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自衛隊ニュース   2008年2月15日号
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迫撃砲射撃を実施
日本原・東弾着地で38年ぶり
《中部方面総監部》
46普連隊員により81ミリ迫撃砲が発射された瞬間
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 中部方面隊は1月24日、岡山県日本原演習場において悲願の38年ぶりとなる東弾着地を使用した迫撃砲の射撃を行った。
 日本原演習場では、昭和45年以降、東弾着地に対する砲迫射撃を行っていなかったが、東弾着地の整備等が無事完了し、迫撃砲試験射撃に対する地元の理解を得られたことから実現することとなった。
 試験射撃は、第13旅団長(佐藤修一陸将補)以下第46普通科連隊を主力とする191名、そして中部方面総監部幕僚副長(山下裕貴陸将補)以下83名の全般企画統制部をもって行われた。
 地元からは、代表として奈義町長(花房昭夫氏)、町議会議長(小童谷進氏)以下町議会議員及び日本原演習場対策委員の総勢23名が迫撃砲射撃の状況を確認するため演習場を訪れた。
 1月24日、日本原演習場は、早朝から強い雪が降り続き、弾着観測に必要な視程を十分に得ることができない状況が続いたが、奈義町長以下研修者の射撃陣地への到着を待つかのように、五角形の形をした弾着地一帯はしっかり確認できる状況となった。
 射撃実施部隊は午前8時50分、試験射撃を開始した。射撃は前段及び後段に区分され各10発を射撃、日頃の練成の成果を遺憾なく発揮し、弾着地内の目標に対して精度の高い射撃を行った。
 奈義町長以下は、前段、迫撃砲射撃陣地において射撃部隊の射撃要領等を間近で確認するとともに、砲、射撃要領、射場の構成等に関し質疑を行い理解を深めた。
 また、後段、観測位置において迫撃砲弾の弾着景況を実際に確認する他、陣地地域周辺で実施した音響測定の結果について説明を受け射撃の全体を把握した。
 午前9時30分、射撃部隊は最終弾を発射、最終弾の弾着を待つかのように再び強い雪が降り始めたが、試験射撃は所望の成果を得て無事終了した。
 中部方面隊は、今回の試験射撃の結果を踏まえ、地元の理解を確実に得つつ、日本原演習場における効果的な射撃訓練を今後行っていく予定であるとしている。

新成人39名を紹介
《第8特科連隊》
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 第8特科連隊(連隊長・納冨中1陸佐)は1月11日、駐屯地成人式に引き続き、今年成人式を迎えた39名の隊員の紹介行事を行った。連隊長は成人者に対し、「自らが社会の中に占める地位・役割を自覚して、自分達が社会、部隊、そして家族に何ができるか自分で問い、その答えを実践してもらいたい。この際、周りのよき先輩を目標とするのみならず、是非先輩を乗り越えてもらいたい」と訓辞した。 新成人たちは一人ずつ抱負を声高らかに披露し成人者としての決意を新たにした。成人者は、「連隊の人達に祝ってもらい、思い出に残る本当に素晴らしい成人式になりました」と笑顔で語った。
 なお、9名の成人が所属するえびの駐屯地では、9日に同様の行事を実施し、成人を祝った。

部隊の名誉をかけ、持続走競技会を実施
《第4師団》
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 第4師団は1月18日、日出生台演習場において「平成19年度師団持続走競技会」を実施し、持久走能力の向上を図るとともに、部隊団結の強化及び士気の高揚を図った。宮島俊信師団長は競技開始にあたり、「勝利への執念」「団結の強化」の2点を要望した。
 参加人数は総勢約1500名で、部隊の規模に合わせてグループ編成した。競技会は断郊・駅伝方式により部隊対抗で実施され、軽武装して1周3・5kmを分隊数に応じて周回する。各部隊の代表分隊は分隊長以下一丸となり、あくなき「勝利への執念」を燃やし、タスキの代わりとなる各部隊の隊旗を繋ぎ起伏の激しい日出生台演習場を駆け巡った。また、部隊の名誉を一身に背負い力走する選手と、それを必死に応援する隊員が、部隊長を中心として一体となって競技に臨み、終始熱気に溢れたレース展開となった。更に、普通科隊付教育中の幹部候補生26名が特別参加し競技会を盛り上げた。

旅団冬季戦技競技会で練習の成果を発揮
《第5旅団》
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 第5旅団(旅団長・寺崎芳治陸将補)は1月30日、然別演習場で旅団冬季戦技競技会を実施した。
 旅団改編後初の冬季戦技競技会となり、各部隊とも上位入賞を目指し、練成に励んで来た。競技は6km機動を部隊の平均タイムで競うもので、隷下に中隊を保有する部隊によるAグループと、隷下に中隊を保有しない部隊によるBグループに分かれて行った。
 競技会当日は天候にも恵まれ、選手全員が各部隊の名誉をかけ練習の成果を発揮した。また、競技会を自衛隊協力諸団体と報道にも公開し、見学者の声援が演習場内に響き渡った。
 激しい争いの結果、Aグループでは第5特科隊、Bグループでは第5偵察隊が優勝旗と顕彰板を手にした。 個人の部では、27普連2中の吉田2曹が、2位に34秒の大差をつけて圧勝し、今後の活躍が大いに期待される結果となった。

雪月花
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 アメリカの大学チームが世の中で「最も暗い」物質を作りギネスブックに申請しているとのニュースがあった。暗い物質は太陽光を電気や熱に変換する装置などに役立つそうだ(朝日新聞)。話は違うが最近まったく暗闇を見なくなった。東京、いや日本中から暗闇がなくなった気がする。窓を閉めきった真夜中でも隣家の灯や街灯が漏れてくるし、パソコンやエアコンの電源には青白い光が残っている。子供のころの田舎には闇夜の時季には真っ暗闇があちこちにあった。「墨をながした」ように鼻をつままれてもわからない、目の前に何かあっても全然見えない。別棟にあるトイレに行くのには悲壮な覚悟が必要だ、庭を横切るのも昼間の記憶が頼りで行き帰りはびくびくもんだった。遅くなった剣道の練習の帰りは仲間と手をつなぎ合って竹刀で道をさぐりながら這うようにしていた。物足りなさを思っている時、その暗闇を長野の善光寺で発見した。「お戒壇めぐり」で本堂の地下にはいるのだ。明るいひざしを背に2、3歩階段を降りた瞬間にもう真っ暗闇。どんな設計になっているのかなどと思うのは後になってからのこと。前後の人と声をかけあって進むのは子供のころとおんなじだ、声は聞こえるが何センチの距離か何メートルの距離か地底からか天上からなのかもわからない。触るとご利益があるという錠前を見つけるのも文字どおり手探り。約10分ほどかかって明かりにたどりついた時には知らない同士が顔を見合わせた。この安堵感がご利益なのか。天と地、陰と陽、そして明にはやはり暗がなければならない。

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