防衛ホーム新聞社・自衛隊ニュース
スペーサー
自衛隊ニュース   1052号 (2021年6月1日発行)
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ノーサイド
北原巖男
家族

 テレビニュースは、毎日、全国都道府県の感染者数、重症患者数そして死亡者数等を伝えています。
 他国との比較も含めて、その「人数」と「人数」の違いや変化のみに関心が行き、そこに留まってしまっている自分自身にハッと気付くことがありました。そのきっかけになったのは「さざ波」発言。
 瞬時に僕の頭に浮かんで来た言葉がありました。その言葉は、今起きている新型コロナウイルス感染症とは何の関係もありません。時代背景等も全く異なります。しかし、僕には浮かんで来てしまったのです。
 それは、「歴史探偵」半藤一利さんが遺された「世界史の中の昭和史」(平凡社刊)の一節。「おぞましいスターリンの言葉」として紹介していた極めて衝撃的な言葉でした。
 「一人の人間が死ぬときは悲劇だ、何万人の人間が死ぬときは統計だ」
 亡くなるご本人の苦しみ・無念さ、ご家族の皆さんの辛さ・深い悲しみは、他人には到底拝察できることではありません。しかし同時に、ただ「人数」や「統計」として捉えるだけであってはならないのではないか。そのように強く自戒しています。
 こうした中、医療先進国であるはずの日本で起きている現実があります。
 新型コロナウイルス感染症患者の皆さんの中には、本来入院すべき病状であるにもかかわらず病床の不足から入院出来ず自宅で療養している方々、あるいは、社会福祉施設等で療養を続けざるを得ない高齢の皆さん等がおられます。
 厚生労働省が5月21日に公表した5月19日現在の調査結果によりますと、自宅療養者は32,947名と3万人を超えています。社会福祉施設等での療養者は286名となっています。
 そのような方々の中には、自宅療養中に死亡したり、ようやく入院出来たものの手遅れで亡くなられた方も少なくありません。ご家族の姿を報じる報道には、本当に胸が痛みます。
 本来救える命は、当然救わなければなりません。
 そのためには、一層の病床確保が急務であり、感染者数を何としても減少させなければなりません。
 しかし、強烈な変異ウイルスに対する不安の中、いつまで続ければよいのか見当もつかない感染予防対策や各種規制措置の長期化に国民は滅入っています。
 切り札は、ワクチン接種。
 政府・全国の自治体は接種の加速化に懸命に取り組んでいますが、ほとんどの国民はこれからです。本紙読者やご家族・親せき・お友達等の中で、ご高齢の皆さんは既に接種を済まされましたでしょうか。あるいは2回の接種の予約を取られましたでしょうか。隊員の皆さんには、気になる方々に予約取得が出来たかどうか聞いてみてください。まだでしたら、直ぐに手伝ってあげてください。
 防衛省・自衛隊では、5月24日から東京と大阪に大規模接種センターを設置し、65歳以上の方々を対象にワクチン接種活動を始めています。
 全く初めてのオペレーションです。
 岸信夫防衛大臣は、4月27日の同センター設置に関する関係幹部会議後の記者会見で、防衛省はいつでもこのような大規模な接種に対応出来る組織であり、全力を挙げて取り組んで行く旨表明されています。
 関係隊員の皆さんには、常に国民と共にある国民の自衛隊を代表して、今あるこの見えない強敵の脅威から国民の命を守るため、頑張って頂きたいと思います。
 そして、このオペレーションを懸命に支援されている民間の看護師さんはじめ関係者の皆さんに感謝と激励の気持ちをお伝えしたいと思います。そうした皆さん、隊員の皆さんのご家族も、心から応援されておられることと思います。
 活動開始を前にした5月22日、栗山尚一元駐米大使夫人からこのようなメールを頂きました。
 「この度も自衛隊の皆さまには、ワクチンでお世話になりますね。国民が困ったことがあると、いつも助けられていると思います。戦うことも必要なときは犠牲を伴っても、というお気持ちでおられる方々に感謝ですが、このように自国民の困難に常に寄り添って行かれることに感謝しています」
 多くの皆さんが大規模接種センターに足を運んで接種を受けられています。ワクチン接種の緊急性は言うまでもありませんが、ご本人はもちろん、そのご家族の皆さんも、自衛隊そして自衛隊員を信頼してくださっている証左ではないでしょうか。
 どこまでも謙虚に、そして任務の完遂に努めてください。
  
