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自衛隊ニュース   1002号 (2019年5月1日発行)
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読史随感
<第28回>
神田淳

小泉信三 天皇の師、勇気ある自由人

 4月30日平成の時代が終わった。平成の世を顧みて人々は、天皇陛下が立派な人で良かったと思うのではなかろうか。天皇は、無私、誠実の極にあるような人で、「陛下のご君徳」といったありきたりの言葉では言い表せない人格と識見の持主だったと私は思う。
 世界史をみて、国の統治形態は立憲君主制が最も良いと私は思っている。日本の天皇は世界で最も古い歴史をもつ君主で、こうした皇室の存在自体が、世界から敬意を払われているが、さらに、その地位にある象徴としての天皇が人間的に立派であることは、日本を大きく裨益するものである。
 退位された天皇のご人格について考えるとき、皇太子時代の師だった小泉信三のことを我々は思い出す。
 小泉信三(1888-1966)は福澤諭吉の高弟・小泉信吉を父として生まれ、慶應義塾で学んだ。経済学を専攻し、マルクス主義を強く批判する自由主義経済学者として知られるようになる。1916年慶應義塾大学教授となり、1933年(昭和8)から戦争をはさんで1947年(昭和22)まで慶應義塾塾長。1949年(昭和24)、強く請われて東宮御教育常時参与に就任。皇太子の教育全般を担う役職についた。皇太子のお妃選びにも深く関与し、1959年(昭和34)正田美智子さんとのご成婚となった。1966年(昭和41)、心筋梗塞により急逝した。
 1976年(昭和51)、明仁皇太子は記者会見で、子供の教育に関し、「私の場合、小泉(信三)先生、安部(能成、学習院)院長、坪井(忠二、東大教授)博士と三人いました。小泉先生とは常時参与という形でーーーー。私はその影響を非常に受けました」と語っている。
 小泉は、将来の君主である皇太子に対して、君主の「人格その識見」は自らの国の政治に影響し、勉強と修養は日本の明日の国運を左右するものであると説いた。
 小泉は『ジョオジ5世伝』をテキストに選び進講した。イギリスの王ジョージ5世(在位1910-1936)はエリザベス2世の祖父。彼は英雄でも天才でもなかったが、謹厳実直で、立憲君主制における君主のあり方の奥義を身につけた名君であった。国民はジョージ5世が王位にあることによって堅固と安全を感じた。第一次世界大戦後、激変するヨーロッパで、立憲君主国イギリスの安定はきわだっていた。
 小泉信三は自由主義者であった。マルクス主義が時流の学会にあって、一貫してこれを批判し続けた。資本主義から共産主義への発展、社会主義計画経済、剰余価値説、唯物史観などに関する小泉の批判を今読むと、小泉がいかに当たり前の正しいことを言う、良識ある学者であるかがわかる。
 日本が独立を回復する1951年のサンフランシスコ講和条約で、小泉は自由主義諸国との間で講和し、できるだけ早く独立を回復する単独講和を支持した。当時、南原繁東大総長をはじめ、ほとんどの知識人が共産主義国との講和を含む全面講和論を展開した。私はここに小泉の「学者バカ」ならぬ良識をみる。
 小泉信三は勇気ある自由人だった。氏は福澤諭吉と同様、武士的な道徳的背骨をもつ、最高レベルの知識人だったと思う。(5月1日)

神田 淳(かんだすなお)
 高知工科大学客員教授
 著作に『すばらしい昔の日本人』(文芸社)、『持続可能文明の創造』(エネルギーフォーラム社)、『美しい日本の倫理』など。


陸上自衛隊新改編決行!
西部方面戦車隊

 西部方面戦車隊(隊長・前田健一郎1陸佐=玖珠)は、3月26日をもって、新たな戦車部隊として生まれ変わった。
 平成29年度末に、第4戦車大隊と第8戦車大隊の伝統を受け継ぐ西部方面唯一の戦車部隊として新編された西部方面戦車隊は、平成30年度末に第3戦車中隊と第4戦車中隊が廃止され、また第4師団隷下から方面直轄部隊に隷属変更され、「令和元年」の隊務を開始した。部隊の規模は縮小されたものの、主要装備品が全て10式戦車になる等、最新鋭の戦車を駆使する対機甲戦闘の骨幹部隊として、西部方面隊の任務達成のためこれまで以上に飛躍の年となるよう、全隊員が尽力することを誓った。
 前田司令は部隊の新・改編により、全国に展開した玖珠駐屯地出身の機甲科隊員が、現在の礎を築いたのが九州機甲のメッカである玖珠駐屯地であることを忘れず、各地において存分に活躍することを祈念する」と訓示した。

奄美駐屯地 瀬戸内分屯地
 3月26日、鹿児島県奄美大島北部の奄美地区に奄美駐屯地が、南部の瀬戸内地区に瀬戸内分屯地が開設された。奄美大島は九州本島の鹿児島から南に約380kmにあり、沖縄本島とのほぼ中間に位置する約712平方キロメートルの島。平成28年3月新編の与那国島、今年4月新編の宮古島、今後新編予定の石垣島とともに、「防衛の空白地帯」とされた南西諸島の防衛力強化の一翼を担う事が期待されている。
 主要な部隊として、奄美駐屯地に奄美警備隊本部と中距離地対空誘導弾(中SAM)部隊、瀬戸内分屯地に奄美警備隊の一部と地対艦誘導弾(SSM)部隊を配備し、総勢約550名の規模となった。
 3月31日に行われた奄美駐屯地の開設記念行事では、原田憲治防衛副大臣から奄美警備隊長・平田浩二1陸佐(兼駐屯地司令)に対して隊旗が授与された。また前日30日には瀬戸内分屯地の隊員が瀬戸内町で市中パレードを実施し、多くの町民の歓迎を受けた。

宮古島駐屯地
 4月7日、沖縄本島から南西に約300kmの宮古島に新たな駐屯地が開設された。那覇・与那国島に続き沖縄県では3つ目の駐屯地となる。式典では岩屋毅防衛大臣から主力部隊である宮古警備隊の隊長・田中広明1陸佐(兼駐屯地司令)に対して隊旗が授与された。
 岩屋大臣は訓示で「『島嶼、島々を守りぬく』というわが国の断固たる意思と能力を国際社会に示すことであり、是非強い使命感と責任感を持って、この課題に挑戦してもらいたい」等と述べ隊員を激励した。また田中司令は「任務に即応でき、訓練精到にして、家族・地域と共に歩む部隊・駐屯地を育成していく」と述べた。
 宮古島駐屯地は島のほぼ中央に位置する千代田地区に所在する。主要部隊は、警備隊約380名に加えて、平成31年度以降に地対艦誘導弾(SSM)部隊、中距離地対空誘導弾(中SAM)部隊を配置し最終的に約700から800名の規模となる予定だ。
 陸上自衛隊は今後、宮古島からさらに南西の石垣島にも駐屯地を開設し宮古島同様に警備隊・SSM部隊・中SAM部隊を配備する予定で、いわゆる「防衛の空白地帯」とされた南西諸島における抑止・対処態勢の強化を進めていく。

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