防衛ホーム新聞社・自衛隊ニュース
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自衛隊ニュース   1051号 (2021年5月15日発行)
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ノーサイド
北原巖男
もう一つの日いづる国

 突然ですが問題です。あなたの○○○○○○度チェック。
(1)21世紀最初の独立国は?
(2)アジアで一番新しい国は?
(3)2002年の今月、5月20日に独立を回復し、日本ともこの年に国交を樹立。来年、独立回復&国交樹立20周年の節目の年を迎える国は?
(4)「自由で開かれたインド太平洋」への取り組み。インドの首都はデリー(Delhi)、ではディリ(Dili)はどこの首都?
(5)カンボジアに次いで、2番目に自衛隊PKO施設部隊が派遣された国は?
(6)女性自衛官7名が、初めて自衛隊PKO施設部隊の一員として派遣された国は?
(7)女性自衛官1名が、初めて自衛隊PKO活動で「個人派遣」された国は?
(8)小泉純一郎首相(当時)は、首相として初めて自衛隊PKO部隊を視察し隊員の皆さんを激励されました。何処の国に自衛隊PKO部隊が展開し ていたときでしょう?
(9)その国の歴史的な独立回復式典会場となった広場を事前に整備したのは、当時派遣されていた自衛隊PKO施設部隊の皆さんです。その国とは?
(10)2010年4月防衛大学校創設以来初めての女性留学生として入校し、2015年3月に卒業した女性留学生は、二人です。フィリピン出身ともう1カ国はどこの国の出身?
(11)来日時、その国の首相(当時)は防衛大学校で、大統領(当時)は海上自衛隊幹部候補生学校で学生たちに講演を行いました。首相は、激しい独立闘争を経てその国を独立に導いたカリスマ性溢れる国父とも称される闘士です。大統領は、ノーベル平和賞受賞者で、現職大統領として広島平和公園、広島平和記念資料館を訪問され、予め長野県伊那市の中学生から贈られた千羽鶴を「原爆の子の像」に捧げました(伊那市はその後、東京2020オリンピック・パラリンピックのホストタウンになりました)。次いで、江田島に渡り、講演されたのでした。さてその国とは?
(12)ASEAN加盟国は、現在10か国です。11か国目になるべく名乗りを上げている国は?
(13)その国名から日いづる国と言われる国は、日本とどこの国?
如何でしょうか・・・
 そうです。13問の答えは全て同じ国、東ティモール(TimorーLeste,英語表記はEast Timor)です。正式名称は、東ティモール民主共和国。
 同国は2002年5月20日、21世紀最初の独立国として誕生したアジアで一番新しい、全国土面積が岩手県ほどの小さな国です。人口は約130万人。国づくり、人づくりの真っ只中に在り、外交的には非同盟中立。現在、ASEAN加盟を目指しています(2011年3月正式加盟申請済み)。
 この間、防衛省(庁)・自衛隊は、民主国家としての東ティモールの国軍(FーFDTL)と緊密な関係を築いて来ています。
 来日した東ティモールの国父グスマン首相(当時)は浜田靖一防衛大臣(当時)に対し、ノーベル平和賞受賞者のラモス・ホルタ大統領(当時)は北澤俊美防衛大臣(当時)に対し、異口同音に語っています。
 「国軍が目指すのは、自衛隊のような軍隊である。攻撃的ではなく専守防衛に徹し、平時は災害派遣活動等を通じて国民の為に尽くす、そのような軍隊である」
 カンボジアに続く2002年のPKO施設部隊派遣の第一陣には、自衛隊初の7人の女性自衛官が含まれていました。現地を視察した小泉純一郎首相(当時)からも強い激励を受けています。その後2010年のPKO個人派遣で、初めて東ティモールの地方に派遣された1名の女性自衛官の活躍は、現地国連本部でも高く評価されていました。その姓の発音が現地テトゥン語の「蛸」を意味することから、「こんにちは、蛸が来たわよ」と単独丸腰でグングン村人の中に入って行かれました。そんな彼女は心を開いた人々からとても慕われ、人生相談等にも乗るなど信頼の輪は大きく広がって行きました。
 「東ティモール国民との間に心の壁を作るな!」
 これは、東ティモールにPKO部隊を派遣するに当たって、小泉純一郎首相(当時)が防衛省・自衛隊に示された唯一最大の指示です。その後の海外における自衛隊の諸活動においても、この鉄則は引き継がれて来ているものと思います。
 このほか、防衛省・自衛隊では、国軍に対する能力構築支援、東ティモール留学生の受託教育(防大は本年4月現在13名卒業、5名在学中・海上自衛隊幹部候補生学校は1名卒業、1名入校中)、護衛艦の首都ディリ港寄港、駐インドネシア防衛駐在官の東ティモール兼轄の開始、防衛大臣・同副大臣・防衛大学校長・統幕副長等の同国訪問なども行って来ています。
 来年、独立回復&国交樹立20周年を迎えるに際し、更なる20年に向けて一層多分野での関係発展を期待したいと思います。
 ところで、国名の東ティモールの「ティモール」は、もともとマレー語で「東」を意味します。そのまま国名を和訳すると「東東」となるはずです・・・初めて和訳された方は相当悩まれたことでしょう。ちなみに中国語では東ティモールを「東帝」と表記しています。
 東ティモールの皆さんは、自分たちの国を「Timor-Lorosa'e」とも呼んでいます。前述のテトゥン語で「Loro」は「太陽」、「sa'e」は「昇る」を意味します。
 東ティモールは日本と同じ、もう一つの日いづる国です。