北原 巖男(きたはらいわお) 元防衛施設庁長官。元東ティモール大使。現日本東ティモール協会会長。(公社)隊友会理事

読史随感
神田淳
<第78回>

「五箇条の御誓文」について

 1868年(明治元年)明治新政府は天皇が天地神明(神)に誓う形式で「五箇条の御誓文」を公布し、新政府の基本方針とした。
一、広く会議を興し万機公論に決すべし
一、上下心を一にして盛んに経綸を行うべし
一、官武一途庶民にいたるまで各(おのおの)其の志を遂げ人心をして倦まざらしめん事を要す
一、旧来の陋習を破り天地の公道に基づくべし
一、智識を世界に求め大いに皇基を振起すべし
 この時期新しい日本のあり方として、明治新政府がうち出したこの方針を本当にすばらしいと私は思う。この基本方針は天皇の誓いにとどまらず、実際の国是となり、明治の国家建設の生きた方針となった。
 この御誓文は、福井藩出身の政府参与由利公正が原案を作成し、土佐藩出身の参与福岡孝弟が修正、最終的に総裁局顧問の木戸孝允が加筆修正して決定した。原案作成者由利公正は現在あまり知られていないが、幕末開明的な福井藩主松平春嶽の側用人として、橋本左内らと国事に奔走した武士である。由利は、春嶽に招かれて福井藩の賓師となった横井小楠に学んだ。坂本龍馬とも親交があり、御誓文には龍馬の「船中八策」の影響があると言われる。
 最終案を決定した木戸孝允は、維新の三傑の中で最も開明的な英傑だった。木戸は後日(明治5年)、「かの御誓文は昨夜反復熟読したが、実によくできておる。この御趣意は決して改変してはならぬ。自分の目の黒い間は死を賭しても支持する」と語ったことが伝えられている。
 この時期すでに、公論による政治をはじめとする、御誓文に記されるようなすぐれた政治思想が武士の先覚者層に定着していた。
 平川祐弘東大名誉教授(比較文化学)は、五箇条の御誓文はわが国の「マグナ・カルタ」ともいうべき一大憲章であると言う。そして、御誓文は1868年において新鮮な国是の宣言だったが、その4分の3世紀後の戦後1946年でも日本国民に行くべき道を指し示す宣言であり、そのさらに4分の3世紀後になる今日でもなおきわめて意義あるものだと言う。
 戦後の1946年、昭和天皇はいわゆる人間宣言を行ったが、その詔書で五箇条の御誓文に言及した。昭和天皇は、「それが実は、あの詔書の一番の目的であって、神格とかそういうことは二の問題でした。民主主義は明治大帝の思し召しで、五箇条御誓文を発して、それが基になって明治憲法ができたので、民主主義というものは決して輸入物でないことを示す必要が大いにあったと思います」と語っている。また、吉田茂は1946年国会で「御誓文の精神、それが日本国の国体であります。この御誓文を見ましても、日本国は民主主義であり、デモクラシーそのものでありーーー」と答えている。
 五箇条の御誓文は、民主主義思想を十二分に含む国家の基本方針を、達意な美しい日本語で表したすばらしい誓文である。平川先生が言うように、日本の大憲章とする価値が十分あると思う。特に平成から令和に至り、日本がひきこもり傾向にあると言われる現在、「智識を世界に求め」、「天地の公道に基づくべし」といった開明精神は、明治初期や終戦直後以上に意義をもつ今日の国是となると信じる。(令和3年6月1日)
  
神田 淳(かんだすなお)
 元高知工科大学客員教授。著作に『すばらしい昔の日本人』(文芸社)、『持続可能文明の創造』(エネルギーフォーラム社)、『美しい日本の倫理』(https://utsukushii-nihon.themedia.jp/)などがある。

防衛ホーム俳句コーナー
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