛な独立心が国の独立を支えていると見抜いた。
 そして福澤は「一身独立して一国独立する」と言う。国民一人ひとりが独立不羈の気力をもち、個人としての独立を達成して初めて一国の独立が達成される。福澤の『学問のすゝめ』は、「天は人の上に人を造らず、人の下に人を造らずと云へり」で名高いが、この書は一身独立の達成を目的とした実学を奨める啓蒙書に他ならない。
 福澤は日本の歴史を顧みて、日本が今まで独立してきたことに関し、「我が日本に外人のいまだ来らずして国の独立したるは、真にその勢力を有して独立したるにあらず。ただ外人に触れざるが故に、偶然に独立の体を為したるのみ」と『文明論の概略』で述べる。そして、「余輩のいわゆる自国の独立とは、我が国民をして外国の交際に当たらしめ、千磨百錬、ついにその勢力を落とさずして、恰もこの大風雨に堪ゆべき家屋の如くならしめんとする趣意なり」と、今後の独立の維持が重要であると述べる。
 その後日本は富国強兵の道を歩み、苛酷な国際社会で独立国として歩むことができたが、ついに日米戦争に突入。敗れて米国に占領支配され、独立を失った。1951年の講和条約により独立を回復したが、同時に日米安全保障条約を締結し、米国に軍事を依存する国として国際社会に復帰した。
 その後改正された安全保障条約に定める軍事協力を核とする日米同盟は、今日まで日本の国の存立基盤であり続けているが、こうした日本をどう評価するか。まともな軍事力をもたない国は独立国と呼べないという考えは十分あるが、私は日本が日米同盟の中、独立国としての責任と誇りをもって国家を運営するとき、立派な独立国であると言ってよいと思う。そして、安全保障条約はあくまで手段であり、自国は自ら守るという当たり前の国民の意識が決定的に重要である。
 現在、日本を取り巻く国際環境は、福澤の時代に似てきている。日本は絶対に独立を維持しなければならない。福澤が唱えた「独立自尊」は、一国独立をもたらす一身独立の精神として、その価値がなお色あせることはない。
(令和元年12月1日)

神田 淳(かんだすなお)
 高知工科大学客員教授
著作に『すばらしい昔の日本人』(文芸社)、『持続可能文明の創造』(エネルギーフォーラム社)、『美しい日本の倫理』など。


トウチとさくら
(トウチ君とさくらちゃんは東京都の鳥「ゆりかもめ」がモチーフの東京地本のマスコットです)
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三鷹国際交流フェスティバル
 東京地方協力本部西東京地域事務所(所長・長谷川3陸尉)は9月22日、井の頭恩賜公園において開催された「第30回三鷹国際交流フェスティバル」に広報ブースを開設した。
 これは公益社団法人三鷹国際交流協会が主催し、世界各国の料理や歌、踊り等の多文化・異文化を楽しみながら、国際交流と理解を促進する事を目的として毎年行われ、来場者が4万人にも及ぶ都内でも屈指の国際交流イベントであり、三鷹市が後援するとともに、自衛隊のほか、警察、消防も協力している。
 西東京地域事務所の広報ブースでは、三鷹市防衛協会及び募集相談員の協力を得て、制服等の試着や顔出しパネルによる写真撮影を行うとともに、自衛隊が各国で実施している国際平和協力活動の写真を展示し、統合幕僚学校国際平和協力センターの隊員が、その当時の活動内容等や体験談を紹介した。
 来場者からは「自衛隊に入ってPKOに参加したいが、どうすればよいか」等、熱心な質問もあり、関心の高さがうかがえた。また、外国人からは「自国に自衛隊が活動に来てくれた」と感激した様子で声を掛けられる場面もあり、自衛隊の海外での活動状況を見て、防衛省・自衛隊への関心を持つきっかけになったとの声が多く寄せられた。
 西東京地域事務所は今後も様々なイベントに参加し、防衛省・自衛隊の活動に対する理解を深めてもらえるよう広報活動を実施していきたいとしている。