北原 巖男(きたはらいわお) 元防衛施設庁長官。元東ティモール大使。現日本東ティモール協会会長。(公社)隊友会理事

 【訂正】5月1日発行号掲載の本コラムにおいて、不要な文章が誤って載ってしまいました。著者の北原氏ならびに読者の皆様に深くお詫びして訂正させて頂きます。
削除箇所↓最終段落「菅首相は〜述べています。」


国産完成装備品を初めて海外へ移転
後藤空将が第1級賞詞を受賞
 4月28日、防衛省大臣室において、防衛装備庁長官官房装備官(航空担当)後藤雅人空将に対する第1級賞詞授与式が行われた。
 後藤空将は、防衛装備庁プロジェクト管理総括官(航空担当)在任中の令和2年に、国内企業が新たに開発製造した、国産完成防衛装備品である警戒管制レーダーのフィリピンへの海外移転を実現させた。海外への国産完成装備品の移転は、平成26年に防衛装備移転三原則が策定されてから初めてのことであった。後藤空将はこれらの実績が、両国間の信頼関係の構築、我が国の防衛産業基盤の維持強化及び防衛力の向上に大いに寄与した顕著な功績であると認められ、岸信夫大臣から第1級防衛功労章を添えて、第1級賞詞が授与された。

第113教育大隊
 第113教育大隊(隊長・東宏二郎2陸佐=国分)は4月11日、第17期一般陸曹候補生課程359名に対して「入隊式」を実施した。
 本来であれば、部外者及び父兄も招いて、学生の晴れ舞台である入隊式を盛大に挙行する予定であったが、新型コロナウイルス感染防止のため参加人員は縮小された中で行った。
 執行者である大隊長より数ある職業の中から陸上自衛隊を選択した決意に対し敬意を表すると共に、約3カ月間の本教育に臨むにあたり「初志貫徹」「同期の絆を大切に」「感謝の心を忘れずに」の3点を要望し、日々成長していくことを期待すると式辞を述べた。
 第338共通教育中隊「長坂連也」2等陸士は「入隊式の代表として貴重な経験をさせて頂き、また、心強い同期と共に心技体を鍛え、充実した3カ月間にしたい」と決意新たに教育に対する意気込みを語ってくれた。

