武士道を研究していると、昔の日本人が名誉心の強い人たちだったことがわかってくる。
戦国時代に来日したフランシスコ・ザビエルは、「日本人は驚くほど名誉心の強い人々で、何より名誉を重んじます。大部分の人々は貧しいのですが、武士も、そうでない人々も、貧しいことを不名誉とは思っていません。日本人は侮辱され、軽蔑の言葉を受けて我慢している人々ではありません」とイエズス会に書き送っている。
新渡戸稲造は名著『武士道』で述べる。名誉は武士階級の義務と特権を重んずるように、幼児のころから教え込まれるサムライの特色をなすものだった。「人に笑われるぞ」、「恥ずかしくないのか」などという言葉は、過ちをおかした少年の振舞を正す最後の切り札だった。この名誉に訴えるやり方は子供の心の琴線に触れた。若者が追求しなければならない目標は富や知識ではなく、名誉であった。恥となることを避け、名誉を勝ち取るためにサムライの息子はいかなる貧困も甘受し、肉体的、あるいは精神的苦痛のもっとも厳しい試練に耐えた、と。
武士道とは、武士はいかに生きるべきか、個々の状況下で武士としていかに振る舞うべきかの教えに他ならないが、その行動を律する基本原理は名誉の観点にあった。武士道の主要な道徳は、絶対に嘘を言わない、卑怯なことをしない、戦場で勇敢に戦う、利を軽んじ義を重んじる、信義を重んじ約諾は絶対に守る、惻隠の情をもつ、などであるが、こうした道徳の根底にある感情は、名誉心と自尊心である。
19世紀、強大化した西欧文明が世界を席巻し、アジアが植民地化されていく中、日本は体制変革を行い、近代国家建設に成功する歴史をもつが、これを遂行した原動力は武士の名誉心だった。新渡戸は言う。近代日本を建設した人々、西郷、大久保、木戸、伊藤、大隈、板垣らが人となった跡をたどってみよ。彼らが考え、築き上げてきたことは、一に武士道が原動力になっていることがわかる。劣等国と見なされることに耐えられない、という名誉心。これが動機の中で最大のものだった、と。
大東亜戦争に負けて、日本人は戦前の過剰ともいえる名誉心を失ったように見える。周恩来は、戦後日本人は卑屈になったと言っていたし、李登輝は、戦後日本政府が中国からちょっと強硬に何か言われると恥も外聞もなく聞いてしまう、武士道を失った日本のエリートの卑屈さを嘆いていた。
また、戦後ロンドン・タイムズ、ニューヨーク・タイムズの東京支局長などを歴任したイギリス人ジャーナリスト、ヘンリー・S・ストークスは言う。長い取材、調査の結果、はっきり断言できるが、いわゆる「南京大虐殺」などというものは明らかに中国のプロパガンダだ。「慰安婦問題」も同様だ。どんなに調べてみても、日本軍が強制的に慰安婦たちを将兵たちの性奴隷にしたという事実は出てこない。それにもかかわらず、中韓はことあるごとに南京大虐殺と慰安婦を歴史認識問題として蒸し返し、日本を貶めることに躍起となっている。それを許している責任の一端は日本国民自身にもある。中韓が歴史を捏造し、謂われ無き誹謗中傷を始めて以来、実に長い期間にわたって、多くの日本人がその問題に口をつぐんできた。もし、イギリスが同様の誹謗中傷を受けたら、イギリス人は相手国を決して許さないだろう、と。
武士道的名誉心は、よりソフィストケートされて、現代日本人になお十分残っていると私は思っている。
(令和3年8月1日)
神田 淳(かんだすなお)
元高知工科大学客員教授。著作に『すばらしい昔の日本人』(文芸社)、『持続可能文明の創造』(エネルギーフォーラム社)、『美しい日本の倫理』などがある。 |