うちの子は自衛官

富山県自衛隊家族会 女性部長 赤松 史子
 私達、富山県自衛隊家族会女性部は、県下12の地区会から推薦され、息子、娘が自衛官として活躍している総勢27人のお母さん達です。
 主な活動は、富山県自衛隊協力本部が県下各地域で行う各種のイベントや地元、陸上自衛隊富山駐屯地におけるイベントに積極的に参加し、地域住民と自衛隊とのふれあい活動を通じた自衛官募集のお手伝いを始め、部隊夜間歩行行進訓練等への激励、更には、各地区会においても機会あるごとに積極的な自衛隊の広報活動を行っています。
 私達が住む富山県は、人口が約105万人、面積も全国で33番目のコンパクトな県ですが、海に高さ3000メートルの屏風が浮かぶようにそびえる、立山、剣岳等北アルプス連峰の絶景は富山県のシンボルです。このような海越しに3000メートル級の山々を眺めることが出来るのは世界で富山県だけです(今まで、世界で2カ所と言われていた、チリのバルパライソ市の海からは、アンデス山脈は見えないことがわかりました)。一方、海である富山湾は、水深1200メートルの深海で昔から天然の生須と呼ばれています。近年は海洋深層水の活用を始め、春は幻想的な蚕気楼とホタルイカ、夏は海の宝石白エビ、秋は紅ズワイガニ、冬は寒ブリ等の海の幸が有名です。
 そして、この富山湾のど真ん中にある伏木富山港新湊海王岸壁と伏木万葉岸壁には毎年、海上自衛隊の護衛艦がやってきます。多くの県民や子供達が楽しみにしており、今年も5月に多用途支援艦「ひうち」、7月はミサイル艇「はやぶさ」と護衛艦「かが」入港しました。
 私達女性部も艦艇の入港の都度、お揃いのピンクのユニフォームに身をまとい、入港歓迎の横断幕を掲示し、小旗を振り、更には、アトラクションとしてキラキラテープやキラキラリボンで飾った「○○○welcome to 富山」の女性部手作りの特大歓迎パネルで華を添えました。
 私達、女性部が参加する毎年春の定期総会懇親会、護衛艦入港歓迎会や富山駐屯地の各種イベント等々には、女性部独自のアトラクションをやることが恒例となっています。
 毎回メンバーの中から素晴らしいアイディアが飛び出し、今年は、オリジナル自衛隊応援歌や自衛官お面を作って、ご来賓の方々や参加自衛官の方々と一緒に合唱したり、一緒にお面を付けて舞台に上がったりなど会場を大いに盛り上げました。
 女性部の一人ひとりは、自衛官の子供を持つお母さん達ですが、ピンクのユニフォームに身をまとった瞬間、突然、昔にタイムスリップし、学生時代の部活動のように楽しく、元気なピチピチ乙女集団に変身するのです。
 さて、私の息子が、海上自衛隊のヘリコプター操縦士になって11年目を迎えました。極々平凡な息子で、今でも母親として「操縦士として、本当に間に合っているのか。上司の皆様や同僚の皆様のご迷惑や足手まといとなっていないか」等々と、いつも心配をしております。
 息子が海上自衛隊のヘリコプター操縦士を志したきっかけは、中学2年生の時に体験した「社会に学ぶ14歳の挑戦」です。これは、富山県独自の取り組みで、14歳の中学生が地元の会社等で5日間その会社の一社員として職場体験を通して、様々な経験を積むというもので、息子は、地元の警察署で研修をしておりました。
 そのような中、ヘリコプターがある警察航空隊での研修があり、実際に大空を飛ぶということはありませんでしたが、隊長さんや操縦士から、ヘリコプターが大空を自由に飛ぶ仕組みや操縦の仕方を習い、操縦席に座り操縦桿や機器の操作をさせて戴き、整備士の方からはエンジン等の点検整備の様子を見せて戴いたそうで、これらの経験がヘリコプター操縦士への憧れとなったのです。
「お母さん、僕、高校を卒業したら海上自衛隊の航空学生になる。隊長さんもパイロットさんも航空学生出身だと言っておられたよ」と、目を輝かせながら話していました。
 その後息子は、高校生となり、いよいよ進路を決める頃となりましたが、それまで、ずっと夢に抱いていたヘリコプター操縦士への憧れは、息子の心から離れることはなく、広報官から戴いた航空学生のパンフレットは、何度も何度も読むためボロボロになっていました。
 何とか、難関の試験にも合格し、憧れの航空学生として第一歩を踏み出したものの、それからが、息子にとって大変な試練の始まりでした。
 毎日、朝から晩までが勉強、訓練、試験や検定の連続で、何度も、何度も崖っぷちに立たされるなど、心が折れそうになりながらも歯を食いしばって、懸命に頑張っていました。
 11年目を迎えた今日でも、当時を思い出すと涙があふれます。
 これまで息子を支えてくださった多くの自衛隊関係者の皆様に感謝でいっぱいです。
 私達女性部27人は、これからも心をひとつにして、県民の皆様に、もっともっと自衛隊を身近に感じて戴けるよう自衛隊と隊員を応援し、県民と自衛隊とのふれあい活動等に頑張りたいと思っています。
 一人でも多くの人に自衛隊に親しみを持って戴くためにも。そして一人でも多くの人に自衛官になって戴くためにも。
 今年の12月には、富山駐屯地において自衛隊員と一般女性との婚活イベントの開催が予定されています。今期で第3回目となりますが、私達女性部は、沢山のマッチングカップルが誕生しますようにと祈りながら、会場の楽しい雰囲気作りや沢山の女性に参加の呼び掛けをしたいと思っています。そして、息子にも素敵なお嫁さんが見つかりますようにと、手を合わせています。
 富山県自衛隊家族会女性部、これからも益々元気で、明るく、自衛隊と隊員を応援するため頑張ります。

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