第46普通科連隊
 第46普通科連隊(連隊長・貝岐賢二1陸佐=海田市)は、4月11日、海田市駐屯地体育館において令和3年度自衛官候補生入隊式を挙行した。
 桜の見頃を終え、春の光に新緑がまぶしく映える季節となり、式当日は、自衛官候補生を歓迎するかのような雲一つない晴天に恵まれ、69名が式に臨んだ。
 新型コロナウイルスを考慮して、部外来賓の招待を自粛し、自衛官候補生の御家族及び自衛隊関係者のみの参加に制限するとともに厳正な入場制限を設けて、入場時の検温、マスクの着用、換気・消毒・2メートル以上の座席間隔の保持等あらゆる感染防止対策に万全を期した。
 執行者である貝岐連隊長は式辞において「自衛官たる自覚と誇りを持て」、「同期としての絆を大切にせよ」の2点を要望した。
 緊張感漂うなか、自衛官候補生は服務の宣誓を実施し、決意を新たに自衛官として人生の大きな一歩を踏み出した。

第8高射特科群
 第8高射特科群(群長・久守直紀1陸佐=青野原)は、4月19日、青野原駐屯地において「令和3年度自衛官候補生(以下「自候生」という)課程入隊式」を挙行し、自候生44名は真新しい紫紺色の制服に身を包み式に臨んだ。
 式は、国歌演奏の後、任命され、自候生一人ひとりの名前が読み上げられ起立と同時に大きな返事が会場に響いた。44名を代表して牧原自候生(小野市出身)が力強く申告、次いで藤井自候生(神戸市出身)が宣誓し、自候生としての決意を新たにした。
 執行者の久守1陸佐は、「目標を確立し、積極的に教育に臨め」「同期の絆を大切にせよ」の2点を要望し
「これからの約3カ月は、諸官の輝かしい自衛官人生のスタートを切る貴重な日々の連続となります。最初は戸惑うことも多いと思いますが、失敗を恐れず、同期と共に前向きに教育に励んで下さい」と述べた。
 また、近隣市長及び各協力団体から多数の祝電により激励の言葉を頂戴し、自候生は、その期待を胸に新たな第一歩をスタートさせた。

雪月花
 小欄に貴重なご意見をいただきました。前々号のクロスワードパズルの原稿で「老妻」とあるのが拙いんではないかとのご意見でした、ありがとうございます。筆者は謙(へりくだ)りのつもりで配偶者を「老妻」と書いたのですが読む人からすると上から目線で女性を見下しているように感じられたようです。2021年の年明けからオリンピック組織委員長の女性蔑視発言がありジェンダー論議が活発になっている。男女平等の問題は日本の歴史そのもののような気がする。平安時代には紀貫之の土佐日記に男がすなる(書く)日記と言うものを女の私も(実際は貫之)して(書いて)みようと思うとあり、これから見てもこの時代から男性上位の思想がはっきり見て取れる。その後も戦国時代、江戸時代、現代へと続く中で「男女平等」は平塚らいてうの青鞜社運動や女性への選挙権獲得運動など活躍はあったものの平等にはかなり距離があった。長い間この状況が続きどうしても日本は男性上位が当たり前の形になっている。今でも地方に行けば女性の食事は男性が済んだ後で、入浴も男性の後にされると聞いた。約30年前、筆者も日本海側の某地方の知人宅に泊めていただいたが女性は一段低い板張りの片隅で食事をしていた。小さい時からその風習に慣らされているから急にレディーファーストと言われても戸惑ってしまうのだ。問題発言の方もこのような環境に浸っていたのかもしれないが時代感覚と頭の切り替えが責任ある立場の人としては絶対に必要だった。「老妻」に代わる言い方を考えてみたが該当する言葉が浮かんでこない、当人と第三者に不愉快な思いをさせないような言葉が欲しい。昨年来、結婚したての何人かの若い人が「私の嫁です」と奥さんを紹介してくれたのには??。嫁と言えるのは息子の親が「うちの嫁」と言う時ではなかったのか。50歳過ぎの友人はネットでパートナーと書いていたがジェンダー時代ではこれもありかもしれない。ひと昔前テレビドラマで刑事コロンボさんが「うちのかみさん」と言い大流行したがくだけた場でしか使えない。どのような呼び方が不快感を与えないかを考えたい。無難なところで妻と夫になるのだろうか

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